島魂粉砕

モドル | ススム | モクジ

  第四話 生涯童貞宣言  

シズクが風東の家を訪問している最中…
シズクの私室内にこそりと、いやのそりと侵入する影があった。巨体をゆらりと揺らしながら、不気味な眼差しでそこにいたのは、シズクの兄クマオだった。
部屋に侵入する前、キョロキョロと注意深く周囲を確認した。この時間帯ちょうど誰もいない。家政婦は買い物に出かけている。すぐに戻ってくる手筈だが、十分な時間だ。
ふうふうと息が荒くなる。シズクがいつも寝ているベッドへと近づき、顔を埋める。すはすはと存分に匂いを嗅ぐ。たまらなくいい匂いがする。女の子の匂いだ。顔を左右にこすりつけながら、存分に匂いを堪能する。
ベッドのすぐ下に揃えられてあるスリッパにと今度はターゲットをうつす。それも手に取り、顔を押し付け匂いを嗅ぐ。
「ぐふ、ぐふふ」
悦びのあまり口元からヨダレがもれて、スリッパを濡らした。慌てて手でそれをゴシゴシと拭った。
スリッパを元の位置に戻しながら、次なるターゲットへと目を向ける。
部屋の隅にある衣装タンスを漁る。下着が納められている引き出しを開けて、そこに収納されている一枚のショーツを手にする。すべすべとしたシルクの手触りの白いそれ。シズクの下着は白がほとんどで、色の付いたものでも淡い色合いでシンプルなデザインのものばかりだ。ブラジャーも機能重視で飾りのほとんどない地味なものが多い。それは、シズクが穢れを知らない処女だからだ…とクマオは思い込んでいる。実際下着はサイズを確認してから家政婦が買ってきているものだ。ブラジャーもサイズアップの激しいシズクが機能重視しているからで、すぐに買い換えることが多いためデザインにはこだわりたくないから、という理由なのだが。そんな現実的なことはクマオは考えもしない。
シズクは特別だ。特別清らかで純粋で、理想とする女性だ。
今までクマオが知り合った女性はろくな相手ではなかった、とクマオは認識している。クマオからすればシズク以外の女はみんなビッチだ。腹黒く、心の奥底はほんとうに真っ黒な存在だ。笑いながら平気で嘘がつける。最低な存在だ。クマオの中には女性に対する嫌悪と憎しみがあった。いや女性に限らず、人間が嫌いだ。シズクを除いて。

「すーはーすーはーふうふう…」
シズクのショーツを顔面に押し当てて、匂いを嗅ぐ。なんていいさわやかな匂いがするんだろう。感動に心酔いしれる。こんなさわやかな匂いがするシズクはやはり清らかな存在なのだ。洗濯を終えた下着だからその匂いは洗剤の匂いに他ならないのだが、クマオはシズクの匂いだと脳内で都合よく摩り替える。
「はぁはぁ…シズク、シズク…」
ギラギラと飢え滾った獣のように見開きぎらつく目、脳内にかわいい妹の顔を思い浮かべながら、ズボンのチャックを下ろし、ギンギンにそそり立つ雄の象徴をしごく。
その行為に罪悪感などまったく感じない。ただ行き場のない欲求を発散するにはこうするしかない。こうするしかクマオは思いつかない。
己の体から吐き出したモノを、行為に使用したシズクのショーツの股布にとなすりつけた。それをぐしゃっと丸めて、タンスの奥へとねじ込める。
初犯ではない。すでに何度もある。自分がこんな事をしていることなどシズクはまったく気づいていない。なにも知らずに、いつものようにこの部屋で過ごし、クマオの精液にまみれた下着を身につけている。そう思うと、興奮する。ぐふぐふと満足したように一人笑いを零す。
シズクは処女だ、なにをされているかなど気づかないだろう。完全犯罪だと自信があった。

