島魂粉砕

モドル | ススム | モクジ

  第七話 海坊主と恋敵  

秘密の丘から海を望む。どこまでも続くかのような水平線。他に陸地など見えるはずもなく。
ここが絶海の孤島なのだと思い知る。
そのどこまでも続くか知れない海の上に見えるのは、幾隻かの漁船に、週に一度本土から届く物資の貨物船。
その他に見えるのは、クジラといった大型の海洋生物がはるかかなたに見えるが、クジラではない別の生き物もまた確認できた。
海面にときおり現れる黒く丸い頭のような不気味な存在、海坊主と呼ばれるものだ。
海坊主は普段は何もしない。まず姿を見ることがない。陸地から、たまに夕暮れ時から夜にかけて、海面に浮かぶ黒い影が見えることがある。クジラではないそれが海坊主だといわれる。
海坊主は、漁船や貨物船にはなにもしない。海坊主は、そうではない島を離れようとする船を襲い、転覆させると言われている。けして、島より出さないように、なにかの意思によって、島の者を島より出さぬように、島周辺の海域にいると言われている。

「また見える…」

バイト帰りのキョウジは、あの丘から海を望みながら海坊主を確認して、一人つぶやいた。
キョウジが働く工場は、船の部品を主に作っている。そこでの技術を自分の発明に生かせないかと思っているが。相手はなかなか手ごわい、あの海の彼方に見える謎の黒い怪物だ。
魚群探知機を改造して、海坊主探知機にできないものかと、試行錯誤しているが。

「それに船が必要だよな、あと船舶免許…」
道のりはけして軽くない。



帰宅したキョウジを出迎えたのは、家政婦のミヨシではなく…
「あ、おかえりなさいキョウジ! やっと帰ってきた」
「シズク、なんでお前がここに?」
来る約束をした覚えはないはずなのだが。
「シズクさん、キョウジさんにご用があるってずっと待ってたんですよ」
とミヨシが説明してくれた。
キョウジのほうから用事はないはずなのだが、…がすぐになんのことだろうかは察しがつく。
シズクのことだ、どうせジンヤのことについてだろう。二人とも直接会うことがないようだし。
先日、ジンヤから散々主にスミエのことで愚痴られたが、あれだけスミエにむかつきながら、婚約は互いに解消しないというのだから不思議なものだ。アイツ根はドMなんじゃと疑いたくなるほどだ。

ジンヤの話を玄関でするわけにもいかず、場所を変えようかと提案した矢先、来客があって遮られる。
「失礼します。こちらにシズクさんがいらっしゃるとお聞きして、お迎えにまいりました」
と優雅な空気をたたえて訪問したのは、本来なら風東へ縁のない相手…マサトだった。風東家と西炎家まではずいぶん距離がある、と思ったら外に真っ赤な車が停まっていた。

「あ、あの…」
とまどうようにシズクは半歩後ずさり、困り顔になる。用事があるということで、キョウジの帰宅を待っていたというのに、キョウジが帰宅した矢先に迎えにこられるなど、予想外だった。しかもマサトが来るなんて…、頼んでもいないのに。

「さあ戻りましょう。ご両親も心配されてますよ」

「なにしに来たんだよ、マサト」
いきなりのマサト登場に、キョウジも不快感を露わにする。
「おや? いたんですか、キョウジ君。君の顔など見たくもありませんが」
人のうちに来て、なにを言うんだコイツは。

「シズクさんが君の変な影響を受けても困ります。ご両親も大変心配されていますからね、君が変なところに連れまわしていないかと」
笑顔ながらに非難するような眼差し、キョウジは身も心も後退させられる。キョウジはマサトが苦手だ、天敵なのだ。
心底関わりあいたくないが、人の家に来てこの態度、さすがにイラッとくる。

助けを求めるような目でキョウジを見ながら、シズクはマサトの要求に拒否の意を伝える。
「あの、わたしまだ用事が…」
きっぱりと、イヤですとは言えない弱い抵抗でしかないが。
「そうだよ、シズクは用があってここに来たんだよ。僕が帰ったばかりで、まだそれも聞いてすらいない」

