島魂粉砕

モドル | ススム | モクジ

  第八話 婚姻します!  

森から逃げ出し、シズクが向った先は、以前キョウジとジンヤに連れてこられたあの海が見渡せる丘だった。日が暮れだし、明かりもない丘の上には長い影が伸びている。
そこには小さなベンチがある。キョウジとジンヤが勝手に置いたものだが、そこに腰掛けて、じっと…シズクは待っていた。

しばらくして、キョウジがやってくる。

「ここにいたんだな。ジンヤを待っていたのか、アイツならここにはこないぞ」

ふるふるとシズクは首を横に振った。ここでジンヤを待っていたわけではない。まだショックなのか、ぼうとした目で、静かにベンチに座っていた。
日も暮れかけ、すぐに闇夜に包まれる。戻らないとみんな心配するだろう、なんの連絡もしないままでは騒ぎになるかもしれない。
口の中に鉄の味が広がるが、自分の事よりまずはシズクのことだ。

「早く戻らないと心配する。…とその前にその格好なんとかしないとな」

乱暴に引き裂かれた胸元は、繊維がぶちぶちになっていて、胸の谷間に白い下着がさすがに目立つ。

「ソーイングセット、持ち歩いているから…」
そう言ってシズクはごそごそと服のポケットから小さなケースを取り出した。針と糸が少し納められている。自分でやろうとするが、さすがに手が震えて、危なっかしくてしかたない。

「貸してみ。自分じゃやりにくいだろ」

申し出たキョウジの差し出した手に、シズクはソーイングセットを手渡す。シズクの真正面に座って手直そうとするが、露わになった胸の谷間を直視できず
「自分で抑えてろよ」
キョウジに言われて、胸元を隠すようにシズクは服を手で寄せて押さえた。
日が落ちて、視界が悪くなるが…。キョウジはゴーグルをかけるとレンズ部分横のスイッチをいじるとゴーグルからライトが点灯されて、手元を明るく照らす。針縫い作業には支障はなかった。

「それ、便利そうだけど、首疲れない?」
首を固定しなければいけないので確かに首がこりそうなのだが、そこはツッコムなよと返答した。
数分も経たぬうちに縫い上げて、破れた部分をなおしたが、さすがに昼間は目立つだろう。この服はもう着れない。マサトの奴も酷い事をする、まあ変態の行動などキョウジには理解不能だったが。

「帰るぞ」
と立ち上がり、シズクを促したが、シズクの表情は重く、腰を上げない。


「どうして、ジンヤは返事をくれないの?」
シズクが訊ねるソレは、ジンヤの手紙の事だろう。
ジンヤは返事を書く気がないのだと思う。その答えは、キョウジに頼んだ勝手な要求のことだ。ジンヤは返したつもりでも、それはシズクには届いていない。不安になる気持ちはしょうがなかった。

「その返事ってのは僕に頼まれた事だよ。お前、マサトとどうしても婚姻したくないって言うんだろ?」

「なに? ジンヤはキョウジになんて頼んだの?」

「僕にシズクと婚姻しろって」

「えっ」

「約束したつもりはないけど、アイツは一方的にそうしてくれって言い張って。でも冗談じゃない、なんで僕がシズクとジンヤのために、婚姻しなきゃならないんだよ。それしか道がないみたいにアイツは言うけど、そんなことはない」

「じゃあどうすればいいの? 他にどんな道が…」
不安げな眼差しで見上げるシズクに、キョウジはあきれたように息を吐く。

「ムリだって断ればいいんだろ。マサトみたいな変態は生理的に受け付けないってハッキリ言えばいい。今日のこと親父さんに話せば考え直してくれるだろ」

「ダメ! 今日のことは言わないで、お願い!」
急に強い口調でシズクはそう頼んだ。マサトに襲われたショックが強いのはしょうがないが、アイツの悪事を親や周りに知らせないままで本当にいいのだろうかと、釈然としないが。レイプされそうになった事実を隠したいと思うのも当然の感情だろう。親想いのシズクなら、その相手が自分たちの進める婚約の相手のマサトだと知れば、相当ショックを受けるはず。そういう理由でだろうとキョウジは思ったが、真意はそうじゃなかった。それはシズクが打ち明ける事ができない事実にある。

「…わかったよ。とにかく、戻ろう。送るから」
すでに日が落ちて、互いの顔も影が落ちてよく見えない状態で。ゴーグルのライト頼りに山を下る。
自転車こいで、水南家へとシズクを送っていく。


出迎えた水南の人間は、驚いた。シズクはマサトと来るものと思っていたら、マサトではなくキョウジと一緒に帰ってきた。それにキョウジの顔が腫れている点も不審に思った。
「一体なにがあったんだ?」
と訊ねられるのも無理はない。一応言い訳を考えておいた。途中忘れ物に気づいたシズクが慌てて風東へ戻った。探し物をしていたがそれは勘違いだったということで、キョウジが家まで送ることになった。キョウジのケガは弟と遊んでやっている時にうっかりドジりましたと言い訳した。さすがに怪訝な顔をされたが。

