島魂粉砕

モドル | ススム | モクジ

  最終話 さらば故郷よ  

キョウジの研究所にて、工具やら書類をまとめながら、キョウジはジンヤの報告を聞いていた。
ジンヤは先日、婚約者のスミエと婚姻の儀を行ったそうだ。
以前もここでジンヤからスミエに関する話を聞いたことがある。それはスミエがとんでもない女だと、ぶち切れていたジンヤだったが。なんやかんやあって、ジンヤは自分の意思でスミエと婚姻すると決めたのだ。
上手いこといっていたから婚姻の儀に及んだものと思っていたが、ジンヤの様子がまたイライラを露にして拳を震わせていた。それを証明するように第一声が

「ふざっっけるな、スミエの奴っっ」

血管切れそうな顔で怒りを露にするジンヤ。なんだよお前また暴力振るわれたのか?とキョウジがあきれ気味に問いかける。

「そうじゃない。いやいっそ暴力のほうがはるかにいいッ!」

ああ、こいつやっぱり殴られすぎて思考がおかしくなっているんだ、と同情する。

「暴力はあまり振るわなくなった。あの日、俺が西炎家に報告に行った日だ。スミエの態度が変わったのは」

わなわなと震えながらジンヤが語る。あの日というのは、封印の儀を行うよりも前、ジンヤが西炎家に報告に行くとガクブルしていた時のことになるそうだ。その時は、キョウジはてっきりジンヤはシズクとの婚姻を決意し、スミエとの破談を伝えにいったものだと思い込んでいた。あとになって聞いたのが、その時にジンヤはスミエとの婚姻を正式に決めたらしく、シズクとこの場所で二人きりになった時に、そのことを伝えたらしい。

西炎家についたジンヤは先にマサトに会ったという。特別なやり取りをした覚えはないが、マサトからスミエのことをよろしく頼むだとか、封印の儀に向けての心構えだとか、あとはしつこくコレクションどうのこうのと言われたらしい。キョウジにはコレクションとかなんの話かわからないが、興味もないのでそこは追求しない。まったく身に覚えがないのだが、スミエはそのやりとりをこっそりと見ていたらしく、またとんでもない勘違いをしたという。


「ジンヤさん、アタクシあなたがホモ野郎であることを許せないと思ってましたけど、その考え改めさせてくださいな」

妙にしおらしく、そして今までの態度を申し訳ないといった感じにスミエが言ってきた。ジンヤは驚いたが、スミエもそこまで鬼じゃなかった。少し思い込みが激しく、人の話を聞かないだけで、ちゃんと人の心がある女性だと知り、彼女を見改めようと思った。が、直後

「あなたの相手が他の男なら、とんでもないクズホモ野郎でしたわ。でも、それがマサトお兄様なら別ですわ」

「は? なにを言ってるんだ君は」

スミエのとんでも発言にジンヤは大口開けてぽかーんと固まる。意味がまったくわからない、この女はなにを言ってるのだ状態だ。しかしジンヤの反応に反して、スミエはいいんですのよと一人芝居しながら一人しゃべる。

「マサトお兄様は本当に完璧無敵な殿方ですもの。アタクシも妹でなければ、マサトお兄様と婚姻したいくらいですわ! きっと島中の女性がマサトお兄様にメロメロに違いありませんわ! 西炎の侍女たちもみーんなマサトお兄様に夢中ですもの! 日々マサトお兄様日誌をつけてますのよv うふふご存知でした? そんなステキなマサトお兄様ですもの、女性のみならず、同性のハートだってひきつけて当然ですわね。ジンヤさんマサトお兄様のコレクションになりたいと申し出たそうじゃありませんの? お兄様もジンヤさんのこととても好感触でしてよ。もっと自信もってよろしいと思いますの。先ほどのジンヤさんを見てアタクシ確信しましてよ。ジンヤさんはマサトお兄様を愛してらっしゃるんですね。とても熱いまなざしで見つめてましたものね」

「ちょっと待て! 気持ち悪い勘違いはやめてくれ! 俺はマサトさんのことは呪術師として尊敬しているが、そんな気色悪い感情では見ていない! いい加減にしてくれ、何度も言っているが、俺はホモじゃない!」

