島魂粉砕

モドル | ススム | モクジ

  第五十一話 禍を解き放て  

「あ、血止まってるみたいだ…」

キョウジは後頭部の絆創膏をゆっくりと剥がす。ガーゼ部分は黒ずんで、傷口はふさがったようだ。幸いにも痛みもほとんどない。今日は怪我もなく無事終えたいものだ。

禍との悪縁を断ち切るメモリアルデーとして、歴史に名を残すことになるだろう。
けして禍が滅び去るわけではないが。だがいつか、そんな日がくればいいと願う。

昨夜はなんとかシズクと夫婦の儀をやりとげた。
以前はキョウジを大嫌いと拒絶すらしていたというのに、シズクの豹変っぷりにはキョウジも戸惑った。事が終わってすぐに「もう一回しよう」とねだってきたくらいだ。さすがに説得して寝かしたわけだが。明日は解封の儀なんだぞ?こちとら一番危険な役目をやらなきゃならないってのに、そこんとこわかってるのかよ?とまあげんなりしたわけだが。

着替えながら準備を整える。術紙は飛ばされないように、束にして複数ポケットに入れる。手製の守りの術を施し済みのジャケット型のプロテクターと、ゴーグルライトも強化済だ。
禍本体はかなりの大きさになる。普段の禍は感知が難しいが、本体なら感知も出来るだろう。それだけに、凶悪な存在だ。油断はできない。

「キョウジ、わたしも行く!」

キョウジの腕をぎゅっと掴みながらシズクが同行したいと申し出る。さすがに一緒に祠の中に入れさせるわけには行かない。

「なにがあるかわかんないんだから。安全なところにいるようにしろよ」

「わたしのことより、キョウジのことが心配だわ」

そこまでヘタレに思われるのは心外だ。たしかにヘタレかもしれないが。跡継ぎとしてはちゃんと呪術の修行は積んできた身だ。キョウジも挑むからには負けるつもりなどない。

「心配しなくても、僕は絶対に死ぬつもりはないから。ポジティブな感情ってのは禍にとっては天敵みたいなもんだと思ってるし。強い思いがあれば、禍の誘惑なんて吹きとばせるはずだ」

「キョウジ、それってわたしへの愛!?」

キラキラうるうるといった瞳でシズクがキョウジを見上げる。キョウジは島を出るための自分の夢のことを言ったのだが、本当のことを言うとまたややこしいことになりそうだから「ああ、うんそうそう」と同意した。



祠へと向かう道中、北の方角からメバルとジンヤがなんやかんや言いながら歩いてくるのが見えた。

「あーなんでだよー、なんでシズク姉ちゃんとジンヤ兄ちゃんが入れ替わってんだよ。なんでおれの隣に寝てたのが、シズク姉ちゃんじゃなくてジンヤ兄ちゃんなんだよー」

なんだよこの悪夢ー、うがーと叫ぶメバル。メバルにいらっとしながらジンヤが反論する。

「お前が俺の寝床に入ってきたんだろうが! 善意で寝かせてやったというのに、寝相悪いうえに、寝ぼけて俺にキスしようとしただろ! 気色悪いことされて腹立たしいのはこっちのほうだ!」

「そーだよ、危うくおれのファーストキッスがジンヤ兄ちゃんに奪われるところだったんだよ!」

「ふざけるなこっちが被害者だ! 俺はホモじゃない! 冗談じゃない」


「…朝からなにを言い争ってんだよ、あいつら…」

そういや昨日、親父がメバルは北地で寝かせてもらうとか言って連れ出していたな。なんとなく状況が読めてしまった。おそらく、メバルが寝ぼけてジンヤの寝床に潜り込んでしまったのだろう。シズクの夢でも見て、寝ぼけてジンヤにキスしようとしたんじゃないか、とキョウジは予測した。ほぼそれであっていたわけだが。


「おい、メバル、ジンヤ。禍前にしてケンカはやめとけって」

キョウジが声をかけると二人は言い争いをやめ、こちらを向いた。

「あっ兄ちゃん! とシズク姉ちゃん」

キョウジの腕を組んでラブラブオーラを放つシズクを見て、さすがにメバルも察したのだろう。シズクと婚姻したがっていた弟の心境を考えるとキョウジも複雑だ。シズクにあまりべたつくなと言ったのだが、「なんで? わたしのこと嫌いになったの?」とシズクがまためんどくさく返してくるので、キョウジも強くは言えない、切ないポジション。

