ウミウたちの技によって、ワシを除くスズメたち一行はケツァールの城より遠い場所へと飛ばされてしまった。
それぞれが別々の場所へと、その行き先は飛ばされた本人も、技をかけたウミウたち自身もわからない。
考えて動いたわけではなかった。その時は感情のままに、タカはスズメへと手を伸ばしていた。
あの強い眼差しの少女が、あの瞬間力なく崩れていく姿に映ったから。
「消えるな!」
薄らいでいくその姿に、感じた気持ちは恐れなのか、それとも使命なのか。


わけのわからぬ技を受けて、気持ち悪さに呻いていると、目が回転するような感覚のあとで、今の自分が置かれている状況に驚かされる。
「う、ここは…」
タカは瞳が乾きそうなほどの風を受けて顔をしかめた。いや目が乾くなんてものでなく、しっかりと踏ん張らないとよろけてしまいそうなほどの風の強さ。
城内の景色から一変し、そこは屋外で、眼下には荒野が映る。ここがどこかはわからないが、今タカが立っているのは崖の突き出した岩の上。風を遮るものはなくむき出しのタカを風が打ち付ける。
「!あれは」
タカより十メートルほど先の同じような岩の上にうつ伏せたまま動かぬ者がいた。それがスズメだとタカはすぐに気づく。
気を失っているスズメに打ち付ける風が、彼女の髪や衣服を激しく揺らしている。時折強まる風でスズメの体は少しずつ傾いていく。
「おい!」
タカはスズメのもとまで飛んで、声をかけるがまったく目覚める気配がない。舌打ってタカはスズメを抱きかかえた。ここは場所が悪すぎる。周囲をざっと見渡したが、どうやらこの近くに自分とスズメ以外の連中はいないようだ。つまり、スズメを守れるのはタカしかいない。
せめて崖下まで移動して、とタカが翼を広げて飛び降りようとした。ふと胸元にあるスズメの顔を確認したが、その顔は力なく目を伏せたまま。不安な感情がよぎり、そのすきをつかんとばかりに強風がタカたちに襲い掛かる。風に自由を奪われて、タカは崖岩に激しく打ち付けられる。それでもとっさにスズメを庇おうとして、己の翼で岩にぶつかるように動いた。
「ぐぅっ、くそっ」
苦痛に顔を歪めながらも、タカは己の今の使命をまっとうしようとなんとかこらえて、すぐに翼を動かして崖下へと降り立った。
風のこぬその場所に、ゆっくりとスズメを仰向けに寝かせると、タカは翼をしまいスズメに呼びかけた。
「おい、チビ! 起きろ」
スズメの瞼はまだ固く閉じられたまま、体もぴくりともする様子もなかった。
「…まさか、このまま…なんてことねぇだろうな…」
じわりといやな汗が肌から滲むのを感じながら、タカは固く閉じられた眼の少女を不安げに見下ろした。


どうしてだろう。
あたしもあの人たちも、同じに平和を望んでいるのに、どうして戦わなきゃならないのかな?
真っ暗闇の世界の中、スズメは力ない眼差しのままそのことを考えていた。
脳裏によぎるのは、ベニヒワの言葉や感情。ウ姉妹たちもそうだ。彼女たちも兄弟のために、この世界を救いたい想いで戦っているのだろう。
信じているものが違うから?
スズメの前にゆっくりと現れる映像は、彼女が慕う道しるべ…聖人ライチョウ。その対に現れるのは、まだ見ぬ敵の頭サイチョウ。サイチョウを象徴するシルエットがライチョウと対立するように向い立つ。
だから、戦うの?
わかっていたことなのに、なぜいまさらそのことに悩むのだろう。心が揺れるのだろう。正しいと信じて突き進んできたというのに。
大切な人を守るため、ひいては世界を救うことになる。サイチョウのやり方は暴力を用いてでもこの世界を統べるという強引な道だ。結果それが平和のためといえども、その過程でどれだけの者が傷つくことになるのか。
時間がないのだと言っていた。世界を救う為には、強引なやり方でも進めていかねば間に合わないと。
しかしそれでいいのだろうか?
ベニヒワたちの中には、争いによって傷ついた心があった。愚かなものたちは消えてしまえばいいと、そう願う想いがあった。
それは違うよ、そんな考え間違ってる。
スズメはそう強く否定したが、否定の言葉は彼女たちには届かない。
願うことは同じだけど、同じじゃない。
戦うしか、ないのかな?
またその疑問が己を支配してきて、不安にぶれるそれから助けてほしくて、スズメはその相手【ライチョウ】へと手を伸ばす。
だが、暗闇の中にとけていなくなったライチョウを掴むことなく、手は空をかいた。
あたしは、…本当の心は…?
ゆっくりと闇の中を歩むスズメの前に、今度現れたのは、金髪の少女。
カナリア…ちゃん…?
今は自分と一つになり、翼とともにあるもう一人の自分。だけどカナリアは、ある部分で頑なに自分を拒んでいる。
カナリアへと近寄るスズメに、両手を突き出して、拒絶を表すカナリア。
『だめ。こっちに来ては…。今は、お願い…今はまだ…』
それ以上先へとは進ませてくれない。ここは、ああそうだ。ここはスズメ自身の世界。
己をこれ以上進ませてはくれないカナリアに、スズメは不思議そうな表情でカナリアを見つめた。
カナリア?…どうして…?
スズメは背後からだれかに呼ばれた気がして後ろを振り向いた。その時はカナリアのほうへと向おうという思いは失せて、とにかく呼ぶほうへと戻らなくちゃと思い、カナリアに背を向けた。


