恋愛テロリスト

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  第九幕 砕ける心 4  

あたしを死の真際から救い出してくれたのは、この世の者とは思えないほどの美貌の人で、瞬間的にあたしはこの人があたしの王子様なんだと感じていた。

「もう、大丈夫よ」

甘く響く声で、あたしに優しく微笑みかける。
この世にこんなステキな人がいたんだ。
変態ストーカーのこととか、集団暴行野郎のこととか、一瞬で吹き飛んでしまったくらい。
あたしの心は正の感情でいっぱいになる。
この人のことで、いっぱいになる。
まるで、ふわふわ浮かぶ夢の中のような世界へと誘われていく。



「はっ」

次にあたしの視界に映ったのは、白系の壁…いや、どうやら建物の天井だ。
そして、あたしは白っぽいベッドの上に寝ていたことに気づく。
ぱちぱちと数回瞬き。

「ここは……どこ?もしかして、あたし」

夢を見ていたんだろうか。どこからどこまで?
まさか、Bエリアに出る前?いやそんなはずは。

上半身を少し起こすと、あちらこちらに痛みが走る。服が軽くこすれただけであんなところも痛んで、思わず冷や汗が浮かんだ。
この感覚が嫌でも教えてくれる、夢じゃないと。
じゃあ、あの人は?
車にひき殺されそうになったあたしを、寸でのところで救い出してくれたあの人は、あれは幻?それともほんとに……。
ぼーっとしかけたあたしをどきっとさせるのはこの直後。

「気がついたようね」

!!
部屋のドアが開く音に気づいて、そっちを注目したらそこから聞こえてきたのはあの甘く響く麗しボイス!
部屋の中に踏み入る足先でさえ、優雅なオーラを感じてしまう。
ふわりと揺れる肩下まで伸びた黄色がかった髪、長い睫の下の優しい瞳、まるでシルクみたいに白くてすべすべしていそうな美肌。身長は百八十センチくらいかも。一瞬おばあちゃんかと錯覚しそうになった雰囲気と美しさだけど、体のラインはしっかりとひきしまった男性だとわかる。
あたしの好きな金田聖が最高にカッコイイ男性だと思っていたけど、この人は次元が違うというか、なんていうか、つまり……、比べちゃいけないって気がする。
なんて思っているうちに、その人は目の前まで来ていたから、あたしは心臓がどかんと飛び上がってしまった。
ヤバイ、近くだとマジックじゃなくて、正真正銘キレイな人だってわかるし。美形という単語をもうこの人以外に使えないんじゃないかって気がしてきた。

「大丈夫?どこか痛んだりする?」

白くてキレイな手があたしの肩に優しく触れる。それにあたしの心臓破裂しそうにどっきりだよ。

「ひゃい!…あ、あのっっ」

緊張して上手くしゃべれそうもないけど、心配そうに覗き込む麗しの王子様は挙動不審なあたしの肩を優しくさすってくれる。
痛いところはある、けど、言えるわけないですあんなとこやそんなとこなんて。
それに、心配も迷惑もかけたくないし、あたしは首を振って答えた。

「あの、大丈夫です」

どきどきで少し声が裏返ってしまったけど、あたしの返事を聞いた王子様は「そう、ならよかったわ」と言ってあたしから離れた。その残り香にとろーんとなりかける。ほんといい香り…うっとり。

「これもあなたのもので間違いないわね?あの近くに落ちてあったから、拾ってきたんだけど」

王子様がそう尋ねたのは、ベッド脇にあるイスの上に置かれたあたしのリュック。

「あ、はい、あたしのものです」

暴漢に剥ぎ取られたはずのリュックがそこにあった。王子様はあたしの命だけじゃなくて、荷物も救ってくださったのか。目頭が熱くなる。全あたしが感動の渦に飲み込まれ号泣!

「Bエリアは自由な街、だからこそ危険な場所でもあるの。Aエリアから来たあなたにとっては危険すぎる街かもしれないけど、……それ以上に大きな希望にめぐり合えるかもしれない街よ」

大きな希望…、Aエリアを飛び出したときあたしの希望はおばあちゃんだった。
王子様は出口であるドアのほうへと向かう。あたしは慌てて声をかける。

「あっ、あの…ありがとうございました!見ず知らずのあたしを助けてくださって」

ぺこっと不器用に頭を下げる。ほんとはありがとうなんて一言じゃ足りないことしてもらっているけど。
でもあたしが一番言いたいのは、ほんとはお礼じゃなくて。

「くす、見ず知らずだなんて」

「え?」

王子様の反応にあたしはきょとんとする。今のはどういう意味で?
あ、それよりも、あたしの聞きたいこと、大事なこと、聞かなくちゃ。

「あのお名前を」
麗しの王子様の名前、知りたい!

