恋愛テロリスト
第九幕 砕ける心 7
「ふふ、ほんとうにどういうことかしら? お前のその様」
「ちっ、笑うんじゃねぇよ。俺様だってこんなのになるとは、想像もしてなかったからな」
「ほんと、無様すぎてため息二万回でも足りないわ。お前あの時言ったはずよね?
来世で決着をつけると。私が…温羅が言ったでしょう。強き者に転生しろ、とね。…なのに」
「うるせーー、お前前世より性格が」
「なに? そんなことより……、お前、魂が分離しているって言ってたわね?」
「ああ、それがなんだって言うんだよ」
「ふぅーん、ならお前、その体から抜けることはできないの?」
「は?……わかんねーよ、やってもいねー、そんなこと。そうか、この体からおさらば……。
いや! てめーなに言いやがる。半身の俺様が抜けている間に、こいつになにかあったら」
「いいじゃない、そんな体どーだって」
「ああ、どーだってい…くねーんだよ。てめぇ、俺様の状態わかっちゃいねーのかよ?」
「私、お前の望む体に心当たりがあるわよ。制約を満たせるのならばだけど。
お前が望むだけの強さを持ち、そしてお前の血を引いている男」
「本当だろうな。ならてめぇも協力しやがれよ。その制約ってのがな」
「わかっているわよ。だから今こうして、めんどくさいこともしてやってるんでしょう」
「…ちっ、やっぱ胸糞わりぃな。てめぇのその姿にしゃべり方、そこまでしててめぇは」
「これが私の愛の形よ。この愛のためならば、私はなんにでもなれるし、己も、友も捨てられる。
…必ず手に入れるわ……」
ぱちっ。
朝、寝室のベッドの上。なんか、あたし夢を見ていた気がする。
ほんとに変な夢……ビケさんとあの謎の声が話していた。
内容はイミフメイだったけど、…まあ夢なんてそんなもんよね。
だけど、なんか妙に気にかかっているのは、最後にビケさんが、誰かの名前を口にしていたような気がするんだ。その名前が、あたしの聞き覚えのある名前のような気もして……。
なんだろう……?うーん……
思い出せそうな気がして、頭に血液いくように力んでみる。
「朝から難しそうな顔してどうしたの?」
「ひゃあっっ、なんでもないです。おはようございます、ビケさん」
「おはよう。…早く降りてきて、朝食すませなさい」
「は、はい」
ビケさんは寝室の中までは入ってこず、すぐに背を向けて階段を降りていった。
あ、あれ……なんだか最近ビケさんの態度が、冷たい気がするんですが。
以前は毎朝、目覚めのキッスをしてくれていたのに。
ビケさんと一緒になってから、二年の月日が流れていた。特に事件もなく、幸せな日々だったのですが。
目覚めのキッスも、体を重ねることも、段々少なくなってきたのです。
もしかして、あたし、厭きられてきたんだろうか。ビケさんの想いが冷めてきちゃったのかな。
もし、突然ビケさんに別れを告げられたら……。
「いや!やだやだムリ!」
想像するのもイヤだ。そんなこと、絶対に、そんな日も絶対に来ちゃいけない。もし来ちゃったらその時は、あたしにとっては死の宣告。
ビケさんに見捨てられたら、あたしもう生きていけない。
出会った頃と比べたら、あたしも成長したし、大人っぽくなったはず。女の色気は…ビケさんの色気にははるかに劣るけど。でも、少しは、理想に近付けたかな?
理想って、あたしの理想は……。
ふわりと浮かぶ、優しい影。ハッとしてあたしはぶんぶんと首を振ってそれをはらう。
だめだめ、あたしはビケさんのことだけ考えてなくちゃ。そうでなくちゃだめなんだ。
階段を降りて、ダイニングに行く。そこには、あたしの分の、一人分だけの朝食がぽつんとあった。
「ビケさん、さきに食べたんだ」
ビケさんの姿はここにはもうなかった。外出……相変わらず、行き先など告げてくれない。あたしも聞けない。
ビケさんを信じて、いつも待つだけ。
朝食のスープを飲む。
おいしい、でも、ちょっとしょっぱいかも。
「あっ…」
なに?あたし泣いているの?勝手に涙が。バカじゃない。こんなことで泣くなんて、子供でもありえないのに。
どんだけ心弱いの、あたし。
あなたの優しいぬくもりが欲しい……おばあちゃん…?
