馬 駆ける
第四話 ここが、必要とされる場所


『カケリ、カケリ、やっと会えた』
その声は、キラキラオーラは、君はあの時の、天使君?!
『ずっと会いたかった。カケリ、君はボクの運命の人だよ』
えええうそうそ、そんな夢みたいなこと言ってくれるなんて、えっええっちょっ、近いよ天使君?
いやーーきゃーーー、そんな抱きしめるなんて、やだもう反則、やだもう幸せすぎて死ねる。
やだなにこれ、あたしってば、なんかの少女漫画のヒロインだったりするわけ?いや、こんな夢みたいなことあっていいの、あっていいんだよ!
『好きだよ、…カケリ』
え、ちょっ、やっマジ?顔近いよ天使君、やっややや…

「んーーーー」
「とっとと起きんかごらぁああああああ!!!!」
「あでっ」
バコーン
おでこに衝撃を受けて、あたしはでこを押さえる。あたしを見下ろすのは、週刊誌をくるりと丸めて手に持つ、鬼形相のヒヨコさん……。
「いったーい、もうちょっとふつーに起こしてよ」
「んだと? たく気持ち悪い寝言あーーんど気持ち悪い寝顔見せたバツよ。そっちこそふつーに寝てなさいよ!」
はーーー、夢…か。夢と思えば納得してしまうの悲しいのだけど、抱きしめられてもぬくもりなんてなかったし、実感しているのはおでこの痛みくらいだ。ヒヨコさんに打たれたところの。
「つーか天使の夢とか見てたわけ? マジキモイんですけど。ちょーーキモイんじゃーーごらぁああああ」
「朝からそんなにキレないでよ、まったく。あ、ところでそれ、なんの本?」
あたしはヒヨコさんの手の週刊誌を指差した。あんなもの丸めて武器にするなっつーの。本は叩く物じゃなくて読むものでしょーが。
「フン、くっだらない三流ゴシップ誌よ。どこの有名人だろうが結婚しようが熱愛しようが離婚しようが興味ないんじゃごらぁああああーーー、あ離婚はざまぁって感じで悪くはないけどね」
文句言うってことはちゃっかりと中身読んでるんじゃないの?
「だいたいなんで、どこのマスゴミも私とマケンドー様のロマンスをスクープせんのんじゃー、ゴミクズどもがーー」
バシッ
「あでっ、ちょっなんで人の顔に本投げつけるのよ!痛いでしょーが」
「アンタも気になるようだし見ておいたらいいんじゃないの?どんだけ目を皿にしても、アンタとマケンドー様の熱愛スクープなんてどこにもないですからーー、ざーんねーんでしたーー」
「ったく」
ヒヨコさんのあのキャラにもすっかり慣れている自分が憎いわ。人に週刊誌投げつけて、とっとと自分の持ち場へと戻っていった。
にしても、こういう週刊誌も毎週ネタかかさないな。そう毎度都合よく、熱愛だの離婚だのないだろうに。あ、このトップ記事は、先日テレビで騒がれていた連続強盗事件の容疑者だっけ。学生時代だのなんだの、こんなことまで書かれているのか。まあ悪い奴は自業自得とも言えるけど。
なにげなしにパラパラとめくっていたあたしは、ある記事に目が留まった。写真の女の人、どこかで見たことあるような気がするけど、よく思い出せない、そんなレベルの有名人…、いや正しくはかつての有名人の記事だった。あの人は今?的なもので、すぐにあたしはページを閉じた。
「ほんとくだらない本だね、ヒヨコさんじゃないけど」
さて、ご飯食べて、トレーニングに向かわなくちゃ。


