恋愛テロリスト

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  第九幕 砕ける心 5  

ここは夢の世界?
背景は自由だけど危険でもある街Bエリアで、真っ赤に燃え上がる炎は人間を焦がしている。
汚い男の体が燃える鼻をつく独特の悪臭が漂ってそうだし、黒い煙は呼吸を奪いそうなのに。
なんてことない、へいちゃらなのは、あたしの状態がもう普通じゃないから。
あたしを優しく抱き起こして、見つめてくれるのは、あたしの運命の王子様……ビケさん。
Dエリア的暴力主義な考えとか、暴力行為とか、大嫌いだし、信じられないけど。
ビケさんのこと、人殺しなんて欠片も思っていない。ううんだってあたしのこと助けてくれたんだもの。
キラキラの王子様、どころか、完全無欠のヒーロー様だよ。

心は麻痺していく、恋という甘い魔法によって。
その感情が、あたしが今まで否定していたものでさえ、簡単に肯定してしまう。
その感情がすべてで、正義で、信実。

あたしを見つめたまま、ビケさんは手であたしの髪をすくように触れながら、頬へとすっと触れる。

「会いた…かった」

震える唇をやっと開きながら、あたしは伝える。
やっと、やっと会えた、愛しい人。

「会えるに決まっているでしょう。私たちはそういう運命なんだから」

え?ビケさん、今なんて言ったの?
あたしの聞き違いじゃなければ、たしか運命って……
運命って?!
びっくりした顔で見上げるあたし、ビケさんは「ふふ」と笑いを零しながら
「私たちは出会うべくして出会ったのよ。長い時をかけて、やっと」

ああ、信じられない。こんなことがあるなんて。
運命の出会いって本当にあったんだ。
でも信じる、今なら強く信じられるよ。あたしの気持ちが強くそう感じている。
こんな風にだれかに見てもらうことも、だれかを想うことも、初めてのことだから。
ずっと一人で、どこにも味方なんていなくて、それが当たり前の世界だった。
今までの苦難も絶望も、あなたに会うための試練だったのなら、納得できるよ。
今目にしている景色も、この感情も
間違いなく現実の世界。



「はーー」
目を見張ってあたしは立ち尽くす。
あの後、ビケさんに連れてこられたのがここ。
Bエリアの小さな通りの隅に位置する一軒家。外見には小規模で質素に感じた家(二階建て)だけど、中は塵一つなさそうなほどキレイに整えられている。一階は入ってすぐリビングにダイニングとキッチンが見渡せて、けして広くはないけど、白が基調の家具や設備が空間を広げて見せてくれる。

「いつまでつったっているつもり?早く上がりなさいな」

玄関に突っ立ったままのあたしにビケさんが促す。
慌てて靴や服の汚れをはらって、遠慮がちにあがる。あっ、靴下も黒ずんでいるーー、ごめんなさい。
恥ずかしさと申し訳なさで汗が飛び散りそうなあたしを見て、ビケさんが「くす」と笑う。

「遠慮など無用よ。もう少し楽にいるといいわ」
「あっ、はい。ありがとうございます」
とは言われても、やっぱり気になる。靴下洗いたい。

「あの…ここって、ビケさんのお家ですか?」
「そうね…、ここでの棲家ってところかしら」
ビケさんのお家か、やっぱり全体的に清潔感が漂う。ってくらい、あんまり生活臭がしないというか。
ん、もしかして。

「ビケさんって、一人暮らしなんですか?」
おずおずと訊ねる。
「ええ。だから遠慮なくくつろいでかまわないのよ」
うっわー、逆に緊張しますってば。
ええっ?でも一人って、ビケさんはこの街で、この一人では広すぎる家に一人でいるってこと?
も、もしかして、あたしと同じひとりぼっちなのかな?
あ、でも違うよな、あたしと一緒なんて恐れ多い。ビケんの場合ステキすぎて近寄れる人のほうがいないというか。あれ?ところでビケさんって何者なんだろう?歳は二十代前半くらいに見えるけど、普通に仕事しているようには見えないというか、想像できない。でもどことなく高貴なオーラを感じるな。庶民とは違う。