しかし、クマオの犯行に気づいている者がいた。それが…父であるヨウスケだった。
クマオがシズクを性的な対象として見ていることに、男親であるヨウスケは気づいていた。だがそれをじかに本人に注意する事はできなかった。当然シズクにも言えるはずがない。実の兄にそんなことをされそんな目で見られていると知れば、シズクはどれだけのショックを受けるか。大切に育ててきたシズクにそんな想いだけはさせるわけにはいかない。なんとかクマオの行為をやめさせたかったが、それがいけないことだと直接注意するわけにはいかなかった。それはクマオの繊細すぎる性格を考えての事。クマオは性的なことで強いコンプレックスがあった。対人恐怖症で、まともに人と付き合えないクマオも、成人してからこのままでは跡継ぎが生まれないことを危惧して、ヨウスケや周囲はとにかく世話を焼いた。積極的にお見合いをさせ、なんとか婚姻までこぎつけたかった。しかし、すべて失敗。原因はクマオにあった。相手の女性をけなしたり、奇声を上げて暴力を振るうなどした。当然そんな相手の妻になりたいと思う女性もいるはずもなく、いつも破談に終わった。クマオを矯正させようと、試みたが、お前が悪いと言われ、クマオは酷く傷つき、暴れた。大柄な男が奇声を上げ、包丁を手に暴れたのだ。その時家政婦の一人が軽症ながらもケガを負ってしまった。幸いにもケガはたいしたことはなかったが、その時のショックで家政婦の女性は辞めてしまった。彼女に対して慰謝料を払うなど、後処理はすんだのだが…。
以降、クマオの扱いには慎重にならざるをえなかった。
こうなったのも、自分の教育に間違いがあったのかもしれないと、ヨウスケは反省していた。
クマオの性質を改める事は困難だと思った。
女性とまともに付きあえないことにも問題はあったが、それ以上に、実の妹に対して性的な感情を持っていることが深刻な問題だ。こうして自慰行為で満足しているうちはまだいい。そのうち行為がエスカレートすればどうなるか。体格的にもクマオがその気になれば、シズクを犯すことはたやすいことだろう。一度でも過ちが起きればすべては終わりだ。傷ものになったシズクは嫁の貰い手がなくなってしまうだろう。幸いに貰い手がついても、兄に犯されたという事実はシズクにずっとついてまわる忌まわしい看板だ。クマオ自身も大きなイメージダウンだ。そんなキチガイのもとに嫁ごうという酔狂な女性がいるはずがない。そして子の管理もマトモにできないヨウスケの信用もガタ落ちだ。四家の面汚しの汚名を着せられるだろう。

だからヨウスケはシズクの婚姻を急いた。
クマオの矯正よりもてっとりばやく、確実な防衛だ。シズクを早々に嫁がせて、クマオから引き離せばいい。
ちょうどいいタイミングでマサトからの婚姻の打診があり、今度こそは乗るべきと判断した。かわいい愛娘を嫁がせるのは寂しいが、これがベストな決断だ。



相談したい事があるとキョウジの研究所を訪れたのはジンヤだ。最近は家のことでいろいろと忙しいらしく、前のように頻繁にいかなくなったが、暇があればできるだけ連絡をとるようにしている。
ジンヤが相談したいと言う事は、大概シズクのことだ。

「シズク、悩んでいるみたいなんだが…」
深刻な面持ちでそう切り出してくるジンヤ。
計算機片手に設計図の手直しをしながら「なんのことだよ」とキョウジが訊ねる。

「え、キョウジ聞いてないのか? てっきりお前には相談しているものだと…」

シズクから悩みの相談など受けていない。ジンヤは意外そうな顔をしていたが。
ジンヤよりもシズクと接している時間は長いはずだが、そんな悩みの話など初耳だ。ジンヤにだけは悩みを打ち明けたのかと思うと、イラっとする。

「知らないけど、なに? お前がヘタレすぎてなんとかならないか的なこととか?」
あの頭突きキス以来、まともにデートもしてないらしいシズクとジンヤ、さすがにシズクもジンヤの積極性のなさに愛想をつかしたのかもしれないとキョウジが茶化すが、「そんなことじゃない!」と真剣な顔でジンヤは怒る。

「かなり思いつめているみたいなんだ。…近いうちに婚姻の話がまとまるらしい。

しかも相手は西炎マサトだ」
普段以上に眉間のしわを深めながら、ジンヤが声を震わせながら伝える。ぴたりとキョウジも作業の手を止めてジンヤへと向き直る。

「そうか、まあ前からあった話だろ。過去に二回くらい流れた話だけど」

「あの噂、聞いたことあるだろう。あの男の周辺で五人も女が不審な死に方をしているんだ」

マサトが殺したという噂…、そういった疑惑があった。証拠もないし、事件は事故としてすでに解決している。

「シズクが疑っているっていうのか? マサトが人殺しだって」

「いや、直接そんなことは手紙に書いてなかった。ただ、すごく不安だと。このまま縁談を進めていいのか、教えてほしいって…」

どうすればいいと思う?とジンヤはキョウジに訊ねるが、それは遠まわしにジンヤに止めて欲しいと言ってるようなものじゃないかと思う。

「相談受けたのお前だろ? だったら自分で考えてアドバイスしてやればいいだろ」

同じようにシズクのことを心配して考えてくれると思っていたキョウジのこの対応に、裏切られた心境で、ジンヤは感情的に声を荒げる。

「心配じゃないのか?!シズクのことが。シズクのことだ、家族には迷惑をかけたくなくて、一人思い悩んで、助けを求めて来たんじゃないか。
それをお前はどうでもいいって見捨てるつもりなのか? 見損なったぞ!」

