島魂粉砕
第四十八話 妄想乙女
「キョウジが起きたら、ちゃんと伝えよう。わたしの気持ちを…」
憎らしく思っていたことも、すべては離れたくないわがままな気持ちからだった。
禍にその弱さを利用されてしまったが。
静かな森の中、風の音だけが聞こえていた。それからシズクの耳には、自分の心音がやけに響いて聞こえた。
「(どうしよう。やっぱり、すごく恥ずかしいかも。それに、散々嫌いだの、ヘンタイだの…
死んでほしいだの、酷いこと言ったくせに。
今更、…都合がよすぎるかも)」
決意を決めてすぐに弱気になる。思い出せば、禍のせいとはいえ、シズクは意識があった。
自覚があって、キョウジにずいぶん酷いことをしてしまった。
「(先に謝らなくちゃ。それから、お礼を言って、その後ね…、その流れなら、素直にきっと言えるはず)」
よしっとシズクが息を呑んだ瞬間、キョウジの腰元から異音が鳴った。
『私だアラシだ。キョウジ、キョウジ、応答しろ』
雑音混じりながら、トランシーバーからアラシの声が聞こえた。シズクは慌ててキョウジの腰ベルトからトランシーバーを外して口元に寄せる。
「おじさま、わたしシズクです。キョウジは今気を失ってて」
『なに? シズクちゃんは無事なのか? 待ってろ、すぐにそちらに向かう』
慌しくアラシの応答は切れた。トランシーバーを足元に下ろしたとき、シズクの膝上のキョウジが「うう」と呻いて目覚めた。
「キョウジ!」
「…あったまいてー…」
目覚めたキョウジは後頭部がズキズキ痛み、不愉快そうに顔をゆがめる。
「大丈夫? 一応止血はしたけど。しばらく動かないほうがいいわ」
「…ん、さっき親父の声したんだけど…」
「うん、さっきおじ様から連絡あって、すぐ来るからって」
「そっか…」
シズクから聞いて、キョウジもほっとした。アラシから連絡があったのなら、儀式も無事済んだのだろう。頭の傷が痛む他は、特に不調を感じない。いやシズクに暴行されていたるところ痛いのだが。
今のシズクはキョウジの身を案じているし、禍のままなら気を失っている間にとどめでも刺しているだろう。…とか考えたら急に恐ろしくなった。
「あの、キョウジ…、本当にごめんなさい。わたしいろいろと酷いことしてしまって…」
「いいよ、別に。禍のせいだからな」
「ううん、全部禍のせいってわけじゃないけど。キョウジを嫌いになったのは理由があって…。
わたしの十歳の誕生日の日のこと、覚えてる?」
「ああ、プレゼントあげたんだよな。最近まで持っててくれて、驚いたけど」
それを投げつけられて、大嫌いと言われて、ろくな思い出じゃない。
「あの日、キョウジが島を出るから、キョウジの誕生日はプレゼントいらないっていったんだよ。
わたしすごくショックだったんだから」
なにがショックなのか、さっぱりわからない。ただシズクのほうは感極まっているようで、顔を赤くし、涙ぐんでいる。
「この前ジンヤに指摘されて、気がついたの。キョウジを嫌いになったのは、感情の裏返しじゃないかって。今のわたしなら、うんそのとおりなんだって認められる。
いつも力になってくれて、幼馴染だからってワガママも聞いてくれて、今回だって危険な役目してくれて、ほんとにごめんね、ありがとう。
それで、あのね、わたし…
わたし、キョウジが好き」
吐き出したい息をシズクは堪えて、キョウジの反応を伺う。
キョウジは
「! シズク、お前、もう僕のこと嫌いじゃなくなったんだな」と確認する。
照れながらも微笑むシズクに、キョウジも理解した。「うん」とシズクはこくこくと頷いた。やっとシズクは禍から解放されたのだと。よかった。と安堵の息を吐く。
「そうか、これでやっと僕らは」
言いながら、キョウジは手をシズクの頬に伸ばす。ほんのりと赤らんだ頬に触れて、キョウジはぎこちなく笑う。シズクは触れられた瞬間、ぴくっと体を震わせたが、嬉しそうに微笑んで、膝上のキョウジを見つめる。
禍という壁が消えて、やっと本当の想いと向き合えて、キョウジと結ばれる。シズクはそう信じた。瞬間…
「キョウジ、やっと、あなたと…」
さわさわと二人の間を風が通り過ぎる。
「ああ、やっと本当の…友になれたんだよな」
「…え?」
ぴしゃり、と空気が凍る音、というより、凍りついたのはシズクの顔だった。
「いくら僕でも嫌われて平気なほど神経図太くもないからな。
だから、シズクにそう言ってもらえて、ほっとしたっていうかさ」
「……キョウジの」
「おーい、キョウジ、シズクちゃーん、二人とも無事かー?」
東の方向からアラシが呼びかけながら走ってくる。
「あっ親父だ。あでっ」
突然シズクが立ち上がり、そのため膝枕で寝ていたキョウジは地面に落とされ頭を打った、涙目になる。怪我人に対して、酷い扱いだ。
「いって、おい、いきなりなにすんだよ?」
抗議の眼差しでシズクを見上げたが、シズクは頬を膨らませ、涙を溜め、プルプルと体を震わせながらキョウジを睨みつけている。思わずキョウジはビクゥッと体を硬直させた。
「なんだ、まさかまた禍がシズクに?」
怒りの形相だった。先ほどまで優しく微笑んでいた少女が、泣き鬼の形相でそこに立っていた。シズクの身になにが起こったというのか?