メバルの心情などシズクは知らないものだから、見せ付けるようにキョウジの腕にきゅっと体を押し付けながら
「あのねメバル。わたしキョウジと婚姻したの。だから、またよろしくね」
などと言い放つ。「お、おいちょっと」とキョウジがシズクを肘でつつくが、シズクはちっとも察してくれない。

「…へぇー、そうだったんだ。じゃあ家にシズク姉ちゃん来るんだよね! やったーいやっほーーい」

と叫んで、テンション高く飛び跳ねながら走っていった。変に気遣って損したなとキョウジはやれやれと肩を下げた。

「どうしたの? キョウジ」

きょとーんとするシズクに、人の事言えたもんじゃないがシズクの鈍感さにも問題があるだろとあきれる。

「少しは気を使ってやれよ。メバルの奴、シズクと婚姻したがってたんだし」

「でもメバルはまだ子供よ? 婚姻なんてできるわけないじゃない。それに、あんなに喜んでくれて、わたしメバルのこと弟みたいに思ってるから、嬉しいわ」

シズクからちっとも男として見られていないメバルがなんだかかわいそうになったが、あのはしゃぎようからしてメバルも歓迎してくれているようだ。そこにキョウジもひとまずほっとした。

「うまくいったみたいじゃないか。よかったなシズク」

シズクの様子からシズクの想いが成就したのだとわかり、ジンヤの言葉にシズクは頷く。

「うん、ありがとう。ジンヤが背中押してくれなかったら、わたしあきらめていたかもしれない」

二人でわかちあったように微笑み合っている。二人のやり取りを知らないキョウジは「おいジンヤ、お前なんていったんだよ?」と訊ねる。

「別にたいしたことは言ってない。キョウジのやつはバカだからがんばれといったくらいだ」

「なっだれがバカだよ? 童貞ドM男にだけはバカ呼ばわりされたくないな!」

「なんだと! 貴様誰がドMだ! いい加減にしろよ!」

今度はキョウジとジンヤがにらみ合い、取っ組み合う。

「ちょっちょっと、ケンカはだめって言った矢先になにやってるのよ!」

シズクが慌てて止めに入るが、ジンヤとキョウジは本気でケンカしているわけじゃなかった。互いに顔寄せ、「くくっ」と肩を震わせ笑っている。キョウジの肩をぐっとジンヤが掴む。

「死ぬなよ、キョウジ」

「ああ、そっちこそ。外は頼んだからな」




祠の前に、四家の呪術師が集った。アラシから、シズクはキョウジと婚姻の儀および夫婦の儀を行ったことを報告した。それを聞いてクマオがなぜかすすり泣いた。そしてマサトの反応は…。キョウジが一番気になったのはそこだ。長年シズクのストーカーをしているマサトがすんなり納得するのかどうか。いやしなくても、すでにシズクはキョウジと婚姻済みなので、取り消すことはできない。

「そう、ですか。キョウジ君がシズクさんと…。昨日シズクさんを待てども待てども来なかったものですから、恥ずかしくて来れないのだと思い、こちらからと迎えに行ったのですが」

せっかちな奴だなマサト!とキョウジが心で突っ込む。

「ヨウスケ殿からキョウジ君のところに行ったと聞いて。なるほどそういうことだったんですね」

ふふふ、と不気味ににこにこと笑いながら、マサトは不思議と納得しているようだった。シズクに対して一番アプローチをしていたのはマサトだったが、本当にあきらめたのだろうか。