「わっ」
ハッとして、あたしはまた首を振ってその気持ちを追い払う。
だめだめ、あたしはいつもビケさんで心いっぱいに満たしてなきゃだめなんだから。
会いたい、早くビケさんに会いたい。そして、今日は…ビケさんに……。
ビケさんを待つ長い一日があと三時間で終わるころ、玄関の戸が初めて開く音。
「ビケさん、おかえりなさい」
あたしは玄関口のビケさんに出迎えの挨拶をしながら、抱きついた。
「なあに?室内は別に寒くないでしょう」
ビケさんの髪の表面にふわっと付着した白いものが、あたしの息でじわっと融けて消える。
「あ、あのあたしビケさんにお願いがあって」
ビケさんがあたしの肩を持って、ゆっくりとあたしをはがす。
ビケさんと向き合う形になって、あたしは恥ずかしくて思わず目線を下へと移動。
こんなことお願いするのもどうかと思うんだけど、だけど、あたしも限界に達しそうなんです、だから。
「なに?」
「えっと、その、最近……して、ないじゃないですか」
「…なにを?」
なにをって、なにをって、口ごもっちゃうじゃないですか。
「だから……そのっ、…を…つまり、抱いてください!」
うわっ、言っちゃった。もう恥ずかしくて、顔上げられないまま、あたしはぐっと握った手を足にくっつけたまま立ち尽くす。
沈黙、数秒のことだけど、長い時間に感じてしまう。
ビケさんの返事が怖い。拒絶されたら、どうしよう。立ち直れないかも。
「わかったわ。先に行って待ってなさい」
ぽん。と頭に触れるビケさんの手の感触、あたしの体温が戻る。
「ビケさん…」
はー、勇気出してよかった。
自分から言ったことなんて今までなかったけど、はしたない女とか思われるかもしれないとか、不安もあったりして。なにこの変態女とか罵られたらどうしようかと。
でも、もうそんな不安も終わる。
ビケさんがあたしの気持ちに応えてくれて、それであたしは救われる、満たされるんだ。
胸の前でぐっと両手を抱きしめる。特別な儀式みたいにそれをして、ビケさんを待つ。
数十分後、扉が開く音に過剰にどきっとする。
「ビケさん…」
ああ、やっとビケさんに抱いてもらえるんだ。安堵と喜び。そして緊張。このあとはもっと大きな安堵と喜びであたしの心は満たされる。そう信じている。
あたしの体はベッドに沈んで、ビケさんを待つ。
あたしの顔に近づく影を感じて、ビケさんの唇があたしの耳元に触れそうな距離まで近づいて……。
心臓破裂しそうな、長い長い時間を感じて、長い……待ちきれない気持ちを感じて。
「リンネ…私、ね…」
ひゃ!耳元に触れるビケさんの息に甘い声。どきんと胸が躍る音。
続くのは、きっとビケさんの甘い愛のささやき……?
「本当は、こういう行為好きじゃないのよ」
ん……?えっ?
離れていくビケさんの影。あたしはビケさんの言ったことがすぐに理解できずに、そのままベッドの上に仰向け状態でいる。
「待ってビケさんどういう」
あたしが起き上がった時はもう、ビケさんは部屋を出たあとだった。
どうして?どういうことなの?
あたしに触れることなく、ビケさんはそのままいなくなった。
わかんない、わかんないよ、どうしてなの?
あたし、ビケさんにあきられた?嫌われたの?
行為が好きじゃないってどういうこと?
キスしてくれたことも、抱きしめてくれたことも、全部ほんとはイヤだったっていうの?
それとも、最初からあたしのことなんて……。
そんなことないって首を振りながらも、震える体と、こぼれる涙を止められなかった。
あの日以来、あたしはビケさんにあの言葉の真意を確かめられずにいた。
あたしの心は弱いから、もし完全にビケさんに嫌われたら、もう生きていく気力なんて完全になくしそうで。
怖くて、深く踏み込めずにいた。ビケさんの態度は特に変わりなくだったから、あたしが変なことしなきゃこのまま問題なくいくんじゃないかって、そう言い聞かせながら。
寒い季節を乗り越えれば、きっと暖かい時がやってくる。
そして、あたしはもうすぐ十八歳になる。ビケさんと迎える三度目のバースディ。
特別なことは望まない。だから、だからどうかこのまま、穏やかにむかえさせてください。
「リンネ、あなた今日誕生日だったわね」
「えっ」
久々にビケさんと一緒の朝食のその時間。ビケさんの発言にあたしは驚きの声を出してしまった。
前日までそのことについてなにも言われなかったから、てっきり忘れられているんじゃないかって思っていたから余計に。
口の裏にはりついたワカメの不快ささえふっとんだ。
「あ、はい、そうです。ビケさん覚えててくれたんだ……」
顔が紅潮してくる。嬉しい、ビケさんが覚えててくれた。それだけでもう十分だよ。
「女神像のある広場、知っているかしら?
今日そこに来てくれる? あなたに見せたいものがあるのよ」
優しく微笑むビケさん。え、ええっ、それってもしかして、あたしへのバースディプレゼント?!
あたしはワカメはりつけたままで、こくこくと何度も頷いた。
「待っているわよ」
特別な日になる。そんな予感がした。
ビケさんに教えてもらったその目的の場所へと、指定された時間に向かった。
噴水に囲まれた女神像は遠くからでもよく目立つ。
女神を頼りに進んでいくと、広場が見えてきた。
あそこだー!
うう、やばいトイレいきたくなったかも。緊張してくるよ。どうしよう。
なんだろう、ビケさんのプレゼントって。
そっか、あたしも十八になるし、大人として認めてもらえるってことだよね?
