恋愛テロリスト
第九幕 砕ける心 8
『よお、思い出したかよ?あの時あいつになんて言われたか』
「あんたの言うこと全部、あたしが信じると思う?」
桃太郎が語ったあたしの過去。失った二年間の記憶。
その内容は受け入れがたいめちゃめちゃな記憶。
あたしから離れたはずの桃太郎が、再びあたしの中に戻ってきて、突然あたしの過去を語りだした。
あたしがAエリアを飛び出したのは、Aエリアにいたくなかったからとか。
逃げてきたこのBエリアで、殺されそうになったあたしを救ってくれたのがビケさんだったとか。
そのビケさんと二年以上、一緒に暮らしていたとか。
そして、ビケさんが、あたしにずっと嘘をついてて……、ほんとはおばあちゃんが好きだったとか。
なにそれ?信じると思う?だれが作ったの?そんなでたらめ物語。
そうか、こいつね、この桃太郎があたしを騙そうとして……。
『おいおい、まだ否定すんのかよ? この場所に来てもわかんねぇか?てめぇとビケが出会った場所だぜ』
今あたしが立っているこの通り。こいつの話を聞いたせいか、一瞬映像が浮かんで、不思議な感覚に襲われた。
死を感じた瞬間、あたしの感覚は研ぎ澄まされて、その瞳を強く、自分の瞳に焼き付けたこと。
あった気がする。あの瞬間に、あたしは心を奪われた。
ザーッ、ってなにかが頭の中で流れていくようなノイズがする。
頭を掴んで、あたしは冷たい通路に膝をつく。
気持ち悪い、なにこれ。
『なあリンネ、疑問に思わねぇのか? なんでビケのやつがいつもてめぇのピンチに現れていたのか。
そりゃあな、あいつが仕組んでいたからだよ。
てめぇが惚れるようにな』
なによ?なんでビケさんがそんなことしなきゃいけないのよ?!
『あいつと、そして俺様の野望を達成するためによ。時間かけためんどくせーことだったけどな。
てめーの精神ぶち壊すにはいい方法だったんだよ』
なに?わけわかんない、こいつ。
『俺様と温羅は前世の決着をつけるために、長い時をかけてやっと同じ時に転生を果たせた。
俺様の目的は天下を盗るため、温羅の野郎は俺様の女を手に入れるため。
お互い最高の状態で、本気でぶつかり合うその日をただひたすらに待ちわびて……。
だが、俺様はなんの間違いか、てめぇみたいなへっぽこ女に生まれ変わっちまった……』
なんの話かわけわかんないんですけど。
『だけども希望はわずかに残っていた。ビケの奴が教えてくれた。あのテンって奴の存在をな。
転生先でない相手に移れるか保障はねぇが、可能性があるならかけてやる。
幸運にも俺様はてめぇと魂が分離した状態で生まれた。これも希望だ。
だが肉体を離れ、魂だけになった俺様は不安定な存在になる。ヘタすりゃ存在そのものこの世から消えてしまうこともあるらしいからな。目的を叶える為にもある制約を満たさなきゃならなかった』
わかりません、まじでわけわかりません。
『まず移動先が俺様の存在を認め、受け入れてくれることの確認だ。そのためには、あの野郎テンを納得させるだけの強さが必要だった。そのために器であるてめぇをある程度鍛えておかなきゃならなかったってことだ。
元々てめぇを鍛えようとはしていたが、やっぱ俺様が表にでねぇと話にならないレベルってのが痛かったがな……。
でよ、なんとかその条件は満たせたわけだ。俺様はてめぇと離れて、テンのやつを手に入れた。これでやっとまともに奴と戦えるぜ!そう思ったときだった。ここにきて、てめぇを鍛えてきたのが裏目にでちまった。
器の精神が強まると、俺様の魂も器であるてめぇへと引き戻されちまうんだよ。そこで鬼が島の指令だ。邪魔者を早々に処分してもらおうってな』
「な、鬼が島って、じゃああんたが、あんたが黒幕ってこと!? キョウたちを使ってあたしを殺そうとしたってこと!?」
やっぱりこいつが、桃太郎が諸悪の根源。
『てめぇはキョウって野郎に心開いていたようだからな、けどてめぇはめげなかった。逆にキョウって野郎のせいで精神がさらに強まりやがった。俺様も限界に達した。
ここでよ、あいつの出番よ。リンネ、てめぇの精神一発でぶち壊すのはそれしかねぇってな。
売った記憶を呼び戻せってよ、あいつがそう言いやがった』
あいつてだれのことよ?