「あの、ごめんなさい、わたし」

「いいえシズクさんが謝ることはないのですよ。悪いのはキョウジ君でしょう? シズクさんと婚姻するために酷い手でも使ったのでしょう。まったく許せませんね」

シズクのほうからキョウジを選んだというのに、マサトの脳内ではどうしてもキョウジを悪としたいらしい。

「キョウジ君が事故でうっかり死亡すれば、シズクさんの婚姻も解消されるので、問題ありませんね。さあ儀式を始めましょう」

おいマサトー!
こいつはどさくさにまぎれてキョウジを抹殺する気でいるのか!
キョウジはマサトにイラだったが、ならなおさら、死んでやるもんかと闘志を燃やす。

「大丈夫だよ兄ちゃん。おれが禍を殲滅してやるから。兄ちゃんに不幸は起こらない」

「メバル、頼もしいな」

メラメラと目の中に熱血の炎が揺らめいて見える。メバルは封印の儀で呪術師としてずいぶんレベルアップしたらしい、とアラシも語っていた。頼りにしていいだろう。

「メバル、ムチャしないでね」

シズクからしたら年下のメバルを頼ってはいけないという思いがある。すでに四家の呪術師の頭数に入ってはいるが、あまり無理をしないで欲しいと願う。くるりとシズクのほうに振り向いて、メバルがシズクに「シズクねえちゃん」と話しかける。

「兄ちゃんと婚姻したってことは、家の嫁になったってことだよね?
ずっと、おれと一緒にいてくれるってことだよね?!」

「え、ええそのつもりよ」

こくこくとシズクが頷く。ぐぐぐとメバルは全身に力を入れて「よっしゃー毎日おっぱい!」とか意味不明の掛け声で気合が入る。

「こいやぁ! 禍ッッ!!!」


祠を囲むように、呪術師が陣取る。島を守るそれぞれの家の位置と同じように、西の西炎家…当主のショウゾウとマサト、北の北地家…当主のガンザとジンヤ、南の水南家…当主のヨウスケとクマオ、そして東の風東家…当主のアラシとメバルだ。

「メバル、お前が僕に守りの術をかけてくれるか」

「まかせろ兄ちゃん」とメバルは術紙を手に守りの印を結び、術を唱える。目には見えない空気の層が薄いバリアのようにキョウジを覆う。術がかかったことをキョウジも実感する。

「さんきゅっ。すげー守られてる感があるわ。お前ほんと成長したんだな」

メバルの術は安定感があり、強さもあった。すでにキョウジを超えてる術の使い手になっている。実践で伸びるタイプだけある。

「キョウジ、なにかあればすぐに連絡するんだぞ」

アラシがトランシーバーを指しながら言う。「わかってるって」とキョウジは返事する。

「キョウジ! やっぱりわたしもそばにいる」

後ろのほうでこらえていたが、たまらずシズクは飛び出しキョウジの腕にしがみついた。

「こらシズク! お前はだめだ! 呪術師でもないのに危険すぎる」

ヨウスケが反対する。もちろん他の者もだ。キョウジもシズクを連れていくわけにはいかない。安全なところで待っててほしいが、シズクは気が気じゃないだろう。
一度禍と結びついたシズクは、禍を活性化させやすい人物だ。あまり不安な感情で待たせるわけにはいかない。キョウジはシズクの肩を引いて、耳元で告げる。

「シズク、僕らは禍より強い愛の絆で結ばれたんだ。だから絶対シズクのもとに戻ってくる。
帰ってきたらその時は、シズクの好きなこといっぱいしてやるから、大人しく待っててくれよ」

「ほんと! わかった、約束だからね」

目をキラキラさせてシズクは素直に了承した。やれやれこれで正解だなとキョウジは息をつく。シズクはラブパワーを活力にしているようだ。メバルでいうところのエロパワーみたいなものだ。十歳の時のような絶望をされても困る。その一端になったのはキョウジの言動にあるわけだし。

「よし、いくぞ」

皆にそして己自身にそう合図して、キョウジは祠をくぐり封じられた扉を開いた。

「!? うおーー」

踏み出した一歩、その先はなく、がくーんと体が落ちた。高さにして二メートルあるかないかほどの落下だったが。なんとか受身を取って怪我をせずに済んだ。あたりは真っ暗でなにも見えない。耳鳴りが酷くなる。禍本体がすぐそばにいるのだ。体調に異変が起こって当然だろう。キョウジはゴーグルライトを点灯して目の前を確認する。

