島魂粉砕

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  第三十五話 アンチ封印の儀  

禍は解き放つべき。マサトはそう言った。さっぱり理解できないジンヤは数秒固まる。
この人は、とんでもないことを言わなかったか?
確かめるように、ジンヤは反論する。

「なにを言ってるんですか? あの禍を解き放つ?
気は確かですか?!」

「ええ、私は気を違えてはいませんよ、ジンヤ君」

にっこりと笑顔のまま頷くマサト。いや、あなたの趣味は正常なものじゃないでしょうと突っ込みたい気持ちをぐっと抑えつつ、どういうことなのかと説明を促す。

「知ってますか? ジンヤ君。封印の儀に使う術紙は、回を重ねるごとに使用する枚数が膨れ上がっているんですよ」

「え? なんですって?」

しれっとマサトが話すが、ジンヤにしては初耳だ。儀式で使用する術紙の枚数など詳細を知ってはいなかった。普段使用する術紙とは比にならないほど、封印の儀では大量の術紙が必要になるとは知ってはいたが。巨大な禍を相手にするのだから当然だろうが。
マサトが言うにはその枚数は倍倍に膨れ上がり、近い将来には非現実的な枚数に達するらしい。マサトが危惧するのは術紙の生産が追いつかなくなるという心配ではなく、別のことにあった。

「封印の儀の効力が段々弱まってきているんです。我々呪術師が衰退しているわけではなく、禍のほうに呪術に対する耐性がついてきているようです。それは私も実感するこのごろでしてね」

とマサトは語る。日々呪術師の務めをしているマサトは、禍の力が増してきていることを強く実感しているのだという。

「このままでは近い将来呪術は無力化するでしょう。そうなった時に、新たな手段を編み出すか? いっそ禍を受け入れ、滅びの道を進むしかありませんね」

にこにこと笑いながら語るマサト。まるで滅びのほうを望んでいるとも取れるような言い方だ。いや死体マニアの彼にしてみればそれはある意味パラダイスなのかもしれないが。冗談ではないとジンヤは首を振る。

「それを回避するためにご先祖たちは戦ったんじゃありませんか! 父上はじめ歴代の四家当主は封印の儀を行ってきたのではありませんか!?」

ダンと床を叩きつけながら、ジンヤは抗議する。まるでアウェーだ。自分の意見に同意する者は一人もいない。ここにいるのは皆四家の跡取りだというのに。

「たしかに多大なリスクはありますが、封印の儀を解除して禍を世界に放つほうがベストでしょう。そうすることで禍の呪術耐性はリセットされるはずです」

「解除して、すぐ封印するわけですか?」

「いいえ、封印はしません。通常どおり散らすくらいです。固まりを散らせばいくらか、被害はマシになるでしょう。そのさきは地道に対処していくほかないでしょう。でもできるなら放置が望ましいですね。できるだけ禍に呪術を忘れさせてやるのです」

その期間はいつ?とジンヤが訊ねる。マサトは「そうですね、ハッキリとは言えませんが百年…数百年は見たほうがいいでしょう」と答える。

「な、何百年もって…。無責任すぎるじゃないですか! それに、禍を放つなど、そんなことをすれば…俺たちのご先祖が命がけで行ってきたことが」
無意味になってしまうとジンヤはうな垂れる。伝統を、四家の使命を重んじてきたジンヤにしてみれば、マサトの発言に簡単に同意することはできない。己の根底にある支柱を粉々に砕かれるも同然だ。それに、無責任すぎる。

「今しかないのですよ。また私たちが封印の儀を行えば、禍の耐性が上がり、のちの子孫にいらぬ苦労を背負わせることになるのです。たくさんの不幸が発生するでしょうが、やむをえないことです。遠い昔、人々はその不幸と真っ向から向き合い乗り越えてきたのですから。我々は先祖の苦労の上、今の平安に胡坐をかいている状態です。長い歴史から見てみれば、今が異常ともとれるでしょう」

「そんな…」

「それに、封印の儀には制約があって面倒ですしね。まず四家の当主がそろわなければならない。前に君に話したとおり、今の状態では足を引っ張る者がいますしね」

ちらりと横目でマサトがいやな視線をキョウジに向けてくる。キョウジは不快そうに顔をゆがめ目をそらす。

「(自分のことは棚に上げてよく言うよ)」
とキョウジはマサトに心の中で文句を言う。マサトだって四家内の不協和音の一員だろうに。己の欲望のためにシズクを襲おうとした前科だってあるのに。

