「はぁー、カラスのやつー」
森の中、石の上に腰掛けて、ハヤブサは溜息をついていた。
一緒にいたはずのカラスの姿はそこにはない。ハヤブサは一人森の中でまた「はー」とため息を吐く。
「ここで待ってろなんて…、もう一体どこにいったんだよ」
とは言いながら、なにも告げずにいなくなるようなやつではないとわかっている。理由あってのことだろうとハヤブサも思っているから、ぼやきながらもここでこうしてカラスを待っていた。
ふーと息つきながら、あたりを見渡すと静かで、だれの気配も感じなかった。すぐ戻るとは言っていたが、数分では戻ってきそうにない。
「それに…なんでカラスはあんなことを…」
ハヤブサが気になっていたのは、カラスの様子。
スズメの居場所ならわかるよ。
なぜあんなことを言ったのか、わからなかった。
「ただ勇気づけるために言ったのか、それとも本当に…?」
カラスは遠くに飛ばされただろうスズメの居場所がわかっているというのだろうか。もしそうならなぜわかるのか?
「なんか、カラスって…変なやつ」


「はぁー」
ここでも溜息をつく少女が一人いた。
黒いタイツに黒いワンピースの黒っぽい髪の十五、六歳の少女。はぁーと溜息をついては顔を起こし、声を上げ、探し人の名を呼ぶ。
「ミコアイサー、どこー? 返事しなさいよー」
森の中は薄暗く、どこか不気味な空気が立ち込める。目を離したばかりに、はぐれてしまった弟ミコアイサを、ヒメウは必死に捜し歩いていた。
「まさかこんなところではぐれちゃうなんて…、ウミウたちはとっくにチョモランマに向ったっていうのに」
このままじゃとても追いつけないだろう。だからといって一人だけいくわけにいかない。ミコアイサ、まだ幼い弟は、ひとりはぐれ、寂しい思いをしているに違いない。早く探し出さなくては。
しかし捜し歩いて数時間が経過した。ヒメウは何度も溜息をついて途方にくれそうになる。
今ここに他の兄弟たちがいれば、例えば気の強いウミウなら頼もしく励ましてくれるだろう。優しいカワウなら共感して慰めてくれるだろう。幼いアイサたちだって、立派に支えになってくれる。ひとりでいることがこんなにも心細いなんて……。
いけないしっかりしなくちゃ、顔を上げてミコアイサを探すヒメウの背後から、がさがさと草木が揺れる音がした。
はっとしてヒメウは振り返る。
「! ミコアイサ!?」
ほっとしたような嬉しそうな顔で振り向くヒメウの前に現れたのは、探していたミコアイサではなく…
「じゃなくってごめん。やっぱり君か、見たことあると思ったら」
草木をかきわけてヒメウの前に現れたのは、ヒメウも覚えにある相手…カラスだった。
「なっ、あんたわ、なんでここに!?」
くわっと顔をひきつらせ、身構えるヒメウに、カラスのほうは警戒することなく普通に話しかけた。
「なんでって、君たちに飛ばされたんじゃないか」
「うっ、そうだっけ…、てそんなことはどうだっていいのよ!」
しゅぴっと手の刃を挑発するようにカラスの目の前につきつける。
「一人だからってなめないでよ!あんたごときに負けやしないんだから!」
「待ってよ、別に戦おうと思ってきたんじゃないよ」
胸の前に手を広げて、カラスは戦意がないことをアピールする。
「じゃあなんなのよ!」
いまだに噛み付いてきそうな態度のヒメウを、なんとか落ち着かせようとカラスは優しく語りかける。
「なんか困っているみたいだったから。今は俺も一人なんだ、だから安心していいよ。えっとたしか君、カワウっていったっけ?」
「ヒメウよ!ヒメウ!!」
ムキーとむきになるヒメウに、「ごめん」とどーどーとなだめるカラス。
「別になんでもないわ。ミコアイサが…弟が私とはぐれてしまって、探しているだけよ」
ぷいとなぜかそっぽをむきながら答えるヒメウ。
「じゃあ、俺も一緒に手伝うよ」
「いいわよ!一人でも平気!」
「あっそ、じゃあ俺が勝手に探すね」
とあっさりとカラスは決めて、ミコアイサを探しに森の中を歩いていく。
「ちょっちょっと」
一人ムキになっていることがバカらしく思ったのか、諦めのようなためいきをつきながら「かってにすれば」とつぶやいて、さくさくと一人進んでいくカラスを、「ちょっとー待ちなさいよー」と追いかけるヒメウだった。

