馬 駆ける
第十五話 【因縁と野望、戦う恋心】

季節は二月。レースもいよいよ終盤へと突入する。どこの区も必死になるから、レースは過酷になっていく。
仕掛けもドンドン派手になってくし。ムチャクチャな落とし穴とか、巨大トカゲが現れたりとか、特撮ヒーローばりの爆発とか。よく怪我人でないもんだな。視覚的にも観客をあきさせないようにと、終盤は仕掛けも派手になっていくんだとか。みんな楽しんでいるからいいとして、税金の無駄遣いとは思わないのか…?
例の市長いわく、市民を楽しませる事も市の勤めなのだという。つまり正しい税金の使い方と主張している。
まあレースは青原を栄えさせてきた重要な文化だから、それに異を唱える人はいないんだと。

「はぁ、耳栓していたけど、爆発音すごかったなぁ…」
今日のレースもなんとか無事に勝つことができて、控え室へと向かう途中、あたしは意外な人に呼びとめられた。
「やぁ、がんばってるね。ムリしなくていいからね、いつでも僕が助っ人にかけつけるよ」
「パン一さん…」
なんて人かもう名前忘れた。大丈夫問題ないですと伝えて、あたしはマケンドーとカツさんの元へと向った。



「はぁああ〜〜v マケンドー様〜」
キッチンから甘い匂いと、あまったるい声色が流れてくる。声の主は確かめるべくもなく、ヒヨコさんだ。
チョコレートのおいしそうな匂い。そっか、来週ってもうバレンタインなんだ。バレンタインかー、縁のなかったイベントだよね。お返し目当てで昔やっすい100円チョコをクラスの男子にあげたことがあるくらいで、本命の相手にチョコとか、そういうドキドキな経験ってないんだけど。
…今年は、どうしようかな。アマツカ君にはムリかな、さすがに敵同士だもんね。本命じゃなくても、普段お世話になっている人にあげてもいいかな。一緒にチョコ作らせてくれるかな?
「はっ、あんたまさか、マケンドー様に本命チョコ渡して、調子こくつもりなんじゃ」
キッとヒヨコさんが敵意ギンギンで睨みつけてきた。かしゃかしゃとすさまじくかきまぜるボールからチョコめっちゃ飛んでますけど?
「マケンドーには渡さないから安心してって、ヒヨコさんマケンドーに渡すつもりなの?」
「はぁ? とーぜんでしょーが、私はマケンドー様ファンクラブ会長ですもの! マケンドー様には大型トラック500台分は渡してみせるわよ!」
それってギャグで言ってんのか、それとも本気なのか。は、ともかく…
「受け取ってくれないかもしれないんじゃない?」
ガーンという効果音がなんか聞こえてきそうな、ヒヨコさんの表情がすごいことになった。
「あんた、なに? まさか、マケンドー様の本命が自分とでも言いたいの? なにそれ病気? 今すぐ入院してくる?」
いやいやいや、ヒヨコさんのほうが絶対やばいって。そういう意味じゃなくてー
「だってマケンドー公人でしょ? だから受け取れないんじゃないかなと思って…」
「!? 考えても、みなかった…」
いつもみたいにすごい反論とかなくて、すごくショックを受けたかのような顔で、ヒヨコさんのテンションがギューンと音立てて下がっていく。
「だ、だいじょうぶ? 元気だして」
仕事仲間のメイドさんがヒヨコさんを慰めていた。うっとおしい人だけど、ちょっと同情するかも。あれだけはりきっていただけに、悪い事言ったのかな? でもがんばって作ったのに、受け取れないってなったほうがショックだよね。
「あたしは、どうしようかな。とりあえず、一番お世話になってるモリオカさんにあげようっと。あとは…」
カトウさんはどうなのかな。年配だしチョコは好きじゃないかな? あとは、ショーリン君は…、別にあたしがあげなくても他の女の子からいっぱいもらってそう。まあ用意しておいても損はないかな。あとは、ワタルに友チョコあげようかな。あとレース会場で会えたら、ウミコさんにも渡したいけど、OKなのかな? 渡したいなー。