緊張ながら、あたしはリビングのソファーに腰かけた。ビケさんはキッチンのほうへと移動して、コーヒーを淹れている。て、わわわそんなことなさらなくても。そういうことはメイドさんに、いませんけど。
「ミルクは?いれる?」
こちらに振り向いたビケさんにあたしはわてわて慌てつつ
「あ、は、はい」
思わず立ち上がってしまったあたしに、ビケさんは「いいから座ってなさい」と。
そっか、一応あたしはお客さんなわけだものね。で、でもやっぱ申し訳ないような、だって立場的にも、ビケさんがあたしの恩人なわけだし。
テーブルを挟んで、向かい合うように座るビケさん。差し出されたコーヒーカップをゆっくりと持ちながら、あたしはコーヒーをすする。
目の前のビケさんをどきどきと眺めながら、なんて贅沢なコーヒータイムなんだ。
にしても、ビケさんはコーヒー飲むしぐさも優雅すぎ。なにしても絵になるんだよ、きっと。ああ、いいな、コーヒーカップに嫉妬しちゃいそう。ビケさんに口付けられて…ってあたしはアホか。ああでも、なりたいコーヒーカップに全力嫉妬中!
心の中で自分にツッコミ、思わず熱いままのコーヒーを喉に通してしまい咽る。

「ふふ、もう少し落ち着きなさい」
「あっはは、すみません」

笑いがこぼれて一息、コーヒーを飲み終えた後、あたしはビケさんに言った。
「あの、何度も助けていただいて、ほんとにありがとうございます。ビケさんがいなかったら、あたし今頃きっと」
もうこの世にいなかったかもしれない。
「いいのよ、礼なんて気にしないでちょうだい。あなたに死なれたら困るからね」
「え、どういう意味ですか?」
あたしに死なれたら困る?どういう意味?どうしてビケさんが困るの?

「どうしてですか?どうして見ず知らずのあたしにここまで親切にしてくれるんですか?」
「見ず知らず、じゃないわよ」

ビケさんはそう言ってカップをテーブルに置いて、腰を上げる。テーブルに手を着いて、あたしをわずかに見下ろす位置で。意味深なその言葉にあたしはどきっと胸が波打つ。

「リンネ、あなたは運命って信じるかしら?」

「えっ」

「言ったでしょう、私たちは出会うべくして出会ったと。
私とあなたはすでに会っているのよ、遠い昔に。生まれ変わる前の世界でね」

え、ええ?なにどういうこと?ビケさんの言っていることがよくわからないのですが。
もしかして、変な宗教の勧誘?!

「と言ってもあなたにはわからないわね、前世の記憶なんてないでしょう」

は、はぁ。普通は前世のことなんてわからないと思いますが。

「まあそのことはいいわ。とりあえず、こうしてやっと会えたわけだし」

ビケさんの言っていることがあんまり理解できないままのあたし。

「これからは、私の側にいなさい」

え、えええーーー?!衝撃の発言にあたしは目を丸くしたまま固まってしまった。




ぱしゃ。
浴槽に肩までつかりながら、あたしは混乱気味の脳内の整理を行っていた。
「運命」とか「側にいなさい」とか、どういう意味なんだろう。
まさか、ビケさんもあたしと同じ気持ちで……?て、なにを!恐れ多いってば自分!
そういう意味だとしたら、ビケさんがあたしのこと……す、好きってことになるじゃない。いくらなんでも、それはありえなさすぎ。自分に都合よすぎ。そんなできすぎたいい展開ありえないって。それこそ御都合主義すぎる。ありえないよ。

あの手紙で有頂天になったこと思い出す。変に期待したら、あとで痛い目見るきっと。そんないいことあるわけないもの。このあたしが、幸福になるなんて。そこまでの幸福なんてあたしにあるわけない。
そう、そう思うんだけど。
でも脳内では、あたしに都合のいい妄想がもわもわと、浮かんできてしまう。


