島魂粉砕

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  第三十話 死ねばいい  

キョウジの出した答えに、シズクは絶望した。
キョウジはこう言い放った。「死ねばいい」と。
以前アラシから聞いた。婚姻の儀の解消はどちらかが死ぬときだと。互いの縁が切れなくなるのが呪術師の婚姻の儀。シズクにとっては、禍との縁が切れなくなるということだ。

「死ねばいいって、誰が?」

じとりと滲む汗を感じながら、シズクはドンドンと高鳴る心音に脅されるように訊ねる。キョウジの言う事をなんとなしに理解しながらも、それを否定してほしいと念じながら。

「決まっているだろう。お前がだよ」

なんて残酷なことをキョウジは真顔で言うんだろう。鋭い凶器に胸を貫かれた衝撃をシズクは感じた。ガーンと脳みそを叩き潰すようなショックに、白くなる頭の中で、ただ本能的に、目の前の相手から逃れなくてはと思った。

「うそ、いやっ」

悲鳴のような拒否の声をあげて、シズクは身を翻し屋外へと逃げていった。

「おいまて、シズク」

走り去ったシズクをすぐに追いかけたが、戸を出た先でその痕跡はどこにも見当たらなかった。忽然と姿を消したように。特別運動神経がいいわけでも足が速いわけでもないシズクだ。

「アイツ、瞬間移動したのか…」

気配も足音も、なにも聞こえない。ずっとそこに一人でいたような錯覚に陥る。
途中で捜索をあきらめて、小屋に戻る。
さきほどシズクに対して言ったことはハッタリではなかった。シズクが話してくれたことが、解決の糸口になりそうだ。

シズクのいうとおり、禍が呪術師の婚姻の儀をまねているのなら、その仕組みも同じかもしれない。相手が死ねば自動的に儀式は解消されるはずだ。
だが気がかりもある。
呪術は対禍のため編み出されたものだ。それを禍がまねるということは、禍が呪術に対して耐性をつけていることになる。もしかしたら、シズクに影響を与えている禍だけが特殊かもしれないが。最悪な方向にシミュレーションしたほうがいいだろう。もしシズクをなんとかできたとしても、また第二第三のシズクが出てこないとは限らない。禍が呪術に対して耐性を持ち始めているなら、禍のほうは進化していることになる。対してこちらはどうだろうか。いまだに先祖代々同じ手法で封印の儀を繰り返しているだけだ。やっていることは昔と変わっていない。

禍に振り回されているのは呪術師のほうかもしれない。呪術師がいなくなれば、やがて封印は解け、禍はこの島から解放される。禍が生命なのかどういった存在なのか、いまだに明らかになっていないが、世界中に散らばっているその存在は一箇所に留められる存在ではない。実に不自然なことをしいているわけだ。それは人類にとっての都合のため、その都合によって禍は本来の場所から遠ざけられた。
巨大な禍以前に、たった一人のシズクにすら振り回されている現状だ。

「どうして禍はシズクを選んだんだ? いや、シズクが望んだって言ってたよな」

呪術師の家の娘だから、一般より禍の影響を受ける可能性は高い、だがそれだけが理由ではないようにキョウジは思えた。シズクはジンヤ、マサト、クマオとも関わりがある。全員四家の跡取りだ、シズクは爆弾にするには適任だ。

しかもどいつもこいつも独り身だ。ジンヤはスミエという婚約者がいるが関係が良好ではない上本人は生涯童貞宣言をしている。第三世代の誕生のめども立たない現状、禍にとって都合のいい世界へと事はすすむ。

悠長なことやっている場合じゃない!
こんなところで修行にこもっている場合ではない、とキョウジが気づいていたころ、事態はキョウジにとっては悪いほうへと進みだしていた。



緊急の当主会議があり、そこでとんでもないことが決められた。
キョウジの素行について問題になり、マサトから報告された話では、無抵抗なシズクに対して呪術を用いて暴力を振るったということだ。目撃者はマサトのほかにジンヤ、そして当人のシズクもそのことを認めている。震えながら涙目で告げたシズクに、ヨウスケの怒りも頂点に上る。キョウジを擁護するものはアラシしかいなかったが、アラシも立場があるためやたらめったら息子を擁護するわけにもいかず、厳しく監視をするからと言ってなんとか各当主を納得させようとした。だがシズクの父ヨウスケだけは絶対に許さんと怒り静まらず、その理由はキョウジとシズクのやりとりにあった。キョウジのもとから帰ったシズクはヨウスケに報告したのだ。キョウジから言われた恐ろしい言葉を。