「このあたりではぐれたのかい?」
ヒメウの話からミコアイサとはぐれたというその場所を中心に探す。
「うん、この辺りは危険なところが多いからって気をつけて飛んでいたんだけど…」
カラスと二人で探しても、ミコアイサの姿も存在も感じることができなかった。ヒメウの中に不安な感情がよぎり、表情も青くなる。
「まさか、危ない目にあってないわよね…ミコアイサ」
「心配だな、早く見つけてあげないと」
「わかってるわよ、そんなこと。ミコアイサー!」
こっちかも、と茂る黒い草の中へと身を乗り出すヒメウ。どこかで転んでうずくまっているのかもしれないと、そういった箇所へも目を向ける。
「ミコアイっ…きゃあ!」
「危ない!」
足を滑らせ、くぼみに落ちそうになるヒメウを、カラスが後ろから抱きとめ、難を逃れる。
「気をつけて、足滑りやすいとこあるみたいだから」
「わ、わかってるわよ! だ、だいたい落ちたところで私は平気なの! あんたなんかと違って強いんだから!」
バシッと乱暴に手でカラスを払いながら、ヒメウはカラスに背を向ける。
「だ、だいたいいいじゃないの。敵の私が怪我しようが…あんたにとってはどうでもいいことでしょ」
「どうでもよくないよ。俺は敵でも、目の前で怪我しそうな人がいたら助けてやりたいって思うよ。
それに、今は敵同士だってこと忘れてほしいな。今は君の弟を探すっていう一緒の目的があるんだし。
意地張ってる場合じゃないと思うんだ」
「い、意地って…、やっぱあんた生意気だわ」
ぷいっと顔を逸らして、ヒメウはミコアイサを探し呼び続ける。
一緒に森の中を探すカラスは、急になにかの気配を感じ取った。カラスにはなぜかそれがミコアイサだとわかった。どうしてだかしらないが、カラスには感じとれたのだ。
すぐにヒメウに伝える。
「ヒメウ、こっちだ。ミコアイサはこの向こうにいる、行こう」
「へ? えっ、ちょっあんた?!」
突然のカラスの行動に驚くヒメウ。こっちだと行って走り出したカラスの背中を慌てて追いかけた。
森の中を走るカラス、その行く先には迷いがないようで、ひたすらに目的の場所へと走っていく。
「(なんであいつわかるんだろ? でも、まさか本当にミコアイサはこの先に!?)」
半信半疑ながらヒメウはカラスのあとを追いかけた。
しばらく走ると、追いかけていたカラスの黒い背中が止まった。追いついたヒメウの目に映った光景は…。
「なっ」
ヒメウの髪がぶわりと激しく浮く。下から吹き登る激しい風。
森を抜けた先には、荒々しい景色があった。
目の前には谷があり、下の景色は強風でよく見ることが出来ない。鼓膜を破りそうなほど激しい風の音は、通常の翼では越えることが難しいほどの威力だ。
風の向こうにはここより少し高い位置に台地があるが、風の激しさでその向こう側の景色もよく見ることが出来なかった。
「すごい風。この谷だったの、年中強風の吹き荒れる谷って。うっ、私じゃとても近寄れない」
翼を広げるヒメウでも、風の中に飛び込める勇気はなかった。ヒメウがそう意見をもらした時、風に紛れて、なにか別の声が聞こえた。
「…けて…」
「かすかに声がする。まさか!? ミコアイサ!?」
「姉上!」
谷を挟んで向かい合うヒメウとミコアイサ。だが二人を隔てるのは凶器にも近い風の壁。すぐ向こうに弟がいるというのに、ここからでは会いにいけない。ミコアイサは目に涙を浮かべ、一人不安と戦っていたのだろう。
ヒメウの声が聞こえると、慌てて彼女のほうへと翼を広げて身を走らせる。
「姉上ー」
「だめ!ミコアイサ!そこから動いちゃダメ!」
ヒメウが止めるのも聞かず、ミコアイサは風の壁へと飛び込んだ。翼を懸命に動かしたが、暴力的な風の中ではムダどころか、その翼をもぎ取りそうなほど。下から吹き上げる風にミコアイサは捕らわれ、上空へと飛ばされていく。
「うわぁぁぁ」
「バカミコアイサ! あの風の中じゃ翼の力もきかないわ。バードストーンもないのに」
弟を助けようと、ヒメウも風のほうへと身を乗り出す。どんどんミコアイサの姿は高いほうへと、小さくなっていく。
