馬 駆ける
第五話 感情、それは走るもの


今日は朝早くから、マケンドーに連れ出された。午前中のトレーニング、今日は中止だって聞いて、いったいどこに連れて行かれるのか。車中でマケンドーに訊ねたら…
「俺は初めて行くところだが、お前は好きなんだろ」
「は? だからどこなのかって聞いてるんだけど」
マケンドーハッキリと答えろや。
「カケリ様、ついてからのお楽しみという事で」と車を運転しながらカツさんが答えてくれた。
「そういうことだ」
と偉そうにシートにもたれるマケンドー。
お楽しみってなに? …怪しい。
「まあ、あれだ。お前もたまには…」
「へ? たまには、なに?」
「っ、ごちゃごちゃとうるさくするな、到着するまで大人しく座ってろ」
ぐいっとマケンドーに乱暴に頭を押さえつけられて、あたしはむきーとなる。
「ちょっとなにすんのよ、大人しく座ってるじゃない!」
おどりゃーと反撃とばかりにあたしはパンチを繰り出すが、あっさりとガードされてしまう。むきー。
「言ったそばからその態度とはな、このじゃじゃ馬がっ」
「うっさいこの鬼畜ドS男がっ」
「お二人とも、車内でじゃれ合うのは大変危険ですので」


着いた先、見覚えのある場所だった。
「パラダイス銀河ランド…、ここ?」
星空モチーフのゲートの前で、あたしは後方の二人へと確認するように振りかえる。
「カケリ様、こちらは初めてですか?」
「ううん、過去に二回ほど遊びに来た事あるけど、…ここになんのようで…」
パラダイス銀河ランド、子供の頃に友達と遊びに来た事はあるのだけど。え?親に?ないない、うちの守銭奴親には。うん、友達の家族とね、一緒に来たっていう。まあつまり遊園地だ。
「なんのようだと? 遊ぶところではないのか?」
まあたしかに、遊ぶところですけどね、…あ、遊ぶ?
「遊ぶ? 誰が遊ぶの?!」
ゲート前を歩く人たちがちらちらとこちらを見ている。遊園地を前になにを言ってるんだこいつらってかんじなんだろう。でも、疑問じゃない? マケンドーが遊園地だなんて。
「そこまで説明しないといけないのか」
くっと呻きながらマケンドーが眉間を手で押さえている。
「わかんないでしょ、ちゃんと説明してもらわないと」
「カケリ様、今日はカケリ様がリフレッシュされるようにと、マケンドー様のご厚意でこちらにお連れしたのですよ」
とカツさん。…え?
「あたしのため? なんで?」
マケンドーの気遣いとか、なにかあるんじゃないのか? 怪しすぎる。
「…お前は…そこまで説明しないといけないのか…」
「カケリ様、少しはお察しいただければと…」
「ううん、…いやいやわかんないし」
はーー、とマケンドーが溜息をついて、つまりだなと説明を始める。
「カケリ、お前は若草にとって大事な馬だ。レースに悪影響をもたらせないためにも、精神面にも気を使ってやらんと思ってだな」
「…え? だからどういう意図で?」
「先日の件は、約束を守らなかったお前に落ち度はあるが、俺の監督責任でもあるからな」
「先日のって…、拉致されたこと?」
来てくれた時、真っ先に怒られると思っていたから、ちょっと拍子抜けしたんだよね。…あの時のマケンドー、本当に心配そうな顔していたし。…馬であるあたしになにかあったら困るからだもんね。別に嬉しいなんて思わないし。
「少しでもカケリ様の心のケアになればと、マケンドー様のお心遣い受けてくださいカケリ様」
「あ、あの、別にケアとかって、そりゃいきなり攫われて驚いたけど、全然平気だし。そんなデリケートなハートの持ち主なら、レースなんてやれてないって」
実際なんてことなかったし、お菓子もおいしかったし。閉じ込められてどうなるかって不安はあったけど、平気だったのはウミコさんがいたからってのが結構でかいのかもしれない。
「今日の用ってあたしのためなの? なら余計な気遣いっていうか、あ今から帰ってトレーニングやるし」
「ふ…、たいした馬だなお前は。まあそれでこそ俺の…」
「あ、こんなとこでいつまでも立ち話していたら邪魔になるよ。早く駐車場にもどろ」
「カケリ様、ひょっとして遊園地お好きではないのですか?」
「え、いや好きですけど。あまり来た事ないけど、乗り物とか乗るの楽しいし」
「ではせっかくここまで来たのですから、遊んで行ってはどうですか? さあ、マケンドー様も」
ニコニコ顔でカツさんはゲートのほうへと促す。あたしはもう帰ってもいいかもって心境だったけど、遊園地で遊ぶのは嫌じゃないし。でもいいのかな、こういうところ、マケンドーって苦手なんじゃ?
「そうだな、そのつもりで来たんだ。…俺は初めてだから見学がてらに乗ってみるのもいいだろう。あそこで入場料を払うのだな」
「えっちょっマケンドー?」
なんだあいつノリノリか? 初めてなの? 興味心で?
すたすたとあいつはゲート前の受付へと向かっていった。
「いいのかなー」
「今日はご遠慮なく、楽しんでくださいカケリ様」