「ビケよ」
ビケさん……。ビケさんっていうんだ。なんてステキなお名前。
名前の響きの美しさの余韻に浸っていると、またまた王子様から信じられない発言が。

「この部屋、私が代わりに借りているから、好きなだけいてもかまわないわよ」
「えっ、そんな」
「それじゃあ」

王子様はそう言ってドアの向こうへと消えた。
まだ現実感の欠けるあたしの頭はぼーっとしている。
命を助けてもらって、そして荷物まで拾って届けてくれて、さらに宿の部屋まで借りてくれて?
なんで、そこまでしてくれるの?
こんなできすぎた話ってあるものなの?少女漫画の主人公か?あたしは。
だってだって、あんな超絶美形さまがだよ、こんな平凡な、どころかゴミクズ呼ばわりされちゃうような娘にここまでしてくれるなんて、ありえないよ。
Bエリアは悪人ばっかりの街だって聞いていたし、平気で人を利用したり騙したりするんだって言ってた。
あたし、騙されたのかも?いや、絶対そんなことないって自信もって言える。
あの人だけは、ビケさんは信実の人だ。
ビケさんが言った、この街でめぐり合えるかもしれない大きな希望。
あたしはもうめぐり合った。あたしにとっての希望、それはおばあちゃんじゃなくて
ビケさんだったんだ。



あたしがビケさんと出会って一月(ひとつき)が終わろうとしていた。
あたしは一日をほぼこの宿の中で過ごしていた。宿の中はだいたいのものは揃っていたし、食事代もすでにビケさんが払ってくれていたらしく、困ることはなかったし。
傷のほうもほとんど完治して、問題ない。
てっきりビケさんはここの関係者だと思っていたけど、関係ないらしく、ここにいればまた会えるかもと思っていたけど、あれから一度も会ってない。
そもそもビケさんのこと、名前しか知らないのだし。
今更になって、バカだーと思い知る。連絡先くらい聞いておけばよかった。
運命の人だと、そう思ったのに。
よく知りもしないこのBエリアで、危険なこの街で、ろくな情報もない人を探すなんてきっとムリだ。
もしかしたら、もう会えないかもしれない。
でも、また会えるかもしれない。
可能性なんて計算しない。感情だけで動くのは愚かかもしれない。
それでも、あたしはそれを選んだ。運命を本物にする為に、あの人にまた会いたいから。
あたしは宿を出て、この危険な街に再び飛び出した。


飛び出したはいいが、そう簡単に見つかるわけなくて、なにも収穫なく一日が終わる。
住むところを探して、夜が明けて、また探して、なにもなく一日が終わって。
手持ちの荷物を店で売って、お金に替えて、住む所を探して、またビケさんを探して。
何度か危険と遭遇して、そのたびに危険察知能力は上がって、危険な場所には近づかないようにして。
そしてまた一日が終わって、住む場所を探して、ごはんを手に入れて、ビケさんの情報を求めて。
そんなこんなで、気がつけば二月が経過しようとしていた。
店の立ち並ぶ通りの隅で、石段の上に腰掛けるようにしてあたしはため息をついた。

「はーー、どこにいるの?ビケさん」

こんなにこんなにあなたに会いたいテレパシーを放っているのに、簡単にそれは届いてくれない。
しかたないあたしはふつーの人間なのだし。
超能力なんて、ありえない話だけど、でも、愛のテレパシーくらいあってもいいんじゃない。
届け愛のテレパシー!ぴるるるるるーー

…はぁ、なんて、むりだって。…ご都合主義どこに落ちてますか?

「会いたい、会いたいよ……どこにいるの」

抱き寄せた膝小僧に顔を埋めたその時、それに応える様な声がした。

「ここに、いるよ」

その声は?!
顔を上げたあたしは、その声の先を見て、心臓飛び跳ねてしまった。

「あ…ど、して」

震える唇。信じられない光景。だってどうしてここにいるの?どうして?!