「!? な、なんだよ? なんでこいつがこんなところに?」

キョウジは我が目を疑った。真っ暗で薄暗い巨大な石棺の中、ゆらゆらと中に漂う巨大な黒い塊。キョウジが幾度となく憎たらしいと思っていたアイツ…海坊主だった。
実際の大きさより、今目の前の海坊主はコンパクトに見える。しかし、サイズどうこうではない、キョウジからすれば膨れんばかりに巨大に見えて、行く手を遮るようにゆらゆらと揺れる。

「いかさん、お前は、ここで死ぬ」

「また声が…、禍がしゃべるはずないよな。これは幻聴だ。てことは、ここにいるはずのないコイツも幻視?」

禍が目の前にいる。海坊主の姿をしていたが、これが本来の姿なのかはわからない。
迷うことない。コイツは禍だ。キョウジは術紙を取り出し、風東の術を唱える。

「禍本体に遭遇した。今から攻撃を開始する」

トランシーバーでアラシに合図して、キョウジは術を発動させた。

キョウジのライトのみが唯一の光。だが光がなくても、そこに存在を感じる。目で見ているものとは違うのだろうか?
ゆらり、と実体がないように海坊主が揺らめく。今のところキョウジに異常はない。目の前の敵に風東の術を放つ。
術紙がキョウジの手元から次々と飛んでいき、風の剃刀が靄のような海坊主を削っていく。少しでも時間を置くとすぐにもとの形に戻ってしまう。

「はぁはぁ、だめだ。このペースじゃこっちが持たない…。くそっ禍っ」

呪術は集中するため、心身ともに疲労も激しい。キョウジは膝を突き、手を突いた。ひんやりとした地面に汗と血が滲んでいく。しかしいつまでもばてているわけにはいかない。目の前には最凶の敵がいるのだ。

『大丈夫か? キョウジ』

腰元のトランシーバーからアラシの声がする。

「ああなんとか無事だけど、ろくにダメージが通らない。このままじゃあ…」

予定通りに儀式が進みそうにない。切り札であるはずの自分がヘタレすぎて、禍は目の前に見えているというのに。船が遠ざかる。キョウジの妄想の中の島を離れていく船が。

にやり、と禍が笑ったように見えた。禍に感情があるというのだろうか? いや、これが幻なら、ネガティブになりかけている自分が見ている幻なのだ。

『キョウジ、キョウジよ…』

「え? 今の声、親父のじゃないよな?」

アラシではない、誰か別の男の声がした。しかし、キョウジが知る人の声とは違う。また聞こえた声とも違うと直感で感じた。

ぼんやりと、キョウジの斜め前にしろっぽいもやっとした人影が見えた。禍とは別の異色の何か。

「じいちゃん?」

キョウジは会った事もない祖父が今そこにいるように感じていた。これも幻なのかもしれないが、じいちゃんがあの世から助けに来てくれたのかもしれないと、こんな時だからこそそんなことも考えてしまう。ありえないとは思うが、現にキョウジが体験している禍の姿もありえないものだ。だからすんなりとありえないじいちゃんを受け入れた。

『あきらめることはないぞ。切り札は、お前がすでに手に入れている』

あっ、もしかして。キョウジは立ち上がり術紙をポケットにとしまう。先入観があった。禍には呪術。呪術は禍に有効な手段だが、禍の天敵は…。

「好物の反対ってやつだ」

にやり、と不敵な笑みを浮かべてキョウジは海坊主姿の禍に突進する。


晴天だった空は段々と黒々とした雲に覆われ、天候が急変した。禍が暴れ狂いだすがごとく、ゴロゴロと雷の音が響き始める。

「なんだよ急に天気が。父ちゃん、兄ちゃんはどうなってんだよ?」

後方にいるアラシにメバルが訊ねる。アラシがトランシーバーに呼びかけるが、キョウジからの応答がない。

『親父!』

「おおっキョウジ、無事か!?」

やっとキョウジから返答があった。そして報告は…

『今禍本体、木っ端微塵になった!今のうちに封印解いてくれ!』

「! 兄ちゃんどんな裏ワザ使ったんだよ!?」

裏ワザの詳細はともかく、キョウジからの連絡があった。アラシの合図で、いよいよ祠の封印を解いていく。
東西南北に陣取った跡取りそれぞれが、自分たちがかけた封印に呪術で攻撃を加え、わざと綻びを作る。そこに意識を集中させる。隙間からにゅるにゅると這い出てくるように、黒い靄の塊が現れた。