「ビケさん…、どうしてあんなこと言ったんですか?
側にいなさいって」
「どうしてって?わからないの?」
ふふっと意地悪っぽい笑みを浮かべたビケさん。
あたしがこくりと頷いたと同時に、ビケさんはあたしをふわりと抱きしめてこう言ったの。
「リンネ、あなたが好きだからよ。一目会ったあの瞬間に、私の心はあなたの虜になったの」
「えっ、えええーーー!?う、うそうそっ! 信じられない」
真っ赤になって顔を振るあたし。その動きはビケさんの両手によって止められて、あっ、真正面にビケさんの麗しいお顔が、ぽわーん……だめ、見とれちゃうじゃない。
「これでも信じられない?」
ひゃっ、ビケさんのお顔がさらに近づいて、このままじゃ唇と唇が触れ合っちゃいますよー、それってそれって
それってーーー!!!


「いやーー、ムリムリこれ以上はムリ!」
ばしゃばしゃと水面を手で叩いて、妄想タイム強制終了ー。
はー、妄想だけで、軽く昇天できますってば。
ああ、でもそれなら、ビケさんがあたしに親切にしてくれるのも納得なんだけどな。やっぱり自分に都合のいい解釈なわけだけど。
運命か……。あたしもビケさんとの出会いに運命ってのを感じたし、ビケさんもそうなのかな?
前世とかってあたりはよくわかんないけど、もしかしてビケさんってすごいロマンチストで、そんでビケさんの中ではあたしとビケさんは前世から強い関わりがあって。
たぶん、前世で恋人同士だったとか、きっと想い合っているのに身分の違いとかで結ばれなかったのよ、それで来世では…とかって約束を交わしてて。もわもわもわ〜ん。


ごんっ
壁に頭をぶつけてしまった音。なぜなら、足元ふらふらだから。
長風呂しすぎた。妄想楽しくて、はぁ、妄想の中で四回は生まれ変わったんですよ。
ああなんてせつな過ぎる恋なのかしら。涙がじわりと滲んできます。妄想の話なのに。
脱衣所から出たところで、ビケさんが現れたからどきっ。いやいやいやいや妄想だから、あたしの妄想なんだから。なのに、恥ずかしくて思わず目をそらしてしまう。
「ずいぶんと長風呂してたけど、大丈夫なの?」
うひゃー、やっぱり長風呂ですよね!?恥ずかしさと申し訳なさであたしは俯いて「すみません」と。
「ふふふ、謝らなくてもいいのよ。さきに上がってくつろいでなさい、リンネ」
「あ、はい」
あたしと入れ替わって、ビケさんが浴室に。
うわー、もしかして待たせちゃったのかなー。あたし図々しいよね、他人のくせに。
ビケさん気を使ってくれているのかな?あたし風呂は後でもかまわないのに。
むしろ後がいい!ビケさんのつかった風呂に入りたい!残り湯を飲みたい!
うぷっ。ヤバイ残り湯というワードだけで、あたし鼻血噴けます。すでに、たらりー…、指の間から赤い液体が垂れるーー! ああんもう風呂の湯になりたい、お湯になってビケさんの体をおおおーーー、脳内自重しろーー!


鼻血を拭いきってから、あたしは階段を登った。
登りきった突き当たり、目につくのはドア一つ。たしか上の階でくつろいでろって言ってたよね。ここでいいんだよね?
んー、でもここってもしかして、というよりたぶん……
疑問符を浮かべながら、あたしはドアノブを回して押し開けた。
!やっぱり
ぼんやりとしたオレンジ系の灯りの中浮かび上がる白いベッド。
寝室に決まってるじゃない。えええ?!あたしここで寝るのですか?!
どう見たってベッド一つしかないし、当たり前か、ビケさん一人暮らしつってたし。
えええとそれじゃあ、もしかして、あたしビケさんと一緒に寝っっっぶーふぅ。
また鼻血噴いちゃうなよ自分。慌ててベッドの枕元のティッシュを取りに走る。
赤いやつが垂れないように気を配りながら。
また完全に拭ってから、深呼吸。ふと室内の壁掛けの鏡を見たら、鼻周りが赤くなってた。鼻血出しすぎた結果。だめだ、まずい、また変な妄想かましそうになってきた、もわもわ……