「風に飛ばされちゃう、ミコアイサ」
「危ない、さがって! 君まで巻き込まれるよ」
ぐいっとヒメウの肩を掴んで、カラスがとめる。
「でもミコアイサが」
目に涙が滲む。今のヒメウはパニックだ。小さくなっていく嵐の中の弟を追いかけたいと必死で。風の中に飛び込んだところで、自分の翼ではムリだとわかっているのに。ここに他の兄弟たちがいれば、協力してなんとかなったものを。今は一人。
「大丈夫」
隣から優しい声。それにはっとしてヒメウは横の相手へと振り向いた。
「え?」
すぐ側にあったカラスの顔は、ヒメウへと優しく穏やかな笑みを向けた。
「ミコアイサは必ず俺が助けるよ。だから、ここで待ってて」
不思議とカラスの優しい声で、ヒメウの涙はひいていた。
だが、はっと気づく。カラスはヒメウよりも格下の翼なのに、なぜヒメウにも不可能なことが可能だと言えるのか。根拠のない自信はどこからきているのか。ゆっくりと前進するカラス。
「えっちょっ」
ヒメウが叫ぶ。
「あんたムチャよ!あんたなんかの翼じゃ…、だって私ですらだめなのに」
カラスは振り向かず、翼を広げ、谷へと向う。ゆっくりと遠ざかるカラスの背中に、ヒメウは叫び続ける。
「ムリよ!」
たん。カラスは地を蹴り、風の壁へと飛び込んだ。みるみる嵐の中にカラスの黒いからだが薄まっていく。
「死んじゃうよーー!」
ヒメウの悲鳴も暴風にかきけされていく。
カラスはためらいもなく、暴れ狂う風の中に飛び込んでいった。
「どうして…」
がくり、膝をつきヒメウは泣き崩れた。
暴風の中に消えたミコアイサ、そしてカラス。一人じゃなにもできないなんて、バードストーンさえあれば…、悔しさで震えるヒメウ。
「姉上」
!?
今、聞こえるはずのない声が、後ろから聞こえてきた。
振りかえると、そこにいたのは…
「どうして…」
ミコアイサを抱きかかえたカラスがいた。ヒメウは弟の名を呼び走りより、抱きついた。またまた涙を散らせながら。
「バカミコアイサ!心配したんだから!」
「姉上、ごめんなさい」
「二人とも、よかった…」
すぐそばでカラスの声が聞こえたことに、ヒメウははっとなり顔を上げた。ミコアイサを挟んで、ヒメウはカラスに抱きついていた。
「な、ななな」
うろたえながらヒメウは真っ赤な顔でキッと目を吊り上げながら、ドンとカラスの体を乱暴について離れる。そのついでにミコアイサもカラスからもぎとるようにして引き離し、今度は自分が弟を守るように抱きしめた。
「気安く触らないでよ…」
「姉上、カラスさんはボクを助けてくれたんですよ」
赤くはらした目でヒメウを見上げながらミコアイサが告げる。純粋な弟の目に見つめられながら、ヒメウはもごもごと数回口元を動かしてから、照れくさそうに「たすけてくれて…ありがと」とカラスに言った。
「ううん、俺こそ、信じてくれてありがとうヒメウ」
「わ、私は別に信じてなんて」
怖くて動けなかっただけなのに、と心の中で己の弱さを悔いた。
「…今回限りだから…、勘違いしないで! 私たちはサイチョウ様を裏切らない! 私たちは敵同士よ、今度会うときは!」
「うん、わかってる。心配しなくても恩着せるようなことはしないよ。でもさ、やっぱり俺は…、君たちとは友達として出会いたかったな」
優しげに切なく微笑んでカラスはヒメウたちに別れを告げる。
「今度会うときは敵同士」自分で言ったことなのに、引き止めたい想いがヒメウの心の奥底にあった。
遠ざかっていくカラスの背中を、ただじっと見送った。他に言いたいことがあったはずなのに、ヒメウには言えなかった。
「ねぇ、姉上、あの人いい人ですよね」
「なんで? 敵なのよあいつは!」
ぐわっと迫るような顔つきでヒメウは弟に言い聞かせようとする。
「でも敵であるはずのボクを助けてくれました。自分の危険も省みないで。カラスさんが嵐の中助けに来てくれて、優しく声をかけて抱きしめてくれた時、ボクすごく安心したんです。あんな風に優しく抱きしめてくれた人、姉上以外ではじめてでした。…なんでボクたち戦っているんでしょう?」
「なんでって?平和の為でしょ!サイチョウ様とともに真の平和を手に入れるために戦っているの!
