「タカ様どうなったのかしら?」
とてとてと城内の廊下を歩きながら、カワウは隣を歩くウミウにそう話しかける。
同じ歩幅で歩くウミウも、隣のカワウを見ながら「そうねー」と答える。
「あれから一日たっちゃったものね」
城を飛立ったタカ、ハヤブサの裏切りと関係があるのだろうと思う。
ただ彼女たちが思うところは、タカのことではなく、彼の兄のことだった。
タカになにかあったのだとしたら、彼の兄であるワシはどうなるのだろう。弟想いの彼のこと、迷わず弟の元へ向うのかもしれない。もしかしたら、ハヤブサのようにここを去るのかもという不安があった。
あの日、タカが飛立ったことを確認していたケツァールのこと。ケツァールはタカの行動を見て「どうするの?ワシ」と意味ありげに笑っていたのだ。このことからワシがなにかアクションを起こすのではと予測できた。
ワシがハヤブサのようにここを離れたら…、カワウたちの心境も複雑だった。自分たちに優しくしてくれたワシは、彼女たちにとっても兄のような存在だった。荒くれ者のダチョウからも、何度も守ってくれたのだ。
彼女たちの後方から、彼女たちへと呼びかけながら走っていく影があった。
「あっ、ウミウ、カワウー」
手を振りながら二人のもとへ駆けて行くのはヒメウ。
「きゃっ」
どんっと彼女はなにかに行く手を遮られるようにぶつかってしまった。慌てるあまり横から突然現れた人影にぶつかってしまい悲鳴を上げた。
「あ、ごめんなさ…」
顔を抑えながら、ヒメウが謝りかけてすぐ、その顔は青ざめた。ギラリと睨みつける鋭い目、ヒメウを萎縮させるそいつは、彼女の苦手な相手ダチョウだった。
「むかつくんだよ、ガキがっ!」「きゃぁっ」
ぐわっと恐ろしい形相で迫るダチョウに首元を掴まれヒメウは恐怖で固まる。殴られる!本能的にきゅっと筋肉が縮まり身を硬くし目を閉じる。ヒメウの悲鳴に、異常に気づいたウミウたちが振り向く。が彼女をピンチから救ったのは姉妹じゃなく、あの男……。
「その手を離すんだ。ダチョウ」
「! ちっ」
ギンと鋭くダチョウを睨みつけるワシ。ワシに気づくとちっと舌打ちしてすぐに手を離しダチョウは彼女たちから背を向け退散した。ほっと息を吐くカワウとウミウ。ヒメウは自由になるとすぐにワシのもとまでかけていく。
「ワシ様、ありがとうございます」
「いいや、それよりケガはないかい?」
「はい、大丈夫です」
「それならよかった。気をつけるんだよ」
ダチョウを睨みつけた時とは一変し、優しい笑顔でヒメウに微笑むワシ。ヒメウも嬉しそうに笑顔で頷いた。そのまますたすたとワシは目の前のカワウたちの間を通り抜け、通路を歩いていった。
ワシの背中を見送って、ウミウとカワウはヒメウのもとにかけよった。
「よかったね、ヒメウ、ひやひやしたよ。たくダチョウのやつ、ほんとサイテーなんだから」
ぽんとヒメウの肩を軽く叩きながらウミウ。
「うん」
「ほんと、こちらも肝が冷えましたわ。ワシ様が助けてくれなかったらどうなっていたか…」
「そうだね、…ねぇ、もしワシ様までいなくなっちゃったら、あたしたちを守ってくれる人いなくなっちゃうよ」
はーー。三人の口から切ない溜息がこぼれ出た。


「(ハヤブサ…、タカ…)」
タカがいなくなったことはすぐにミサゴから聞かされワシも知るところになった。ただ彼はすぐに動きはしない、動けはしない。ケツァールの命なく城を出ることは許されないからだ。タカがいなくなってから、特にケツァールは自分に対して警戒の目を光らせている。本当ならすぐにでも探しに行きたい。大切な弟と妹が……。
「二人のことが心配のようね、ワシ」
そのとおる声にハッとしてワシは顔を上げる。彼の前に腕を組みながら立つのはケツァール。フフン、とどこか嬉しそうにも見える顔でワシを見ている。
「ケツァール様…」
ワシの顔はどこか沈んでいる。ムリもない、妹と弟がわが元を離れ殺し合いをしたのだから。
そんなワシの心情を思うとケツァールは笑顔になる。ああ、かわいそうなワシと、嬉しさに顔が笑む。
「タカはハヤブサに敗れたらしいわね」
「!」
やはりまだ知らなかったのだろう。驚きの表情を見せるワシを見て、また嬉しそうにケツァールが顔を歪める。
「しょうのない子ねぇ、ハヤブサは。ほんとに、ただの仕置きですませるわけにはいかないわ、ねぇワシ」
「申し訳ございません」
ケツァールに頭を下げたままのワシ、自分のほうへと向けられた彼のつむじを見ながら、ケツァールはふふんと鼻で笑う。
「ワシィ、あれほど言ったのに、お前がしっかりしつけなかった結果がこれよ。どう責任をとるつもりかしら?