『まだとぼけんのかよ。その鶏頭っぷりにあきれはてるぜ。
温羅…ビケの野郎だ』
なんでビケさんが、あたしの精神ぶっ壊さなきゃいけないのよ。
『あーーうぜー!何度も言わせんな!
ビケの野郎の望みは俺様との完全決着、そしてあの女【タカネ】を手に入れることだ!
リンネ!てめぇだって、記憶売ったくせにちゃんと気づいていたろうがよ!半身である俺様は全部お見通しなんだよ。ビケの野郎はタカネしか見てねぇ、タカネ以外の存在など欠片も想っちゃいねぇ!テンってやつも、リンネてめぇのことも、心底どうだっていいってのが奴の本心なんだよ!』
「でたらめもいい加減にしてよ!あんたの言うことなんてあたし信じないって言ったでしょ!」
『そうそう、あいつがよ、なんで自分に惚れさせたかわかるか?てめぇの唯一の心のよりどころタカネの存在を消し去るためでもあったんだぜ。まあ、完全に消し去りはできなかったようだけどな。
あのタカネが、てめぇの唯一の本当の味方だったんだぜ……って今更教えてももう手遅れだけどな。
リンネ、てめぇは自らその道を蹴って選んだんだ、最悪のビケっていう道をな』
「もういい、消えて。いますぐあたしの中から消えろ!!」
うざいうざいうるさい、頭がはちきれそうで不快!ずっとあたしの中で、一方的に話し続ける桃太郎をあたしは全力で振り払おうとする。
『ああ望みどおり離れてやる。最後に教えてやるぜ。リンネてめぇの受難体質はな、俺様のしわざだ。変質者や雷門や金門や、てめぇが孤独だったのも、全部俺様の与えてやった試練だった。てめぇを戦わせるために、強くする為に。けどよ、てめぇはとんだ期待裏切りもんだ。なんど心底むかついたかしれねぇ、十八年もその中で我慢してきたそれもついにしめぇだ。
あと記憶を売ったのはてめぇ自身だがよ、その髪は俺様が染めてやったんだぜ。桃太郎なだけに桃色ってな。
あばよ、リンネ。二度と会うことねぇだろうが、生まれ変わりのてめぇがせめて軽い地獄に行くことを願っといてやるぜ』
「うるさい!全部あんたのせいじゃない!消えろ! とっとと消えろーーー!!!」
声がかれるほど叫んだ。めいっぱい桃太郎を追い出すように。消えろ消えろって心でも強く叫びながら。
あいつが、あたしの中から遠ざかっていくのを、感じた。
すぅっと、体が幾分か軽くなる感覚に襲われて、あたしは前のめりになって、両手を地面についた。
「はぁはぁ…いない、やっと、消えてくれた……」
しばらく座り込んだまま、あたしはぼうとする頭を抱えていた。
あいつが、消えたというのに、不快感は消えないままでいた。
桃太郎が語ったあたしの過去。でたらめだってあたしは否定したけど、でも本当は。
それが事実なんだとも感じてしまっている。あいつの話と一緒に浮かんだ映像。まるで体験したことのようにリアルで鮮明だったから。
否定したいのに、不快感でいっぱいで、どうしようもない。
それはずっと心の奥底にあった不安。
ビケさんの本当の想い……。
全力で否定したい、それに、あの時ビケさんが言ったっていうあたしへの言葉。
まだ脳内ではっきりしていない。
きっと、一番認めたくないことがそれ…なんだ。
桃太郎の奴があたしの中に戻ってきて、また消えて、あれからどれだけ日が流れたかよく知らない。
無意識にあたしはゴミ箱の中のパンクズなんかを手にして、口に含んでいた。
黒いものがぷつぷつあっても、それを取り払うこともせず、ただ無意識に、そうしている。
あたし、なにしてるんだろう、そうだ、ビケさんから聞いてからだ。
あたしとビケさんはこのBエリアで本当は出会っていたって……。
でもあたしにはその記憶がない。どうしてBエリアにきたのかも記憶がない。
ふらふらと通りを歩いていく、その先で見覚えのある景色。
燃え上がる炎に包まれて、踊る男。
ビケさんが変質者を燃やした場所?!