「カケリ様おはようございます。?額どうかされましたか?」
カツさんに言われてあたしはおでこを擦る。まだちょっと赤みがさしている。ヒヨコさんがすさまじい形相で睨んできたので、「なんでもないです。寝相悪かったのかな〜?」と誤魔化した。
食堂に入るとすでにマケンドーが朝食をとっていた。
「カケリ」
いきなりマケンドーに呼ばれて、あたしはなぜかぎくりとなる。いちいち強めな口調で人を呼ぶなよ。威圧かこら。
「おはようマケンドー、なに?」
「カケリ様、とりあえずお席に」
「あ、ありがとうカツさん」
カツさんに席に座るように勧められて、まずはテーブルにとつく。チラリとまたマケンドーへと視線を向けると、朝から厳しい眼差しをあたしに向けていた。だからなに?トレーニングもちゃんとやってるよ。
「お前、あれからアイツと連絡などとったりしてないだろうな」
「へ、え?」
アイツって、だれ? まさか、…まっさきに浮かんだ顔はあの人だ、天使君…。天使君のことマケンドーにばれていた? ヒヨコさんは天使君のことちゃんと見てなかったみたいだし、知ってるわけないよ、うん。
「アイツ…ショーリンとは関わるな。アイツに誘われてもついていったりするな」
ん、…へ?
「ショーリン君のことだったの?」
「なんのことだと思ったんだ?」
「あ、ううん別に、て、なんでそんなことまで決められなきゃいけないのよ。ショーリン君悪い人とは思えないけど」
「俺はアイツのことだけを言ってるわけじゃない。カケリ、俺との契約を忘れたのか?」
「え、契約ってどういうこと?」
ギロン、とさらにマケンドーの目に殺気的なものが入ったので、あたしはびくりとなる。け、契約ってもしかして、先日の…、あたしとマケンドーの個人間での契約のことだろうか。
「約束したはずだ、条件を満たすまでは、お前の行動は制限されると。外部の者との接触も禁止していると」
「は? なにそれ、そんな話は聞いてない!」
「なに? 契約書にちゃんと目を通さなかったのか」
う…ぎくり。
いくらなんでも厳しすぎやしないか、外部との交流も禁止だなんて、それじゃあ。
「それじゃあ友達と会ったり、話したりするのもダメってこと」
「当然だ。今さらダダをこねるなどしてもムダだからな。お前は契約書にサインをしたんだ。きちんと目を通さなかったお前に落ち度があるのだからな」
く、なんだと、そこまで自由がないのか? あたしは。
「俺の馬でいる間はお前は公人だ。勝手な振る舞いをされて、若草に不利益をもたらされては困るからな。それに、外部からは悪意ある者に狙われる可能性もないとは言えんからな。一人で出歩くのも原則禁止だ。破るなよ」
悪意って、そりゃアンタに対して悪意抱いている人間ならいそうな気もしますけど。
「ん? でもショーリン君は外部じゃないんじゃ? 同じ家の弟なのに?」
「アイツは若草の人間ではない、よって部外者だ」
そういうくくりなんだ。というか、単にマケンドーが感情でもってショーリン君を入れたがらないように思えるんだけど。
「非レース時でも気を抜くな。いつどこで見られているかわからんからな。カケリ、お前には少々緊迫感が足らんようだし、俺が時間のある時にでも、稽古をつけてやろうか?」
やだなにこの男朝飯食いながら木刀握るの? ヤンキーなの? ヘンタイなの?
全力でお断りしたいわ、嫌な予感しかしない。
「モリオカさんのほうがいいです」
きっぱりと言ってやった、さわやかスマイル意識して。



「今日のトレーニングはこれで終了だ、お疲れ様」
「今日もありがとうございました。モリオカさんお疲れ様です」
はーー、やっぱモリオカさんだわ。トレーナーがもしマケンドーだったら、木刀振り回す鬼畜トレーナーなんだろうな、…冗談じゃないや。
ふーー、疲れた。晩御飯まで部屋で筋肉ほぐしてくるかなー。