「わかりました。では待ちますので、すぐすませてください。今ここで」
にっこりと笑顔でマサト。
「え」
シズクもキョウジも固まる。
待ちますといいながら、待つ気ゼロのつもりだろ。
ここでいいでしょうと勝手なことを言うマサト。シズクの言う用事がなにかも知らないで、自分勝手にもほどがある。当然、ここで話せるわけがない。シズクの用事がジンヤのことならなおさらだろう。

「こ、ここではちょっと…」
困ったように俯くシズク。マサトの前で話せる内容じゃない。
「私がいてはダメなことですか? やはりやましいことをするつもりなんですね、キョウジ君」
ジロリとキョウジに非難の眼差しを向けるマサトに、「違うって」と伝えるが、真実は言えず、怪しいと思われ、シズクの主張は通らなかった。

「ならいいですね、シズクさん、帰りましょう」
と強引にシズクの手を引き、出るように促す。マサトに逆らえず、シズクは靴を履いて玄関を出る。
「では失礼します」
とマサトが玄関の戸を閉める。その瞬間に見えたシズクの目は、なにかを伝えたげで。気にはなったがそのまま、玄関に立ち尽くしたままのキョウジ。外で車の発進音が聞こえた。

「なにやってんだよ、兄ちゃん追っかけろって」
扉の奥に隠れていたメバルの声。お前いたのか、ずっと隠れていたのか、マサトにビビリすぎだろ、人のこと言えないけど。とメバルにあきれながらも、やはり気にかかっていた。それから、妙な胸騒ぎを感じるような。まさかそれがとんでもないことに繋がるとは、この時のキョウジは気づきもしなかった。
「追いかけろって、相手車だぞ」
「チャリンコ全力でこいでいけよ!」
まったく、言うだけは楽だよな、と思いつつ、すぐに自転車出して追いかけた。
追いかける理由ならある。用事を聞いてない。



シズクは気持ち悪くてしかたなかった。
道はけして酷い悪路というわけではなく、マサトの運転が乱暴でもなく、乗り物酔いしやすい体質というわけでもないはずなのだが。
それは精神的にくるものなのかもしれない。どうしても、だめだ、マサトが苦手で仕方ない。でもそんな態度をあからさまに出すわけにはいかない。でもさすがに、気がおかしくなりそうな域まで達する。耳鳴りまでしてきた。

「どうしましたシズクさん、まさか気分が悪いのですか? 安全運転のつもりなのですが…。大丈夫ですか?」
「いや、降ろして」
急にシートベルトを外して、扉を開けようとするシズクに、慌ててマサトも車を停車させる。
「ダメですよシズクさん、危ない」
「いやっ」
停車してすぐに扉を開けて、シズクは逃げ出した。慌ててマサトは後を追いかける。
道をそれて、北西へと、森の中へと向う。

わけがわからずがむしゃらに、気持ち悪さから逃れたい一心で、シズクは走った。
霧が濃くなって、次第に完全に視界を奪う。ただ進んだ先で、急に視界がよくなって、だが気分の悪さは治まらず、意識はうつろになってきた。

「こ、こは…わたしいつのまに…」
森の中を走っているうちにたどり着いた場所。不思議な空気が流れていて、目の前に祠のようなものが見える。
どこなのだろう、どことなく神聖な場所なのだと感じるが、知らない場所だ。
マズイ帰らなきゃと、思った矢先、また急にシズクに不快な感覚が襲いかかる。
目には見えないが、感覚的に黒い靄のような。
体に、なにかがまとわりついたような気がした。指先にかすかに鋭い痛みが走って。

気がつくと、森の中にいた。先ほどの祠は見えなくて、場所はもう違う。ひょっとして先ほど見た景色は夢だったのでは。
右手人差し指の腹に軽く鋭利なもので切り裂かれた痕があり、斜めに赤い縦線があった。いつのまにか木の枝がトゲで切ったのかもしれない。