あっ、違う!だからそれはあいつのでたらめ作り話で。
否定したい、しなきゃ。
あたしは通りに立つ店の店員に話しかけた。二三年前に、ここで人が燃えた事件を知っているかってこと。
「ああ、そういえばあるな。あれはすごかったなー。花火よりもよっぽど楽しかったよ。それがなにか?」
あったんだ…、人炎上。いやっ、でもそんなのこのめちゃめちゃな街ではめずらしくないことなのかもしれない。
あたしはそう納得しようとして、そこを離れた。
ビケさんに、会わなきゃ。
ビケさんに…ビケさんの口から確かめなきゃ。
ビケさんっ!
あたしは無我夢中でCエリア領主館を目指した。
受難の要因だったあいつが完全にあたしから離れたためなのか、雷門やら危険な連中から狙われることもなく、あたしは無事Cエリアへとたどり着き、目的の領主館についた。
「はぁはぁはぁ…んくっ」
扉に手を突いて、息がまだ乱れたまま、ツバだけを飲み込んで、あたしは戸を開く。
ああ、そっか。あたしビケさんから通信機もらってたんだっけ。でもあれ、ビケさんに通じたためしがないんだよね、ほんとなんのためなんだか。でもいいや、こうしてあたしは自力でここまでたどり着いた。ここにビケさんがいるって百%言える訳じゃないけど、ここにくれば会えるだろうって、それしか考えてなかったからだ。
領主館の使用人たちはあたしに気づいているだろうに、だけどもあたしには気づかない様子のままそこにいる。まるであたしはそこにいないみたいに。でもそんなことは関係ないし興味ない。
あたしはただビケさんを探して、ロビーを進み、階段を登る。
きゅっ、と高い音たてて、あたしの掌が手すりを滑った。掌の汗のせいでそうなった。胸元でそれを拭いて、再び手すりを掴んであたしは階段を登っていく。
汗かいて汚れて、肌も髪も整えないで好きな人に会いに行くなんて、恋する乙女の行動じゃないけど。でも今のあたしにはそんなこと気づかっている余裕はない。ただ一刻も早く、はっきりさせたいだけ、そして安心したいだけ。
たいしたことない距離が、疲労したあたしにはとてつもない距離になる。
階段を登りきって、通路を歩く。壁を伝いながら、体を支えて。
ビケさんの私室の前へとあたしはたどり着いた。
ここにいるって信じて。今いなくても、いつかそのうち、きっと会えるだろうと思って。
戸をノックしようと右手を引いた瞬間、戸の向こうから声がした。
「開いているわよ」
!ビケさんの声。
左胸をなでるようにおさえてから、あたしは戸をゆっくりと押し開けた。
部屋の中央付近に立つその人は、あたしが会いたかったビケさん。いつものように優しい笑みをたたえたビケさん。
唇が震えて、視界が少しにじむ。
がくがくする足をなんとか我慢して、あたしはビケさんへと数歩近づいた。
「あの、ビケさん、あたし…あたし…ごめんなさい、あたし記憶がどうしても…ビケさんのこと、思い出せなくて」
「思い出せない? あいつから聞いたはずじゃないの?」
自分を抱くように軽く腕を組んだビケさんは、その場で立ったまま、優しい笑みでそう言う。
あいつって、ビケさんのいうあいつって、まさか。
口には出してないあたしのその言葉を、読み取ったかのようなビケさんは、あたしの顔を見たまま「そうよ」と頷いた。
「桃太郎が全部話してくれたでしょう。それで記憶は戻ったはずよ」
あたしは首を左右に振る。戻ってなんかいない。ビケさん勝手に決め付けないで!あたしは本当の記憶が欲しいの。あいつの話なんて信じない。あたしを不幸にして、振り回して、あんな諸悪の根源のいうことなんて。
「なにもわかってないって顔じゃないわ、それは。必死ね、認めたくなくて仕方ないだけなんでしょう」
あたしは首を振り続ける。ビケさんが桃太郎の言ったことが正しいなんて、欠片でもそう理解してしまったらあたしの耳は、脳は、体はお終いだ。
がくがくの足が限界を超えて、あたしはよろけて前方へ転倒する。ビケさんの足の一歩手前の位置で、あたしは手を突いて顔を起こす。ずっと高い位置にあるビケさんの顔。恐ろしいまでに遠い。
「あたしは、ビケさんの言葉を信じます。だから…だからビケさんの口から聞かせてください。ほんとうのことを」
顔だけ起こしたあたしを、微動だにしないビケさんが見下ろす。
「言わなくても、もう気づいているでしょう?