「うるさいな、ちょっと大声出すなよ、近所迷惑になるだろ」

「なにが近所迷惑だ? こんな離れでちょっとやそっと暴れたくらいで、誰にも迷惑にはならんさ!」
怒りのあまりほんとに暴れだしそうなので、さすがに待ったをかける。十分迷惑だ。自分の研究所をめちゃくちゃにされては困る。

「少し落ち着けよ、感情的になったところでなんも解決になるわけじゃないだろ。むかつくならマサトのとこで暴れてこいよ、ただし僕を巻き込むなよ。ただでさえ西炎からは頭痛がするようなことされてんだからうちは」
風東と西炎の家柄同士の仲はあまりよくない。北地と水南とはまた別の理由でだが、まあどうでもいい。

「シズクのこと想うなら、どうするのがシズクのためにとっていいか、よく考えてみろよ。お前が真剣に考えて出した答えなら、シズクだってわかってくれるんじゃないか?」
数秒して、ジンヤは「ああ、すまない」と一言わびて、一人静かに考え出した。

シズクはマサトとは婚姻したくないらしい。理由については憶測でしかないが、マサトの不気味な噂に起因していると思う、とジンヤは推測した。
だが、家族の…特に父の迷惑にはなりたくないと思っている。
マサトの婚姻を断る、ちゃんとした理由があれば……


「キョウジ、頼みたい事がある」
「うん、なに?」
作業を再開しながら、横耳でジンヤの声を聞く。
ジンヤはなんとか答えを出したようだ。

「シズクと婚姻してやってくれないか」
「ああわか…は? え、なんだって?!」
なんの冗談かとジンヤの顔を見たが、ジンヤの顔は真剣で、ぐぐぐと血管ちぎれそうなほどマジメな面持ちでキョウジを見ていた。

「しょうがないだろ、それがベストなんだ!」
もうそれしか答えがないかのように、決め付けているジンヤ。さすがにすぐに「OK!」と返事はできない。
「あのなぁ、だいたいシズクが話を蹴る可能性だってあるだろ」
「それはない。シズクは絶対お前を選ぶ。あの殺人者のマサトとお前だぞ、キョウジを選ぶに決まっているじゃないか。あんなに嫌がっているんだ、マサトなどありえない」
すでに殺人と決め付けだ。個人的にマサトは気に食わないが、ちょっと先走りすぎではないかと思う。いろいろと黒い噂はあるが、世間の評判は圧倒的にマサトのほうが上だ。
それに西炎と水南の関係は良好にある。マサトがどんな人間であれ、次期当主の責任はあるようだし、シズクに酷い事はしないんじゃないかと思う。もしなにかあれば今度こそ世間から疑いの眼差し&非難を受けることになるだろうし、マサトはそこまでバカじゃないだろう。

「わかった、考えておくけど、こっちにだって都合があるからな。

けど、ジンヤお前ほんとにいいのか? 僕がシズクと婚姻するってことは、シズクに手出しても文句なしって了承なんだろ?」

「い、いやちょっと待ってくれ。そこは、シズクの気持ちをくんでやってくれないか」

「は? なんだよそれ、ちょっとお前都合よすぎないか? なんでそこまで要望きかなきゃいけないんだよ」

キョウジのその返答に、カッチーンと逆切れでジンヤが返す。
「お前はシズクのことなどどうでもいいと言うのか?! 嫌がるシズクを己の欲望のままに手篭めにするっていうのか?!
キョウジお前がここまで話の通じん奴とは思わなかった。真剣に相談した俺が馬鹿だった!」

理不尽なジンヤのキレ方に、むっかーとしながらキョウジも返す。

「そっちこそ勝手すぎんだろ! 自分は他の相手と婚姻するくせに、僕はシズクに手を出すなって? ムチャクチャ横暴すぎるだろ」

「俺は生涯童貞を貫く! それが俺の愛だ!」
文句あるかと言わんばかりの迫力で、生涯童貞宣言したジンヤに、「ああうん、そう」と戦意をそがれて、その日のやり取りはそこで幕を閉じた。
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