ゆらゆらと歩いていると、段々もやが晴れてきて、視界が良好になってきた。
「ここは、どこ…」
ぼんやり思いながら、急に蘇る記憶にはっとなる。
幼い自分がいつか見た景色、森の中で、横たわる女性が苦しそうにもがいている。その上に跨る男が女性の首を絞めている。
幼いながらにもシズクはわかった。その行為がどれだけ狂気じみているかということに。
じたばたしていた女性の体は、やがてぐったりと力を失くす。
死んだ、殺された。
恐怖で、体がこわばる。逃げなきゃと思うのに、金縛りのように動けなくなって。女性を殺した男は、シズクのほうへと振り向く。
笑いながら、シズクのほうへと近づいてくる。逃げたくても、逃げられない。怖いのに、目をそらせない。
「誰にも話してはいけませんよ、今見た事を」
怖くて、男の言葉をただこくこくと頷くことしかできない。悪い事だとわかってはいるのに、逆らってはいけないと本能が叫ぶ。
「そういいこですね。忘れないで下さいね、このことを。もし忘れれば、どうなるかわかりますか?
私は遠く離れた相手を呪い殺す事ができるんですよ。例えば、あなたの大事な人が…」


あの恐ろしい記憶、自分を恐ろしい記憶で縛ったあの恐ろしい相手は、今こちらへと向ってきているあの男だ。

「シズクさん! どこに行ったのですか、ダメですよ、勝手にいなくなったりしては、心配するでしょう。それにここは…」
森の外から走ってきたその男はマサトだ。体が強張る、シズクの体も心もマサトを拒絶する。
「あまりいい気持ちのする場所じゃありませんし」
というマサト、ここはマサトの知人女性たちが不審死した場所になる。マサトでなくてもいい思いのしない場所だ。長居したくない。

「いや、…こないで」
脅えた様子のシズクに、マサトは大丈夫ですよといつもの優しい紳士的なスマイルを浮べながら近づいていく。シズクからしたら、それが恐ろしくて、恐ろしくて。
腕を捕まれた瞬間、恐怖が限界に達して、意識が遠ざかる。




自転車こぎながら、キョウジはシズクを乗せたマサトの車を追いかけていた。といっても最初から車の姿など見えるはずもなく、追いつけるはずもなかった。島内には信号もないし、そもそも自動車は所有者が少なく、道路が込むことなどまずないし。
水南家へ向う道を走っていたが、道を外れたところに派手で目立つ赤い車を見つけて、進路を変える。
あれは間違いなくマサトの車だ。それがなぜこんなところに停まっているのか。
胸騒ぎがした、この森の先は、以前ある事件のあった場所。マサトの関係女性が五人不審死した現場になる。そんなところに、なぜマサトの車が…、嫌な予感しかしてこない。


森の中を探す、夕暮れ前とはいえ、森の中は日中から薄暗く、じめっとした不快な空気が漂う。

「シズクー!」

シズクの名を呼びながら、森の中を探す。焦る気持ちと湧き上がる不安。
それが的中するように、信じられない現場をキョウジは目の当たりにした。

木に押し付けるようにシズクを捕らえていたマサトが前方に見えた。シズクの胸元は無惨にも引き裂かれ肌色が露わになっている。涙目で震えている首筋に今にも吸い付きそうなマサト、という構図はどう見ても、マサトが嫌がるシズクに襲いかかっているようにしか見えない。

カァッと怒りが湧き起こり、マサトへの不信感不快感もマックスに、感情のままにキョウジは体を走らせていた。

「なにやってる! シズクから離れろこの変態野郎ッ!」

叫びながら、マサトへと殴りかかるキョウジへすぐに気づいたマサト。キョウジの拳はマサトの手に簡単に止められて
「そっちこそなにするんですか!」
と素早く容赦なくマサトのカウンターパンチがキョウジの頬へとクリーンヒットする。
「うぐぅっ」
地面へと倒れるが、キョウジの目はシズクへと向く。
「キョウジ?」
まだ混乱しているかのようなシズクの目、すぐにキョウジは視線をマサトへと向きなおして叫ぶ。
「いいから早く逃げろ!」
なにか言いたげだったが、シズクは言われるまま走って二人の元から逃げ出した。

「君はいつも私を不快にさせる、天才ですね」
「うるさいこの外道野郎」
マサトへと再攻撃を仕掛けるが、それもあっさりとマサトに防がれる。そして、手痛いカウンターを受けて、ますますマサトへの苛立ちを募らせながら、地面を転がった。
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