「ああ、やっと会えた。会いたくて会いたくて、たまらなかった……ああ、ああっっっっ!!!」

カッと見開くその目。あたしのほうへと、駆け寄ってくるのは、想像してなかったものだった。

「な、んで?ここに」

あたしの瞼が震える。ガタガタと歯がなり始める。あたしの体をそうさせる存在。
Aエリアで、あたしを恐怖のどん底に落としたあの男!

「あ、いや……こない、で」

逃げなきゃ、だけど、上手く腰を起こせない。手を動かして、なんとか体を起こそうとするけど、だめだ。
あいつは目の前まで迫っていた。恐ろしい悪魔のような形相で。血走った目はあたしを凍らせる。

「ああリンネちゃん!リンネちゃん!会いたかったよぅ! じゅっふじゅふふぅ」

「うっ、やぅっ!」

石段の上から一歩も動けず、あたしは変質者男に捕まった。
大きなその体は、あたしの視界を完全に奪うほどに覆いかぶさり、むんと体臭が漂うほどその距離は近い。

「んふぅっ、はふはふはふ。ああっ、やっぱり本物のにおいはいいなぁ。あああリンネちゃんの匂い!」

気持ち悪いほど大きく聞こえる鼻息、数センチという距離で変質者のギロリとした目がそこにあった。
目が合って、奴はにたりと不気味なまでに笑んだ。

「いいなぁいいなぁ、ああここここ」

すごい鼻息が耳にかかる。強すぎる体臭に、汗だかなんだかしらないけど、べとっとした湿った肌が何度かあたしに密着する。
気持ち悪い、逃げたい。しっかりと掴まれた肩のせいで、あたしは身動きさえできない。それに恐怖で身はすくんだまま。
繰り返す悪夢、現実だけど。どうして、あたしは逃げる選択さえないっていうの?!
ずれた肩紐に手をかけられて、あたしの肩は露わになる。
そこに男はすひーすひーと息をしながら、あたしのわきの下に顔を埋めてくる。
「ひぃっっっ」
言いようのないこの世のものとは思えない不快感。にゅるっとしたものがあたしのわきの下をはった。
男の舌が、あたしのわきの下を出たり入ったりしている。ぬるぬるとした生暖かい異臭を放つものが、あたしのわきの下から脇腹へと伝っていくのを感じた。

鼻の奥、目の奥の神経をぎゅっと締め付けられたような不快感。耳鳴りと激しい頭の音と、強い緊張であたしの心臓とか血管とかもうムリって叫びだしてる。
不快な臭いと不快な感触をシャットダウンしたいのに、いやでも感じる気持ち悪さは続いて。
変質者の尋常じゃないほど興奮した「はぁはぁ」ていう呼吸音と、びちゅびちゅと生々しい口元の音と、あたしの足やお尻に執拗に擦り付けてくるなにか仕込んでいるとしか思えない股間を、なんとかしてください。

「はぁはぁはぁ、も、もう我慢できないよ。リンネちゃん、ボ、ボクのさ、ここ、ここを」

影が大きくなったのは、あたしに覆いかぶさっていた男が立ちあがったから。それでもあたしは影の中にいる。
常人じゃない悪魔みたいな血走った目をさらに見開いて、赤い舌をうごめかせて、ズボンのベルトをはずす。チャックの隙間から赤黒い悪魔の化身が飛び出してきた。

「して…くちゅくちゅ、リンネちゃんのお口でくちゅくちゅして、ひっひっ、ひひひひひ」

口からは白くにごった泡が吹き出して、それがあたしの顔に飛び散った。あたしはそれを拭うこともできない、恐怖で体が動かないから。
男はあたしの顔に、今にも暴れだしそうなそれを近付けてくる。

いや、いや、いやだ!
ビケさん!!

心の中であたしは叫んだ。あの人の名前を。
嫌な感触はなかった。なぜならその瞬間目を閉じたあたしの耳に聞こえたのは、尋常じゃない男の「ぎゃああー」という悲鳴だったから。
あたしを覆っていた影は、突如狂ったように体を動かしていた。その原因は一目瞭然、背中に火がついていた。

「あちーーあちーーーよ!」

ヨダレと涙をちらせながら、男は背中の火を消そうと地面を転がった。

「大丈夫?」

ふわっと爽やかな風のように流れてあたしの前に現れたその麗しボイスは。

「ビケさん!」

うそだ、夢みたい、どうしてビケさんが?まさかあたしの声が届いたの?それともただの幻なの?