「え、アレが禍? おれなんか黒っぽいの見えるんだけど!」

「ああ、たしかに見える。これが禍そのものか」

アラシたち四家当主も禍本体にお目にかかったことはない。そもそも禍は封じられてから祠から出たことはないはずだ。本来なら感知できない禍も、巨大な本体となれば目視できるというのか。もしくは見えているように錯覚しているのかもしれない。

「これが、禍だと?」ジンヤも。

「う、ううう…」クマオも。

「ふふふ、なんと忌々しい姿でしょう」マサトも。

禍を確認できたようだ。それは黒い靄のように空中を揺らめいている。ゆらゆらとゆれながら、形づくられる。

「え、なんだよ、これ、わ、禍がっっ」

メバルは驚愕する。

「シ、シズク姉ちゃんになった?! しかも裸でおっぱい丸出し!」

「えっええっやだなにそれ?!」

メバルの発言にシズク思わずつっこむ。どうやらそれぞれに姿を変えて見せてるらしい禍は。
キョウジの前では海坊主の姿で、メバルの前ではなぜか全裸のシズクで、他の者はというと……。

「ぐっ、ス、スミエだと?!」

わなわなとジンヤが震える。ジンヤの側の禍はスミエの姿に変わったらしい。

「ジンヤ君? どういうことですか? どうして君には禍がスミエに見えるというのです?」

ジンヤの右手方向に位置するマサトから嫌なツッコミが入る。思わずぎくりとなるが。

「もしや、禍は本人の苦手とするものに姿を変えているのかもしれませんね?」

「え、いや、マサトさん。俺は別にスミエのことが苦手とかそういうわけでは」

あせあせと焦るジンヤだが、マサトがプルプルとしていたのはジンヤに対してではなく、己の目の前の禍に対してだ。

「あの、マサトのさんのほうは禍はなにになって?」
「許せませんね。禍め、私の大切なコレクションをコレクションを台無しにする、カビめ!」

か、かびー?
ジンヤが思うに、マサトの目にはマサトのコレクションをカビで破壊していく様を見せ付けられているのだろう。

「メバルはわたし? ジンヤはスミエさん? マサトさんのほうはよくわからないけど。わたしにはただの黒い靄にしか見えないけど。兄さんのほうは…」

シズクがクマオのほうを注視する。クマオは黒い靄を前にしてぐぐうと唸っている。

「よくも、シズク…、とった」

ギギギと歯軋りしながらクマオは目の前の禍を睨む。ケタケタと人をバカにした笑いを見せるキョウジの姿だった。

「まさか、兄さんが見てるのって…キョウジ?」

クマオのセリフと態度から推測できた。以前クマオはキョウジをボコボコにして酷い怪我を負わせたことがある。未だにクマオはキョウジという存在を認め、許すことが出来ないのかもしれない。クマオの憎しみに反応するように、黒いキョウジはずんずんと膨らんでいく。

「だめ、止めないと父さん!」

クマオに駆け寄ろうとするシズクをヨウスケが引き止める。「いいやこれでいいのだ」と言って。

「あれはクマオの悪い化身みたいなもんだ。クマオ自身で倒してもらわないと。
ストレスは発散させないとな」

「で、でも…。兄さんにはアレがキョウジに見えているのよね? なんだかいい気がしないんだけど…」

シズクには靄にしか見えないが、仮想キョウジとはいえ、クマオに退治されるというのはいい気分ではなかった。

「ヴヴ、消えロッッ」

ぐしゃりと拳の中で術紙がつぶれる。振り上げたクマオの拳は水南の水の術を纏い、波飛沫をあげながら禍を打ち砕く。

「俺はホモじゃないッッ!」

額に血管浮かせながら、ジンヤは術紙を地面に叩きつける。土の弾丸が下から次々と禍スミエを打ち抜く。

「私の目の前から消去ってくれます!」

ひきつった笑顔でマサトの手から巨大な火柱が上がり、カビ禍を覆い尽くす。

「バカにすんなよ! おれには本物のシズク姉ちゃんがいるんだ!
禍、おれの力を思い知れっ!
奥義!メバルハリケーンストライクッッ!!!」

メバルの両手から放たれた術紙より竜巻が黒いシズクを粉々に切り裂いていく。勢い止まらずメバルの術は祠にまでぶち当たった。
ゴロゴロと唸っていた雷雲から、雷が同じタイミングで祠の天井を貫いた。