て、ことはもしかして……。
「リンネ、十八歳おめでとう。それから、あなたに伝えたい大切な事があるのよ。聞いてくれる?」
は、はい、ビケさんなんでしょうか?
「私の生涯の伴侶となることを誓いなさい、リンネ。愛しているわ、この世界で誰よりも!」
ビ、ビケさん!
「あたしもです!ビケさん!」
ビケさんの胸にダイブ。そして、見上げると、キラキラと麗しの眼差しがあたしを見下ろして、ああまた、その麗しの瞳の中に愚かなあたしを閉じ込めてください。
そして、誓いの口づけ…。優しくて甘くて眩しくて、ビケさんとの愛の誓い、永遠の……。
…なんて、ひゃー、リアルな妄想しちゃって恥ずかしい!このシチュエーションてもうプロポーズじゃない、プロポ…。
うわっっ!また頬が紅潮してきた。冷やすように両手で押さえつける。
もしかして、ビケさんが最近冷たかったのって、この時のためだったのかも。
その瞬間を盛り上げる為の、演技だったのかも! うんそう、きっとそうだったんだ。
ふぅ、ふぅ。深呼吸して、呼吸整えて、手鏡で身だしなみ再チェックして、よしっと約束の場所へと歩を進める。
段々と大きくなってくる女神像。広場へと足を踏み入れる手前で、あたしは愛しの人ビケさんの姿を確認した。
ビケさんの元へ走り出そうとしたその時、ビケさんのそばに誰かがいることに気づいた。
あたしははたと足を止めた。
ちょっと距離のあるそこからでも、あたしはその人がだれであるかしっかりとわかった。
ふわりとやわらかそうな黄色がかった髪を上部で束ね、肩を覆ったケープにロングスカート。
女神を具現化したかのようなその人は、あたしの知るその人……。
おばあちゃん!?
あたしは思わず近くの柱に体を隠した。
おばあちゃんと向き合うビケさん。二人はなにか話している。
どうして、ビケさんとおばあちゃんが一緒にいるの?
どくん! 心臓がざわめく音。なんで、急に不安な気持ちが襲ってくる。どうして、なにを不安がるのよあたしは。
「ごめんなさい、ビケ。……私、あなたと一緒にはいけないわ」
おばあちゃんの声が聞こえてきた。
え、今ビケって、名前呼んだ? ビケさんとおばあちゃんは知り合いなの?
「どうしてわからないの?タカネ…。私はずっとあなたを想ってきた…、長い時をずっと、ひたすらにあなただけを想い追い求めてきた。私には、あなたしかいないのに」
ビケさんの声が聞こえた。今タカネってたしかに呼んだ。しかもあんなに、あんな愛しそうにおばあちゃんを見つめて…あんな表情初めて見る。いつもあたしを見ていたあの笑顔と全然違う。どっちが本当の気持ちかわかる。悲しいけどわかってしまう、あたしはビケさんが好きだから、ビケさんだけを見てきたから。
数歩退くおばあちゃん、両手を胸に、申し訳なさそうな顔してビケさんを見て。
「かなしいけど、今はまだその時じゃない。でも必ず……あなたを手に入れる。
その時まで、しばしの別れよ、またね…タカネ」
名残惜しそうにふっ、と笑んでビケさんはおばあちゃんに背を向けた。
音がする……あたしだけに聞こえる音。
全身から汗ともしれぬものが噴出している。じっとりとするそれが、まだ寒すぎる二月の空気に激しく冷やされる。体が震える。でもそれは原因は寒さのせいじゃない。
「見ていたでしょう?リンネ」
あたしの前に来たビケさん。いつもの優しい笑みをたたえたビケさん。
ああ、きっと夢?白昼夢?
いや、あれだそう!ドッキリ大作戦!
おばあちゃんと協力して、あたしを驚かせて、それでステキな展開がこの後待ってるんだ!
て、だめだ。そんな自分勝手な妄想さえできない。
あたしの脳が99%そうだって言ってる。
ビケさんの好きな人はおばあちゃんなんだって。
リンネじゃない、タカネだって。
二年やそこらのあたしとは違う、もっとずっと長い片想いなんだって。瞬時にそう悟ってしまった。
だから聞こえるの、その音が、恐ろしいまでの……その音が。
「ビケさん……」
震える体で、唇で、あたしは口を開く。
真意を聞かなくちゃ。
あたしの勘違いなら、吹き飛ばせる。その不快な音も消えてくれる。
お願い消して!だから
ビケさん、教えて、あたしのことほんとうはどう想っているんですか?
あたしはビケさんを信じる。ビケさんの言葉こそ真実だと信じる。あたしの脳のふざけた機能なんて完全否定してやるから、だから…聞かせて。
「ビケさんは……ビケさんは、あたしのこと…ほんとうは、どう…想っているんですか?」
声震えながらも、あたしは勇気を振り絞ってビケさんに訊ねた。
ビケさんの口が開く。
「」
音が激しく聞こえていた。
それは全身を貫いていく、心が砕けていく音。
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