島魂粉砕

モドル | ススム | モクジ

  第三十六話 殴れ、そして罵れ  

「そんなこと、あるはずがない!」

暗い森の中、ジンヤの切ない否定の声が響く。それに続くのは狂ったような笑い声のヨウスケ。

「汚らわしい血だ! 四家の面汚しが!」

何かにとりつかれたように、鬼のような形相で不気味に笑うヨウスケ。「嘘だ!」最後にそう叫んでジンヤはキョウジたちの前から走り去っていった。

「ジンヤ」
凍りついたまま動けなかったシズクは、名をつぶやいたが、その時にはすでに名の主は走り去り姿が見えない。

「帰るぞシズク。こんなところにいつまでもいたんじゃ気が滅入ってしまう」
「あっ」
ぐいっと強引にヨウスケに手を引かれ、シズクはどうすればいいのか、不安そうな眼差しをキョウジに向けた。

「アイツなら僕がついていくから。シズクは親父さんと一緒に家に帰れよ」

「お前に言われるまでもなく、シズクはつれて帰る! いくぞシズク」

返事したのはヨウスケのほうだった。乱暴な物言いにムッとしたが、ヨウスケにむかついている場合ではないので、キョウジはくるりと背を向けてジンヤを追いかけた。


「あの人もおかしいよな。元々あんな人じゃなかったのに。…いや、もしかしたら、あれが本性なのかもしれないけど…」

一人毒づきながら、キョウジは森の中を走った。一時は娘を頼むとまで言ってくれた人なのに。昔から家同士付き合いのあった間柄だが。いや、四家には結束力というものが欠けているのだろう。水南と北地家の確執ともかく、キョウジとマサトとか、クマオだってキョウジを嫌っている。人に感情がある以上、仕方ない面もあるが、憎悪ばかりが渦巻いているようだ。禍が影響しているのだろうか? そんなことを考えながら、ジンヤを追いかけた。
いくら気の強いジンヤでも、あんなことを言われれば傷つくだろう。だれより父である北地家の当主を尊敬してきたジンヤならなおさらだ。父親に対する、叔母にも対する侮辱だ。その上自分という存在を否定された。
ヨウスケの態度にキョウジもむかついたが、ヨウスケを狂わせた要因もシズクかもしれないと、悲しいことを考えてしまう。父を狂わせ、兄を狂わせ、その結果好きな相手を貶めた。それは禍シズクの本意だとしても、真のシズクならどうだろう。
優しく笑いかけてくれたあの笑顔も偽りだったとは思いたくない。じわりじわりと禍が彼女を侵していったに違いない。そう思いたかった。



「父上!」
北地家に戻ってきたジンヤは靴も揃えず挨拶もしないまま、父のいる間へとやってきた。ハァハァと息を切らしながら、額に汗をぬらしながら、見開かれた目は赤く充血している。冷静ではないと一目でわかるジンヤを、いつものように厳しい眼差しで睨みながら、「挨拶もなしになんだ?」と北地家当主ガンザはぴしゃりと息子を叱り飛ばす。いつもなら「申し訳ありません!」とすぐに姿勢を正すはずのジンヤがそうしない。行儀悪くも立ったまま、当主の間に座したままのガンザを見据えている。

「聞こえなかったのか? ジンヤ」
「教えてください! 私の母上は誰なのか!」

ガンザの叱りとジンヤの問いかけが重なった。ハァハァとまだ息をきらしながら、瞬きすらせずに、ジンヤはぐっとガンザを見たまま、父の答えを待った。ふーと深い息を吐きながらガンザは答える。

「お前の母親はとおの昔に亡くなっている。その歳になって母に甘えたいと言うのか? なさけないことを「はぐらかさないでください父上! 私の母上は誰なのですか? なぜ本当のことを話してくれないのですか?」

いつもとは違いまくしたてるジンヤに、ガンザも眉を寄せる。「落ち着け、腰をすえろ」と言ったところでジンヤが落ち着くはずもなく、座りもしなかった。他のことは聞かない、ジンヤが聞きたい質問はただ一つだけだ。必死にそれを求める。

「叔母上なのですか? 亡くなった叔母上なのですか? 十八年前に亡くなったという…あなたの妹なのですか?!」

そうじゃない。その返答をジンヤは待った。強く願った。だが、父は首を振らなかった。岩のように堅く座ったまま、表情もミリともぶれずに、じっとジンヤを見据えたままで。

「なぜッ、否定してくださらない! そういうことなんですか? 俺は…近親相姦で生まれた息子だというんですか!」

「! ジンヤ」

喉の奥が震えていた。涙の滲んだ声で、ジンヤは吐き捨て父の元を走り去った。
強く否定してほしかった。「バカなことを言うな」と叱り飛ばしてほしかった。なぜ父は否定しなかったのだ? ジンヤはそれを肯定だと受け止めた。ジンヤ自身が望まなかった答え。頭の奥が割れるように強く痛む。もうわけがわからない。誰よりも跡取りの自覚の強かったジンヤ自身が、この世に生まれてはいけなかった、兄と妹が交わって生まれてしまった…近親相姦の結果生まれた汚らわしい存在なのだと。なにより許せなかったのは、己の存在だった。