「あっ、やっほカケリちゃん、待ってたんだ」
ロビーの階段のてすりにもたれながら、あたしへと声をかけてきた男の子は。
「ショーリン君、なに? あたしに用?」
にこにこ顔でショーリン君が近づく。そういやこないだ怒られていたけど、…いいのかなショーリン君ここに入ったりして。
「うん、今なら兄上いない時間帯だし、カケリちゃんに会うなら今かなと思ったんだ。ねぇ、カケリちゃん、遊びに行かない?」
「今から? いやでも、マケンドーに怒られるんじゃ」
渋るあたしに、ショーリン君は「ええーー」と残念そうな表情で抗議する。
「酷いなぁ兄上、もしかして勝手に出歩くなって言われてる?」
「まさしくそのとおりだよ! 勝手に出るなとか、友達とも連絡取ったり会ったりしちゃだめだって」
「酷い、あんまりだ」
ショーリン君、あたしの現状に怒ってくれてる。やっぱりマケンドーよりも、ショーリン君のほうがあたしの良き理解者なのかも。
「そんなの守る必要なんてないよ、行こう」
「えっ?」
ガッと強引に手を掴まれて引かれて、ショーリン君に連れられるままあたしは邸外へと出た。い、いいのかなぁー…、親切にしてくれるカツさんの顔を思い出すと心がちくりと痛む。でも同時にマケンドーの顔も思い出したら、ムカッときてショーリン君のほうに行くべきって考えになっちゃう。


「今からだとどこが開いてるかなー。あ、カケリちゃんどこか希望ある? 映画見たいとかなんでも言って」
あたしの前を歩いていたショーリン君がくるりと振り返って尋ねてきた。今商店街近くの裏道を歩いている。
「うーん、急に言われてもでてこないなー。…いいよショーリン君に任せるよ」
「え? いいの? おれの好きなとこで。じゃあさ、カケリちゃんパラダイスとか興味ある? 若草B級観光スポットめぐりとかいっちゃう?」
「えなにそれおもしろそう」
「じゃ決まりっと。兄上だったら絶対にそんなとこ連れて行ってくれたりしないだろうね。というか、どこかに遊びに連れて行ってくれたりなんてないんだろうな、カケリちゃんかわいそう」
まあたしかに、マケンドーに連れて行ってもらったところなんて、…レースくらいだ…。
「クソつまんないでしょ、兄上。カケリちゃんさ、兄上のとこから出たほうがいいんじゃない。兄上の所にいたって幸せになんてなれないよ」
ショーリン君、なんでそこまでマケンドーのこと…。
「なんでショーリン君マケンドーのことそこまで嫌ってるの? たしかに、鬼畜で嫌な奴だけど、…一応兄弟なんでしょ?」
ぴたり…。一瞬ショーリン君の顔から表情が消える。シーンと静まる空気が、ちょっと…怖い?
「カケリちゃんは兄上の事どこまで知ってる?」
「へ? マケンドーのこと…どこまで知ってるって…」
鬼畜なドSのくせに、外面だけはよくて、一にも二にも若草のってばかりで、区長で…。ああそういやあんまり知らないかも。アイツの本性だってあたしだけじゃなくて、カツさんやショーリン君だって知ってるわけだし。…別にアイツのこと深く知りたいなんて思わないけど…思わないけど。
でも、気にならないってことはない。ショーリン君との関係、ちょっと気になるかも。この二人、結構ていうか相当仲悪そうなんだもの。なにかあったとしか思えない。
「まあ兄上がわざわざ話すわけないか。きっと兄上自身も消し去りたい過去だろうしね」
ハッと息を吐きながらそう言うショーリン君の表情は冷たげだ。まるで嘲るような顔に声。ここまでショーリン君に嫌われるなんて、マケンドーの過去になにがあったというのだろう。
別に、アイツに興味なんてないけどっ。
「今ではあんなに偉そうにしているけどさ、兄上は…カクバヤシの出来損ない、恥ずべき存在なのさ」
「え?…」
その時、黒い風が吹いた。黒い…影?!
あたしがそれに気づくより数秒早くショーリン君が反応した。
「おれの背後をとろうなんて、百万年早い!!」
「ぐぅっ」
どすっという音と共に黒服の怪しげな男が崩れ落ちる。突然ショーリン君を背後から襲おうとした謎の男は、襲い掛かる前にショーリン君の素早い拳に落とされた。あざやか!
「すごい、ショーリン君! てなにその人」
「見た見た? おれ実戦でも強いんだよ。まあどこのだれかは、調べればすぐにわかるっしょ。それよりカケリちゃんが無事でなによりだよ」
得意げにパンパンと拳をたたきながらショーリン君があたしのほうへと振り返る。
「!? ショーリン君まだ他にも」
いる、危険な影が。あたしが察知したより早く…、ショーリン君今度は今ので油断しきっていたからなのか、ううん、もしそうじゃなくても、一度に三人に襲われたら、反応も追いつかないよ。
「うぐっ」
「ショーリン君!? うっ!?」
倒れこむショーリン君に伸ばした手は届かなくて、急に視界が遮られて、え、真暗や、なにこれ、目隠し?!
ショーリン君がやられた直後にあたしは背後から襲われた。目隠しされて拘束されて、担がれて、車のシートに下ろされて、え、ええっこれって、これって…。
「よし、出せ」
車が発進する音に感覚、何も見えなくて、しゃべることもできなくて、ヤバイ、意識が…遠ざかっていく。
あたし、拉致されたのか。



