恋愛テロリスト
第九幕 砕ける心 9
あれ、あたしの体どうしちゃったんだろう?
なんかさ、音がすごく遠いの。
変なの、あたしの体、感覚、どうしちゃったんだろ。
あたしという小さな世界。それが崩壊していく音が聞こえてくる。
それを壊すのは、なによりも大好きなあなたの一言のせいで。
ああ、この音、あたし知ってる。
あの時も、あの時と同じ。
心が砕けていく音。
もう二度と聞きたくなかった、耳障りなその音。
男に担がれて、あたしの体は領主館を出る。
外に停車されていた車のドアを男が開いて、あたしの体は後部座席へと置かれる。
エンジンの音に、体を上下させる振動。走り出す車。
相変わらず男はぶちぶちと愚痴るように独り言。
あたしはただなにも特別考えることなく、うつろに天井を見ていた。
目を閉じるのがイヤだった。完全なる暗闇に陥りそうで。
ならただ、なんでもないどうでもいい景色を写すほうがましだと、あたしの脳が判断したよう。
どれくらいの時間車に揺られたかしれない。
しばらくして、途中からかなりの悪路になって、あたしの体は激しく揺すられて、車内で幾度か体をぶつけた。
Dエリアとか言ってたっけ。だから途中からの悪路はDエリアなんだろう。
ガラスや車体に何度かものがぶつかる音がした。
「あー、もうやめれってー。俺はただゴミ捨てに来ただけだっつーの」
運転しながら男が文句たれている。Dエリアの住人がまたなにかしてるんだろう。どうでもいいけど。
悪路の中、スピードを上げながら、車は突然止まった。
慌てて降りた男はすぐに後部座席側のドアを乱暴に開けて、あたしを引きずり出すように車外に出した。
「あー、やだやだ。とっとと帰ろう」
くっ!
投げられるようにあたしは男に捨てられた。車はけたたましく鳴りながら、煙を上げて消えていった。
ごつごつと冷たい土の上。ここはDエリアか。なつかしい、二度と来たくなかったけど。
今はそんな嫌悪さえない。思う余裕すらない。空は灰色。ほんとに灰色なのか、あたしの目が色を感じてないのかわからない。でもいい。そんな色でいいよ。
動くこともせず、あたしはほうられた時の状態のままそのままで、ただ空を見ていた。
ぐしゅっ、びしゃっ、ばきっ。なんか変な音が近くでしている。いや近づいている。
Dエリアだからと思っていたけど、ここの臭いはとてつもないレベルだった。
すさまじい悪臭。表現しようのない臭い。野生の臭気とか人間のあらゆる汚物を集結させたような。それがどんどん強くなって、それはあたしを囲む。
「うひっ、ぐぎゃっ」
「ふひー、ふひー」
汚い姿のDエリアの男達。尋常じゃない血走った目であたしを囲んでいる。
あたし、死んじゃうのか。
しかもここで、こんな最悪の場所で。
でもいい、もういい、どうせあたしは【ゴミ】なんだから。こういう場所がふさわしいんだ。
ゴミ捨て場とか肥溜めとか、そんな場所が相応しいんだ。
肉を掴まれる。顔中に降り注ぐ不快な液。すさまじい悪臭が嗅覚を完全に麻痺させそう。
あたしの目の前に迫る大きく開かれた赤い口に鋭い牙。
死ぬっていうのに、恐怖って感覚完全にどっかいっちゃった。痛いとか怖いとか考える事もできそうにない。
もうどうだっていい。
いいんだ。
さようなら……おばあちゃん。
さようなら……あたしの恋心……。
「ぎぅあっっ」
「がはっっふ」
?え……
目前まで迫っていたはずの牙は突然遠のいた。
あたしを囲っていたはずの住人たちは、赤い星を散らせながら、あたしの上を飛んでいた。
変な光景だ。死後の世界ってそんなもの?
あたしを見下ろしていた複数の影は消えていた。
あ、でもただ一つ、まだ立っていた影があった。
あった?いや、それは少しずつあたしに近づいてきて。
そのシルエット、見覚えがある。
そいつの手の中にある黒い塊が、小さく煙を吐いている。
黒光るそれは、あたしが嫌いだったもの。
人殺しのとんでもないモノ。
そいつは少しずつ近づいてきて、それを…銃口をあたしへと向けている。
ああ、そっか。あたしを仕留めにきたんだ。
そうなんでしょう、ショウ。
Dエリアの連中に食われるよりは、ショウに殺されるほうがはるかにマシだ、なんて思えた。
現実か夢かわからない、そんな感覚の中で、あたしが見ているのは、あたしに銃口を向けてあたしを見下ろしているショウ。
重くなる瞼、完全にそれが閉じる前、聞こえた。
「這い上がってこいよ」
完全にあたしは闇の中に落ちていった。
「…ネ! リンネ!」
声がする。あたしを呼ぶ声。
再び開けた瞼の先、あたしの目に映るのは…
「キョウ…?」
目を開けたあたしに気づいて、キョウは安堵の表情を見せる。
あたしは、生きている。キョウに抱き起こされている体は少しずつ感覚を取り戻している。
キョウのぬくもりを感じて、ああここはこの世なんだと実感した。
「よかった、気がついて。それよりも、早くここを脱しなければ。
動けますか?」
なんで、キョウはあたしを助けるの?