幻なんかじゃない。あたしの感覚がそう言っている。
白くて長い指の手が、あたしを優しく抱き起こしてくれる。さっきまでこの世のものとは思えない不快感でいっぱいだったあたしの体は、今はこの世のものとは思えない心地良い感覚に支配されている。

「ビケさん…」

真実なんだと確かめるように、あたしはその人の名をつぶやく。

「ひぃーひぃー」

激しく息をしながら、転がっていた男は立ちあがった。火は消えていたけど、背中には衣服が焼けて穴ができていて、そこは真っ黒になっていた。
涙目の血走った目はさらに恐ろしさを倍増させている。その目で男はこちらを睨みつけて
「お前!なんなんだ?!ボクのリンネちゃんから離れろ!!」
くわっと見開く目。完全に異常者のそいつの激しい自己主張。なに勝手にあたしはあんたのものになってんのよ?!

「お前こそなに?…私をだれだと思っているの?」

あの恐怖の相手にまったくひるまないビケさん。逆に男が気圧されている。それがあいつの表情でよくわかる。

「う、うう……くそぅ」

瞳は左右に激しく動いている男、激しく動揺している。悔しそうに歯噛みして、ビケさんと睨み合うけど、その腰はへたり気味に下がっている。

「ビケさん…どう、して」

あたしは壁に背中をつけて、座ったまま目の前のその人を見上げている。
やっぱり夢、とかじゃないよね?

「また会えたわね」

ああ、耳をくすぐるその美声。そしてあたしの頬へと優しく触れる指の感触。
やっぱり、夢じゃないよ!
どくんと心臓が跳ね上がる。激しくも心地良い振動。
間違いなくあたしは……。

「わ…触る、な、ボクの、リ、リンネちゃんだぞ。もうツバだってつけた、んだ、まえなんか、に、に。
わ、わわわ渡すもん、かっっ。ね…、し、死ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!」

ぐるりと白い目をむいて、変質者は尋常じゃなく体を震わせて、ズボンのポケットから取り出したのは刃物!
それを顔の高さまで振り上げて、不気味に笑う、狂ったように笑う。
悪魔そのものの不気味な表情にあたしは震えてしまう。
肌でビシビシ感じる殺意。あいつはビケさんを本気で殺すつもり?!
あたしのほうを向いているビケさんは、あいつに背を向けいてる状態、だから。

「に、げてビケさん」

震えながらも、あたしは目の前のその人に危険を知らせる。だけど、ビケさんは微笑んだまま振り返りもしない。

だめ、逃げてビケさん、死んじゃう、いや、ダメーーー!!!
変質者男の肉壁につぶされながら、ビケさんの体がへしゃげていく、なんて現実見たくない!

「ギヒャハハハハハハ」

明らかに狂った表情のまま変質者はビケさんへと走ってきて、刃物を振り下ろす。
もう、だめーー!
顔を覆いたくなった瞬間だった。男も仕留めた!といった嬉しそうな表情を見せていた、でもそれは一瞬の出来事。

「汚らわしい」
小さくつぶやいたビケさんの声。
男が刃物を振り下ろした瞬間、ビケさんは男に振り向いて、その直後。

「ギャアアアーーー」

動物みたいな声だった。男の叫び声。
真っ赤に燃える炎が男を包んだ。それは振り向いたビケさんの指先の小さな金属から放たれたものだった。
最初に男を襲った炎も、ビケさんの仕業だったんだ。

「グワァァァァァギャアアアアアアアーーーーーーーー」

刃物はビケさんに届くことはなかった。男は燃えながら悲鳴を上げて、ビケさんから離れるようにくるくるとゆっくりと回りながら、しまいには地面に倒れ転がって、さらに激しくその体は燃え上がった。
数分後、男は完全に動かなくなった。動かなくなってもまだ炎は立ち上がっていた。人が…変質者が放つ異臭を、人肉が焼けていく臭いと混じってさらになんともいえない不快な臭いを放つ。

でも、そんなことはどうでもいい。
目の前のその人に、あたしの視線は釘付けになっていた。

「ビケさん」

「もう大丈夫よ。あいつは死んだわ」

優しく微笑んで、あたしの肩を抱き起こす。
ああ、もうだめ、心臓破裂しそう。この胸のどきどきは、恐怖とは違う。
あたしは、ビケさんに恋してしまったんだ。
目の前で炎に焼き殺される人がいる恐怖などかすんでしまう。
それほど、あたしは激しくこの人に
恋をしてしまったんだ。
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