「バレンタイン?」
自室に戻ってから、あたしはワタルとバレンタインについて話す。
「考えた事なかった。そういえばもう、子供の頃しか渡した経験なかったし…」
クリスマス同様、ずっとイベントごとには縁がなかった様子、聞かなきゃよかったのかな。
いや、でもチャンスだし、バレンタインは恋する女の子にとっては、年に一度の貴重なチャンスじゃない?
「思い切って、渡してみたら? カツさんに!」
ワタルの恋、応援してあげたいもの。バレンタインならチョコに思いを込めて渡すってことができるじゃない。
「どう、して?」
きょとんとした顔で返されても、あたしのほうが「え?」となる。
「いやだって、好きなんでしょ? カツさんのこと」
「そうだけど…」
あれ、ワタルあんまり乗り気じゃない?
「…そうね、渡すだけなら、別に悪い事じゃ、ないわよね」
「そうそう、てなにに遠慮してるの?」
「別に、遠慮というわけではないけど」
「この機会に告っちゃえばいいじゃん!」
カツさん性格的に迫ってくるって感じと真逆だし、ここは攻めの姿勢じゃなきゃ、ワタルの恋は進展しそうにないよ。
「私は別に、日ごろの感謝を伝えられたら、それで十分よ」
このこはどんだけ草食系思考なの。こんなに美人なのに、もったいない。カツさんだって悪い気しないと思うけどな。フリーなんだし、誰かに気を使うことないと思うのに。
「あの人の一番には、永遠に敵わないって思うし、だから今みたいに優しくしてもらえるだけで、十分だって思う」
「え、なにそれ、カツさんに本命がいるっていうの? 初耳なんだけど! ワタルいつ聞いたの?」
さらりと、衝撃発言を! あのカツさんに本命の相手がいるなんて、聞いたことなかったよ。恋人とか婚約者とかいないって話だし、プライベートで特別仲のよさそうな人も、あたしの知る範囲ではいないのに。
「聞いたわけではないけど、…見てれば、わかるわ、カツの想い人は…」
「ええっ? ワタルよりカツさんとの付き合い長いけど、全然わかんないよ。そんな人思い当たらないし、カツさんってばいつもマケンドーの側にしかいないし…」
「……、そう、ね。カケリは気づかないままでいいと思う…」
「え、なんで? どういうこと? 気になるよーー」

結局ワタルは教えてくれなかったけど、本当なのかな? カツさんに本命の相手がいるってこと。もしそうなら、それに気づいて、敵わないって思ってるなんて、ワタル辛くないのかな? 両想いになりたいなんて望んでいるわけじゃないって言ってたけど。そういう恋もあるのかな? あたしは、どうなんだろ。あたしは……。
アマツカ君の顔が浮かぶ。初めて出会った時から、天使みたいなキラキラな男の子で、どきどきが止まらなくて、キラキラな感情を教えてくれた。
あの日、アマツカ君が打ち明けてくれた、本当の想い。
死んだお父さんの想い、そして自分の夢を、想いのためにアマツカ君は馬になった。アマツカという名前に、アマツカ君の想いが籠められている。あたしの恋心なんて、きっとかすむくらいに、強い想いなのかもしれない。
マケンドーだって、区長として、若草の為ならどんな困難だって乗り越えていけるんだろう。
それに比べて、あたしは?
いや、同じ土俵でなんて、比べる事がおこがましいのかも。
あたしはあたし。たとえ世間からすればちっぽけな想いに映るかもしれないけど、あたしの世界の中では、とても大きな存在であるから。
あれ、もしかしたら、ワタルと似ているかもしれない。
あたしだって、アマツカ君に「好き」なんて伝えられる度胸絶対ないし。だから、些細な事かもしれないけど、同じ場所同じ立場で同じ事をできるということ。それだけでずっとずっと素晴らしい。馬として、君と同じ場所に立てられるという事。
君相手だからこそ、負けたくない。君とだからこそ、勝ちに行きたくなる。
君の想いを知ってなお、そう思ってしまえる。乙女の恋心って闘争心に似ているんだ。