ただのゴミでしかないのに。
「リンネ?」
「どうして、…キョウはあたしなんか助けるの?」
「言ったでしょう。私はあなたが天下をとるところが見たいんです」
「それどういうこと?…わけわかんない」
キョウははにかみながら答える。
「いつかわかってくれればいいんです。
それより、早く出ましょう。地獄の墓場から脱したといえど、ここはまだDエリア、すぐにでも移動しなければ」
立つように促すキョウ。だけど、あたしはそんな気力ない。
力なく首を横に振る。
「いいの、ほっといて、あたしなんて、どうせ…ゴミにしかなりえないんだから」
俯くあたし。いっそ見捨ててあなただけ逃げてよ。あたしに関わったってなにもいいことなんてないんだから。
しばらくの沈黙の後、ふぅといったため息が聞こえて、あたしの体が宙に浮いた。
「!? キョウ?」
「ゴミなら、拾っていきますよ!」
「ちょっ、やめて放して」
「ゴミはしゃべらない!」
はいー?
あたしを抱きかかえてキョウは走り出す。ろくに舗装されていないDエリアの道を。
けして軽くないはずのあたしを抱えてなんて、楽なはずないのに。
そういえば、傷はもういいんだろうか?
キンにかなりやられていたはずだけど。
「おいしそうなエサ抱えてるじゃねぇか〜?キレイな格好した兄ちゃんよぉ」
「ひゃっひゃっひゃ」
「くっ」
キョウの行く手をさえぎるようにして現れたのは、Dエリアの飢えた連中。
凶器を手にして、挑発するようにこちらへと向ける。
あたしをその場に下ろして、あたしを庇うようにしてキョウが立つ。
「リンネ、私のそばを離れないで下さい。いいですね」
キョウ……。
「へへへ、女もいいが、あんたもいい艶してんなぁ。たっぷりとありとあらゆる穴かわいがってから、喰ってやるぜ」
長い舌で黒っぽい唇を一周舐めして、Dエリアの汚い男がそう吐く。
ふっ、と鼻で笑いながらキョウは懐から武器を取り出す。
「あいにくその趣味はありませんので、抵抗…しますがいいですね?」
と言いながら先端からしゅるっと伸びた鞭を地面へと叩きつけるキョウ。答えは聞いてないという態度でまさに。
それが合図で連中に怒りの火をつける。
「ぶっ殺してやるぁあっっ!!」
ツバを吐き散らしながら連中がキョウへと飛び掛ってきた。
キョウはその場からほとんど動くことなく、自由に伸びる手足のごとく鞭を操り次々と連中を地に伏していく。
強い。
テンのような派手な強さは感じないけど、静かにでも的確に、キョウならではの戦い方。
たとえDエリアでも、そこいらの連中にやられるほど弱くないみたい。
十分ほどして、数人を片付けた。あたしへと振り返るキョウ。
「さぁ、早く行きましょう。ここの連中をいちいち相手にしていてはきりがありません」
手を伸ばしてくるキョウの手をとって、あたしは立ち上がった。
「歩けるから」
あたしの言葉に、キョウは少し笑んだ。
生きる気力があるわけじゃない、けど、これ以上キョウの手を煩わせたくなかった。
ほっといてて言ってもキョウはあたしを見捨てていったりしないってわかるから。
あたしはどうなってもいい、でもキョウには傷ついてほしくない。
キョウと一緒にDエリアを抜けるべく走る。
以前テンと来たことのあるDエリアの街。だけど景色とか場所とか記憶しているわけじゃない。
見慣れない景色の中、走り進んでいく。
数度行く手を遮るように住人が現れたが、キョウの力でくぐりぬける。
難なくクリアしてきたけれど、今度ばかりはそうもいかない。
今までにない数の凶暴な住人があたしたち二人の前に立ちはだかった。
キョウの疲労もかなりきていて、動きがまずくなってきた。
キンにやられた時の傷がまだいえてないのか、いやそれを抜きにしても、あたしを守りながら連中と戦うってのはかなりムリがくるもの。
「くっ」
相手に弾かれて、膝をつくキョウ。
「キョウ!」
まだ目の前には十人以上立ちはだかっている。そして膝を突いたキョウに容赦なく襲い掛かってくる。
すぐに鞭を振るおうとするけど、とても間に合わない!
目を閉じそうになったその時、連中がものすごい勢いでぶっとんだ。
二三人ほどが、空へと舞う。
キョウの攻撃は届いてないはずなのに。その原因は、あたしもキョウもすぐに気づいた。
連中を押しのけながら現れた大柄の男。
「なにしとんじゃー?」
キン!
