島魂粉砕

モドル | ススム | モクジ

  第三十二話 なんで帰ってきたんだよ…  

シズクは心身ともに傷つけられた。あの男…風東キョウジによって。心優しく清らかな妹は、あの悪魔のような外道にいたぶられ酷い目に合わされた。
こんなことなら、あの時にアイツを殺しておけばよかった。
クマオの心の中で激しい憎悪の殺意が漲る。

「シズク」
クマオはシズクの部屋のドアを開けた。部屋の中にいたシズクは、はっとした様に顔を上げてこちらを向いた。その目にはじんわりと涙が滲んでいた。それを見た瞬間、クマオの奥からカアッと湧き上がる感情があった。走るその感情のままに、クマオはシズクを力強く抱きしめ捕らえた。
大柄なクマオの加減知らずな抱擁に、シズクは苦しそうに「あぁっ」と呻いた。柔らかい肌はクマオの頑丈な筋肉に締め付けられて、きゅっと音を立てる。至近距離で香る髪や肌のにおいが、クマオの男の欲情をかりたてる。密着した相手の体から感じる脈動に、シズクは恐怖を感じて「いやっ」と声を上げた。拒否を伝えるその悲鳴に、臆病なクマオの体はビクリとはねながら、慌ててシズクを解放する。

不器用で人付き合いの不得手なクマオは、妹相手でもこんなときどうすればいいのか戸惑う。優しい言葉など浮かばないし、欲望のままに体を動かせばシズクに嫌われてしまうかもしれない。シズクに乱暴を働いて傷つけた(とクマオが思い込んでいる)外道のキョウジと同類だ。かわいいシズクを抱きしめ全身を撫で回し舐めまわしたい。ぷりっとしたむちむちのお尻を掴んで、欲望の象徴を擦り付けたい。おいしそうに揺れるおっぱいに吸い付き、飲み干したい(クマオの妄想の中ではシズクは母乳が出るらしい)。
とまどい余計な汗を滲ませながら、クマオの呼吸は荒くなり、勃起した状態でもじもじとする。
目の前のシズクは不安げな眼差しで、頬には涙を流した跡がある。兄妹とはいえ特別親しく接する間柄でもない。歳が離れているせいか、それだけでなく、父や母のせいでシズクは自分にいつも気を使っていた。本音で話すこともほとんどなく、だからきっとクマオの気持ちなどシズクは知らないはずだ。
カァッと沸き起こる熱い感情はシズクへの想いに直結する。愛しいシズクを守りたい、のではなく本当は愛されたいのだ。クマオがシズクから欲するのは母性愛なのかもしれない。

「泣いてた…」

小さく低い声で、クマオがぼそりとつぶやいた。「えっ」とシズクは顔を上げてきょとんとする。少ししてそれが自分のことなのだと気づく。「(兄さんは、私が泣いていたことを心配して…)」
「なにかあったのか?」までは聞けないクマオだが、クマオが言いたいことはシズクも感じた。たしかに先ほどまで泣いていた。キョウジに言われたことは胸をえぐるように見えない傷としてシズクに刻み付けられた。禍と婚姻したと言った自分が招いた結果なのはわかっているが、昔も今も変わらずキョウジは自分のことなどどうでもいいと、いらない存在なのだと思っているのだと思い込んだら、苦しさから涙が溢れていた。封じていた記憶が呼び覚まされてからは、どんどん悪いほうへと感情や記憶を変換していっている。キョウジを嫌いだと気づいて、もっと嫌いになったほうがいっそ楽と思いつつも、そんな自分に嫌気がさして罪悪感が襲う。

「な、なんでもないから」
シズクはそう答えた。ぎこちなく、気を使う態度で。我慢するシズクの態度にクマオの心もグサリと傷を負う。シズクは兄である自分を頼ってくれないのか。

「アイツ、泣かした」

ギリギリとクマオの口元と握り締めた手がブルブルと震える。今度は怒りによる震えだ。
クマオが言った「アイツ」がキョウジのことだと気づいて、シズクは「えっ」と目を見開いた。シズクの反応で確定した。キョウジがやはり元凶にほかならない。キョウジがいる限りシズクは苦しむ、不幸になる。大切なものを独り占めするため、それを邪魔するキョウジは許せぬ憎むべき存在だ。

「アイツ、許さない」

怒りの炎を燃やしながら、クマオは再び決意してシズクの部屋を去った。突然のクマオの行動にシズクは驚いていたが、クマオにも気持ちを見破られていたのだと感じた。泣いていたのはキョウジに傷つけられたことが原因だ。がシズクの中の記憶とクマオの妄想は合致してなかった。クマオの中では変わらず、シズクに性的な暴行を繰り返した挙句心身ともに傷つけたと思い込んでいた。

「兄さん、待って」

しばし呆然としていたシズクだが、以前の悲劇を思い出して慌ててクマオを止めようと部屋から飛び出す。

「どうしたシズク、クマオとなにかあったのか?」

部屋を出た先で父ヨウスケと鉢合わせた。ヨウスケはクマオとシズクの間に何か間違いが起こったのではないかという不安からの訊ねであったが、それが違うと知るとなんだそうかとほっとする。
全然「そうか」なことじゃない。クマオは前科があるのだ。キョウジを殺しかけた前科がある。がヨウスケはそのことなら心配いらないとシズクに答えた。