「おいっ!」
暗闇がはれた先にいたのは、不安げな眼差しで自分を見下ろしている「…タカ?」
スズメは目を覚ますと、すぐに上半身を起こした。きょろきょろと首を回しながら、スズメは今の状況を確認する。
「ここは? 他のみんなは?」
今周りにいるのはタカだけ。場所もぱっと見たところ、見覚えのない場所だ。タカに問いかけても、タカも現状の把握はろくにできていなかった。正直スズメが目覚めるまで気が気でなかった。ここがどこなのかや、仲間の安否の確認などできるはずもなかったのだから。がそんな気持ちを察せられるのはイヤなので、無愛想に腕組してそっぽを向いた。
「ここがどこかはわからねー。他の連中がどうなったかも」
「そっか…」
タカの返答に特別反応するでもなく、溜息ながらにスズメはそうつぶやいた。
「結局バードストーン手に入らなかったね。一つはハヤブサさんが持ったままだし…」
スズメが持つのは、ツバメより渡されたバードストーンの壷のみになる。ケツァールの城からバードストーンを入手するという目的は果たせなかった。
「どうしたらいいんだろ…」
「ここがどこかもわからねーしな。とにかく動くしかねぇだろ」
立ち上がり、そこから移動しようとタカは動いたが、スズメの動く音がなく、彼女へと振り返ると、スズメはまだ座り込んだまま動こうとしなかった。
「おい! 聞こえなかったのか?!」
タカの声にハッとしてスズメが立ち上がる。
「あっ、そうだね。みんなを見つけないと。それに、バードストーンも…」
「フン、ぐずぐずするならほっといていくからな。とっととこいよなチビ!」
「チビ?」
乱暴な物言いでスズメを促すタカに、スズメがぴたりと立ち止まり、ぴくりと眉を動かす。
「ちょっと、チビってなによ? あたしの名前はスズメよ」
先ほどとは違いスズメの口調に強さが混じったことをタカは感じる。ぴたりと足を止め振り返り、眉を吊り上げ負けじと強い口調で言い返す。
「ふん、チビにチビと言ってなにが悪い?」
「む、ああそう。いいわよ、ならあたしだってあんたのことバカって呼ぶからね。このバカバカ!」
「な、だれがバカだと?! このっっ」
「イヤでしょ? だったらチビって呼ぶのやめてよね。あたしだって仲間をバカなんて呼びたくないもの」
口をへの字にさせながらスズメはそう言った。「ちっ」と仕方なしに舌打ちながらタカは背中を向けて小さく「わかった」とつぶやいた。
タカとのやりとりでいつもの元気なスズメに戻ったようだったが。タカの後ろを歩くスズメの顔にまた影が落ちる。それはスズメ自身にもまだよくわからない得体のしれない不安な感情。
「(なんだろう。この感じ。なにか心の中にぽっかり穴が開いたみたい。なんでこんなに落ち着かないんだろう)」
スズメは心の中でそれを知っているかもしれない相手に問いかけた。
カナリア…あなたは知ってるの?