ジンヤが全力で反論するが、スミエはまあ…と目を潤ませて。

「アタクシが散々ホモ野郎と罵ったせいですのね。アタクシてっきり他のクズ男だと思ってましたから。マサトお兄様であるなら話は別なんですのよ。ジンヤさんの想いは否定するものではありませんの。マサトお兄様を愛する想いは誇っていいくらいですわ。ええもう叫べばいいと思いますの!」

スミエは快くジンヤとの婚姻の申し出を受けた。マサトへの想いを応援しますわという意味不明の理由でもって。何度ジンヤが違うといってもスミエはわかってくれなかった。思い込みが激しすぎるのも問題だ。ジンヤがホモにやたらと反応するのはこのときのスミエのやりとりが原因だったようだ。不憫なやつめ。

「でも、勘違いされてんのはともかく、スミエからは悪く思われなくなったんならマシになったってことだろ」

「冗談じゃない! それならいっそ殴られ続けたほうがはるかにマシだ!」

「ああ、そう」

殴られたほうがマシというのもまたよくわからないが。ジンヤもプライドが高すぎるんじゃないだろうか、石頭というか…。

「夫婦の儀ですら、自分をマサトだと思ってしろとかいうしな…」

「ああ、それは…嫌過ぎるな」

聞きたくない現実を聞いてしまったようで、キョウジもげんなりとなる。

「ところで、マサトの奴どうなんだ? 儀式の日以降まったく会わないけど」

会いたくもないけど。あんなにシズクに執着していた変態ストーカーが、あきらめられたのだろうか? 正直係わり合いになりたくないから、動向は探っておきたい。

「ああ、そうだな。表面上は特に変わらずだ。まああの人はシズクに対してというより、コレクションに執着しているみたいだしな…」

「なんだよ? コレクションって」

「お前は知らないのか? マサトさんの趣味を…」

ずーんとなぜかジンヤが落ち込んでいくが、キョウジはマサトの趣味などこれっぽちも興味ないしどうでもいい。

「まあ知らなくていいだろうな、知らないほうが幸せだ…」

「おい、ジンヤ?」

意識が遠いところに行きかけて、ハッとしてジンヤがコッチの世界に戻ってくる。

「そうだ、マサトさんとシズクといえば、マサトさんに確認したんだが。シズクがマサトさんに恐怖を抱いた原因は、やはりマサトさんだった。
シズクの十歳の誕生日に、あの人はプレゼントを贈ったそうなんだ。そのお礼にシズクはマサトさんに会いに行った。マサトさんはシズクを気に入ったから、コレクションルームに案内して、見せたらしい」

あのコレクションを…、とジンヤがテンションの低い声色で語る。なんだよコレクションて?キョウジにはさっぱりわからないが、とにかく悪趣味な系統なのだろう。

「シズクは悲鳴を上げて館を飛び出したそうだ。マサトさんは感激して走り出したと言っていたが、絶対違うだろう。ショックで逃げ出したに決まっている。中にはおぞましいブツもあって、十歳の女の子にはなかなかキツイだろうな…」

「(おぞましいブツってゲテモノ類だろうか?)それじゃあシズクはその時に」

「ああ、結界の森のほうで迷子になったらしい。恐怖心でいっぱいになったシズクはその時、禍と結びついてしまったんだろうな」

シズクがマサトを苦手な理由はその時の体験が関係しているのだろう。シズクが見たと思い込んでいたマサトが森で女性を殺し、脅された記憶も、マサトへの恐怖心を禍が増幅し、歪んでさらに恐ろしい記憶を作り上げてしまった。ずっとその偽りの恐怖の体験を、一人胸に抱えていたのだろう。恐ろしくて、大切な人を失いたくなくて。シズクからそのことを打ち明けられた時、マサトへの怒りがこみ上げ、西炎家に乗り込んだこともある。キョウジはマサトがシズクに術をかけたせいだと疑ってかかったが、さらりとかわされて追及することは出来なかった。マサトの無実は証明されたが。シズクを禍と結びつける原因になったのは、キョウジとマサトだった。

「シズクは十歳の時に禍と婚姻したっていうのか。でもおかしくなったのはわりと最近だよな」

「ずっと彼女のそばにいたお前ですら気取らせなかったんだ。マサトさんへの恐怖もずっと隠していたくらいだ。シズクは禍を押さえつけていたんだろうな」

シズクの心が強かったとジンヤはいうが、キョウジは逆も考えられるんじゃ?と思った。わざと禍は表に出てこようとしなかったのかもしれない。
シズクがおかしくなった原因は、おおよそマサトとの婚姻が現実になりかけたことではないか。マサトは、あの森の中でシズクに誘われたと主張していた。