あたしたち三人は入場パスポートを購入してゲートを通過する。パラダイス銀河ランド、目をひくドハデなアトラクションはないけど、ジェットコースターや観覧車、メリーゴーランドやゴーカートなどの定番は一通り揃っている。よくも悪くも普通の遊園地だ。特別流行ってはいないけどまあなんとか廃れず続いている若草唯一の遊園地。子供を連れた家族連れや、若いカップルがちらほらと。乗り物もそんなに並ばないで乗れる。マケンドーからパスポートを受け取る。
「おおっ一日乗り放題のゴールドパスーーすっげーー」
くっ貧乏人には高嶺の花のゴールドパスだと?! よっしゃ元をとりまくれるほど乗りまくってやる!!
「遊園地とは子供の遊ぶところだと思っていたが、意外と大人も多くいるのだな」
周囲を見渡しながら、マケンドーがつぶやく。そういやこいつ初めてとかさっき言ってなかったっけ。
まあカクバヤシのお坊ちゃんがこんな庶民の遊園地になんて遊びに来ることはなかっただろうけどさ。
「へぇ、知らないんだマケンドー。たしかに子供向けのアトラクションも多いけど、子供には乗れないものは多いんだよ。特に絶叫系は身長や体重制限もあるし、心臓の弱い人もご遠慮くださいってアナウンスもあるしね」
「ふ、なるほど、あの類は度胸試しといったところか」
とマケンドーが見上げる先は、レールを走るスピード音とそれに混じる「きゃー」といった悲鳴の声。
一回転のあるジェットコースターだ。あれ前に乗ったことあるけど、最初はかなり怖かったはず。
マケンドー乗ったことないんだよね? にやり。
「そうだ、アレ最初にいこうよ」
にやにやとあたしはジェットコースターを指差す。
「何事も経験だな。いいだろう」
「悲鳴を上げた人が負けってことで、くくく、なにかバツゲームでも」
「悲鳴を上げない自信でもあるのか? おもしろい度胸試しなら受けてたとう」
乗ってきたなマケンドー、ジェットコースター初体験の無様な姿を笑ってやるわ!
「では私はここで待っていますので、楽しんでくださいませ」
カツさんを残して、あたしとマケンドーはコースターの乗り場へと向かった。


「――なかなかおもしろい乗り物だな、あのジェットコースターというのは」
「おかえりなさいませ、マケンドー様カケリ様」
く、マケンドーのやつ悲鳴どころかイキイキとした顔になりやがって、…つまらん!
「乗り放題ということだし、もう一度乗ってみるか」
嬉々としてまた乗りに行くつもりか、恥ずかしいなはまりやがって。くっ、なにこの敗北感、別に負けてなんかいないけど。
「カケリ様はどうされますか?」
「あー、あたしはちょっとトイレに」
「わかりました。こちらでお待ちしてますので」