「キョウジの、バカーッ!」
「は?」
バカとキョウジに吐き捨てて、シズクは南の方角へと走り去ってしまった。シズクと入れ違いでアラシがやってきた。走り去ったシズクのほうを見て、心配そうにキョウジに訊ねる。
「どうかしたのか? シズクちゃんの様子はおかしくなかったか?」
「さっきまで嫌いじゃなくなったって言ったくせに、急にバカと罵るとか。情緒不安定なのか、シズクのやつ」
さっぱりわけがわからんとキョウジが首をかしげた。
「少し前まで禍のせいでおかしくなっていたんだ。不安定になっているのも仕方ないだろう。ヨウスケ殿も来ているし、シズクちゃんなら大丈夫だ」
ポン、とアラシに肩を叩かれて、アラシの話の調子から、封印の儀は無事成功したのだと理解した。
「成功したみたいだな、封印の儀」
「ああ、メバルも立派にやりとげたぞ。私がかけつけても、特に手助けする必要もなかった。私の頃より、よほど出際がよかった。アレはこの先もっと伸びていくだろうな」
うんうんとアラシは嬉しそうに思い出しながら、メバルの勇姿をキョウジに聞かせた。
「やっぱりな。メバルのやつ昔から本番で力発揮するタイプだったからな。それに、マサトの太鼓判もあったし、そのうち現役世代でナンバーワンになるんじゃないか」
「ははは、そうだな」と笑いながら同意するアラシを見て、キョウジは心のそこでほっとしていた。自分より弟のほうが才能あるなんて、普通は嫉妬するところなのに、さっぱりそんな感情はない。キョウジは呪術師という職に、これっぽっちも未練はないからだろう。
呪術師としての役目もあと少し、この後に禍を島から解き放つという、四家の歴史初の試み、解封の儀を行うことになる。
「親父、今回の件終わったら、話したいことがあるんだ」
キョウジの言わんとしていることはアラシも気づいているだろう。だがそれをアラシから口にすることはない。だからちゃんと、己の口から伝えなくてはとキョウジは決めている。もし反対されても、実行する気でいるが。
「それよりお前怪我はないのか? その頭どうした? ちょっと見せてみろ」
キョウジの頭に巻かれた包帯。「あそういえば、さっきからずっと後頭部がズキズキ痛むんだけど」と思い出したようにキョウジが言った。
「ああっ、血が出ているじゃないか。早く手当てしよう。儀式の間で休んでいろ、な」
「(うわっ、ほんとだ、血が出てるし。くっそシズクの奴、酷すぎるだろ。少しは労われよ)」
だぐだぐと頭から血を流しながら、キョウジはアラシに連れられて、メバルが儀式を行った風東の儀式の館に向かった。
「どうしてわかってくれないの。キョウジのバカ…」
シズクの想いにさっぱり気づいてくれなかったキョウジに、落胆した。とぼとぼと歩いていると水南の儀式の建屋の前まで来ていた。
「おおっシズク、よかった無事で。よくがんばったな。禍は無事封印された。もう安心だ」
父ヨウスケがシズクの肩を抱きながら、もう大丈夫だと何度も伝えた。シズクの思考は禍より別のところにあったが。とりあえず封印の儀が無事終わったことに「それはよかった」と答えた。
「クマオのやつも今は疲れて館の中で休んでいるが。何度か舌を噛んでいたが、無事儀式をやり遂げた。何度もシズクのためシズクのためと呪文のように言い聞かせていたな」
「そうなの。あとで兄さんにお礼を伝えないと」
「シズクの気持ちはちゃんと伝わっている。今はゆっくり休ませてやってくれ。
それより、お前はこれから婚姻の儀を行うことになるんだ。今は自分のことを第一に考えなさい」
ヨウスケに背中をポンポンと叩かれながら、シズクの表情は重くなる。
禍を引き離したはいいが、またすぐに禍とシズクは融合してしまう可能性が高い。それを防ぐためにも、封印の儀を行った直後に、シズクの婚姻の儀も行うのがベストだ。
「そうですよシズクさん。あなたは今夜婚姻の儀を行うのですから、私と」
無駄によく通る美声で、イケメンスマイルをたたえたマサトが現れた。ひらひらと術紙を手先で遊ばせながら、淑女の指先に触れるように、紙に口付ける。なにやってんだコイツキモイな、などとキョウジがこの場にいたら心の中で突っ込むであろう。しかしヨウスケやシズクはマサトのそんなしぐさにノーリアクションだった。
自分と婚姻する。決定事項のようにマサトは話す。マサトからすれば、ジンヤはスミエと婚姻する予定で、キョウジとメバルはアウトオブ眼中ということらしい。ということで、シズクの婚姻相手はマサトしかいないということで島魂粉砕はハッピーエンドを迎える、というラストでベストアンサーらしい。意味がわからないが。
「邪魔な禍は祠の中に封じました。今のシズクさんは、純粋な心で私を見ていることでしょう。
そして気がついたはずです。シズクさん、あなたの本当の想いに」