レース会場へと向かう車中にて…
「そういえば今日あんまり来なかったね、宅配。もしかしたらこれから来るのかもしれないけど」
というあたしのつぶやきに、マケンドーはなんのことだと問い返す。
「だって今日は、2月14日じゃん…」
「はあ? 2月14日がなんだというんだ?」
なぜわからんのだこの男は、よもやバレンタインを知らぬ存ぜぬと申すか?
「バレンタインの日ですね。女性にとっては思い入れのあるイベントでしょうか」
「いや女じゃなくても、気になるイベントじゃないの? 男子は身内以外のチョコをいくらゲットできるかって、死活問題じゃないの?」
「そういうものか? 興味ないが、ああたしかショーリンなんかは騒ぎそうなイベントだろうな」
たしかにショーリン君は、すごく気にしそうなイベントかも。て、あんたら…。
「今年は区長やってるから、ともかくとしても。今までにもらったことはあるんでしょう? バレンタインのチョコ」
「……いや、ないな」
「ええ私も、ございません」
「ええー、マジでー?」
「うるさい、デカイ声をだすな、耳に響く」
今まで一度もチョコもらってないって、冗談じゃないよね? てことはヒヨコさんも渡したことないってことか。
…カクバヤシの坊ちゃんだからってそこまで避けられるものかね? 近寄りがたいオーラでも放ってるんじゃないの? 少しはショーリン君の軽さを見習えばいいのに。損してるよな。ヒヨコさん以外にも、マケンドーにチョコ渡したい女子はきっといたに違いない。カツさんも、さりげに渡しづらいオーラを放ってるんだろうな。じゃなきゃ今まで0個とかありえないし。二人とも見た目は標準以上、…っていうかイケメンなのに、まったくもてないってことないはずだもんな。
「なんかかわいそう。あとでこっそり十円チョコでも、めぐんであげよう」
「なんか言ったか?」
「いやいや、なんでも」
同情チョコでも、あげたほうがいいよね。こっそりとポッケにあとで入れてあげよう。ううう。



今日の対戦相手は、たしか中央西区なんだっけ。初めて対戦するとこだけど。ここも区長が新任で、なかなか派手な人と聞いている。
「お久しぶりです、カクバヤシ区長! 本日の対戦、お手柔らかにお願いします」
凛と響く女性の声。ツカツカとヒールの音を響かせて、こちらへと歩いてくる女性。歳は…パッと見は年齢不詳な感じで、三十代かひょっとしたら四十代越えてるかもだけど、美人。ぴっちりとしたボディラインを強調したスーツだけど、それを見事に着こなしているのは背の高さとスタイルのよさ。ロングヘアーに、びちっと立ち上げてセットした前髪、赤い口紅が目を引く。見ただけでハキハキとしたできる大人の女性ってわかる。その迫力にあたしは押されかけたけど、隣のマケンドーはいつもの冷静なままで、迫力も負けじと返す。
「ご活躍は聞いております、シンドウ区長。レースでも手を抜かぬ主義ですので、全力で挑ませてもらいます」
バチバチと火花が散って見えそうな空気が…。
なんかこうイメージ的に…、ドSバーサスドSって感じで、空気の密度が、なんかすごい!
「ふふ、トップばかりに気をとられて足元をすくわれませんように。では。行くわよミチル」
「はい、それではまた」
くすりと笑みを零して、香水のにおいを纏わせながら通り過ぎていった女性。ぴっちりした衣装にロングヘアー、中央西の区長に負けず劣らずの派手ないでたち。彼女が中央西の馬? なんだか意味深に、こちらを見ていったような…、それはあたしじゃなくて、マケンドーのうしろの…カツさんに視線を送っていたような??
なんだろう、今のは。女の感というか、なんというか嫌ななにかを感じてしまった。
「マケンドー、今の人って知り合い?」
「ああ、中央西の区長だ。女性だからと言って侮らないほうがいい。大胆な政策と実行力で前区長の秘書から成り上がった人だ」
オオガワラとは別の意味で手ごわいな、とマケンドーは言った。この口ぶりから、マケンドーはあの中央西の区長のことを認めているみたい。
たしかに、油断はできないよね。敵はチャンピオンだけじゃない。


第一レースが始まる前、いつも以上に派手なファンファーレが鳴り響く。パンパンと派手に爆竹やら花火が上がる。ほんと、どんだけお祭なんだよ。と、まあ今日はいつも以上に派手な演出だ。その理由はすぐに明らかになる。司会の人が、大げさな挨拶をして、今日はバレンタインだから特別仕様なんて言ってた。
そして、市長からの挨拶、と言って中央のステージの上に派手な出で立ちのおじさんが現れた。その人が青原市長のコヒガシ市長だ。各大型モニターにもいっせいに市長の顔が映る。
『えー市民の皆さん、本日のレースもお忙しい中ご足労いただきありがとうございます。私が市長のコヒガシです。本日は何の日ですかな?
そう、ハッピーバレンタイン!』
両手を挙げる市長のアクションで、パンパンとタイミングよく花火が上がる。わぁーと盛り上がりの歓声が沸きあがる。
『私からのバレンタインのプレゼントとして、本日のレースは特別な趣向をこらしました。ぜひ、楽しんでいただきたい』