トイレをすませて外に出たあたしを、意外な声が呼び止めた。
「カケリ!」
マケンドーでもカツさんでもないその声。あれ、聞き覚えがある今の声ってまさか…?
我が目を疑いたくなる信じられない光景。あたしの目の前にいるのは、天使君だった。
「え、えっ、なんでここに?」
驚くあたしとは対照的に、天使君はなにが不思議なの?といった表情で
「どうしたの? カケリ」
「まさかこんなところで会うなんて思わなくて」
「別に不思議な事じゃないよ?」
そう言ってあたしの手をとる天使君、それって…つまり…、こうして出会うことは不思議じゃない、あたしたちは運命の相手同士ってこと?!
天使君にキラキラな瞳でそんなセリフはかれたら、間違いなく惚れてしまいまくりでしょうがーー!さっきから体の奥からきゅんきゅんする音が聞こえてくる気がしてる。
こんな偶然だけでも、あたしは幸せすぎて舞い上がりそうなのに、天使君ってば、さらにあたしを驚かせる行動に出るんだもの。あたしの手を天使君がとって、
「いこっカケリ」
なんてキラキラな笑顔で手を引くんだもん。なにこれ、夢なの?あの日見た夢が正夢になるの?!このままどこへでも行ってしまいたいよ、もうっっ。
「って、ちょっどどこに?!」
ドリームしながらも、あたしは慌てる。天使君どこに連れて行くつもりなの? 天使君にだったらあたしどこでもかまわないけど!むしろ連れて逃げて!!キャッ
「あれ乗ろ、カケリ」
これまたキラキラスマイルで天使君があたしを誘ったのは、観覧車だった。か、観覧車ってラブコメでラブイベント発生率激高のスポットじゃないかーーー!そんなところにあたしを誘うなんて、これってまさか、天使君脈あり?てかありまくりだったりするの?ど、どどどどうしよう、両想いなんて経験したことないからわかんないよーー。
両想いなんて都市伝説でしょ? 両想いなんて宝くじ一等当たるくらいのラッキーな人だけにくるもんでしょ?いいいのか?あたしなんかが。
乗り場前であうあうしているあたしの顔を、天使君がのぞきこむ。
「カケリ、嫌?」
違う違うむしろ逆!って主張をあたしは首をぶんぶか横に振って示す。
「よかった、いこっ」
ひゃあああーー、乗っちゃったよ、あたし天使君と二人っきりでラブコメのイベントスポット観覧車に乗っちゃったよ!なにか起こるフラグ?どきばくはつする。たしけて。


「わー、すごい。一番上につくの楽しみだねカケリ」
向かい合って座るあたしと天使君。ひぇー、ぎりぎり膝が当たりそうな距離、嬉しいけど恥ずかしくて困るよこの距離。
「あ、あの天使君なんでここに?」
きょとんとした顔で天使君が見つめ返してくる。
「テンシ?」
訊ねられてはっとする。あわわ、あたしってば心の中のあだ名で呼んでしまった。天使君って。きゃーーー!
「ご、ごめん勝手なあだ名で呼んだりして。その、名前よく知らなくて…」
「あ、そっか、ボクのこと? 名前は…アマツカ」
「アマツカ? アマツカ君って言うんだ」
アマツカアマツカアマツカ…天使君の名前アマツカって言うんだ。アマツカ君…。うわーもう名前だけできゅん死ねる!なんてステキな響きなのアマツカーー!
「アマツカ君は、一人なの? 誰か連れの人とか…」
遊園地で一人で遊びに来ている人って普通いないだろうし。もしいても、その人たちほったらかしてあたしを誘うというのも変な気がするし。
「ううん、いないよ。カケリはだれか待ってたの?」
「あ、ううん、だ、だいじょうぶ、気にしないでいいよ」
カツさん待たせているけど、大丈夫だよね? トイレが混んでいたとか言い訳すれば。まあ一応園内にいるわけだし。
「よかった。カケリと、二人きりで話したいって思っていたから」
!!??
なにこの展開、あたしラブコメ的に殺されるんですか!?
どぎゃっと勢いよく生えてきたタケノコみたいに、フラグがたった?!