少女漫画のごとくキラキラとした不思議な光を纏いながら、マサトはシズクに問いかける。乙女が夢見る、白馬に乗った王子様のように、ステキなイケメンスマイルで見つめるマサトに、多くの乙女(かつて乙女だった人たちも)は心を奪われることだろう。
「え、ええっと…」
押し押しモードのマサトにシズクは引きぎみだが、マサトは気遣いなど皆無で、「ええそうでしょう。あなたも私を愛しているのですね。ふふふ、そして心のそこから私のコレクションになりたいと望むというのですね、わかりますよシズクさん」とまた勝手にマサトワールドに突入し、巻き込もうとしている。そこに助け船を出すのはヨウスケ。
「まあまあマサト君。シズクもやっと解放されて、ゆっくりと考えたいところだろう。時間も迫っていることだし、一人で考える時間を与えてあげたいと思うんだ。なぁシズク」
「父さん…」
「ふふふそうですね。ゆっくりと考えてくださいシズクさん。私とのめくるめく時間をどうか思い巡らせてください。ではヨウスケ殿、明日の儀式についてこれから打ち合わせを行いましょう」
マサトはそれ以上がっつくことはなく、スマートにくるりと向きをかえ、ヨウスケに明日の儀式の話をする。
「ああわかった。クマオは寝ているんだが、起こしてきたほうがいいかな?」
「いいえ、当主殿が代わりに聞いてくだされば結構ですよ」
すぐに行くとヨウスケはマサトに合図して、シズクのほうに寄る。
「シズク、お前は自分の気持ちを優先しなさい。私はお前の味方だから、な」
ヨウスケはそう伝えると、シズクの頭を撫で、マサトとともに打ち合わせに向かった。
ぽつんと取り残されたシズクは一人考える。
父は自分の気持ちを優先しなさいと言ったが、婚姻には相手の同意が必要だ。今シズクが誰を選んだとしても、確実に婚姻が結べそうな相手はマサトしかいない。
ジンヤからは先日、シズクとは婚姻できないと本人の口から伝えられた。
一応候補者の中に入るが、まだ十二歳のメバルは子供だ。遊びも勉強もこれからというメバルと婚姻など、メバルがかわいそうだ。よってシズクははなからメバルは頭数に入れてない。
それから、キョウジだが、先ほどシズクが好きだと告白したのに、それを友人としての好きだと解釈されてあの対応だ。なんでわかんないの?キョウジのバカと憤ったが、今までのことがあるしムリもないとも思う。
キョウジは、シズクが好きなのはジンヤだと思い込んでいるようだし。この後の婚姻の儀も、キョウジは二人を結ばせてやるようにとヨウスケたちに要求している。
キョウジがシズクの想いを知るはずがない。シズク本人ですら、最近自覚し始めたばかりなのだし。
やっぱり一から説明しないとわかってくれないだろうか?
それに、もしキョウジと婚姻しても、キョウジは島を離れることはあきらめないだろう。いつ帰ってくるかしれないキョウジを風東家で待ちわびなければならない。
「今更、島を出ないでなんて聞いてくれるはずないし。それって結局十歳の時と変わってないし…」
また駄々をこねれば封じた禍を呼び出してしまいかねない。シズクも大人にならなければ、辛い現実と向き合わなければ。
「マサトさんを選べば、すんなり上手くいくんだよね。…でもわたし、やっぱりあの人の事が怖い」
禍から解放されても、シズクはマサトに対する苦手意識はなくならなかった。やはり十歳の時にマサトと出会ったあの日の体験が関係しているのだろう。未だにその時の記憶は思い出せない。当時のシズクも拒否したくなったくらいの衝撃だったのだろう。
それから、女性を殺し、シズクを脅したマサト。あの記憶はなんだったのだろう?マサトに対する恐怖が禍によって増幅されて、恐ろしい夢を見てしまったのだろうか。その夢を自分が体験した記憶だと勘違いしたのかもしれない。
「たしかに夢だったのかな…。ハッキリした記憶じゃないし。ずっとあの人の事怖い怖いって思い込んでいたから、そこを禍につけこまれたのかも…。
夢、だとするとアレも?」
シズクの言うアレとは、毎夜自室で寝ていたシズクにキョウジがいやらしいことをしていた件。
キョウジがやったという証拠はどこにもなかったし、キョウジも否定していた。冷静に考えれば、おかしなことなのだが。シズクの部屋に誰かが出入りした形跡だってなかった。禍が見せていた幻だったのかもしれない。ただの幻だろうか、おそらくそこには、願望も作用していたのでは?
「わたしの妄想? やだ、わたし、あんなことされたいなんて、思うわけ…思うわけ…」
かぁーと赤面しながら、あの時のことをシズクは思い出す。妄想というあるはずのない記憶を。
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