目隠しを外されて、やっと視界が明るくなったのは、どっかの部屋の中に連れて来られてからだ。
「こ、ここは」
どこ?と見渡す。…なんて広い部屋、マケンドーのとこに負けず劣らず、裕福そうな部屋だ。テーブルから本棚やカーテン、インテリアや照明から様々なものが、そういう雰囲気を醸し出している。
「悪いが君にはしばらくここにいてもらう」
「は? え、だれ?」
部屋の外、ドアのすぐ向こうから中年男らしい低い声がした。だ、誰の声かわからない、知らない人だ。
「ここはいったいどこですか? あなただれ? あたしになにをする気?」
ドアをドンドン叩いてあたしは叫んだ。だめだ、鍵が向こうからかけられている。この部屋に監禁されている?
どうして、どういうこと? なんであたし拉致されて、監禁されているの? なんなの今の声のおっさんは。
「いきなりの事で混乱しているだろうが、落ち着きたまえ。君に危害は加えたりしない。大人しくしていれば、ちゃんと帰してあげるつもりだ。そう、二日間、ここにいてくれればいいだけだ。もちろん食事は一日三食用意するし、室内には必要最低限のものも揃えてある」
一体、なんのつもりでこんなことを。…二日間ここにいろって? 二日間…、て、明日はレースの日じゃないか。
「ちょっと待って、困るんだけど! こっちにだって都合ってものがあるんだけど! 明日は大事な用事が」
「若草区代表の馬」
!?
まさか、この人はあたしが若草代表の馬と知って。ということは、やっぱりレースの関係者?!
「明日のレース、君には不参加でいてもらおう」
「ちょっちょっと、なによそれ、なんなのよアンタ」
ドンドンガチャガチャ、ドアは固く閉ざされて、あたしの力では開けることができない。遠ざかる靴の音、あたしに話しかけたこの家の関係者と思われるおっさんはあたしの前から遠ざかっていった。
はぁ、仕方ない、部屋の中を探ってみるか。なにかわかるかもしれないし。外と連絡が取れそうなもの、電話とかはなかった。一人で過ごすにはあまりに広すぎる豪華な部屋に、あたしは監禁されてしまった。



「本当なの? 若草の馬を捕らえたって」
カケリを捕らえたこの家の主である男に、女は訊ねた。
歳は二十代前半に当たる彼女は、髪を二つに結わえ、黒色のショートドレス風のトレーニングウェアを身に纏っている。この家の主であり、自分の主人でもある男を、強い眼差しでキッと見据えながら問いかけた。
「ああ間違いなく捕まえてきた。ウミコよ、これでお前も安心できるな。明日のレースは不戦勝だ」
「そんな、…私はレースで必ず勝つわ、こんなことしなくても」
「勝つと言って先日負けたばかりではないか。新人とはいえ負けなしの勢いのある若草とは、勝負は避けるのが吉だ。安心しろ、その次のレースでは走らせてやろう」
「(臆病者…)」
誰にも聞こえない声量で、ウミコはつぶやいた。ぎゅっと悔しそうに口を結びながら、さり行く主の背を睨みつけた。