『君はボクの運命の人だよ、好きだよ…カケリ』

むきゃーー、あの夢のあのシーンあのセリフが今まさに脳内再生された。アマツカ君の声で!ヤバイ、ヤバイですよ。ああもうそんなこと言われたら、あたしもう…昇天しちゃうよ。

あああ頭の音うるさい。アマツカ君の声ちゃんと聞きたいんだから、ちょっと血液自重して!
「は、話ってなに?」
うひゃ、緊張のあまり声が上ずってるし。
いっ、そんなまっすぐな目で見つめないで、アマツカ君。あたしは、どきどきのあまり完全に固まってしまう。
「カケリのこと、知りたい」
「!!??えっええっ」
これはもう告白ですか? あたしのこと知りたいって感情は、それは間違いなくこから始まる二文字のアレですか?!
ど、どうしよう、あたしのこと知りたいって、なにから話したらいいんだろう。名前から?あ、そういえばなんで…
「そういえば、気になっていたけど、アマツカ君なんであたしの名前知ってたの? 以前どこかで会ったことあった?」
最初に河川敷で会った時、あれがはじめての接触のはず、なのにアマツカ君はあたしの名前を知っていた。もし会ったことがあるのなら、アマツカ君みたいな美少年を忘れるはずなんてないのに。
でも、もし会っていたのなら、覚えていなかったあたしってすごく失礼になるじゃない。ちょっとびくつきながら訊ねてみた。
「遠くからだけど、ずっと見てたから、知ってたよカケリのこと。初めて目にしたときから、気になってた」
そんな真剣な眼差しで「見てた」とか「気になってた」とか言われるともう、もうきゃーーーーて脳内でじたばたしちゃってますが。ああもうアマツカ君ったら!だめきゅん死ぬ!
「その時から、聞きたかった。カケリの気持ち、知りたくて」
そ、そんなあたしの気持ちなんて、決まってるよアマツカ君!
「あたし、あたしも、あたしの気持ちは」
「カケリ走っているとき、どんな気持ち?」
「あたしの気持ちは、え? は、走っている…時?」
こくり、とにこにこ顔でアマツカ君が頷く。…え、えと、え、ええ?! なんですと?!
「は、走って、あ…あのアマツカ君…。あ、ああ!」
ふと斜め下に目線を泳がせた時、バチッと目があってしまった。マケンドーとカツさんだ。や、やばい。
幸い?にも観覧車はもう地上に近づいていた。あわあわと脳内パニックしながら、あたしは慌てて観覧車を降りた。
「あ、そうだ。アマツカ君、その連絡先聞いてもいい?」
慌てて走り出した足を引きとめて、あたしは大切なことをここで終わりにしたくなくて、振り返りながらアマツカ君に訊ねた。
「また会えるよ、じゃあね、カケリ」
軽く手を振って、アマツカ君は観覧車から軽やかに降りると、あたしとは反対の方向にと走っていった。
あっという間に姿が見えなくなって、彼は幻だったのかなと思ってしまいそうなほど、あっという間に消えてしまった。
まるで、夢のような時間だったな。
と、いかん、余韻に浸っている場合じゃなかったわ。マケンドーたちが見えたほうへとあたしは走った。


「ずいぶんと遅いトイレだったな、カケリ」
う、ちょっとトイレ休憩のつもりが三十分近く経っていた。さすがに、のんびりしすぎだよね。
「いやトイレ混んでて、あっちこっち走っちゃって」
しらじらしいウソはすぐにばれた。
「とぼけるな、のん気に乗り物に乗っていたではないか」
「うう、どうしても観覧車に乗りたかったんだよ…」
ほんとはアマツカ君に誘われたからだけど、別にうそじゃないし、乗りたかったし観覧車。
「カケリ様、それは別にかまわないのですが、せめてお声をかけてからにしてください。心配してしまいます」
「あう、ごめんなさい」
もううな垂れるしかない。下手な言い訳も通用しないし。素直に謝るしかない。
「…なにかあったのか?」
ぎくり。
マケンドー、あの時アマツカ君に気づいたんだろうか? 角度的に距離的に、気づかなかったとしてもおかしくないけど。別にやましいことなんてなにもないけど、マケンドーとの約束…には違反してしまうわけで。いっそ見切りをつけるならそれでもかまわないけど。
「ずいぶんと疲れた顔をしているからな」
「え、あいや、別にそんな疲れているわけじゃ」
ふい、とマケンドーが時計に目をやる。
「時間はまだあるが、あまりお前を疲れさせるわけにもいかんしな。もう帰るか?」
「そうですね、カケリ様、また日を改めて遊びにいらしてはいかがでしょう」
「ああ、うん、そうする」
アマツカ君にどきどきしまくって、疲れた気がするし。なんだこのエネルギー消費はパないね。
まさかこんなところで会えるなんて、思いもしなかったけど、また会えるって言ってたし、また会えるよね? アマツカ君。