「たしかに、キョウジと…クマオさん…、! おいクマオさんはどこに行ったんだ?」

ジンヤが気づいて叫ぶ。この寄り合い所の中にクマオは先ほどまでいたはずだが、姿が見えない。この中でも一番大柄なクマオが室内に見当たらなかった。

「!? シズクもいないな。まさか…」

心配になってキョウジも立ち上がる。用があって席を外すのなら一声かけるはずだ。二人そろってひっそりと姿をくらました。非常識な人だと苛立つジンヤに、キョウジは別の不安があった。クマオの異常性、そして時折豹変するシズクの状態を思えば、悪いことが起こってもおかしくない。

「マズイな、ジンヤ二人を探すぞ」

そう言ってキョウジは外へ飛び出した。「ああわかった」と頷いて後を追おうとするジンヤは、マサトのほうを伺った。

「マサトさん…」は心配じゃないんですか?と訊ねようとしたが、にこにこと穏やかな笑みを浮かべたまま腰を上げないマサトに、それを聞くのは無意味な気がしてそのままキョウジを追いかけた。
「(あの人はシズクのことが好きなんじゃなかったのか?)」
マサトはシズクに執着しているのかそうではないのか、もしかしたら…死体マニアだから?と変な考えがよぎりそうになり、その考えを飛ばすようにジンヤは首を振って走り出した。


シズクとクマオは寄り合い所を南下した封印の森近辺にいた。外に出るように促したのはシズクのほうだった。酷く落ち込んだクマオをかわいそうに思い、励ましてやりたいと思ったが、自分のせいでもあり、どうしてやればいいのかわからず戸惑っていた。が、揺れる感情に反して体は自然と動いていて。クマオの耳元で小さく囁いた。「兄さん、こんなところ抜け出しましょう」と。こんなところ…マサトやキョウジのいるところだ。禍からすれば、呪術師の気の立ちこめる場など息が詰まるようだ。
クマオは迷うことなくそれに頷き、真剣に話し合うジンヤたちのそばから離れていった。


森の中を行くシズクは水を得た魚のように生き生きとしていた。無邪気に時折妖艶にも映る眼差しで、クマオを誘う。
そんなシズクにクマオも違和感を覚えるが、とまどいながらもシズクについて行く。

「兄さん…」

くすり、と目を細めて笑いながらシズクが振り返る。闇夜の中でも、その瞳は強く不気味に輝きクマオを照らす。

ゆらりと伸びる白い指先がクマオの体の表面をなぞる。黒い髪が揺れながら、クマオへと接近する。
シズクから触れてきたことに、クマオは驚き、ビクリと体を震わせ硬直する。「うう…」ともれるようなクマオの低い声に、シズクの吐息交じりの声が重なる。

「我慢しなくてもいいよ。ここなら、大丈夫だから、わたしのこと…抱いて」

「うっ?」

挑発するようにシズクの指先がクマオの体をはじく。もてあそぶように、クマオの表面をシズクの手が踊る。
柔らかい体がクマオの硬い体に密着していく。熱く湿った息がクマオの体にかかる。愛しいシズクから抱擁され、そのシズクから求められる。クマオにとっては理想の状況…に見えてそうではなかった。クマオはただ困惑していた。シズクの異常、今のシズクはクマオの知る、クマオの好きな愛しい妹のシズクではない。純白の天使のような穢れを知らない処女のシズクじゃない。クマオが嫌う、汚らわしい娼婦のような態度。頭がガンガンと痛み、ぐるぐるとめまいがする。それでもいやらしく攻めてくるシズクの行為に、男の欲望は持ち上がり、葛藤する。

「本当のこと言うと、わたし兄さんが好きよ。あの四人の中ではね、一番だから」

にやりと意味ありげなことをつぶやいて、シズクはクマオの体をまさぐり続ける。

一番だから。バカにするように脳内で笑う。禍という存在は。四家跡取りの中でクマオは一番呪術の能力が低い。それ以前に水南家はボロボロなのだと、バカにするように笑っている。
「(どういうことだろう)」
当の本人のシズクはその意味をわからず、夢を見ているような意識でいた。


「シズク!」

自分を呼ぶ声にシズクはハッと我に返り、慌ててクマオから離れる。丸い目で体を丸めるシズクが、やっといつもの彼女だとクマオも気づくが、まだ戸惑いの顔を浮かべたままだ。気まずいそこにキョウジたちが駆けつける。

「大丈夫か?」

ライトでシズクたちを照らしながらキョウジが近づく。攻撃的だったクマオも今はまだ戸惑った様子で「うぐう」と唸りながらもじもじしていた。怪訝な顔でクマオを一瞥して、すぐにシズクへと視線を戻す。シズクは別に衣服も乱れておらず、外傷もないようだった。とりあえずはほっとするが。