「バレンタインのプレゼントってなんだろう?」
「あの市長のことだ、なにか特別なしかけでも施してあるんだろうな。なんにしても油断するなよ、カケリ」
「わかってるってば」
あたしとマケンドー別れて、それぞれの場所へと向う。

ゲートの前、あたしの対戦相手、たしかミチルと呼ばれていた女の人…、その人と並ぶ。何度経験しても、この時の緊張感って慣れないな。
ちらり、とこちらを見たので、あたしは「どうも」と軽く挨拶した。
「私のとこの区長、キレイでしょう?」
いきなりなにを聞いてくるんだろう。よくわかんないけど、「そうですね」とてきとーに頷いた。
「私、キレイなものが好きなの。区長みたいになりたくて、ファッションもメイクも真似てるの」
なるほど、それで姉妹みたいに似たような感じに見えるんだ。でもこの人、派手な格好しなくても十分キレイな人に見えるけど、美意識なんて人それぞれだし、そういうのって余計なお世話かもね。
「それから、若草の区長の秘書の人。…すごくタイプ」
「うえっ?!」
びっくりして思わず声でちゃったよ。そしてついこの人の顔をばっと見てしまった。
ぺろりと挑発的に舌をだしながらこの人。
「区長が約束してくれたの。バレンタインだし、今日勝ったら欲しい物一つプレゼントしてくれるって。だから私、あの秘書の人もらうんだ」
何この人ムチャクチャ言ってない? 欲しい物プレゼントってあんたのとこの区長もまさか男をプレゼントなんて想定外なんじゃないの? なんかちょっと、おかしい人?
『皆様、長らくお待たせしましたー』
はっ、いかん、レース開始のアナウンスが始まった。気持ちを整えないと。この変な人に精神乱されてどうするよ。あたしだって、勝ちにいかなくちゃ。アマツカ君に、挑むために、こんなところで躓くわけにはいかないんだ。


カウントダウンが始まり、ゲートが開き、レースが始まる。バレンタインだろうがなんだろうが、誰が相手だろうが、あたしはあたしで全力で走るだけ。
『若草スタートダッシュで一歩リードだ!』
アナウンスであたしは自分のリードを知る。目の前に現れる仕掛けは…
ドドドド、と濁流のごとく流れ出る茶色いドロッとした液体が行く手を遮る。この距離からでも漂うカカオのにおい。て、あれはチョコレート?!
『観客席にもこのにおいは届いておりますでしょうか? そうです、本日の市長からのバレンタインプレゼントはこのチョコレートコースです! 甘い匂いにうっかり足をとらわれず、ゴールに先に到達するのは若草か? それとも中央西か? 最後まで目が離せません!』
とてもジャンプではかわせない幅。だけどあたしはスピードを緩めない、マケンドーを信じる。
「シッシッシッ」
独特な呼吸音が段々と、そしてすぐ真横に迫ってきていた。あたしの視界に映る対戦相手。長い髪を揺らしながら、体を屈めて走る独特のフォームにあたしは思わず「ええっ」と叫びそうになった。とても美人が走るようなフォームじゃないそれ、だけど、あっという間にあたしとの距離を詰めてきた。
「手に入れる、手に入れるの」
呼吸音にまぎれるミチルさんのつぶやき、はあたしの耳に入ってきた。気持ちを乱されちゃダメだ、目の前のコースに集中する。
ダダダと橋がかかる。チョコレートの川を越えて、次ぎは巨大な生チョコがドスドスと目の前に落ちてきて、巨大なチョコの岩山となり行く手を阻む。これって子供の頃の夢の世界じゃないか。ちっさくなっておいしいお菓子をお腹いっぱい食べられる天国。でもレースの障害として立ちはだかるチョコは悪魔のように映る。
ドスドス…。チョコの山は下に次々と落ちていく。マケンドーが無事トラップの解除に成功したってことだ。平らになったそこをあたしはかける。
「はっはっ」
威勢のよい掛け声で、少し遅れて落ちていくチョコの山を駆け上がってジャンプして越えていくミチル。あの人は、見かけに反して野性的なアクションをとるんだって、気をとらわれない!
最後に立ちはだかるは、五メートルは越えてそうな巨大な板チョコの壁。
「はぁっ!」
ミチルまさかの破壊?! でもすぐにチョコの壁は破れない。結構の厚さがあるっぽい。
あたしのコースのほうは、前方へドスーンと倒れていった。ゴツゴツとした板チョコの上を裸足の足で駆けていく。ちょっと汗でチョコが溶けて足についた。それでもなんとかすべらずに、チョコの上を走りぬけた。ミチルは破壊と同時にトラップ解除で派手にチョコが倒れていく。
「ほぁっちゃー」
もうなんなのあの掛け声、すごい気になっちゃうじゃん。でも気にするなあたし! これで最後のトラップは抜けた、あとはゴール向けてひた走る。変なフォームで追い上げてくるミチル。負けられない、駆け抜けろあたし!
ぶっしゃーー!
「!? ええっっ」「ひゃあああっっ」
あたしとミチルの悲鳴が響いた。だってゴール手前でとんでもないことが起きたから。
『はっはっはっ、私からのサプライズだよ! いつも区のために走っている馬の諸君にチョコを味わってもらいたくてね。これはトラップじゃないから、安心してそのままゴールしたまえ』
「な、なんだってーー」
叫びながらもあたしは目の前のゴールへ駆け抜けた。ひゃーー、なんなのーチョコまみれだよ。ゴール直前あたしたちを襲ったのは茶色のシャワー、においからして液体化したチョコの雨に襲われた。トラップではないと言われても、…こんな酷いチョコはいらない。
「いやーー、メイクがーー、髪の毛がーー」
振り返るとミチルが絶叫していた。顔中チョコだらけでバッチシメイクも台無しだ。あれは酷い。
むかつくけど、おかげで勝利できたわ。市長のおかげっていっていいのかな。ミチル、すごく手ごわかった。おそるべし中央西。