「はぁー。ずいぶん遠くに飛ばされたようだ」
木々の間から覗く空を溜息ながらに仰ぎながらハヤブサがつぶやいた。
ウ姉妹たちによって城より離れた場所に飛ばされたのはハヤブサも同様だった。そこは森の中、どこの森かはまだわからないが、見慣れない景色にケツァールの城やテエンシャンから離れた場所であると推測した。
頭を抱えうんざりした様子のハヤブサだが、彼女は一人きりではなかった。偶然同じ場所に飛ばされたカラスと行動をともにしていた。
「スズメたちはどうしているんだろ? なあカラス」
スズメたちの現状を案じるハヤブサ、カラスも自分と同じようにスズメのことを心配しているのだろうと思った。
「カラス?」
数メートル先で、どこか一点を見つめたままなにか考え事をしているようなカラスの背中にハヤブサは呼びかけた。
「スズメの居場所はわかるよ」
「え?」
背中を向けたままカラスはそう答えた。カラスの言動に一瞬言葉を失ったハヤブサは数秒してカラスに異変を感じていた。
「カラス? 君は一体……?」
首をかしげながらも、ハヤブサは不思議なカラスのあとを追いかけた。



チョモランマへと降り立つ黒い翼の男。長い黒髪を後ろで一つ括りにした厳しい顔立ちの中年の男。その男はオオハシ。ケツァールの城で若者達にバードストーンを配り、すぐにここチョモランマへと戻って来た。
チョモランマの天候は荒れ、空は黒い雲が不気味に蠢いている。また悲鳴のような風の音が城の外で響いている。
チョモランマへと戻ったオオハシを出迎えたのは、意外な相手であった。
「これはこれはだれかと思えばオオハシ殿。ずいぶんと早いおかえりで」
少し高い青年の声色。城へと入り自分を出迎えたのは、己と対を成す立場といっていいその相手…。
「ブッポウソウ」
オオハシにブッポウソウと呼ばれたのは二十歳そこそこに見える細身の青年。さらっとした髪に白い肌、小さく先の尖った耳はあまり目にすることはない少数の民出身と思われる。丸い眼鏡を片手で持ち上げながら、身に纏うコートは分厚い生地で動きにくそうに見える。逞しい肉体のオオハシとは両極にあるような、力のなさそうなか弱そうな体つきの青年だ。男らしさというものは欠片も感じられないほどのその青年が、ここチョモランマでサイチョウに継ぐポジションにいる男ブッポウソウだと瞬時に悟るのは難しいであろう。
しかし翼の力とは見た目だけでは判断できぬもの。ブッポウソウが油断ならない恐るべき翼であると、オオハシはよくわかっているつもりだ。仲間とはいえこの男にはすきを見せる瞬間があってはならないのだ。
眼鏡の奥に映るつり目がちの切れ長な目は、鋭い光を放っている。口元には笑みを浮かべているが、オオハシはブッポウソウの笑顔ほど不気味なものはないと感じている。だから向こうが常に笑顔でも、こちらは厳しい表情のまま。
表情を変えることなくオオハシは目の前の相手にと向かい合う。
「お前が出迎えとは珍しいことだな」
オオハシのそれに、「ふっ」と生意気そうな笑みをこぼしながらブッポウソウが「そのつもりではなかったんですがね」
偶然ですよ。と答えた。くいっと眼鏡を直し、ブッポウソウはキラリと目を光らせて、オオハシに伝えることは…
「ついにナイルルも落ちましたよ」
「なに?あの大国が!?」
思わず驚きの声を上げてしまったオオハシ。ナイルルといえばブッポウソウが担当する西エリアで最大の国。ナイルルが落ちたのなら西エリアはほとんどサイチョウに屈したといってもいいだろう。
驚きの声を上げたオオハシだったが、冷静を取り戻せば、ナイルルが落ちた事実、信じられないほどの事件ではないのだとわかる。
「ええさすがに、他と比べて時間はかかりましたがね」
くすりと笑みをこぼすブッポウソウには謙遜などない。表情から自信がこぼれているほどだ。
「フン。お前の隊の卑怯なやり方なら、驚くことはないな」
嫌味のつもりで吐いたセリフも、ブッポウソウは褒め言葉として受け取り、自信ありげの表情は崩れることはない。
「ふふ、それは当然ですよ。私の部下は非常に優秀ですからね。もちろん私あってのことですが。ペリカンにガチョウ、ケツァール…東にはろくな将がいないようで、オオハシ殿も苦労をされている様子で。
っと、ガチョウもペリカンもあなたの頼りになる部下でしたっけ? くす失礼、それにケツァールはたしかあなたの…」
「ブッポウソウ!」
ブッポウソウの失礼な物言いにオオハシも口調を荒げ怒りの顔になる。「おっと失礼」と悪びれた様子なくブッポウソウは肩をすくめる。
「残る国家は日鳥国のみ。いつでもつぶせる小国なのに、サイチョウ様はなぜ…」
まあ私の担当じゃありませんが、と目を細めてブッポウソウは疑問をつぶやいた。
「ああ、そういえばオオハシ殿。少し前にあなたの甥が探していたようですよ」
「ダチョウがか?」
ダチョウはケツァールの城にいるはずなのだが、自分がそこに行った時にダチョウの姿は目にしなかった。
「あっおじさん!」
オオハシの姿を見つけ、ダチョウは嬉しそうに駆け寄ってくる。興奮した声でダチョウは「見てくれよ!これ」とオオハシの前で力んだダチョウの背には雄雄しい翼が現れた。
「俺もついに翼を手に入れたんだ!おじさん、これでやっと俺もおじさんと一緒に」
興奮のまままくしたてるダチョウ。ダチョウの顔には喜びと自信が溢れていた。長年翼を持てなかったダチョウ、最大のコンプレックスであったそれを克服したことでダチョウの興奮は最高潮だ。
「ダメだな」
オオハシは厳しい面持ちのまま、そう告げた。褒めてもらえると、喜んでもらえると思っていたダチョウは「え、なんで」と不安な顔になり問う。
「まだだめだ。そんな翼では。来い!ダチョウ鍛えてやる。最強の翼を目指さねば、一人前として認めてやることは出来んぞ」
「わかったよ、おじさん!」
ギッと強めた表情でダチョウは返事してオオハシへとついていった。