ガチャッとドアが開く音に、どきっとして振り向く。もちろんそこにいるのは…
「ビケさん、おやすみなさいです!」
ビケさんの脇をすり抜けて下へと降りようとするあたしを、ビケさんは後ろから抱きしめるようにして引きとめる。
「どこに行くつもり?」
「あ、と、あたしリビングでいいんで」
「なに?リンネは私と寝るのがそんなにイヤなの?」
な、そんなわけない!ブンブンブン激しく首を左右に振るあたし。
「ならいいでしょ。まあ元よりそのつもりだったけど、あなたは私の腕の中でしか寝かせないわよ」
ビ、ビケさんっっ!!


「ぶひゃーーー」
また妄想してしまった。後半はバラ散ってたし。ああもう、どうなってんの、あたしの脳内は。
ああほんと落ち着こう、なにか別のことで気を紛らわせないと、また妄想してしまいそうだもの。
あんまり度が過ぎたら、現実と妄想の区別つかなくなるかもしれないし。危険!
室内を見渡すと、本棚に気づいてそこへと移動する。
なにか読むものないかな?本でも読んでいれば、妄想もないだろうし。
上の段から、タイトルを見ていく。ビケさんってどんな本読んでいるんだろう。なんてどきわくもしながら。
MAP…MAPBエリア全域…MAP首都圏エリア…地下鉄マップ…ストリートマップ…MAPMAPまっぷりゃーー!?
二段くらい見事マップで埋まっている。ビケさんって、地図マニア?
いやうん、わかるよ、おもしろいよね地図見るのって!地図上旅行とか楽しいよね!貧乏人のひそかな楽しみ編なのでした。るるるー。
あ、下の段にはちょこちょこと本があった。文庫本がいくつか。小説みたい。手にとってパラパラしてみる。
「これなんだろー、【アメジスト】かー。宝石のお話かなー?どれどれ」
ちょこっとあらすじ見たら、あたしが思っていたのとちょっと違ってたみたい。巨大で凶暴な生物を退治するアクションファンタジーだって。
それにしてもこの主人公…、楽したいがために結婚するってバカじゃないの?あヒーローは結構好みかも。でも、ビケさんと比べたらもうありんこって感じだけどね。て、おいおい空想物語のキャラまでビケさんと比べてどうすんのよー、あたし。
他のはどうだろー。アメジストって本を本棚に戻して、隣の本を今度は手に取る。
「【蒼風勇風】そうしょくゆうふうって読むのかー。草原ファンタジー?恋愛ものじゃないのかなー?」
パラパラと最初のへんだけ読んでみる。
「うわっ、ダメだ」
すぐに本を閉じた。だってしょっぱなから人が死んでるし、あたし暴力とかほんと嫌いだし。
それに、黒痣ってのが怖すぎ!ムリムリこいつ夢に出てきそうだよ!
はーはー、深呼吸をして呼吸整えて、本を戻してまた別のを手にとって見る。
「【もちもちドール】?なんか幼稚なタイトルね。子供向けの話かな」
なんかほのぼのっぽいね、と思って読んで見る。字も大きくて読みやすくて、あっという間に読み終えた。
なんだか、スイってキャラが他人に思えない気がする。なぜだろう、受難属性オーラ?いやそんなのあたしにありませんし。健気でマジメなキャラって好感持てるんだよね。
次の本をとってみる。
「【馬 駆ける】、天使みたいな男の子って何?羽でも生えてるの? それにドS区長って、ひょっとしてDエリア的考えの男なのかな。そんな奴に奴隷にされちゃうの?主人公かわいそう」
その区長ってのが女の子に木刀振り回したり、馬になれとか言っちゃって、ド外道ですね。ほんとDエリア的考えなんて最低です。主人公がかわいそうなので、読むのやめた。他におもしろいのないかな。
「【Dに恋して】…タイトルだけで拒否反応だわ」
Dと言えばDエリアしか浮かびませんし、Dなんてろくな文字じゃない。その隣に薄い冊子があったけど、それは【恋愛カニバリスト】タイトルからして、ろくでもないのですぐにひっこめた。
他は、なんかもっとこう恋愛のときめき系のないかしら?えーっと…
「えと、【恋愛テロリスト】?あ、なんかおもしろそう」
主人公は女の子で、えっ?あたしと同じ名前!? わくわくどきどき、ちょっと読んでみようっと。