ハヤブサが裏切り、タカを死なせた。すべてお前の責任でしょう」
「申し訳ございません。ハヤブサは、必ず私が連れ戻してまいります! 罰は受けさせます。ですからどうかお許しを」
「ワシ…」
頭を下げたままのワシにつかつかと歩み寄るケツァール。大きく振り上げられた手は、勢いよくワシをひっぱたいた。
パァーン
高く響く肌を打つ音。それは石造りの廊下に響いた。
「くっっ」
びたーん、ワシの体は廊下の上に横たわる。打たれた頬は赤く染まっていた。ずんと高い位置から彼を見下ろしながら、ケツァールは冷酷に言い放つ。
「誰がそんな命令をしたというの? ワシィ、お前は何年私の弟子をしてきたというの? わからないのかしら?私の言いたいことが…」
「ケツァール様…?」
「ハヤブサを殺しなさい、ワシ。もう許されるレベルじゃないのよ。妹の過ちはお前の手で始末すること」
「しかし」
再びパァーンと激しい打撃がワシを襲った。
「口答えは許さなくてよワシ。いいこと、私と来なさい。私の前でハヤブサをお前の手で裁くのよ、死をもってね」
「くっ」
ギリと歯噛みしながら、ワシは頭を垂れた。くすくすと嬉しそうにケツァールは笑い、ワシを己の後につかせる。
「ベニヒワ、ペンギン」
ケツァールに呼ばれ、二人の翼が彼女の前に姿を現す。
「お呼びですか、ケツァール様」
少年ペンギンとともに現れた翼の者はベニヒワと呼ばれる少女。肩まで揃えたオレンジ色の髪に真っ赤な紅をひいた唇が目を引く。キリとつり目がちの目は強く使命に燃えている。ベニヒワに寄り添うように両手を広げながらはしゃぐのはペンギンだ。
「お前たちも私とともに来なさい」
「はっ」「わかりましたー」
若い翼二人に指示を出すと、ケツァールはフフと不気味な笑みを浮かべながらワシを呼んだ。
「不満気な顔ね、ワシ。やはり妹と戦うのは気が乗らないのかしら?」
ケツァールは身につけている宝石の一つを手に取り、ワシへと見せた。ハッとするワシに、ケツァールはさらに口端を吊り上げにやりと笑う。彼女の手の中でキラキラと輝くその宝石は特別なものだ。特に翼の者にとっては特別な意味を持つ石。
バードストーン。
母の石、神の宝石、鳥石とも呼ぶ。
「褒美にこれをお前にあげるわ。だから私の前にハヤブサの首を捧げなさい」
(知っているのよ。お前がこれを喉から手が出るほどに欲しがっている事をね)
バードストーンという餌で、鎖で、ワシを試そうとするケツァール。
ハヤブサへの想いか、サイチョウへの忠誠心か。ワシの比重はどちらにある?
いいやそれよりも、師であるケツァールに歯向かうことが出来るのか?


スズメたち三人は森を抜け、フォンコン目指し平地を歩いていた。目的地のフォンコンはまだまだはるか先。
先日は突然スズメたちの前に現れたハヤブサの兄タカとの激突があった。
敵対する翼の勢力、いわゆるサイチョウ派の者たちだが、また翼の者と衝突することがあってもおかしくはない。今はフォンコンへ向うことを優先せねば。スズメたちは翼をしまいこみ、足で目的地まで進んでいた。
「なぁ、スズメ。ハヤブサやっぱり変じゃないか?」
隣を歩くスズメへとカラスがこそりと話しかける。自分たちの前を歩くハヤブサには届かない声量で。
「うーん、変って?」
「なんか、ムリしているようなさ。…やっぱりタカのことが気になってるんじゃ」
くるりと突然カラスたちへと振り返ったハヤブサにカラスがどきっと驚き肩を上げる。
「二人に話しておきたいことがあるんだ」
「ハヤブサさん」
「タカのことで迷惑をかけてしまったな、私のせいなんだ、ほんとうにすまない」
「そんな迷惑なんて、そんなこと言わないでよハヤブサさん!」
「そうだよ、俺たち仲間だろ。遠慮なんてしなくていい」
顔を揃えてハヤブサへとそう言う二人に、ハヤブサは眉を寄せながらもふっと笑みを見せた。
「ありがとう。君たちには世話をかけてばかりだ。じゃあ、話を聞いてもらえるかな?