「ジンヤ? おいジンヤいるのか? お邪魔しますよ」
ジンヤと入れ違いでキョウジは北地の玄関をくぐった。北地の屋敷の中はシンとしていた。灯りがついていたのは当主の間だった。

「風東のキョウジです。夜分遅くに失礼します。あの、ジンヤはこちらには?」

間に座したままのガンザに、キョウジが問いかける。ガンザは目を閉じたまま、キョウジに答える風でもなく「ジンヤめ、下らぬことを…」とつぶやいた。ガンザの独り言に、ジンヤはここに戻っていたのだとキョウジは知らされる。

「話したんですか?ジンヤと。アイツの母親が誰なのかってことを…」

ジンヤの母はジンヤが生まれてすぐに亡くなっている。ジンヤから母親の話は聞いたことがないが、キョウジも進んで聞こうとはしなかった。が、今は事態が違う。ヨウスケが吐いた暴言。あれが事実だとすると、単純な問題ではない。
キョウジ相手にもガンザは厳しい表情を変えはしない。息子以外にも礼儀知らずには容赦しない。

「よその家庭の事情に首を突っ込むな」ぴしゃりと言い放つガンザに、キョウジは反論する。

「他人事じゃないですよ。四家全体の問題じゃないんですか?! ジンヤの母親がだれかもわからないなんて、四家の跡取りとして大問題でしょう」

「ほおっておけ。ジンヤの奴は下らぬ勘違いをしているだけだ」

ほおっておけ。ガンザはジンヤとちゃんと話をしていないのか? ジンヤは激しく動揺していた。そんな状況で放置したというのか、この当主は。とキョウジですら憤った。

「アイツは水南の当主に汚れた生まれだと言われたんですよ? 近親相姦で生まれた子だと。
いくら鉄の精神でも、そんなこと言われて平気なはずがないでしょう。誤解ならハッキリと説明をお願いします!」

「近親相姦だと? 下らん。そんなことがあるはずがない!」

ぴしゃりとガンザが言い放った。びくりと迫力負けでキョウジの体が振るわされた。

「え?」

そしてキョウジは知ることになる。さらなる衝撃の事実に。

「絶対にあるはずがない。私がアイツと肉体関係など。私は一度として女性と交わったことなどない」

ガンザは近親相姦をキッパリと否定した。が、その否定は衝撃の事実を白日の下にさらした。一度として女性と交わったことがない? それが事実なら、もっと問題ではなかろうか。つまり、ジンヤは……。

「あの、待ってください、それじゃあアイツは…ジンヤは…」

北地の跡取りではないということになる?!



北地の家を飛び出したジンヤは西炎家に来ていた。西炎の当主からもマサトからも呼び出されたわけではないので、約束なしの突然の訪問だ。しかも時間もすでに深夜を回っており、困った様子の使用人のもとに、寝床についていたスミエも降りてきた。ジンヤはスミエの婚約者だから邪険にできないのだろう。寝巻きにガウンを羽織ったスミエが迷惑そうな顔でジンヤの前に現れた。

「なんですの? こんな時間に、いくらなんでも非常識じゃありませんの? お兄様ならまだ戻っておりませんわ。御用なら明日に願いますわ」

そう言ってジンヤに背を向けるスミエをジンヤが呼び止める。とんでもない言葉でもって。

「待ってくれ、俺が用事があるのは君のほうだ」

「アタクシに?」

心当たりなどさっぱりないスミエは眉間の皺を深める。

「頼む俺を殴ってくれ!」

「は?」

ジンヤが言ったことがスミエにはすぐに理解できず、?で返す。殴れだと?こんな夜中になんの冗談のつもりだ? しかし言った本人の顔は真剣で、太目の眉をぐっと吊り上げ感情高ぶり顔は赤い。

「俺を殴ってくれ! そして罵ってくれ!」

「な、なにを言って、アナタ頭が狂ってしまったんですの?」

殴れと婚約者にわめくジンヤを、使用人たちも不思議に思い、どうしていいかわからずスミエの出方を待つ。使用人たちのいる前でジンヤを殴ったり罵ったりできるほどスミエも非常識ではない。迷惑な顔をしながらも、頑として帰ろうとしないジンヤを「ちょっとこっちにきなさいな」と手を引いて外に連れ出す。

「どうした、いつもみたいに殴ってくれないのか?」

「バカじゃありませんの? 人を変態みたいに言わないでくださる? なんですの? いきなり。理由もなく殴ったり罵ったりできると思いますの? 非常識にもほどがありますわ。
アナタそれでも次期当主ですの?! 北地のご当主にも申し訳ないと思いませんの?」

ぴくり、とジンヤの表情が弱まる。急に意気消沈し、「すまない」と力なく答えて、ジンヤは暗い闇の中に消えていった。さすがにスミエもおかしいとは思ったが、気にかかりつつも屋敷の中へと戻った。
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