彼女ササオ・ウミコは元々表の世界で輝けた人材だった。十代の学生だった頃には陸上部に所属し、数々の大会で輝かしい成績を収めてきた。その舞台はいずれ世界へと、確実に世界へと向かう流れだった。当時はマスコミも彼女をスターのように取扱った。世界大会選考会を前にして、彼女は悲劇にまみえた。交通事故に巻き込まれ、足を負傷した。当然世界大会は諦めざるを得なかった。それだけでなく、選手としての道も困難を極めた。リハビリに励んだが、かつてのように走ることもできなくなり、成績もがた落ちした。あんなに持ち上げたマスコミも、すっかりと彼女のことは取り上げなくなり、彼女に代わる新たなスターを持ち上げた。世間もまた彼女を忘れ、新しいものへと興味を引かれた。

足の怪我は選手としては終ってしまったが、日常生活には差し支えないほどに回復した。年月は過ぎ、周囲は心配して、彼女に新たな人生の道を生きよと勧めた。
「わかっている、それでも、私は…」
諦められない気持ち、あの頃のように走りたい。走り抜けたその先での、拍手喝さい。あそここそが、自分を認められ、自分として輝ける唯一の場所だった。過去への栄光の未練、それだけではなくて、それは彼女そのものといっていいものだった。
もう一度、走りたい。その想いをどうしても諦められず、リハビリトレーニングは欠かさず続けた。
努力のかいあって、ウミコは走れるようになった。だが、かつての記録には届く事はなかった。世間も、見向きもしてくれなかった。もうすでに、ウミコに代わる、いや今では当時のウミコ以上に持ち上げられている新たなスターがいた。帰る場所などもうなかった。
それでもウミコは諦めなかった。走ることしか自分にはないという、思い込みと執念。そしてウミコは知り合いのつてから青原市のレースの話を知る事になった。ウミコは自らレースの世界へと飛び込んだ。緑丘区の区長リンドウのもとへ自分を売り込んだ。こうして緑丘の馬となり、ウミコはレースに出た。初めてのレースで、華々しく勝利し、かつて世間を魅了したスターウミコの片鱗を示したのだ。

先日デビュー戦を勝利で飾り、今だ負けなしという新人区長と無名の馬という若草区をリンドウは警戒していた。彼らのレースを観戦していたウミコにも、若草の驚異に不安を覚えたのは事実だ。ウミコ以上にリンドウのほうが彼らを警戒しているようだ。かつて世界やプロを目指せた実力者のウミコであっても、それはかつての話だ。今のウミコは全盛期の頃のような強さはないだろう。それでも青原のレースの世界だからこそ、なんとか走ってこられた。だが圧勝などはなく、いつもギリギリだった。以前ならと歯がゆく思うことはあったが、過去には戻れない。ギリギリでも勝つしかない。走り続けるために、やっと見つけた自分の居場所を守る為に。それがウミコが馬である理由だった。



「マケンドー様」
議会が終った直後、カツがマケンドーのもとへと駆け寄る。カツから話を聞いて、マケンドーの表情が強張り舌打ちをする。
「言った傍から。すぐにカケリの元へ向かう」
車を発進させ、目的地へと急ぐ。



「ぼりぼりぼり…、この本もちっともおもしろくないし」
テーブルの上にあったお菓子は勝手に食べてる。いいよね、食べたって、監禁されてるんだし。いろいろ調べてみたけど、窓やドアすべてに鍵がかかっていた。空調は悪くないけど、…そういうことはどうでもよくって、逃げられそうなところがない。暇つぶしになるようなものも特にない。テレビはおいてないし、本棚にある本は、とてもあたし好みのものはなくて、マンガかゲームくらいおいといてほしいところだよ、気を利かせてさ。
次のレースに出るなってことは、次の対戦者ってことだよね? その可能性は高いよね。だいたい犯罪じゃないの? これってさ。危害は加えない、後で帰すとは言っていたけど、こんなことする連中なんて信じられるかね。ご飯は持ってきてくれるんだよね?…その時ってチャンスかもしれない。入り口のドアから入るんだろうし、その時を狙えば…。
コンコン
!? うひっ、びっびっくりした。このタイミングでノックされるなんて。どきどきする心臓をぎゅっと押さえて深呼吸する。
「な、なに?!」
さっきのおっさんかと思っていたから、声に驚いた。
「警戒しないでくれる。私はあなたを逃がしてあげたいの」
女の人の声だった。