私にはもう一人兄がいるんだ。名をワシと言う。一番上の兄なんだ。強くて優しくて、幼かった頃から私たちを守ってきてくれた」
「ハヤブサさんのお兄さん…」
ハヤブサは目を細めながら、遠い日の記憶を確かめるように語る、兄ワシのことを。
「私にライチョウ様のことを教えてくれたのはワシ兄さんなんだ」
「えっ、それじゃあ、そのワシさんもライチョウ様を信じる者なの?」
スズメのそれにはハヤブサは複雑な表情を浮かべ、首を縦には振らなかった。が横に振るでもなかった。
「わからない、わからないんだ。ワシ兄はライチョウ様の教えが正しいと私に教えてくれた。なのに、サイチョウについていくっていう…」
きゅっと目を閉じ、眉を寄せるハヤブサ、苦しげな表情がハヤブサの兄への想いの強さを物語る。
「ハヤブサ、お兄さんのこと大好きなんだな…」
「ああ、…だけど、私は……。私はライチョウ様を信じる。二人の仲間だ。だから心配するな」
一転にこりと笑顔の明るい表情を向けるハヤブサに、スズメは嬉しげに「うん」と頷いた。がカラスだけは不安な顔を残したまま「ハヤブサ」と心配げにつぶやいた。


「まっだかなー、まっだかなー」
黒いはんぺん姿で唄いながらくるくると踊る少年ペンギンはどこか楽しそうだ。るんるんとはしゃぐ相棒をベニヒワがたしなめる。
「静かにしろペンギン」
自分より背の高い彼女を見上げながら、踊る少年はぷぅと頬を膨らませる。
「だってー、めったに見れるもんじゃないよー、兄妹対決なんてさー」
ペンギンはワシとハヤブサが戦うことが楽しいらしい。やれやれとベニヒワは溜息をつく。ベニヒワはワシにもハヤブサにも特に興味はないが、ワシの心のうちは少し気になっていた。
ワシが妹であるハヤブサを大切に思っていたのは、ケツァールはじめ、皆が知っていたことであった。そのワシがハヤブサがわが元を離れ敵対する道を選んだ事実に、動揺してないはずないだろう。普段冷静で、取り乱すことなどないワシ。だが妹と弟を失い、その心の中まで冷静なのだろうかと。
「ねぇねぇ、ベニヒワはどう思う?やっぱりワシさんがハヤブサさんを殺しちゃうのかな?ケツァール様にはさからえっこないよね。それにバードストーンまでもらえるって言うんだし」
きゃっきゃっとはしゃぐペンギンとは対照的にベニヒワは難しい顔で顎に手を寄せた。
「私にはあの人が本気で妹と戦えるとは思えない。しかし、裏切る様子でもないし。…まさかケツァール様に弱みでも握られて?」
「え、ええっ、なにそれどういうこと?」
「それとも、やはりバードストーン目当てか…」
一人つぶやき頷くベニヒワ。彼女の視線の先には、当のワシがいた。数十メートル下にいるワシに崖の上から注意の目を向けるベニヒワたち。人里離れ、ケツァールの城より北西の荒野に三人はいた。彼らの上司ケツァールの姿はそこにはなかった。


「あれ?」
スズメの目の前にふわりと落ちてきたのは緑色が印象的な美しい羽。それを掌で受け止める。
「キレイな羽。! は、てことはこのあたりに翼の者が」
羽の美しさに一瞬見惚れてしまったが、それが翼の者の存在を示すことに気づきはっとなる。
周囲にはごつごつとした岩山が立つ殺風景な景色。岩陰沿いにいけば死角になるだろうが、それでもろくに身を隠すことができないエリアにいた。スズメの手の中の羽を見てハヤブサは警戒の色を強くした。それには見覚えがある。特徴的な美しい羽色。
「この色は!」
「元気そうねハヤブサ」
その声はハヤブサの声と重なり、上空からスズメたちへと届いた。バッと三人が上空を見上げると、彼女たちを見下ろす翼はケツァールだ。ケツァールと目が合うと、ハヤブサはギンと表情に険しさを増し、警戒を強めながらケツァールを睨みつけた。ケツァールはそんなハヤブサを見下ろしながら不敵に笑う。
「ケツァール!」
「ふふ、相変わらずワシそっくりでかわいいこと、生意気なこと」
「私は屈しない。あなたにもサイチョウにも!」
「たいした度胸だわ。タカを殺しただけはあるわね。だけど、お前のその我がままのせいでワシが処刑されるのよ。それでも平気なのかしら?」