崖下を離れ、移動していたタカとスズメ。周辺には集落も見当たらなく、ここがどこであるのかまだわからずにいた。自分の数メートル後ろを歩いてくるスズメが一言も発さず元気を感じない様子にタカは気になっていた。
立ち止まり振りかえると、スズメは黙ったまま、なんの合図もなく翼を広げた。
「お、おい?!」
「いかなきゃ」
それはタカに対してではなく、独り言のようなつぶやきで、スズメは突然空へと舞い上がり、どこかへと向う。
「ちょっ、おい待て!」
慌ててタカは翼を開いてスズメの後を追いかけた。
「なんなんだ、急に」
スズメの行動が理解できず、だがこのままほおっておくわけにもいかず、ただ後を追いかけた。
どうも様子がおかしい。もし仲間を見つけたというのなら、そうだと教えてくれるだろう。今のスズメはいつもと違う。タカの知る限りのスズメならこんな行動をとらないんじゃないかと思いながら。
「おい待てよ!どこに行くつもりだ?!」
大声で呼びかけても、スズメはそれに反応しない。向うべき場所がわかっているのか、前を向いたまま飛んでいた。
やがてスズメの目にある景色が映り、はっとしたようにスズメはそこへと降り立った。スズメのすぐあとにタカもそこに着陸する。
森の中にぽつりとある荒れ果てた地。むき出しの土に、ところどころ古びた木片が埋まっていた。
きょろきょろとあたりを見回して、スズメは不思議な表情で「ここは?」とつぶやいた。
「以前村があったんだろう」
答えたのはタカ。
「村…」
再び首を回してきょろきょろと周囲を見渡すスズメ。
村のあった痕跡。よく見れば家屋であったと思われる木片の数々。だがそれも朽ち果て、そこに人々の息吹をその向こうに感じることも難しい。なにもない。なにも…。音もなく静かに、風の音だけが聞こえるだけ。
「戦争かなんかで滅んだんじゃねーの? なんにしてもこんなところに用はねーだろ。いくぞ」
ここにはなにもない。タカはすぐにここを立ち去ろうと促したが、スズメは「ううん」と首を横に振り留まる。
「何か感じるの。だれかの強い…強い気持ちが…、この近くに残っている…」
何もない空を見上げて、スズメの横顔は切なさを帯びていた。
「あたしのこと呼んでる気がする。…ごめん、もう少しいさせて」
ざっと地面を蹴る音がスズメの後ろから聞こえた。それは遠ざかるでなく近寄るように鳴った。
「しょーがねぇな。少しだけなら付き合ってやるよ」
スズメの片手をぎゅっと包み込む暖かいもの。反射的にスズメは振り向き、自分の手を握ってきた相手を見つめる。
「タカ?」
行動の意図を問う眼差しに、カッとなりながらタカが発したのは……
「お前怖いんだろ?! おばけとかでたら!?」
「(怖いのはお前のほうだろ)」
真っ赤になりながら言い訳るタカを見ていたら、そう素直につっこむのも哀れなようで、スズメはつっこまないであげた。
前を向いてゆっくり歩き出したスズメは、握った手の振動から、タカが震えていることに気づく。
タカのほうを振り返らないで歩きながら、スズメはワシの話を思い出していた。
ワシから聞かされたワシたち兄弟の過去のこと。
「(そうか…、タカのいた村も幼い時に……。覚えているんだ、恐ろしかったこと、辛かったこと……。
世界中でたくさんの国や村が戦で滅んで……。
だからタカみたいな子がたくさんいるんだ。あたしの気づかないところでいっぱいいっぱい傷ついている人がたくさんいる)」
ぎゅっと胸を締め付けるその想いに、スズメは強く言い聞かせるように誓う。