『やっと、禍が解放されるか。五百年も長い間、こんなところに閉じ込められて…、無理をしていたもんだ』

暗く何もなくなった祠の中で、キョウジは祖父の亡霊と会話を交わしていた。本来なら、あるはずのなかった光景。じいちゃんとはいえ今の親父くらいの若さだ。それでも不思議とじいちゃんなんだと認識している。

「なあ、じいちゃん。禍ってなんなんだ?」

『ふむ、私はな、禍とは生物の心ではないかと思うんだ。生命とともにあり、滅ぶことのない存在。人々がこの島に留まったのも、心を置いていけなかったからではないだろうか。負の感情も含めて、人の心。醜い感情も自然なものだ。悪いものですら捨て置けない、それがあるべき形なのだろう』

「ふうん、それがじいちゃんの考えか。…悪いけど僕はそう思わないな」

『ならキョウジ、お前は禍の正体がなんだと思っているのだ?』

「さあ、わかんないな。だけど、じいちゃんの言う生き物の心説ってのはぶっとんでる気がする。それこそありえないファンタジーだよ。
禍は、地球上の生命を超えた存在なのかもって考えてる。きっと、地球が真っ二つになっても、アイツらピンピンしてやがんぜ」

白いじいちゃんの亡霊はキョウジの言葉に納得しないように首をかしげる。結局のところ、禍がなんなのか。ハッキリと答えは出ずじまいだ。
それでいいんじゃないかとキョウジは思う。謎はこれから解明していく。別に急ぐわけじゃない。いつかまた禍により大きな不幸が起こるかもしれない。その時はその時、呪術師も、それ以外の人もその時その時の知恵を絞って立ち向かえばいい。ずっと昔から、そうやって人は生きてきたんだから。

「なんかここまで考えたら、地球飛び出す発明やってやんなきゃってことになるな。夢がどんどん膨らんでいくじゃん。考えるだけで楽しいよ。
まずは島を出る。とりあえず船作りたいんだよな」

キョウジの話を聞きながら、亡霊のじいちゃんは段々と薄まっていく。禍とともに、消えていく。
じいちゃんは幽霊だったのか、それともキョウジが見た幻覚だったのか、わからないが。

「そうだ、じいちゃん、聞きたいことがあるんだけど。ジンヤってさ、まさかじいちゃんの…」

『おいキョウジ、キョウジ、応答しろ!』『兄ちゃんおれのメバルハリケーンストライクで祠が壊れちゃったけど、中大丈夫?』『キョウジ無事なら声聞かせて!』

トランシーバーから慌しく、アラシやメバルやシズクの声が聞こえる。いっけね、と慌ててトランシーバーを拾い応答する。

「ごめんごめん。こっちならもう禍が残ってる気配なしだ。耳鳴りもやんだし。てかハリケーンストライクってなんだよ? はじめて聞くんだけど」


キョウジが祠を出た頃、すっかり空は晴れ渡っていた。
メバルたちの呪術により、禍はちりちりになった。アラシたち当主が結界を少しずつ解除していき、数日のうちには完全に結界を解く運びだ。禍は少しずつ島から解き放たれる。マサトや当主たちがその間祠周辺と結界の森の中で監視に当たる。島民はもちろん近づけさせないが、近い将来、結界の森も一般に開放できるだろう。忌まわしい事故や事件も起こった場所だが、禍が解放された今、そこに負の気がとどまる心配もおそらくないだろう。

キョウジが予想したとおり、島は変わり始めた。禍から解放され、自由な往来ができるようになる日もきっと近い。めまぐるしく過ぎる日に、キョウジもすっかり忘れかけていたが、海坊主の姿も見かけなくなった。アイツがどうなったか、知る者は誰もいない。
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