「こんなことになってごめんなさい。なんとかしてあなたをここから出してあげるわ」
キレイでパキッとした感じの女の人だった。そう言ってくれてるってことは、この人はあたしの味方なんだろうか。
「あなたは一体…」
「私も、あなたと同じ馬よ」
馬!? ということは、どこかの区の代表?
「一体どこの区なんですか? さっきのおっさんはだれ?」
味方であろうこの人なら、と思ったけど、それには渋い表情で首を横に振られた。
「ごめんなさい、なにも聞かないで。ここでのことも忘れてほしいの」
そんな都合あるか!
「だってこんなの犯罪」
「わかってる。私だって許せない。それに、不戦勝だなんて、手を汚して卑怯な事して得た勝利なんて、ガラクタでしかないわ。
酷い事をしているあの男を許せないと思う。だけど、私にはこの道しかなかった。どうしても、失いたくないの。走りたい、ただそれだけ。
レースこそが、私の失えない居場所なの」
苦しげな顔、…なんだろう、あたしこの人をどこかで知っているような気が…。そうじゃなくても、この人は悪い人には思えなかった。
いきなり拉致されて監禁されて、むかついたけど、別に酷いことされたわけじゃないし、お菓子食べちゃったし。帰してくれるんなら、かまわない。…あ、ことを荒立てないほうが、もしマケンドーにバレたら、…ガクブル、めんどくさいじゃないか。問い詰めたい気持ちがないわけじゃないけど、帰してくれるのなら。
「わかりました。なにも聞きません。だからここから帰してくれますよね」
「ええ」



「おいカケリ!」
目の前で止まった車からマケンドーが降りてきた。マケンドーの家へ向かう道路を歩いて帰っているところを、見つかってしまった。…やば、なんて言い訳しようか。
「無事か?!」
「えっ、あ…」
怒鳴られるかと思っていたら、予想外の第一声に、あたしは一瞬言葉を失う。ん?あれ、てことは、すでにマケンドーは知っていたってこと? ショーリン君から伝え聞いたのだろうか、ショーリン君は無事なんだろうか。
出会った瞬間、マケンドーの顔は心配気な顔に映ったから、あたしの思考も狂い掛けた。
「あたしなら、無事だけど、ショーリン君のことは…」
「あいつのことはどうでもいい。俺にとって大事なのはお前だ」
「えっ…!?」
な、なんでそんなことを。って一瞬焦って「ぐわー」ってなる。ああそうだ、あたしはコイツの馬なんだった。だから大事なのは、カケリじゃなくて、若草の馬ってことなのよ、間違いなく。
「そうだね、若草の馬だもんね」
「ああ、明日のレースに馬がいないのでは話にならんからな。不戦敗など冗談じゃない。ふざけた事をしてくれる、緑丘のリンドウめ」
「マケンドーもう相手のこと調べたの?」
「ええずいぶんと雑なやり方でしたからね。すぐにわかりました。カケリ様が無事戻られて、なによりです」
車からカツさんも降りてきた。
「カケリも無事帰ったし、今回の件、市長に告発してくるか。あの市長は不戦勝はおもしろくないとは言いそうだが、なんらかのペナルティは与えてくれるだろう」
「ちょっと待ってマケンドー!」
あたしは慌ててマケンドーを止めた。妙に心にひっかかるのと、やっぱり、なんか後味悪い気がして。どうせなら…。
「どうせなら、明日のレースでこてんぱんにしてやろうじゃない」
なんて返事が来るかちょっと心配だったけど、マケンドーはにやりと笑って「それもそうだな」と頷いてくれた。



レース当日、階段の前でマケンドーと別れて、あたしはスタートゲートへの通路を進む。
「無事レースに出れることを祈ってた」
彼女と…今日の対戦相手と向かい合う。どこかで会ったはずはないけど、昨日会ったばかりだけど、あたしは彼女をどこかで知っている気がしている。
「あたしも、今日のレースに出たかったから」
もしマケンドーがあのまま市長のところに行ってたら、こんな風にこの人にもう一度会えなかったかもしれない。また会いたいと思ってた。あたしはまだこの人にお礼を言ってなかったし、名前も知らない。
「私は緑丘区代表ササオ・ウミコよ」
「あたしは若草代表のマドウ・カケリ。あの昨日はありがとう」
「いいえこちらこそ、黙っててくれたのよね」
本当はマケンドーたちにばれてしまっているけど。
でも悔しいからこそ、自分たちの土俵でぎゃふんと言わせてやりたいじゃない。それに、ウミコさんとは、ちゃんとした場で会いたかったから。