あたしが救わなきゃ…、救世主なんだから、唯一人の…、世界で唯一人の光の翼だから。
この世に一人でもあたしのことを信じてくれる人がいる限り……
あたしは戦ってゆける!
そう、あたしを……、必要としてくれる人が一人でもいてくれたら……。

はっとスズメが顔をあげる。視線の先には、その背に翼を宿した男が一人立っていた。なにもないこの荒れた地で、一人立ち尽くす男。
背を向けていた男は、スズメが呼んだでもなく、それでも呼ばれたかのようにこちらへと振り向いた。
生気のない目がゆっくりとスズメに向けられる。息を呑みスズメは固まるように立ち止まる。
「! あんたは…コンドル?!」
スズメの手を離し、彼女の前に身を乗り出しながらタカは目の前の相手に向って叫ぶ。
「タカ…知り合いなの?」
「どうしてあんたがここにいる?!」
目の前の相手に驚きの顔を見せながら問いかけるタカ、タカに反してコンドルと呼ばれた男は表情を揺らすことなくじっとこちらを見据えている。
少ない頭部の毛に、ほとんどない眉のせいか無表情がさらに冷たい表情にうつる。タカの呼びかけに、口元を動かしもしない相手にタカはギリっと苛立ちで歯を鳴らす。
「オレを忘れたのか?! 昔チョモランマで…」「あの時の小僧か…」
「!」
初めて男が口を開いた。男はどうやらタカを覚えていたらしい。自分を覚えていてくれたということに一瞬安堵の顔を見せたタカだが、すぐに厳しい表情で同じ質問をぶつける。
「どうしてここにいるんだ?!」
敵意にも似た警戒の気を放ちながら、タカは再び問いかける。目の前の相手はタカの知る相手、だが、翼の者は、チョモランマにいたコンドルは、今の自分にとっては敵対する存在。
「…久方ぶりだな、小僧。…光の翼には会えたのか?」
タカの問いかけには答えず、男はタカに質問でかえす。
「…あ、ああ」
コンドルを見据えたままタカはぎこちなく答えた。
「タカ…」
「そうか。…ほんとうに会えたというのか?」
冷たい目でタカを捉えたまま、疑いを向けるような低く慎重なコンドルの問いかけ。
「う、…ああ」
「どこに? どこにいるというのだ。ほんとうならば、目の前に連れてきてみろ」
「なっ!」
冷めた声色だが強さを感じるコンドルに圧せられ、タカはじりっと後ろへと押される気を感じ尻ごんだ。
「あたしよ」
タカの前に進んでスズメがコンドルへと名乗り出る。
「おっ、おい!」
タカがスズメの名乗り出に汗を浮かべて声を発する。コンドルの様子がおかしいことにタカは警戒していたのだ。昔会った時も、表情も言葉数も少ない男だったが、今のような冷たさはなかった。光の翼の話をしたときのコンドルは、不器用にもわずかに笑みを浮かべた、優しい男だったことがタカの記憶にある。
今のコンドルは、あのころとは違う。そう感じたからタカは戸惑いながらも、コンドルに歩み寄ることはできないと判断した。
「娘、お前が…光の翼?」
「そうだよ、あたしが光の翼だよ」
ざっとスズメが数歩コンドルへと歩み寄る。冷たい目を向けたままの、翼を広げて立っているその男へと近寄るスズメ。警戒心なくコンドルへと向うスズメの前にタカが走りその進路を塞ぐ。
「近寄るな!そいつはっ」
スズメの前に庇うように立つタカへと、コンドルは非情な撃を放った。
「ぐわぁっ」
「タカ! なにするのよ」
苦痛に呻くタカを背後から支えようとするスズメを、翼を広げ片手でそれを拒みながら、タカはコンドルへと戦意を見せる。
「こいつは、敵だ! オレが倒す」
ギン!と鋭くコンドルを睨みつけて、タカは地面を蹴り上げ突進する。その位置からミリも動かずコンドルは向ってくるタカを受ける。
タカの拳をコンドルは拳で受け止める。ゴッと鈍く内から砕かれるような衝撃にタカの表情は激しく歪む。
もう片方の拳を放つがそれもコンドルの拳に止められる。間近にあるコンドルの顔、冷たく自分を映す冷たい両目をタカはギリリと熱い戦意で睨む。
「小僧、なぜ俺に牙をむく。あの娘を守るためか?」
「それだけじゃない、あんたがむかつくからだ!」
翼にさらに力をこめて、タカは顔面からコンドルへとぶつかろうとする。タカの頭突きを額で受けながら、コンドルも反撃で激しくタカを打ちつけた。