「ったく、シズクの人生のポイントでことごとく関わってたのはマサトじゃないか」

ほんとマサトいらつくなーと愚痴愚痴言い出すキョウジを見て、ジンヤは訊ねる。マサトとキョウジの不仲は禍を解放した今でさえ、変化はない。マサトの前でキョウジの話題を口にしてしまえば、ギチギチした笑顔でキョウジの文句を言う有様だ。別に仲良くなれとまでは言わないが、同じ四家の呪術師仲間、不協和音は解消してほしい。父ガンザと水南家のヨウスケですら、少しずつ交流を再開しているくらいなのに。

「マサトさんが言うには、キョウジが昔スミエに酷いことをしてトラウマを植えつけたことが原因らしい。キョウジ、お前一体スミエになにをしたんだ?」

そういえばスミエにも酷く嫌われていたな、とジンヤから問い詰められる。ううう、とキョウジは表情を暗く落としながらも、白状する。

「ガキの頃メバルと一緒にスミエのスカートをめくろうとしたんだよ」

「なに? スミエのスカートをめくってパンツを見ただと? とんだクズだな見損なったぞキョウジ!」

仮にも人の嫁にセクハラを働いていたなど、正義感の強いジンヤも許せるはずもない。怒りはじめるジンヤにちょっとまて話最後まで聞けってとキョウジ。

「未遂なんだよ。やろうとした直前にスミエ本人にばれて。その時にめちゃくちゃ罵られて、もう僕もメバルも半泣きでひたすら謝って土下座して。おやつでもなんでも弁償するから許してほしいってとにかく謝ったんだよ」

「弁償とか意味がわからんな。…しかしスミエは昔から、そんなだったのか…」

身にしみてわかるので、ジンヤの怒りは冷めてキョウジに同情すらする。

「それでも許さないってスミエの怒りは収まらず、そのことをマサトにちくったんだよ…、それで」

急にキョウジのテンションが地面ぶち抜く勢いで降下していく。ずーんと暗い靄が頭上に見えるような気さえする。まさか禍じゃないよな?

「年頃の女の子にトラウマを植えつけたのだから、君はそれ以上に酷い目にあうべきですよね?って、マサトの奴に…う、うぐぅ…」

「お、おいなにをされたんだ? マサトさん、に…」

聞いてはいけないような気配を察して、ジンヤも慎重に訊ねる。

「む、むりだ! もうほんとに消去りたい記憶なんだよっっ。頼む、これ以上は勘弁してくれ、うううぐすっっ」

机に突っ伏して泣き出したキョウジ。さすがに情けないとは思えず、かわいそうになった。キョウジの名誉のためにも、聞くのはよそう。ジンヤも追求はやめた。それにしても…

「そんな暗い過去があって、お前はよくポジティブに生きてこられたな」

全ジンヤがキョウジを褒めた。


荷物を纏め上げて、研究所に鍵をかける。

「ここも当分は開かずの間になるか」

「ついに島を出るんだな」

ジンヤの言葉に「ああ」とキョウジは明るい笑顔で頷く。
キョウジが望んだとおり、本土と島を結ぶフェリーが出来た。まだ実験的にだが、人の往来具合によって便数も増えるだろう。今のところ二週間に一便しかない。だが大きな進歩だ。
キョウジは機械工学の専門学校に通うことになった。無事入学が決まり、本土で一人暮らししながら通学をする。

「会えるのは二年後か?」

「いや、夏と冬の長期休暇には帰ってこれるよ。まあでもフェリーのスケジュールにもよるかな。
親父やシズクも寂しがるだろうしな」

「シズクは納得したのか?」

「ああ、一応な。一緒に行きたいと散々駄々こねられたけど、島のことすらろくにわかってないのにいきなり本土で生活なんてムリだろ。それに、僕は勉強に行くわけだし、僕が学校行ってる間、ずっと留守してろなんてそれこそ酷だろ」