私が真に愛しているのは、だれか…」
びくん!肌の下のなにかが波打つ音にあたしは肩を震わす。
耳の奥で、変な音が聞こえてきそう、いや、気持ち悪い。
「どうして、なにも言わないの? 自分だと思っているなら言えるはずよね。言えないって事は、やっぱり、わかっているってことでしょう」
震えて、なにも言えない。わずかな時間が地獄のように長い時間みたいになお、あたしの体を震わせる。
わかってる。ずっと逃げるように心を誤魔化してきたけど、わかっていた。ビケさんが本当に想う人はあたしじゃない。
きっ、と唇を噛んで、あたしは震える口を動かす。
「ビケさんは、……ビケさんはあたしのこと、…どう思っているんですか?!」
首が痛むほど顔を持ち上げて、這いつくばったままのあたしは一番聞きたかったそのことを、ビケさんに問いかけた。
「ふ…、ははっ。また、同じ事を聞くのね。どこまでも物分かりの悪い……。物分かりがいいぶんまだ、あのこのほうがかわいげがあるわ」
「ビケさん笑わないで!あたし真剣に聞いて…「ゴミ」
え?
あたしの言葉を遮ったビケさんのその言葉は。耳を疑う、疑いたい、聞き違いだって脳が言ってる。
笑顔なのに、あたしを見下ろすビケさんの瞳は氷のように冷たい。
あたしの周囲の空気が乾いて、凍って、まばたき忘れたはずの目からは生暖かい液体が頬を濡らしていく。
「は、はは、うそ」
泣き笑い、あたしは否定する。でもできない、心の底でできない。だって初めてじゃない。知ってる。あたし前にも知ってる。
知ってる、知ってる、ほんとは知ってる。ビケさんが好きなのはおばあちゃん。あたしじゃない。どんなに想いを募らせても、あたしの想いはビケさんには。
わかっている、でも、あきらめられない。この想いを失くせば、あたしはもう、なにも残らない。
両手で、ビケさんの足元にあたしはしがみつく。
「ビゲざんがっっ…おばあちゃん好きでもいい。…一番じゃっ…くてもっ…いいっから。欠片でいいの、あだぢっずずっ…の…ことっっ」
涙と鼻水が合流する顔でも、必死にあたしはビケさんにすがる。プライドなんてない、なくたっていい。
この恋に代えられない。
「ゴミはゴミ以上になりえない。…見苦しい、消えて」
足払いされて、あたしの縛はあっさりととかれて、ビケさんは部屋を出て行く。あたしに振り向くことなく。なんの情もなく、あたしの前から消えて……。
うそ、うそっ!やだやだよ!
「ビケさん!!お願いっ、捨てないで!!やだぁっ、やだよーーー!!行かないでぇっ!!」
手で、必死にはって、あたしはビケさんを追おうとする。でも、扉は無情にも閉まる。
ビケさん?
力が一気に抜けていく。鼻水が首を伝っても、口に入っても、拭う力さえない。床に倒れこんだまま、あたしはすべての力を失っていく。世界の音が遠い、いやもう音さえ、なにも聞こえなくなりそう。
バン!
ビケさんが消えたはずの扉が、再び開いた音がした。
ビケさんかも?というわずかな希望が、あたしの目を動かした。
「やれやれ、領主さまも潔癖症だなぁ。ゴミには触れるのもいやとは」
現れたのはビケさんじゃない。大柄の知らない男。使用人の一人なのか知らない。
またあたしは力を失くしていく。わずかな希望もたたれた。
「よっ」
あたしの体が浮く。男に担ぎ上げられて、部屋を出る。
「しかもなんで、わざわざDエリアまで捨てに行かなくちゃいかんかねぇ。しかもあの場所かー、いやだねぇ。
Dエリアの領主でさえ近づかないって言うあそこって…、ああやだやだ、捨てたらとっとと帰ろう」
ずんずんと振動であたしの体は揺れながら移動する。
この男、独り言多い。興味ない。もうなにも興味ない。もうなにも……。
ビケさん、ビケさん……。
ビケさんの言うとおり、あたし思いだしていたんだ。あいつの話は本当だった。
あの時と同じ事をビケさんに言われた。
心を砕かれたあの日と、同じことを、またあたしは繰り返して。
あたしは同じ人に二度恋して、二度失恋した。
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