ゴールしてすぐ着替えを用意してくれていた。シャワー室へ案内されて、すぐに着替えた。はー、チョコレートまみれなんて、でもこんなレースに出なければ一生経験しなかったかもね。

「ああん、区長〜」
「よしよし、あなたはよくがんばったわ」
中央西の区長の胸で泣くミチル、その彼女を優しく慰める女性区長。絵になる美人な二人、だけど変な光景だな。あたしはカツさんとマケンドーに迎えられる。
「大変でしたね、カケリ様」
「ほんとびっくりしましたよ。最後にチョコの雨なんて、マケンドーがトラップの解除に失敗したのかと一瞬びびっちゃった」
「ったく、あの市長は…、悪ふざけが過ぎるな。俺も心臓がとまるかと」
「え? なに? マケンドーどうしたの?」
あたしのツッコミに、マケンドーが慌てた様子で咳払いした。
「しかし勝ったとはいえ、シンドウ区長、あなたの馬の能力には驚かされた。今後さらに気を引き締めていかねばと思い知らされましたよ」
マケンドーに、ミチルを抱いていたシンドウ区長が向きあう。
「ええ、彼女は私の自慢のこですもの。カクバヤシ区長、あなたにいくらせがまれても譲りはしなくてよ」
くすりと挑発的に、美人区長が微笑む。
「それは無用な心配です。私も、この者以外の馬などありえないと思っていますから」
えっ、ええっ。なにこの我が馬自慢対決。って、マケンドーのそれってつまりは、あたし以外の馬はありえないって発言? …この前パン一の変な人スカウトしてなかったっけ?ってのはさておいても、そうハッキリ言われるのは、嬉しいような、恥ずかしいような。
「ふふっそれは対戦中にも見てとれましたわ。あなたが自分の馬をどれだけ信頼しているのかを、ね」
わーわーと会場のほうからは次のレースの賑わいを伝える歓声が聞こえてくる。
「やっぱり、チャンピオンに挑むのはあなたたち若草で決まりのようね。オオガワラは油断のならない強敵よ、もちろんレース以外でもね」
「それは重々承知だ」
くすりと笑った後、シンドウ区長の顔つきが真剣な表情に変わる。
「負けないで頂戴ね、くれぐれもくだらない事で」
念を押すような口調で。それにマケンドーも真剣な顔つきで「ああ」と答えていた。