「がはっ」
体をのけぞらせてタカは倒れる。ミシミシと翼が軋む音がした。岩にぶつかった時に痛めたのと、コンドルの攻撃で激しく痛みが襲い掛かった。
「タカ!」
駆け寄ろうとするスズメに、よろりらと身を起こしながらタカはそれを拒む。
「来るな! こいつは、オレが…」
体をガクガクと安定ならない動作で立ち上がるタカ、肩は上下し、翼にもダメージを受けた状態でも、コンドルに向ける戦意は失せていない。
どうして、よろよろで敵わないと察しているだろうに、この少年は己に歯向かおうとするのだろうか?
「小僧、お前はなにを信じている? その娘か? 己の力か?」
「それだけじゃない、オレが信じるものは…」
タカの原動力となっている力は、兄ワシへの想い、それからハヤブサへの負けたくない気持ち…それから…
「昔のアンタだ、コンドル! アンタこそなんだ? なにを信じてオレと戦ってるんだ?」
よれよれながらもタカの気迫は衰えなかった。難なくタカの攻撃を受け止めながら、コンドルは少しの沈黙のあと、タカのそれに答える。
「俺は…、信じていない、何も」
「ウソ…」
コンドルのそれが聞こえたスズメは小さくつぶやいた。出会ったばかりでこの男のことをよく知るわけでもないのに、スズメにはコンドルの言葉が心の底からのものではないと思っていた。
コンドルの容赦ない打撃にタカはついに気を失った。俯いたコンドルはまたつぶやく。
「信じていない、…だれも」
言い聞かせるような呪文のような響きで、そうつぶやいた。
「うそ、だよ」
小さく響く少女の声にコンドルが顔を起こし、彼女へと視線を向けた。コンドルの翼はいまだ開いたまま、戦意は閉じていない。
冷たく閉ざされたような瞳。誰もその先に進ませようとしない、寂しい両の目。
「なぜ、そう思う」
「あなたが、あたしを呼んだの?」
疑問系であったが、確信があった。スズメは自分を呼んださきほどの存在はこのコンドルなのだと思えていた。
「俺がお前を?なぜそう思う?」
「だってそう感じたから…。光の翼を呼ぶ心の声が聞こえたから…、とても、とても寂しい声が」
「光の翼?お前がそうだと言うのか?」
「そうよ」
「…そうか…」
コンドルが目を伏せる。スズメが光の翼だと納得したのか?
「ならば、見せてもらおう!」
一変カッと見開くコンドルの目。さらに広がる翼、振り下ろされる腕から放たれたいくつもの風の刃が横たわるタカへと襲い掛かる。体が浮き上がり、無防備なタカを何度も斬りつける。
「タカ! なにをするの?!」
タカを包むように放たれ襲い掛かる風の刃に、スズメがタカを掴もうと手を伸ばす。
「やめっ、つっ」
スズメの手を切りつけ、鋭く細い切り傷がいくつも滲む。スズメがタカに近づこうとするほど、その刃は激しく斬りつけようと襲い掛かってくる。
なんでこんなことをするの?
「そいつを助けたければ、光の翼の力を使えばいい。お前が光の翼ならば、救えるはずだろう」
スズメはキッと顔を上げコンドルへと挑戦的な視線を向けた。
どうしてこんなことをする?コンドルは。スズメを試そうとしているのか?
「コンドル」
手の血を払って、スズメは翼を広げると風の刃に包まれたタカへと飛び込んだ。容赦なく襲い来る刃にスズメは飛び込んでいく。翼を広げ、その奥から弾けてくる様な力。
「あたしが救いたいのは、タカだけじゃない。コンドル…あなたのことも…」
冷たい目、だけどその心の奥底では震え泣いている様な。スズメにはそれが見えた。コンドルの孤独を、向う場所を求め彷徨っている迷う気持ちを、光の翼に救いを求める声を…。
風の刃ははじかれ、跡形もなく消え去った。光り輝くスズメがタカを抱きゆっくりと地面に降りる。タカは気を失ったままスズメの光に包まれ、地面へとそっと寝かされた。タカを寝かせて身を起こした光の翼のスズメはコンドルへと目を向けた。
光り輝く少女、挑発したはずのコンドルは今の光景に驚き声をなくしていた。見開いた目は揺れ、動揺しているのがわかる。
スズメと目が合い、光の中で揺れながらスズメはにこりと優しく微笑んだ。