はー、と息を吐いてキョウジは頭をかく。だいたい婚姻を交わした夜、シズクは自分で言ったというのに。「キョウジの想いを尊重する」と。
だから引止めはしなかったが、一緒に行きたいと言い出したときは困った。父やミヨシさんはシズクのほうに同情的だし、ヨウスケもシズクがどうしてもというのなら反対は出来ないなどと甘甘対応だ。メバルだけはキョウジの味方をしてくれた。

「シズク姉ちゃんのことはおれにまかせてよ。だから兄ちゃんは安心して本土に行ってきて」と。

たぶんキョウジのためにそう言ってくれたというより、キョウジがいない間大好きなシズクを独り占めできるからという邪な気持ちが強いんじゃないかと勘ぐるが、そこはあんまり心配していない。

「そうか。まあ出航当日は俺も見送りに行く」

「悪いな、お前だって暇なわけじゃないのに」

禍が島から解き放たれたといっても、四家の役目がなくなったわけではない。小さな禍は今でもいたるところにいる。そして呪術師の仕事も、変わらず日々あるわけだ。



自宅に戻ったキョウジは、時々足元に擦り寄ってくるミルキィをなでなでしたりもにもにしたりしながら、明日出立の準備の最終確認をする。
夕食は最後の家族団らんになる。また二年後、いや早くて長期休暇には戻ってこれるはずだが。ミヨシの料理もしばらく食べられないと思うと名残は惜しい。

「キョウジ、早くシズクちゃんのところに行って、一緒にいてやれ」

とアラシに言われる。シズクは早々に食事を終えて、ぱたぱたと忙しなく自室のほうにこもっている。ここ最近なにかこそこそしているようだが、キョウジも忙しいからあまり気にしてやれる余裕もなかった。なにをしているかは知らないが、シズクもなにか好きなこと、趣味でも見つけたのだとしたらいいことだ。キョウジが知る限りシズクには趣味がない。最近はミヨシから料理を教わって、ちょこちょこと料理をしているが、別に趣味としてしているふうでもない。
好きなことがあれば、キョウジがいない寂しさも紛らわせるだろう。それはともかく…。

「別にいつも一緒なんだけどな…」

シズクと婚姻して、シズクは再び風東家に住むことになった。あの頃と違うのは、キョウジとの関係だろうか。家にいるときはほとんど一緒にいる。トイレで用をたす時以外はほぼと言っていい。風呂も一緒に入っている。何度も見ているはずのキョウジの体を毎度「えっちでいけない体」と表現する。未だにさっぱり意味がわからない。夫婦の儀はあれ以降行っていないが、儀式ではないセックスなら毎日のように行っているが。

だから今更一緒にいろと言われるのも、なんだかなと思う。

「なに言ってるんだ。いつもと一緒じゃないだろう。明日お前は島を出るんだから。
少しはシズクちゃんの気持ちも考えてやれ」

親父にケツ叩かれて、やれやれとばかりにキョウジはシズクの部屋へと向かった。


「おいシズク」

「きゃあ! なにもう勝手に入ってこないでよ!」

シズクの部屋の引き戸を開けると、なぜかシズクが慌てた様子でキョウジに怒る。
ごそごそとなにかを後ろの布団の中に押し込めて、「ちゃんとノックしてよ、常識でしょ」と言う。

「なに言ってんだよ今更。他人同士じゃあるまいし」

「家族でもプライバシーはあるでしょ」

お前が言うなよ、とキョウジが心の中であきれながら突っ込む。キョウジの都合などお構いなしにイチャイチャしたがるシズクに十分プライバシーを侵害されている気がする。

「最近なんかこそこそしてるみたいだけど、なにしてんだ?」

「へ、べ、べつに、なにもこそこそなんてしてないわよ」

もぞもぞと手元をいじくりながら目を泳がせるシズク、あからさまに怪しいが。

「…まあいいや。明日の朝には島を出るから」

「うん。よかったね、キョウジの願いが叶って。
そうだ、ちょっと手出してくれる?」

「は?なに?」シズクの真意がわからず、言われたとおりキョウジは手を差し出す。
シズクがなにかをキョウジの手に握らす。小さくて硬くて、これは…?