中央東のオオガワラ邸にて、アマツカはドクター・シモウメのラボを訪れる。
「やあおかえり」
アマツカに気づくと、見ていたモニターからアマツカへと視線をうつす。真剣な面持ちのアマツカにシモウメは「どうした?」と問いかける。
「ドクターにお願いがあります。ボクの体を、より強化していただけないでしょうか?」
「え、いきなり、どういうことだね?」
「勝利の為には、より完璧に近づかなければいけません。…若草を、マケンドーを侮る事は危険です。ボクは100%の勝利の可能性を手に入れたいんです」
しかし、とシモウメは渋る。人体の強化、不可能ではないがそれは人道に反する行為だ。すでに特殊な義足で体に負担をかけているアマツカには、尚更酷な行為になる。
首を縦に振らないシモウメを、アマツカが問い詰める。
「アナタなら不可能ではないはずでしょう?この義足に相応しい装着者を見つけるために、そのためだけの病さえ作り出したアナタほどの方なら」
アマツカの言葉にシモウメの顔が青ざめる。シモウメが犯した罪を、この少年は知っている?
「君は、知っていたのか? すべてを」
頷かなくとも、わかった。間違いなくアマツカはシモウメがしてきたことを知っている。知っててそう彼を問い詰めている。じわりと脂汗が浮く。このことが公になれば、自分の人生はお終いだ。今までオオガワラがもみ消してきたが、事実がさらされれば許されるはずがない。鋼鉄の義足の為に、天使園の子供たちを犠牲にしてしまった。この時にシモウメは悟った、目の前の少年はすべてを知った上でオオガワラに近づいたのではないか? その目的は、おそらく一つしかない。
「復讐か? 君はオオガワラ区長と、そして私に復讐するために近づいたのだろう?」
シモウメのそれに、アマツカは表情を崩さない。そして、「なにをいうんですか?」とくすりと笑う。
「ボクははなからそんなこと望んでません。ボクの望みは唯一つ、中央東がレースで勝利する事。そのためなら、心すら凍結させられます。ですからドクター、どうかボクに力を貸して下さい。ボクに、そしてあの人に、…愛する故郷の繁栄のために」
怒りも悲しみもない穏やかに微笑むその少年が、シモウメは恐ろしいとすら思った。
「…ああ、わかった。尽力しよう」


アマツカは動く。彼の手には一枚の写真があった。それは以前彼がマケンドーを脅した時に用いた物。レース会場の通路で、カケリを抱きしめるマケンドーの写真。その脅しにマケンドーは屈さなかったが…。
「カケリ…」
写真の中に映る少女の名前をつぶやいて、アマツカの瞳が悲しく揺れる。だがすぐにその揺らぎは消え去り、冷たい眼差しになる。もう写真の中の彼女は見ていない。アマツカはある出版社へと向う。
アマツカが接近したのは、ゴシップ雑誌の記者だ。その男は以前ウミコの中傷記事を書いた記者だった。アマツカから見せられた写真にすぐに飛びついた。にやりとイヤらしい笑みを浮かべて。
「おもしろいネタをありがとう」
写真の中の少女には覚えがあった。ウミコのことで生意気にかかってきた娘だ。「話題提供ありがとう」と嫌味ったらしく写真の中のカケリに話した。