舞台はすべてが自由な街【Bエリア】
多くを魅了する美声の持ち主で絶世の美少女リンネは、買い主でもある領主ショウの愛人だった。
愛人といっても毎夜マリ○カートで対戦するだけの関係だったが。
ショウに気に入られ、溺愛されるあまり、贅沢な日々を送っていた、が彼女にはある不安があった。
リンネにはショウに買われる以前の記憶がなかったのだ。
ある日、領主館に爆発とともに危険な男が現れた。
男はテンと名乗り、そして愛のテロリストであるとも名乗った。
傍らには、シャムの雑種のような猫をつれて。
男が領主館へと乗り込んだわけは、リンネだった。
男はリンネを探していたと言い、彼女を「タカネ」だとそう呼んだのだ。

「はっはっはーー、この程度で俺がやれるとでも思っていたのか?」
爆発の中から無傷で現れたテン。逃げ場のない館内の最上階へと追い込まれたリンネとショウ。
じりじりと迫り来るテロリスト。リンネはあせる。
「ちょっちょっと、にゃんこ隊は?どうしたのよ」
領主直属のにゃんこ兵部隊、ただの猫ではない。武装した…しかもそうとうな手足れなのだが。
「全滅させられた。くっそーーこのままじゃ……、こうなったら仕方ない、ボクたちだけでやるしかない」
「あたしたちだけって、ショウあんた武器でもあるの?」
「ふっ、リンネこれを使うんだ」
しゅばっとショウがリンネに投げたのは、透明な…ドクロをかたどった水晶だった。
「え、な、なにこれ?どう使うわけ?」
「ちょっ、なに言ってんの?それでも水晶の聖乙女?それに水晶を籠めるんだよ!」
「水晶を籠めるとか、なによそれー」
混乱のあまりわけわかんなくなった?
じりじりと近づくテロリスト。傍らの猫(相棒)に命じる。
「ナンターン。あのガキをやれ」
しゅばっとショウを指差し、それに応えるように猫は頷く。
「にゃーん」
「わっわっ、来た!ああっ、肉球ぷにぷにパンチきたーー、もうダメだ、リンネ先に逝っちゃうよー」
「あっあほかっ! なに猫の肉球パンチにやられてんのよ」
「も、悶え死ぬ…vv」
「にゃーん」
「ふっふっふ」
テンの体はどんどん近づき、そして目の錯覚なのかその体は膨れ上がっていくように見えた。
さらに筋肉が盛り上がり、顔面も変形していく。顔つきも異なるものになって、顔の大半を黒い痣が覆い、髪は抜け落ち、肌は赤黒く、眉もなく、目は真っ赤に充血して悪魔のような形相になる。
漆黒の鎧兜を纏い、体中にはなにか返り血のようなものがついている。
「い、いやーーー!来ないで!怖すぎる!!」
しりもちをついて後ずさるリンネの背後から、何者かが現れた。
「大丈夫たる。リンネ、タルを食べてパワーアップするたるよ」
それは白っぽい毛並みで、しっぽはくるくるに巻いた猫?
「えっ、なんで猫がしゃべって?」
「猫じゃないたる!タルはもちもちにゃんドールたる!魔法のもちドールたるよ!さ、早くタルを食べて」
猫はむりやりリンネの口の中へと入ってきた。
「んごごごーー、るしぃーー、て」
マッズイ!おえーーーー