「キョウジ君、昔から君にはいろいろと世話になった身で申し訳ないけど。シズクももうすぐ嫁ぐ身なのだし、今後はこうした付き合いを控えてもらいたいんだよ」
申し訳なさそうに、だけども迷惑そうにも見える顔つきで、ヨウスケはキョウジにそう伝える。

「そんな言い方」
しなくても、と言いかけるシズクに「シズクは黙ってなさい」と母に叱られる。

「わかりました。じゃあな、シズク」
「う、うん…」
なんだか不安げな顔でキョウジを見送るシズクに、一抹の不安を覚えたが、釈然としない気持ちのまま家路に着いた。



帰宅すると腫れた顔をミヨシやメバルに心配されたが、たいしたことないと答えた。

「うう、また兄ちゃん、マサトにトラウマを植え付けられて…」
ソファーの後ろで顔を覗かせながらガクブルするメバルに、キョウジも青い顔で反論する。
「違うって、二発殴られただけだよ…」
いっててと顔をしかめる。幸いにも歯が折れてはないが。冷湿布を貼って、憂鬱な気分になる。まったく、治療費をマサトに請求したい心境だが、「先に殴りかかってきたのはそっちでしょう。正当防衛ですよ」と言われかねないので、やらないが。シズクを助ける為とはいえ、一方的に殴られて、思い出してはやはり腹が立つ。

「で、シズク姉ちゃんは?」
「ちゃんと家に帰したよ」
「マサトのやつには何て言った? あとで仕返しとかしてこないよね?」
青い顔でガクブルするメバル。人に追っかけてこいと言っておいて、自分はとばっちりはごめんだとばかりにガクブルしている。
「いや、ゴーグルライトでめくらまししてそのすきに逃げたから、アイツがどうなったか知らん」
「珍しく兄ちゃんの発明が役に立ったんだな」
「珍しくって、どういう意味だよ。…はー、今後の事考えると気が滅入りそうだけど…」
関わり合いになりたくない相手だが、マサトのやつが簡単にシズクをあきらめたりしないだろう。なんせ八年間シズクにアタックしているストーカーだ。あっさりとあきらめるとは思えない。
それに現状、マサトの気持ちだけでなく、シズクの両親もマサトとの縁談に乗り気なので、何もなければこのままシズクはマサトと婚姻することになるだろう。
シズクはあんなにマサトを拒絶しているくせに、親のことを思って断れないのだろう。

「(という理由だけ、とは思えないような…)」
とキョウジはひっかかりを覚えていた。

そもそもなんでマサトはシズクをあんな場所に連れて行ったんだ?
あの場所はシズクでなくても警戒して、近づこうとはしないはずだ。マサトも疑惑を持たれた因縁深い現場になる。あの場所になにかあるというのだろうか?

ひょっとしてシズクはマサトに脅されているんじゃ? それでマサトの要求に逆らうことができずに、マサトとの婚姻も断れないのかもしれない。
ジンヤへの手紙にも、理由は明記されてなかったそうだが、マサトだけはどうしてもダメだという嫌悪する気持ちだけは伝わってきた。
なにが理由で脅されているのかはわからないが、あの腹黒いマサトならやりかねない。

この仮定が正しいなら、シズクは親にマサトとの婚姻がイヤだと言えるわけがない。
別れ際のハッキリしない返事の、不安げな顔を思い出して、キョウジはある決意をする。元々本意ではなかったその決意を。


翌日、キョウジは水南家に向った。思いたったが実行せねば。一日でも、一秒でも早く。シズクをマサトという悪夢から引き離すために。それができるのは自分しかいないと。
昨日、付き合いをやめてくれと言われたばかりのキョウジが突然訊ねてきて、何事なのかと怪訝な顔してヨウスケが迎える。なにも聞いてなかったシズクも目を丸くする。

「朝早くからすみません。お願いがあってきました」

「一体なんの話だい?」
と眩しそうに目を細めながら、ヨウスケが玄関で頭を下げるキョウジに訊ねる。

「シズクさんと婚姻させてください!」

「は、ええ? 君唐突になにを言ってるんだ。おいシズクどういうことなんだ?」
すぐうしろにいたシズクへとヨウスケが訊ねるが、シズクのほうも寝耳に水だ。今初めて知った。キョウジからはジンヤから「シズクと婚姻してほしい」と言われたらしいが、キョウジ本人はその気はないと、つい昨日聞いたばかりだというのに。なにかあったのだろうか。
シズクはキョウジのそばへと駆け寄る。

「一体どういうことなの?」
駆け寄ったシズクに小声で訊ねる。
「マサトのやつに脅されてるんだろ」「え、どうしてそれを」驚いて目を丸くするシズクを確認して「やっぱりな」と頷く。
「シズク、ハッキリ伝えるんだ。マサトなんかと婚姻したくないって」
「でも…」
脳裏に浮かぶ、マサトのあの声と恐ろしい目。
「あんな奴の脅しに屈するな。僕のところに来れば僕も親父もシズクのこと守ってやれる」
不安はある。だけどキョウジの勇気をムダにできない。ここがきっと運命の分かれ道。そう思って、シズクも決意する。

「お父さん、わたし…キョウジと婚姻します!」

早朝から「ええー?!」という声が水南家で響き渡った。
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