帰宅後、議会へと向かうマケンドーが車内でぼやく。
「アイツ、あまり楽しんでなかったみたいだな、…俺は間違ったのか…」
「そんなことはありませんよ。マケンドー様のお心遣い、きっとカケリ様にも伝わっていらっしゃるはずです」
カツのそれに、マケンドーは同意するでもなく、怪訝な顔で窓の外へと顔を向けた。
「区民の心をわかる前に、アイツ一人の心すらわかってやれんのはな…」



「こんの腐れ外道がぁッッッ!!」
「あだっ、ちょっなんでそこまで言われなきゃならっ、あだっ、あだだ」
ヒヨコさんから理不尽な暴行を受ける。だれかもうこの人なんとかして!
丸めた週刊誌でぽこぽこ叩いて、しまいにはおどりゃーとそれを投げつけてきた。その理由はというと、ええもうお分かりいただけただろう。ようするに嫉妬ってやつだ。あたしがマケンドーに遊園地に連れて行ってもらったってことが、心底許せないらしい。ヒヨコさん、もう少し心に余裕を持ってほしいよ。
「まさかと思うけど、まさかありえないはずだけけど、アンタマケンドー様と二人きりで観覧車とか乗ってないでしょうね? 乗ってたら死刑確実!」
ギリギリと歯軋り音をさせながら、悪魔のようなオーラを放つヒヨコさん。あたしはマケンドーのことなんてなんとも思ってないのに、て何度言っても理解してくれないんだよね、この人。
「別にマケンドーとは…」
観覧車…、乗ったのはアマツカ君と。…ふわ、ヤバイ思い出しただけで顔が赤くなるにやける。
「っっ! 乗ったのね、マケンドー様と、くそがっっ死にさらせ!!」
「は? え、ちょっ、違うってば! 話を最後まで聞いてーあだだだ」


「ふん、今日はこのくらいで勘弁してあげる。でもこれ以上調子に乗ったら、アンタわかってんでしょうね」
悪の組織の下っ端みたいなキャラだな、ヒヨコさんって。…まあ周囲の目もあるし、本気の怪我はならないように手加減はしてくれているみたいだけど。てことはまだ理性は働いているみたいだね、あれでも…。
また、こんなところにほおリ投げて放置していくし。とあたしはヒヨコさんが投げつけた週刊誌を拾い上げた。パラパラと自然にめくれたページに、あたしは目を奪われた。
「!? これって…」
記事の扱いはさほどじゃなかったけど、そこに目が留まったのは写真の人物に見覚えがあったから。あっ、そういえばあの時のひっかかり。有名人だったんだ、と言ってもかつてのって言ったほうがあってるのか。その写真の人は、先日あたしがレースで対戦した相手…ウミコさんだ。
驚いたのはウミコさんが載っていただけじゃなく、記事の内容。
「なにこれ、酷い…」
かつてトップアスリートだったウミコさんが、事故のせいで現役を引退。その後の消息が絶たれていたが、今の彼女は、といった内容で。青原市の緑丘区にひっそりと移り住み、現緑丘区長の愛人になっているっていう。そんなウミコさんを嘲笑うような内容だった。レースのことは書かれてなかったけど、だけど酷い酷すぎる。
怒りが湧きあがってしょうがなかった。この腐った外道な記事書いたのどこのだれよ?! くっそー今目の前にいたらボコボコにしてやんのにっ!