「どうしたの?リンネ、気持ち悪いの?」
「えっ、うわっっ!ビケさん」

気がついたら、あたしの斜め後ろにビケさんがいて、あたしを心配そうに覗き込んでいたから、驚いた。
あ、あたしってば、なんか妄想というか、半分夢?見ていたような、しかし、なんかむちゃくちゃな内容だったな。一気に疲労感が襲ってきた。
それにしても黒痣ってやつ怖すぎた。ちょっとちびりそうになったじゃない。…下着が張り付いているのはたぶん汗のせい汗のせい、ちびってません。たらたらたら。
しかも、リンネにタカネって、なんの偶然だろう?ショウやらテンやらナンターンやらは知らないけど。
あたしの手元の本を見てビケさんが「ああそれで」と頷いた。
「よくそんなくだらない本読む気になったわね」
ビケさんはなぜそんなくだらない本を持っているのだろう、などということはどうでもいい疑問として。
そ、それよりもー!
湯上りのビケさん、色っぽさ割り増しでやばいです、ひゃーーー!
慌てて本を戻して、あたしはドアのほうへと向かった。
いくら客だからって、図々しすぎる真似なんてできない。

「あたし下で寝かせてもらいます。リビング使ってもいいですか?」
「へぇー、…ずいぶんと…」

目を細めるビケさん、あわわもしてかして、まだ図々しい?

「ええっと、玄関でかまわないです!いっそ犬小屋でも」

緊張と焦りのあまりもう自分の言ってる事わかんなくなってきた。

「犬小屋どころか、うちにはドッグすらいないけど」
すたすたと歩み寄ってくるビケさん。
「なあに?私と一緒がイヤなの?」
めっそうもない!とあたしは首を左右にぶんぶんと振った。そんなあたしを見て、ビケさんはくすっと笑った。
あたしの目の前、数十センチの距離で。
ひゃあっ、淡い赤いライトの中のビケさんは、いつも以上に妖しく美しく見える。

「私を好きなんでしょう」

「えっ?!」

ビケさんの手はあたしの顎を持ち上げて、その目にあたしを映し出す。
え、と今、ビケさん…、あたしがビケさんを好きだって言いました?
もしかして、バレているの?あたしの気持ち、そんなにバレバレなの?!

「え、えええっと、あの」
目が泳ぐ。汗がじわじわと浮かんでくる。恥ずかしさに逃げたくなる。どうしよう、どうしたらいいの?

「ふふっ」
頭の上で、ビケさんの小さく笑う声。ああっ、身の程知らずの小娘でごめんなさい。
優しくされて、運命とか言われて、調子こいていたのかもごめんなさい。
ビケさんを好きになってごめんなさ―――

「私も好きよ、リンネ」

い。い、いいい?ええええーー、なに今のはあたしの空耳ですか?
今なんておっしゃった?

顔を起こそうとしたその時、あたしの顔に優しい圧迫感が。ええっとつまり、あたしビケさんに抱きしめられてますか?!疑問系ってだれに訊ねているのよ!
ドキンドキン…心臓の音が、だんだんうるさくなっていく。だめ、もう現実が追いつかないよ。
ウソじゃない?夢じゃない?妄想じゃない?
運命の出会い、たしかにあるんだ。
そう強く実感するように、あたしはビケさんのぬくもりの中で、目を閉じた。


「女として転生した時点で、お前の負けは決まっていたのよ、桃太郎」

なんだろう、ビケさんの言っていることよくわからない。空耳かな。
だけどそれは、あたしじゃない別の誰かに向けた挑戦的な言葉のような。

『うるせー。俺様は必ず手にしてやるって言ったろうがよ。時間はまだある…焦んじゃねーよ』

またあの変な声が聞こえた気がした。
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