「また変になってないよな?」

「え、あの…」

しどろもどろなシズクの様子が気にはなるが。二人が無事でいたことに、とりあえずは安堵する。

「キョウジ、いたか!」

すぐにジンヤも駆け寄る。シズクとクマオの姿を確認して、ジンヤは「クマオさん、なんで勝手に出て行ったんですか? 非常識じゃないですか! 封印の儀に関わる重要な話をしていたことをわかっているんですか?!」第一声はクマオへの非難だった。が、ジンヤの想いなどクマオにはまったく通じておらず、クマオは呆けたまま「うう、ああ」と口をもごもごしていだけだった。その様子にジンヤはイラっとしながら、ハーと深く息を吐いた。

「そんなところでなにをしている!?」

カッと眩いライトにキョウジたちの目がくらむ。それはキョウジたちとは反対方向からきた光。声の主は水南家の当主ヨウスケだった。ヨウスケはクマオとシズクの姿を見つけ、青ざめた顔で駆け寄り、娘のシズクを保護するように抱きしめた。

「と、父さん!」

「こんなところでこんな時間に、男三人でうちの娘になにをしていた!?」

すごい剣幕でヨウスケがまくしたてる。まるでシズクになにかしたかのように、決め付けのような物言いにキョウジも不快になる。こちらは心配してかけつけた身だというのに。

「寄り合い所で話し合いをしていたんですよ。その最中にシズクとクマオさんが姿をくらまして、今見つけたばかりなんです」
とキョウジが状況を説明すると、さあっとヨウスケの顔は青ざめ、自分より背の高いクマオに掴みかかる。

「クマオ、お前シズクに、シズクに手を出したのか?!」
「う、うう…」

弱弱しい声でクマオは肯定も否定もしなかった。焦点の定まらない目で額には汗をかいていた。十分不審だが。禍のせいで異常になっているシズクにも要因があるだろうとキョウジは思うが。ヨウスケは一方的にクマオを責め立てていた。まるで、なにかにとり憑かれたように。

「したのか? なあクマオ、お前シズクのパンツの中を触ったのか? チンチンをシズクにしゃぶらせたのか? それともええっ?」

「ちょっ父さん」
感情ヒートするままにヨウスケはクマオを問い詰める。ダイレクトな質問攻めにシズクはショックで絶句する。「なにを言ってるんだ? あの人は」とジンヤもぽかんとなる。クマオはうろたえ、「あうあう」となるばかりだ。元々しゃべるのが苦手なクマオにきつく責め立て、まともに受け答えなどできそうもない。クマオの反応にヨウスケは肯定だと受け止め、酷く責め立てる。やれやれと頭を抱えながら、キョウジが助け舟を出す。

「待ってくださいよ。シズクはなんともないみたいだし、第一変なことする時間なんてほとんどありませんでしたよ」

合点がいかない顔ながらも、ヨウスケはクマオをドンと突き放し、キョウジたちのほうに向き直る。

「実の兄と妹で交わりあうなど、この世でもっとも汚らわしい行為だぞ!」

ものすごい剣幕で怒るヨウスケに、キョウジたちも気圧される。近親相姦はこの世でもっとも憎たらしい行為と言わんばかりに。ヨウスケの真意などキョウジたちにはわかるはずもないが。ギリリと怒りの眼差しをヨウスケはジンヤに向ける。

「その象徴であるソイツがいい証拠だ! まったく汚らわしい血だ!」

ジンヤを指差しながら口汚く罵るヨウスケに、ジンヤも怒りあらわに反論する。

「いくら四家当主とはいえ、無礼ではありませんか?! 私の血が汚いということは我が父上をも侮辱したも同然! 訂正してください!」

クマオからジンヤへと向けられたヨウスケの怒りの矛先は、ジンヤを不幸のどん底へと叩き落す。

「知らんのか? 北地の愚息は! お前は実の兄と妹の間に生まれた、近親相姦で生まれた汚らしい存在なんだよ! 四家の汚点だ!」

「なっ、なにをバカなことを、俺の母上は…」

ジンヤの母はジンヤが生まれてすぐに亡くなったと聞いている。母の顔も知らない。だからと言って近親相姦で生まれたなどと、信じられるわけがないが。「知らないのか?」とヨウスケは悪魔のように笑いながらジンヤに伝えた。

「お前の父親はな愛し合っていたんだよ、実の妹と。だから誰とも添い遂げちゃいないんだ。ハッ、四家の当主の自覚などアイツにあるもんか。アレこそ男の、いや人間のクズよ」

「あるはずない! そんなことあるはずがっ」
「ジンヤ!」

強気な声で否定しながらも、ジンヤの声は震えていた。ヨウスケが暴露した北地家の秘密は四家の関係をさらに不安定な状態へと陥れる。
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