「コンドル」
自分を呼ぶ声。コンドルは振り返る。そこにいたのは、コンドルにとって親同然ともいえる人。
「長老」
眼鏡をかけた老女は杖をつきながらコンドルへと近づく。
「またここにいたのかい」
長老の言葉にコンドルは寂しげな顔をその場所へと向ける。そこは古びた小さな家屋。もうそこに住んでいる者はだれもいない。その家の主はもうこの世にはいないのだ。
「俺はここで生まれたんだって。でも母さんも父さんも俺が赤ん坊の時に亡くなって……」
コンドルの両親が住んでいたそこで、コンドルは生まれたのだという。記憶のない赤ん坊のときにコンドルは両親を亡くし、長老に引き取られ大きくなった。
「十一年前ここで産まれて、この石を手に持って」
コンドルは手の中の石をぎゅっと見つめた。不思議な輝きを放つ石、なぜ自分はこんなものを手にして産まれてきたのだろう。
「長老前言ってたよな。光の翼の話」
物心つくころから長老からお伽話のように聞かされてきた。
「聖人ライチョウ様がいった世界を救ってくれるっていう…光の翼の女の子のこと。
本当に現れるのかな…。そしたら…」
そうしたら……。遠い眼差しで見上げた空、そこにはなにが見えていただろう。あの時はなにを見ていたのだろう。

異様な臭いに非常を伝える音。ぼんやりと石を眺めていたコンドルも異変に気づき外へと飛び出した。
「長老!?」
「コンドル!早くお逃げ」
キーンと響くような長老の声はいつもと違った。慌しい空気、すぐそばまで迫っている危険をコンドルも本能的に察知した。
「なにがあったんだ?長老」
「メソポ族が襲ってきたんだよ。さっ、早く逃げるんだよコンドル」
はっとしてコンドルは周囲を見渡した。暴れ狂う野蛮なメソポ族に襲われ悲鳴を上げ倒れる村民。火が放たれ、木造の家屋はみるみる燃えていった。
「あ…ああ…」
コンドルはふらふらと炎へと歩いていく。飲み込まれるような不思議な感覚のまま危なげな足取りで炎へと向う。
このまま炎に飲み込まれたら、そばにいけるかな?父さん…母さん…
「危ないコンドル!」
ドンと体を弾かれ、コンドルはなにが起こったのか一瞬わからなかったが。
身を飛ばされ、地面で体を擦りむきながら、体を起こしたときになにが起こったのか気づいたが、もう遅かった。
崩れていく炎に壊された巨木に長老が飲み込まれていく。
「ちょ長老ーー」
炎の音にかき消されていく。大切な人を目の前で失い、声を張り上げて嘆いた。
いやだ!俺をひとりにしないでよ!
そのあとの記憶はあいまいだ。
どうやってかしらないが生き延びた。気がついた時には、村は焼け野原で、すべてが破壊されつくしたあとだった。乾ききった涙が皮膚に張り付き、すす焼けた肌のにおいの不快感などどうでもよかった。

村民で俺一人が生き残った。
生きていたって一人ぼっちなのに…。

救世主なんていやしない。
救ってくれなかったじゃないか!
これからなにを信じたら…、なんのために生きたら…?