今日はレースの日だ。場内の控え室が並ぶ通路で、あたしはウミコさんに会った。
「ウミコさん、こんにちは」
「あ、カケリさんこんにちは、あなたも今日出番だったのね」
「はい、今日は三番目なんで」
「そう、じゃあ私のすぐ後になるのね。お互いベストを尽くしましょう」
「はい」
ふふとウミコさんが笑う。やっぱりいい人だな、ウミコさんは。
「ねぇ」と言って、ウミコさんの顔から笑顔が消える。
「今後も警戒は怠らないほうがいいわ。あなたたち若草は注目されているみたいだから。…悪意を持って近づくのが、リンドウだけではないと思ったほうがいい。悲しいけれどそれが事実」
まるで自分の事のように語るウミコさん。! そうか、自分の事なんだ。あの記事のこと思い出す。ウミコさんは今までそういう経験をしてきたんだ。馬となったことで、ううん、それ以前に世間から注目を浴びた有名人だったから。
「あんな記事…、でたらめですよね! あたしははなから信じてませんから!」
数秒ウミコさんは黙り込んだ。あたしの言った事に気づいて「ああ」と返事をする。
「そっか、知ってたのね。私がリンドウの愛人として食いつないでいるとかいう。
ええ、でたらめよ。私とリンドウは主人と馬、それ以上でもそれ以外の関係にもなったことがないわ。だけど、捏造なんて簡単にできちゃうものなのよ。奴らは適当な証拠をでっちあげて、記事にする。世間が食いつきそうな素材を選んで、おもしろおかしく調理する」
「そんな酷い、でたらめのでっちあげだなんて、そんなことがまかり通っていいなんて。ウミコさんも反論すればいいのに! わかってくれる人はわかってくれるはずだよ」
あたしみたいに、ウミコさんのことわかろうとする人、きっと他にもいるはずだよ。
でたらめな記事を真に受けて、ウミコさんをそう言った目で見る人がいるかもしれないなんて思うと、すごく悔しい。
「悔しくないわけないわ。だけど連中に牙をむいてそれで解決するわけではないし、一度そう言う噂が流れれば、人はどこかでそう言う目で見てしまう。それに私はレースに集中したいから、そんなことにエネルギーを使いたくないのよ。それに…、私をわかってくれている人はちゃんといる。カケリさん、あなたは私の事そんな人間じゃないと信じてくれているでしょう。十分よ」
「ウミコさん…」