「キン兄さん…くっ、ここまでか」
キョウが悔しそうに舌打ちした。
あたしたちの前に立ちはだかるように現れたのは、Dエリア最強の男…そして鬼が島の忠実なしもべのキン。
あたしを殺しに来たキン。あたしを庇おうとしたキョウをコテンパンにしたキン。
そのキンがまた、あたしたちの前に立ちはだかる。
疲労もきているキョウ、ろくに動けないあたし。ただでさえDエリアの凶暴なやつらに囲まれて、もう逃げられない。
結局、この地ではてる運命なんだね。
あたしたちを見下ろしてにやりと不気味に笑うキン。逃げられない小動物を見下ろしてなにが楽しいのよ。
わかんない、こいつの考えていることなんて、最初からわかりようもなかったけど。
ブン!と抉るような音させて、キンの腕が振り動く。
そしてそれがキョウのすぐそばで。
「ぐわぁっっ」
悲鳴は、キョウの…じゃない。
「がっ」
「ぐはっ」
どかっどごっ、肉や骨を打ちつける音と男達の悲鳴。それはDエリアの連中の。
キンが殴りかかっているのは、キョウじゃなく、あたしたちを狙っていたDエリアの連中だった。
なにが起こっているのか…な目でぽかんとするあたしとキョウに、振り返りながらキンが叫ぶ。
「おい、なにしとんじゃ?はよいかんか!」
「キン兄さん?」
まだ事態が飲み込めない表情で立ち上がるキョウ。
「道ならワシが作ってやる。じゃから行け!」
まだ混乱しているようだけど、キンが敵じゃないと判断したキョウはこくりと頷いて、あたしの手を引く。
「今のうちに、走りますよリンネ!」
逃げているうちに、空はどんどん黒くなっていく。
日が暮れて…そして、天候が悪くなる。
黒くなった空からは、激しく雨が落ちてきて、あたしの体を打ち付ける。
すぐにぐしょぐしょになって、服が体に張り付く。水分を吸った髪も重くなって、肌をぴしぴしと打っている。
地面も当然のようにぐちょぐちょで、足元は汚されていく。
ぬめった地面に足をとられて、あたしは転倒しそうになる。
真っ黒な地面へと顔がぶつかりそうになった、その時
「おっと、危なっかしいのぅ」
がっと腹部に感じた圧迫感、あたしの体は宙に浮いていた。
「キン兄さん!」
あたしたちの後ろから駆けつけたキン。キンの片手に抱えられてあたしは地面に倒れるのは免れた。
「どうして…」
まだ混乱気味の顔でキンを見るキョウに、キンはにかっと白い歯を見せて笑いながら
「祭りに参加するなら楽しいほうについたほうがええからのぅ。気が変わったんは、キョウ…お前のせいじゃ」
「キン兄さん…」
「おっと、また激しぅなってきたな。そこの小屋にでも入れ。今日はそこで夜を明かすか」
キンが指差すのは、一軒の木製の小さな家。
もう完全に空は真っ黒で、雨の音も乱暴になる。
あたしとキョウはその小屋の中へと入った。やっと体を打ちつけていたものから解放される。
「ワシは外で見張っとるから、安心して休んどけ」
「キン兄さん…ありがとうございます」
ハッハッハってキンの笑う声がして、入り口のドアが閉まる音がした。雨の音はまだすごいけど、室内になるとその音はやわらいだ。
ぱたぱたと髪などから落ちる雫が、床を黒く染めている。
ギシギシと古い床がしなる音、キョウが歩くたびその音がする。
埃くさくて、古びているけど、どことなく……そう感じているそれは…。
垂れ落ちる雫をそのままに、あたしは薄暗い室内で立ち尽くしていた。
変な感覚のこと、なんとなしに感じながら。
「キン兄さんが仲間になってくれたのなら、これほど心強いことはありませんね」
キョウが床をきしませながらあたしのほうへ近づいてくる。
ぱたぱたと黒い染みが広がって、長く広い影が、あたしの影と一緒になる。
「どうして……」
近づく影を横で感じながら、あたしは足元に視線を落としたまま、つぶやく。
どうして…その先は言ってないのに、でもなにを言おうとしているのかきっと彼はわかっている。
「あなたが今の自分をどうでもいいと思っているのなら……、いいですよね?私の好きにしても」
優しいその声が、雨に濡れて固まった髪を越えてあたしの耳に届く。
ぎこちなく伸びてきた手が、あたしの肩に触れる。
雨に濡れて冷たくなった体が、そこからじんわりと温かさを取り戻していくような。
あたしは自分で思っているよりずっと幸せなんだ、きっと。
あなたという味方がいて。あたしはひとりぼっちじゃないんだ。
「うっ…ふぅっ」
思わずもれたそれを抑えきれなくて、あたしはキョウの胸に飛び込んだ。
濡れて肌に張り付いた服ごしに感じる体温が、凍ったそれに触れてくれるように感じられて。
あふれてくる涙で胸元はどんどん濡れていくのに、それは暖かい。
キョウがいてくれて、ほんとうによかった。
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