バレンタイン明けて早々、あたしはとんでもない騒動に巻き込まれた。予想だにしてなかった事態だ。そのことであたしもパニックなのに、ヒヨコさんに激しくうるさく攻め立てられている。
「この裏切り者! 地獄に落ちろ、今すぐ落ちろ!」
ぶちきれるヒヨコさんを同僚のメイドさんがなだめていた。ああ、もう普段でさえやかましいヒヨコさんが大荒れだよ、その原因があたしで、そしてマケンドーで、とんでもない騒動のせいだ。
もー、ヒヨコさんじゃなくても、あたし自身もむかついてるんだってば。その件に関して、今朝から忙しそうにしていたマケンドーをようやく捕まえた。
ちょうどその時、これまた騒がしい訪問者がマケンドーのもとへと。
「どういうことだよ、兄上!」
平日のこんな時間から、制服姿のショーリン君こそどういうことなのか。
うん、当然例の件のことなんだろう。
「あー、うるさい、お前の相手をしている暇はない!」
「は? 逃げんなよ! カケリちゃんのこと公にしてどう責任とるつもりなんだよ? アンタヘたすりゃ辞職だろ? これはアンタだけの問題じゃねぇ、カクバヤシの品格に関わる問題だ!」
ショーリン君、怒りのあまりマケンドーをアンタ呼ばわりだよ。あたしの怒りまで代行してくれているのかって勢いっていうか、ショーリン君個人の怒りなんだろうが。
「ふん、品格など、お前の口からでるとはな。学校はどうした」
「そんなとこ行ってる場合じゃねぇし! どうすんのかちゃんと説明しろよ」
「ショーリン様、どうか落ち着いてくださいませ」
カトウさんが慌ててショーリン君を止めに入る。しかしひょろっとしたカトウさんじゃ、今のショーリン君を止められないんじゃ、ショーリン君体育会系だし。
「いい加減にしろっ!」
響く声に、びゅっと空気を切り裂く木刀の音。ショーリン君を黙らせたのは、マケンドーだった。激しいショーリン君の声をすぱっと切ったマケンドーのギラリと鋭い眼差しに、たじっとなる。
「心配するな、この問題は必ず解決する。だから帰れ」
「これ以上の裏切りは許さないからな!」
鼻息荒く、どかどかと足音をさせながら、ショーリン君は出て行った。やれやれ激しいお年頃だ。
「マケンドー」
ショーリン君と入れ替わりで、あたしがマケンドーへと近づく。あたしの言いたいことは、当然マケンドーもわかっているはずだ。
ゴシップ雑誌にあたしとマケンドーの熱愛疑惑がデカデカと載ってしまった。しかも証拠写真までついてて、それは以前レース会場で、落ち込むあたしをマケンドーが慰めてくれた時、あの時の抱擁シーンがなぜか写真に撮られていた。そんな記事が載ってしまえば、そりゃヒヨコさん発狂大暴れなわけだ。もちろん、あたしとマケンドーの間にそんな関係も感情も無いから、でっちあげだ。だけど、こんなシーン、知らない人からしたら、熱愛関係だと思われても仕方がない。まるで、ウミコさんみたいだ。ウミコさんは緑丘の区長の愛人だっていうありもしない記事でっちあげられて、傷ついた。その件で、マケンドーが動いてくれて、一応解決したんだけど。今度は、マケンドーが、そしてあたしが嵌められてしまった。
「カケリ、周りが何を言おうが耳を貸すな。お前はただ走ることに専念すればいい。疑惑は俺がはらしてみせる」
マケンドーがそう言ってくれることはありがたい。だけど、これはマケンドーだけの問題じゃない。もちろんあたしたち二人だけの問題でもない。わかっているけど、くやしいから、あたしはあたしの力でそれを晴らしてやりたいって思う。
「嘘はどこかでほころびが出る。あたしはあたしのやり方で真実を伝えたい。だからマケンドー、力をかして。あたしにその場を与えてほしい」
「カケリ、そうだな。そのための舞台は、おまえ自身でも切り開くものだ」
マケンドーはわかってくれてる。そのための舞台、それは当然、レースしかない。


その日のレース会場は、異常な盛り上がりをしていた。その一端にあたしとマケンドーの例の報道が関係していた。あたし自身ももだけど、マケンドーの汚名も晴らしたい。それができるのは、あたししかいないと思う。あたしはあたしのため、そしてマケンドーのために、レースに勝つ。
また難度の増したトラップだったけど、無事ゴールを果たした。ゴールした先にはマイクやカメラが待ち構えていた。有名人の熱愛ネタは、マスコミからしたらおいしいネタなんだろう。いつの世もゴシップは人の興味をひきつけてやまないのだから、仕方ない。あたしだって身近な人の恋の噂は気になるのときっと同じ。だからそこを利用してやるんだ。
ふん、と鼻息荒く、あたしはせまり来るマイクの一つをぶん取る。そして、この会場のどこかにいるかもしれない、その相手に向けて、宣言する。

『あたしには好きな人がいます! 今世間ではいろいろと噂をされているけど、今あえてあたしはそれを否定しません。今期の最終レースで、チャンピオン決定戦で勝利して、そして…あたしは好きな人を抱きしめに行きます!』
一瞬静まり返る会場。あたしがなにを言ったのか、どれくらいの人が理解しただろうか、そんなこと知ったこっちゃない。自分の退路に火をつけちまった状態、もうあとには引けない。
『以上!』
言い終わって、マイクを報道陣へとつきかえす。もう、…優勝するっきゃないんだ!


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