「緑丘区長、昨日はうちの馬が世話になったそうで」
マケンドーのそれに、リンドウはぎくりと背中を震わせる。
「私を脅すつもりかね?」
「脅す? 思い上がらないでいただきたいな。あなたは脅すに値しない存在だ。今日のレースでそれを思い知らせてあげましょう。
俺も、俺の馬もこんなところで負けなどしない。このレースでもってあなたを地べたに這い蹲らせる」
狂言でなく、マケンドーは本気でそう言った。自信に満ちた眼差し、自分よりはるかに若いこの男に、リンドウは気持ちで押される。
カケリを誘拐し、若草の不戦敗を狙った時点で、リンドウはすでに負けていた。勝負を捨てた者は勝利の女神から見捨てられる。
だが、リンドウもやすやすと負けてやる心持ちの男ではない。未知数のカケリには警戒心を抱いているが、自分の馬のウミコもまた、馬としてはけして劣ってはいない。かつては、世界を狙えた足なのだ。ぽっと出の新人にあっさり負けてやるほど、ウミコも勝負弱くはない。



あたしとウミコさんそれぞれスタートにつく。
例のアナウンスが流れて、スタートゲートが開く。
お互い見据える先は同じで、もちろん、ゴールだ。

『お前はお前のために走れ』

マケンドーに言われたとおり、あたしはあたしのために走る。あたしの目的の為に、自由を勝ち取る為に。



マケンドーとリンドウ、それぞれの席につき、一見デスクワークに思える形でのそこが彼らの戦場だった。
目の前のモニターに次々と暗号やら問題が表示される。それをキーボードやタッチパネル操作によって解いていく。制限内に解ければ該当するトラップは解除される。頭の回転とスピードが要求される。またすぐ上に別のモニターが設置されて、そこには自分の馬である走者が映る。もちろんリアルタイムで表示されている。走者の様子を確認しながら、また素早くしかけを解いていかねばならない。
マケンドーはあまり馬のほうを確認しなかった。チラリと一瞬だけ見るだけで、ほとんど自分の画面に集中していた。


進む先、コースの下から壁が競りあがってきたり、落下物が進路を塞いだりしたけど、あたしがたどり着く頃には障害は回避されている。壁に穴があいて通れるようになったり、落下物が散らばった脇に滑り台が現れて落下物をそちらに流して行ったりして道が開ける。
あたしはただ走ればいい。トラップはすべてマケンドーがなんとかしてくれるから。
ウミコさんも速い。すぐ横に並んでいる。わずかな差があるけど、向こうのトラップも順調に解除されていっているようだ。だから、ここはあたしとウミコさんのガチンコ勝負だ。
「負けないわ」
「あたしも負けたくない!」



ウミコさんには負けてほしくないと思った。だけど、あたしも負けたくない。でもそれを両方叶える事ってムリだし、それが勝負ってやつなんだし。
駆け抜けた先のゴール、全力を出し切ったあたしたちは、膝をついて肩で息をしていた。
『若草ー勝利ーー』
場内に響くアナウンス、勝ったんだ。
「負けちゃったわ。でも、気持ちよかった。ありがとうカケリさん」
汗を弾かせながら、笑顔でウミコさんはあたしに手を差し出しながらそう言った。
「こちらこそ、いいレースでした。またウミコさんと走ってみたい」
握手。
「ええ」



あたしはあたしのために走ればいい。
優勝して、自由を勝ち取る為に。だけど、それだけじゃない気がしている。あたしにとってレースとはなんなのか。
居場所?
あたしがあたしとして、いられる場所、なのかな?
「なにをぽけっとしている、いくぞカケリ」
「うるさいな、わかってるってば」
余韻もへったくれもあったもんじゃない。


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