わかった?あんたってこは。今度そんな疑問はいたら許さないからね」
強い口調で弟をたしなめるヒメウだったが、ヒメウの心にも迷いがあった。
「(でも…サイチョウ様のことがなければ…私は…きっと…)」
芽生えたばかりの淡い恋心、ヒメウはかすかにそれを自覚しながら、否定しなければと誓った。


「カラス! 君はいったいどこにいってたんだ!?」
カラスを待ちわびていたハヤブサに叱られて、カラス今度はハヤブサをどーどーとなだめつつ「ごめん、ずいぶん待たせちゃって」と申し訳なさそうに謝った。ずいぶんと待たされたハヤブサだが気のいい性格でもあり「もう」の一言で彼を許した。
「なにかあったのかと心配したぞ。君だけじゃない。私はスズメたちのことも心配なんだ」
同じ仲間で幼馴染のカラスも、スズメのことは心配しているのが当然だ。しかしカラスは妙に落ち着いている。それだけでなく、気になっているのは、カラスのあのつぶやきのこと。
「ところでスズメの居場所知っているってカラス言ってたよな。一体スズメはどこにいるっていうんだ?ほんとにわかるのか?」
「もう近くまで来ているよ」
ふいとカラスは顔を動かして、彼が感じることのスズメがいるとされる方角へと目を向ける。がハヤブサにはその先にスズメの姿を見つけることは出来ない。やはり不審な顔でカラスに訊ねる。
「ねぇカラス君さぁ、なんでスズメのこと離れているのにわかるんだい?」
「なんでだろう?」
そう言ってカラスは少し考え込むような、そして懐かしいものをたどるような顔になり語る。
「そういえば、スズメとは幼い頃からずっと一緒に育ってきたから、こんなに離れたのは初めてかもしれないな」
みなしごのカラスはスズメとはクジャクのもとで兄弟のように仲良く過ごしてきた。クジャクからヒバリのもとへと移っても、変わらず側にいた。
日鳥国から供としてスズメとは一緒に旅をしてきた。テエンシャンでライチョウに会いに行く時などは一時離れもしたが、ここまで離れて行動することはなかったのだ。
カラスがスズメに感じる想いは、親しさだけではないのだろう。
今なんとなしにだがカラスはわかりはじめた気がしていた。自分とスズメが出会ったことはただの偶然ではないのかもしれないと。
「だからなんかどこかで通じ合っているみたいな…。最近特に感じとれるような気がしてきて、それがなんなのか今はまだよくわかんないけど」
顔を上げ、カラスはまっすぐな眼差しで目の前のハヤブサを見つめて答える。
「俺はこれからもスズメのそばにいる。そのうちそのこともわかってきそうな気がするし。それにクジャク様にスズメのこと任されたし誓ったから。
スズメのそばにいて、守ること。それこそが俺の使命だと思うんだ」


「なんだろう、この感じ…。心の中にあいた空間を少しずつ埋めていく。あったかくて優しくて懐かしくて…、ほんとうの自分を取り戻せるような…、そんな気がする」
突然走り出したスズメを慌ててタカが追いかける。
「おい、またかよ! 待てよスズメお前な、どこいく…」
迷わず走り出すスズメ。わからない、不思議な感覚に導かれるままスズメは足を走らせる。
森の中を、次々と流れていく景色。少しずつ少しずつ、スズメは近づいていく。
「おい、スズ」
追いついたタカがびくっと立ち止まる。
またタカと相対するように立っていたハヤブサも驚き固まる。
自分で走り出したはずのスズメも、現状に驚きの顔で立ちすくんでいた。
ただひとりだけが、落ち着いた様子でそこにいた。
「待っていたよスズメ」
スズメが今ここにやってくることを予測していたように、カラスは穏やかな笑みでスズメを迎えた。
「…カラス!」



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