「これって」

「転がってたの見つけて。それ、覚えてる?」

キョウジが昔シズクにプレゼントしたからくりだ。シズクの十歳の誕生日にプレゼントしたもの。
シズクはこれを見て、当時の記憶を思い出し、キョウジを嫌いになった。
キョウジは大嫌いと言われてコレを投げつけられた。お互いにとってトラウマ蘇りそうな曰くの一品だ。

「ああ覚えてるよ」
キョウジの顔は引きつる。

「それ、直してまたわたしにちょうだい」

すっかりさび付いて、パーツもほとんどいかれてしまっている。これでは直すと言うより。

「新たに作り直したほうが早い気がするけどな…」

「ううん、それじゃなきゃ。思い出のモノだから」

長らく捨てられたも同然のからくりなのに…。

今ならもっといいもの作ってやれるのに、というキョウジにシズクは「そうじゃなくて」と首を横に振りながら。

「将来生まれるわたしたちの子供にね、わたしたちのこと話すときに、ソレがきっかけなんだよって話してあげられるじゃない」

「コレがきっかけかどうかはともかく。その時は禍とお前が婚姻したとか、マサトのこととか、ジンヤのこととか、お前がおかしくなって僕が殺されそうになったこととか、話さなきゃいけないのか。めんどくさそーだな…」

今までのことを思い出しながら、キョウジがげんなりする。「んもー、そういうことはてきとーに省略すればいいの」とシズクがつっこむ。

「わかったよ。今度帰ってくる時くらいでいいか」

受難の一端となったそのガラクタをキョウジはポケットに入れた。

「ねぇ明日早いんでしょ? 早くお風呂入って寝たほうがいいんじゃない?
あ、わたし明日見送りにいけないけど、お弁当作って置いておくからね。
じゃあ、おやすみ」

ぐいぐいと入り口まで押されて、シズクからおやすみのキスをされて、キョウジは締め出された。

「お、おいシズク? …なんだ、あいつ妙にあっさりだな…」

いつもならイチャイチャタイムに突入するはずなのに、シズクのほうからしたがるはずなのに。
しかも見送りにもいけないという、怪しい。なにか隠し事しているんじゃ…。怪訝に思いながらも、キョウジは風呂に入って自分の部屋で就寝した。旅立ちのわくわくと、シズクの態度が気になって、あんまり寝れなかったが、妙に冴えていた。




島の東に位置する唯一の港、キョウジがこれから乗るフェリーが停泊していた。乗船する客はさほどではないが、島を移動する人がいるということは大きな変化だ。少しずつ、こうした変化が現れていくのだろう。

船を前に、キョウジは見送りにきたジンヤとメバルとしばしの別れを惜しむ。惜しむというのも形だけで、キョウジは早く島を離れたくて仕方ない気持ちだった。キョウジを見送るジンヤやメバルの表情も明るい。

「そういえば、シズクは見送りに来てないのか?」

ジンヤがあたりを見渡すが、シズクの姿は見当たらない。

「ああ、今朝から会ってないな。親父に聞いたところなんか用があって出かけたらしいけど。
アイツ最近隠れてこそこそやってんだよな…」

「シズクの生活もお前ばっかりってわけじゃないだろ。もう禍と結びつく心配もないだろうし」

あの儀式を終えて以降、シズクは前より明るくなり、行動的になった。禍と離れたからかキョウジの影響からかはしれないが、もう過保護になってやる必要もないだろうとジンヤが言う。

「ともかくジンヤ、シズクのことよろしく頼むわ。と、そろそろ乗らないとな」

腕時計で時間を確認しつつ、出航時間が迫っていることを告げる。

「兄ちゃん、シズク姉ちゃんにはおれがついてるって。安心してまかせてよ!」

「セクハラすんなよ」と冗談交じりに言ってキョウジはメバルの頭をくしゃっと撫でる。

「じゃっ行くわ」

メバルたちに手を振って、キョウジは船に乗り込む。
デッキに出て、景色を見渡す。ゆっくりと視界が回っていく。船は港を離れ海原を走り始める。
段々と港が離れていき、小さくなっていく。キョウジは心の中で島に別れを告げる。
禍によって縛られていた島の人たちの心は、これからどのように動いていくのだろうか。
ジンヤとかメバルとかシズクとか、自分の周りの人たちにもいろいろと変化があったわけだ。
キョウジ自身、気持ちに大きな変化があったとかは思わない、が…。
こうして遠ざかっていく島を見て、少し寂しく、少し愛しく感じてしまう。
離れたいと思ったその場所にも、大切な思い出があって、大切な人たちがいる。