「ずっとそれを考えて生きてきた。だがなにもわからないままで」
うな垂れるコンドルは、スズメに自分の悲しい過去を語り、今の心を打ち明ける。スズメは静かにコンドルの言葉を聞いていた。膝をついて見上げる悲しい男の目を見つめながら。
「復讐も…誰かを救うこともできないで、俺はただ生きていただけだ。
これからなにをすべきか…教えてくれ」
コンドルは目の前の先ほどまで光っていた少女へと、救いを求めるように声を震わせた。
スズメは困ったように眉を寄せて答える。
「ごめんなさい。あたしもまだよくわからないんだ。みんなはあたしを光の翼の救世主だって言うんだけど…。
あたしもみんなを救うためにサイチョウを倒すって誓って…、誓ったくせに別の誰かの言葉で迷いもあったりして…。今でもわかんないこといっぱいで、サイチョウとか、鳥神とか、何考えているのかわかんないし。
本当にあたしが世界を救えるのかもわからない。
でも……」
すくっと立ち上がり、スズメは優しい笑顔になり手を広げる。
「信じているから、がんばっていける。みんながいてくれるから、怖くない。答えだってそのうちでてくるはずだよ。
コンドル、あなただって、本当は信じているものがあるんでしょう?」
顔を上げコンドルはゆっくりと瞬きをして、なにかを思っていた。
スズメはタカを抱き上げ呼びかける。
「タカ、大丈夫? 起きて」
タカの傷は、スズメの力ですっかり癒えていた。そして「ううう」と呻いて目を覚ます。
「うわぁぁ!」
大げさに悲鳴を上げて仰け反り、タカはしりもちをつく。
「なによ、失礼ね」
「いっ、いきなり脅かすんじゃねぇ! 近すぎるじゃねぇか…」
なにかもごもごと赤面して口ごもるが、すぐにはっと顔をコンドルへと向け、緊張した面持ちになる。
戦意を向けるタカをスズメがもういいから。ととめる。少し混乱が収まると、コンドルの背から翼が消えていることに、タカも相手の戦意がないことに気づいた。
「光の翼の少女、お前に渡すものがある」
なにかを決意したコンドルが、スズメのほうへと歩み寄る。ぐっと固く握られた拳がゆっくりとスズメの前に突き出される。
「これを」
スズメの目の前で開かれた掌には、キラリと輝く一つの石がある。
「あ、それは」
スズメはコンドルの掌の上の石を受け取り、その目で確認する。
「バードストーン」
こくりと頷きコンドル「お前ならば、それを使いこなすことができるだろう」
「でもいいの?これはあなたにとって…」
大切なものじゃないのかと問うスズメに、コンドルは穏やかな眼差しで告げる。
「わかったのだ。俺のすべきことが」
「え?」
「俺はこの村を…、あの人たちの分まで守っていく、つくっていく」
「じゃあ、一緒にはこれないの?」
「ああ。俺にはまだあんたたちと一緒に戦っていく勇気も力もない。それよりも俺自身ができることをしたいことをしていきたい」
それがこの場所、コンドルが生まれ育ったかつての村を、再建することなのだと。
「そっか。ありがとうコンドル。この石はあなたの代わりに連れて行くから」
「俺を救ってくれたお前ならば必ず世界を救えるはずだ。信じている、光の翼の少女」
冷たい眼差しだった男は、今は穏やかな微笑を見せていた。そしてスズメも、コンドルとの出会いで笑顔を取り戻していた。
「あたしはスズメだよ」
にっこりと笑顔でスズメは答えた。
「そうだ」
とスズメがごそごそと取り出したのは、ツバメより預かったあの壷。それをコンドルへと見せ、コンドルの想いをその壷へと籠めてもらった。


コンドルと別れを終えたスズメとタカはかつての村をあとにした。
コンドルから得た情報ではここはもう西地方になるのだという。スズメたちは目的の地フォンコンへと進路を向けた。みんなバラバラになった今、そこへ向うのがベストな選択だろう。
「またか…」
「え?」
後ろを歩くタカのつぶやきにスズメは立ち止まり振り向く。
「またオレはお前に助けられた…、オレはコンドルに勝てなかった。結局…」
「あたしはタカがいてくれてよかったよ。一人だったらもっと落ち込んでいたかもしれない」
「なっっ、どうせほんとのところハヤブサのほうがよかったって思ってんだろ」
一瞬顔を赤らめて、そっぽを向いてひねた言葉を吐くタカ、「あのねー」とスズメは呆れながら言う。
「ハヤブサさんはハヤブサさんでタカはタカでしょ。ハヤブサさんにはハヤブサさんの役割があって、タカだってそうなんだよ。タカにはタカだけの大事な役目があるんだって思えばいいじゃない。コンドルのことだってそうだと思うよ。
タカじゃなきゃ、あたしはコンドルを救えなかったかもしれない」
そう言ってスズメは「結局」のあとに続くタカの言葉を否定した。
「これからはハヤブサさんのことでブチブチ言うの禁止だからね」
「ぐっ、オレはまだハヤブサのこと許したわけじゃ」
いくよ。と背を向けて前進しはじめたスズメ。はなれた今でもハヤブサのことでイライラするのは馬鹿馬鹿しい。
オレの役目か…。タカは前を行く少女の背を見つめながら、「お前の背後は守ってみせる」スズメには聞こえないほどの声量で、誓うようにつぶやいた。


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