今日のレースもなんとか勝利した。控え室前の通路で、馬には思えない(ここでは浮いた感じ)の男の人がいて気になった。関係者?にしては挙動不審で、怪しくて。
「あの、なにやってるんですか?」
声をかけると、「うわっ」と一瞬驚きの声を上げて、すぐに「いやぁあはは」と誤魔化すように笑った。胡散臭い人だなと思うあたしに気づいたのか、怪しい者じゃないよとアピールしてきた。
「君、ササオ・ウミコさんのこと知ってる?」
「なんですか?あなた知り合いですか?」
いきなりウミコさんのこと訊ねてくるなんて、怪しいオーラがビンビンしている。もしウミコさんのちゃんとした知り合いならこんな訊ね方しないと思うし。
「ああまあ、知り合いていうか、ちょっとしたね」
はっきりしない言い方がますます胡散臭い。
「そういや君もレースに出てるんだってね。今話題の鋼鉄の天使も十六歳だって聞くし、君もそれくらい、いやもしかしてもっと若いんじゃないかな。君みたいな子がこんなところにいるなんて、なにか訳ありってことだよね?」
う、なんだこの人、気持ち悪い、ギョロッとした目ですごいまくしたてて迫ってくる。
「なんなの? ちょっと失礼じゃ」
「なにしているの? 帰って!」
強い声が通路内で響いた。声を発したのは、こちらへと向かってくるウミコさん。
「やれやれ、レースのことは記事にできないし、日を改めてお伺いしますよ、ウミコさん」
にやにやと気持ち悪い笑みを浮かべて男はそそくさと帰った。さっきのウミコさん迫力合ったな、あたしまでびくっとしちゃったよ。
「だいじょうぶ? 変なこと聞かれなかった?」
「え、はい…、だれなんですか? あの人、ウミコさんの知り合い?」
「まあね、いい意味での知り合いではないけど。某特社っていう出版社の記者よ。その中でもゴシップばかりの雑誌のね」
「え! まさか、あの雑誌の記事書いた人?!」
ウミコさんの中傷記事を書いたあの記者だっていうの?
「自分で言うのもなんだけど、私昔はちょっとした有名人でね。当時はマスコミにもてはやされて、私もそれにのっかってしまったのが悪いんだけど。その頃にあの人のインタビューを受けたこともあったのよ。ずいぶんと目をかけられていたみたいだから、私が落ちぶれたっていうのが気にいらないんじゃないかしら」
「ウミコさんは落ちぶれてないし、それに、そんな感情であんなこと記事にするなんて、許せないよ! あたし言ってくる」
「えっ、ちょっカケリさん?!」
まだ遠くまで行ってないはず。会場出てすぐのところに、さっきの嫌な記者の男がいた。車のほうへと向かう途中らしい。
「ちょっと、待ってよ!」
記者の男が足を止めて、こちらへと振り向く。
「ああさっきの、なにか?」
「あの記事書いたのあなたなんでしょう?」
「あの記事…、ああ、うちの本見てくれたんだ」
好きで見たわけじゃない、たまたまだたまたま。
「取り消してよ! あんなのでたらめじゃない! すぐに誌面に謝罪文でものっけて、あの記事は間違いだったってやってよ」
「でたらめだなんて、なんで言い切れるの?」
ところどころ噴きながらって態度が馬鹿にしててさらにムカツク。
「ウミコさんはでたらめって言ってたし、あたしもそう感じたからね。ウミコさんがなんで青原に来たのか知ってるの? 走りたいからだよ」
「レースのことは規制がかかっているから、記事にはできないんだよ。正直俺もレースのことにはあんまり興味なくてね、まあ仕事柄ゴシップをかぎつけちゃうわけ、そして読者もまたそういった話題を求めているからね、例えでっちあげの記事だとしても、彼女が区長の愛人ではない可能性はゼロじゃないってこと」
「そんな目でしか人を見られないほうが腐っているよ! あたしはウミコさんを信じる。あの人を陥れるような悪が許されていいわけがない」
「?なにができるというのかな? 君みたいな子供に、レースで走ることしかできない馬に。少なくとも、君より俺のほうが地位だってあるわけだし」
また嘲るような笑いを浮かべて、悔しい、ほんとむかつく。感情が走るまま、あたしの手は拳を作っていた。振り上げる、はじける感情のままに、コイツをぶん殴って――
「カケリ!」
振り上げたままあたしの拳は止まった。アイツの声に引き止められた。
「マケンドー…」
「君の飼い主が現れたよ、大人しく引き返したらどうだい」
むかつく記者男をギッと睨みつける。でもそれにはコイツをびびらせるほどの効力なんてない。勝ち誇った嫌な顔で、あの記者の男は去っていく。
悔しくて、わけわかんなくて、あたしは両頬をぼとぼとと熱いもので濡らしていたんだ。


「だいたいのことはササオ・ウミコから聞いた。本人も気にするなと言っていたし、お前が口を挟む問題じゃないだろう。もう関わるな、お前にどうこうできることじゃない」
マケンドーはそう言うけど、あたしは腹の虫がおさまらなかった。
「ウミコさん悔しいって言ってた。あたしだけでもわかってくれるだけで十分だって。ずっと我慢しているんだよ。
ウミコさんにあたしは助けられたのに、あたしは助けてあげられないなんて、悔しいよ」
「…わかった。お前はカツに連れて帰ってもらえ。あの記者には俺が話をつけてこよう」
「!? え、マケンドー、どういう」
「カケリ様、マケンドー様におまかせして、戻りましょう」
カツさんと一緒に、あたしは先に帰宅した。


後日、例のゴシップ誌にはウミコさんに関する記事の謝罪文が載せられた。マケンドーが出版元に上手く掛け合ってくれたらしい。これで少しはウミコさんが救われてくれるといいとあたしは思っていた。この時、マケンドーがどんな心境でいたかなんて、あたしは知りもしなかった。


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