「さらば、故郷よ」

小さく独り言をつぶやいて、キョウジは小さくなっていく島を見つめていた。島が指幅くらいのサイズに遠ざかった頃、船内に戻ろうとくるりと振り返った、瞬間驚いて悲鳴を上げてしまった。
なぜならそこに、じーっとキョウジのほうを無言で見ていた、いるはずのない人物がいたためだ。

「シ、シズク?! ちょっおまなんで乗ってんだよ? てもう船でてるし、なに考えてんだよ!」

焦るキョウジにシズクはジト目で返してくる。

「わたしずーっと見ていたのにキョウジってば全然気づかないんだもの。呪術師なのに、そんなに鈍感で大丈夫なのかな?」

出航時からシズクは背後からキョウジをじーっと見ていた。しかしキョウジはシズクの存在に一切気づかず、島を見ながら感傷に浸っていた。独り言も聞かれていたのかと思うと、こっ恥ずかしくなってくる。

「どーすんだよお前、勝手に乗ったりして。これ途中で引き返したりとかできないんだぞ」

間違って船に乗ったのだとばかり思った。どーすんだよと焦るキョウジに、シズクはチケットを見せながら、自分の意思で乗ったことを説明した。

「お義父様に相談してチケットも手配してもらったの。キョウジは反対するから、ずっと内緒で準備してたんだ」

こそこそやっていたのはこのことだったのか。船が出てしまった今、追い返すこともできない。キョウジと離れたくないばっかりに船に乗るなんて、シズクバカだろ、とあきれる。

「わたしね、子供にいろんなこと教えてあげられるお母さんになりたいんだ。キョウジのそばを離れたくないって理由が一番なんだけど。いろいろ学ぶのも島じゃなくたっていいじゃないかって。新しい環境で刺激を受けたほうが、きっとわたしのためにもなるって。お義父様もすすめてくれたの。
わたしも向こうで、なにか興味を持てること見つけてみたい。
それに一緒にいたほうが、キョウジのお世話だってしてあげられるでしょ。最近は料理も上達してきたし、あっお弁当あとで食べてね」

「(やっぱり親父が裏でいろいろと仕込んでいたんだな。シズクと引き離したくないのは、早く子供作らせようって算段だろうな。それで早々に島に帰らせる思惑…)」

シズクとの婚姻に成功したことに一番喜んだのはおそらくアラシだろう。「夫婦の義はいつするんだ?いつでも準備はしてやるぞ」と嬉々としてキョウジに訊ねてくる。シズクもそのつもりがあることを明らかにしているから、アラシは「早く孫の顔が見たい」を自重しなくなった。キョウジは在学中の二年間は子供を作るつもりはないから、シズクとの行為も避妊は徹底しているつもりだ。悪いが親父の願望を叶えてやる気はない。実際跡継ぎはメバルなのだから、メバルの子供に期待して欲しい。

「もう島見えなくなったね」

来た方角を眺めながら、シズクの感想。潮風に髪が揺れる。キョウジの腕に抱きつきながら体を密着させてくる。むにぃっとした肉圧に意識せざるをえなくなる。できるだけ潮風に当たりに行きながら「おい、シズクあんまり引っ付くなよ」ぐいっと肘で押して離れるように促すが、「えー、なんでよ?」と不服そうにシズクは余計に胸で腕を挟むように抱きしめる。

「他の乗客もいるんだからな」

甲板に出ているのはキョウジたちだけだが。船には他の乗客や乗組員がいる。公共の場ではイチャイチャは自重しようという話だ。

挑発するようにシズクの鼻息がキョウジの腕にかかる。

「昨日我慢したのに…。キョウジは平気なんだ?」

「…あー、ったくもう」

海側にシズクを立たせてからキスをした。シズクの欲望を発散させつつ、周囲から見えないようにとキョウジの気遣った行為が、シズクを興奮させてしまい、抱きつかれて熱烈に口付けられてしまう。

頼む、早く着いてくれ、本土に!

船の速度を速められる呪術でもあればいいのに。そんな都合のいい術ありはしないが。旅立ちの船旅ですでに波乱の予感だ。

禍は今もどこかにいる。キョウジの受難の人生も、まだまだ続きそうだ。
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