「えっ、どういうことだ?!」
表情を変えるハヤブサを見て、にやりと笑うケツァール。
「ワシを救いたければ来ることね。力ずくで止めるがいいわ」
挑戦的な視線を向けながら、ケツァールはそう言い放つとくるりと向きを変え飛び去った。
「な、今のおばはんだれ?」
「ケツァール。サイチョウ軍の女将軍。私は以前ケツァールの下についていたんだ」
「ハヤブサの兄さんを処刑するって言ってたよな。どうするんだ?わざわざ言いに来るなんて、罠かもしれない」
不安げな顔でハヤブサの返答を待つカラス。突然目の前に現れ、ハヤブサを挑発して去って行ったケツァールを不審に思うのは当然だ。元々ハヤブサはケツァールに反抗的だった。そのケツァールの言うことをすべて鵜呑みにするわけでもないが、このまま無視していくことはできない。
ハヤブサは向わねばならないと感じていた。どんな形であれ、兄とのことはちゃんと決着をつけねばと。
「行くしかない!」
「うん、ハヤブサさん、行こう」
力強くスズメが頷いた。


崖上で待機するペンギンが、主の戻りを目にしぱたぱたと両手を振りながら声を上げる。
「あっ、ケツァール様だ!」
美しい翼を羽ばたかせながらケツァールは崖下に立つワシの側に降り立つ。ワシの耳元でケツァールは告げる。
「ワシもうすぐ会えるわよ。かわいい妹に」
ケツァールのほうへは振り向かず、顔色変えぬままワシは数歩前進する。
「くすくす心配しなくても私は見ててあげるわよ」
「見張っているでしょう」
背中を向けたままのワシの声に、生意気なと「ちっ」と舌打ちのケツァール。まあいいわ、すぐにお前が後悔に暮れる姿が見られるのだ、とケツァールは笑みを浮かべ、翼を羽ばたかせ、崖上のペンギンたちの位置まで移動する。
「あっケツァール様、やってきましたよ」
ぴょんと跳ねて「ほらほら」とその方向を指差しはしゃぐペンギン。彼の指差す先から現れたのはもちろんハヤブサたち三人だ。
ギンと鋭い眼差しでケツァールの前にやってきたハヤブサ。ああ生意気な顔だこととケツァールは心の中でつぶやいた。
「ケツァール!」
「来たわね、ハヤブサ。役者が揃ったところで、処刑を始めるわよ。覚悟はいいかしら?ワシ」
「はっ…、覚悟ならとうにできております」
ケツァールに振り返ることなく、崖下に立ったままのワシはそう言葉を返す。
まばたきもせず、まっすぐにハヤブサを見るワシ。ギリっと歯を鳴らしてハヤブサは走った。
「させない、私が。ケツァールあなたの思い通りになどさせるものか」
「ハヤブサさん!」
「ハヤブサ待って…」
翼を広げ、ケツァールのいる崖上へと舞い上がろうと走るハヤブサ、彼女の前に彼女の進路を阻むように立ちふさがったのはワシ。
「ぐわっ」
強くはじかれて、ハヤブサは地面にぶつかる。顔を起こした彼女を見下ろすのは翼を広げた兄ワシの冷たいまなざし。
「処刑されるのはお前なのよ、ハヤブサ」
ケツァールの声が響く。「なっ」と声を上げるスズメ。
「やっぱり罠だったのね、この卑怯者!」
「ハヤブサ下がるんだ!」
カラスの声にハヤブサは首を振る。彼女の目はまだ戦っている。目の前の尊敬する兄をギッと強く睨みつけたまま。
「ふふ、私だって覚悟はしていたさ。ワシ兄さん、あなたと戦うことになっても私は逃げたりしない!」
「ハヤブサ、言ったはずだ。サイチョウ様に歯向かうことは許さないと」
冷たい瞳でハヤブサにそう言うワシ。
わからない、わからないよ私には。どうしてそこまでサイチョウにこだわるんだワシ兄さんは。
「私にライチョウ様のことを教えてくれたのは、ワシ兄なのに、どうしてサイチョウについていくっていうんだ」
「今のお前に話してもわかってくれそうにないからな。まあいい、わからなくても。じきにお前は死ぬのだから、…私の手によって」
「!?」
ワシの手が動く、なめらかに、翼から放たれる衝撃がハヤブサを襲う。
「ハヤブサさーん!」
翼を広げ、スズメはハヤブサのもとへと走った。


第十話  目次  第十二話