「万が一のことがあってもたいした問題じゃない。風東には幸いにももう一人跡継ぎがいるじゃないか」
と言って、ヨウスケは不気味なほど穏やかに娘に微笑みかけた。



下校途中のメバルを待ち伏せていたのは、意外な人物だった。

「ジンヤ兄ちゃん?」

強面をますますこわばらせて、メバルを呼び止めたのはジンヤだった。ジンヤとは面識があるが、いつも兄と一緒だったため、こうして一人で会う機会はなかった。ジンヤの表情から、いいものを感じなかったメバルの顔には警戒の色が浮かぶ。メバルの態度にジンヤはそのままの表情を崩さず、「キョウジはどこにいる?」と訊ねた。


「兄ちゃんなら風東の修行に行ってるから、当分帰ってこないよ」
とメバルは家路に着きながら何度もジンヤにそう伝えたが、ジンヤは納得せず「アイツはいつ戻ってくる?」とばかり訊ね、メバルに付いてきた。それにはメバルもいい気がしなかったが、強くも拒めず、家に戻った。


「一体なんのよう? おれもいつ帰ってくるかよく知らないし、用があるなら帰ってきたら伝えておくよ」

暗にジンヤに帰ってくれないかと意味を込めて伝えたが、ジンヤには伝わらなかった。険しい表情のまま「アイツに直接用がある」と言って取り合ってくれなかった。こんなジンヤと一緒にいるとメバルの心は滅入りそうだった。ジンヤの様子からしてただ事ではないことが伺える。ただ喧嘩をしたとかそんな軽い問題ではなさそうだ。事情を詳しく知らないメバルでも、よくないことだろうということは予測がついた。そろそろ夕暮れ時を過ぎる頃で、室内も灯りを点けなければ薄暗くなる。無言のまま座り込んで岩のように動きそうもないジンヤに、痺れを切らしたように「あのさー」とメバルが訊ねる。

「兄ちゃんとなにがあったんだよ?」

「アイツを叩きなおす必要がある!」

強い口調で返されて、メバルは気圧され「ええっ?!」とのけぞった。

「このままでは封印の儀は必ず失敗するとマサトさんは言われた。その原因はキョウジだ。アイツは呪術師以前に人として、過ちを犯したからな。早く更生させなければならない。たとえ荒療治でもな」

ジンヤの言い方はまるでキョウジは犯罪者であるかのようだ。さすがにメバルもムッときて言い返す。

「なんだよ、兄ちゃんがなにしたっていうんだよ?」

「アイツはシズクに乱暴を働いたんだ、呪術を使ってな」

「は、ええ?」
ジンヤの言葉にメバルは我が耳を疑った。

「待ってよ、なんかの間違いだって! そんなわけないって、兄ちゃんがシズク姉ちゃんを傷つけるわけないって!」

「俺だってそう思いたい。だがこの目で見たんだ。アイツが犯行を犯した瞬間を。起こってしまったことをなかったことにするなどできん。だからアイツを叩きなおす必要があるんだ。マサトさんも協力を申し出てくれているしな。縛ってでも連れて行くつもりだ」

「そんな、なにか理由があってのことだよ。…ジンヤ兄ちゃんは兄ちゃんの友達だろ?それとも敵なのかよ?」

動揺しながらもメバルはジンヤのいうことすべてを信じてはいなかった。キョウジがシズクに呪術を使って乱暴したとしても、なにか理由があってのことに違いないと信じた。

「俺はキョウジの友人である前に、四家の呪術師だ。己の使命を最優先して動く」

ギロリと鋭い横目で睨みつけられ、メバルは萎縮させられた。ジンヤは言葉どおり実行するつもりだろう。キョウジをマサトのところに連れて行く。あのマサトのところへ…。どんな目に合わされるか、想像するだけでメバルの体は震え、ちびりそうになった。


ジンヤの眼力に負け、メバルはただ兄キョウジがせめて今夜まででも戻ってこないことを祈った。こうと決めたらジンヤは頑なだ。マサトのもとに連れて行かれるだろう。あのマサトのことだ、優しく迎えてくれるとは思えない。処刑だ、またいろいろとトラウマを植えつけられるんだ…。思い出すだけで涙がじりじりと滲む。メバルもマサトに関する過去は一切消し去りたいレベルだ、あれは関わってはいけない人種なのだ。

「ただいまー…と、あれ」

うひぃっとメバルの体がショックで硬直する。玄関先から聞こえてきた声は、今まさに戻ってこないでくれと祈った相手…キョウジの声だった。
珍しく玄関に出迎えてくれる人が誰もいない。ミヨシは今日は家の関係で休みを取っているからいないのだが、父もまだ戻ってない様子。愛猫はまた家出しているのか姿が見えない。唯一待っていたのが弟のメバルだったが、その様子がいつもと違っていたため、キョウジも不審に思う。

「なんで帰ってきたんだよ、兄ちゃん…」

涙目でわなわなと震える弟の心境がわからず、キョウジは「はぁ?」と首をかしげる。父はまだ帰っていないのかを訊ねようとしたが、それは遮られた。ジンヤによって。

「なんだよ、ジンヤ来てたのか…」

「いますぐ一緒にきてもらうぞ、キョウジ!」

ジンヤはキョウジに有無を言わさずに連れ出した。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2012/08/21 N.Shirase All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-