「アイツはシズクに死ねと言ったんだぞ! 殺意をもってシズクに呪術を使ったと認めたんだぞ!
そんな危険な者を野放しにしていいわけがない! 早急に処罰をすべきだ!」

鬼の形相でヨウスケはわめいた。普段は温厚な性格だが時々激情することがある。それもかわいい愛娘が絡んでいるからこそだろうか。一時はシズクとキョウジの仲を認めはしたが、今はその真逆だ。ヨウスケとしては裏切られた心境だろう。娘を任せたこともある相手が「死ね」と、その大事な娘に言ったというのだから、ヨウスケは冷静ではいられない。まともに話もできない状態で、アラシは頭を抱えた。事が収まるまで、キョウジは修行場から帰させないつもりでいた。四家当主にそう約束をして、キョウジの監視は自分にまかせてほしいと懇願した。
すぐにアラシは風東の修行場へと向かったが、そこにキョウジの姿はいなかった。行き違いになった形だ。キョウジは研究所へ戻り、調べ物を再開していた。それだけでなく図書館に病院、勤め先の工場にも顔を出していた。すべてはシズクを…シズクという禍をなんとかする手立てを探るため。

キョウジが言った「死ねばいい」は冗談ではなかった。だからと言って本気でシズクに死ねばいいと言ったつもりではなかった。その死に関して、どうにかならないかという手立てを考えながら、禍対策を練らねばならない。が、キョウジのその不用意な発言が自分の立場を危うくしてしまっていることに当の本人は気づいていない。


水南家に帰宅したシズクは憔悴した顔で、夕食もほとんど食べなかった。父も母も大丈夫かと心配の声をかけたが、「大丈夫、ちょっと食欲がないだけ」と言ってほとんど減ってない食事を後にして私室へと篭った。
つらいのは腹のほうではなく、胸の痛みだ。正しくは心の痛み。息苦しいほどに胸を締め付ける。
「死ねばいい」とキョウジに言われた。禍と婚姻したことを打ち明けたせいだろう。いやそれだけじゃない、死ねばいい存在なのかもしれない、キョウジにとっては。そうシズクが思ってしまうのは、思い出したからだ。十歳の誕生日のあの日に、キョウジを嫌いになったあの日のことを…。キョウジは島の外のことばかり考えていた。島のことなど、シズクのことなどどうでもいいと、キョウジはそう思っていると気づいたあの日、大好きだった相手は大嫌いな相手になった。そんな感情は表に出すことなく、仲良く幼馴染として接してきていた。大人になっていくにしたがって、その感情は忘れるように心の奥底に押し込めてきた。
自覚するとますます黒い感情が押し寄せてきそうで、唾を飲み込んでそれを己の中に押し留める。

「死ねばいい」
脳内で何度もリフレインする。気がおかしくなっていくみたいに、耳の奥のほうでざわざわする。乾ききった喉のまま、シズクはゆらりと立ち上がり人知れず家を出た。

「死ねばいい、わたしなんて、死んだほうがいいんだ」

世間知らずで、思い返せばいっぱい迷惑をかけてきた。いつも世話をかけてばかりで、それが当たり前になっていたけど、自分の存在は足枷でしかなかったろう。だってキョウジは幼いころから島の外へ行きたいと強く夢見ていた。

「そういえばあの日も、いらないって言われたんだ…」

無邪気な顔して、とても残酷なことを言われたんだ。思い出すたびに頭の奥がガンガンとして気がおかしくなりそうだ。想うたびにますますキョウジが許せなくなる、嫌いになる。禍のせいで、酷い感情は荒ぶりそうで、目頭が熱く、視界が歪む。

闇の中をただひたすらに南へと歩いていく。だんだんと波の音が聞こえてくる。水南家を南に下り、島の南端、切り立った崖の上、すぐ下には岩へと打ちつける波の音が響いていた。

死のう、死のう。そう思ってシズクは崖のほうへと向かう。ギリギリのあと一歩のところで、ぴたりと足は止まる。びくりと我に返るように震え上がる。闇夜にうねる波は死神のように手招くが、その恐怖がシズクの足を留まらせる。じりじりと足を海へと向けるが、その一歩が踏み出せない。

「酷い、いくじなし」

死ぬつもりだったのに、直前で死の恐怖に体がすくみ動けない。涙があふれる理由は悔しさとか恐ろしさとか悲しさとかいろいろが混じった感情から。

手招くように眼下で波はうねり鳴く。だがシズクの足はミリとも動かず、その場で震えながら泣いていた。

「シズク!」

背後で名を呼ばれて、突然強い力に引っ張られた。シズクを崖っぷちから引き離したのは、暗闇の中ますます顔に影を広げるクマオだった。その顔はこわばり、うっすらと汗が滲んでいた。

「こんなところ、来ちゃダメ、帰る」

誰にもなにも告げずに家を飛び出した。叱られても仕方ない。クマオの心臓はバクバクと震えていた。夜中に家を抜け出したシズクに気づき、慌てて後を追いかけた。その先が灯りのほとんどない崖のほう。キョウジがシズクに呪術を使って乱暴したという話は聞いていた。シズクがショックを受け、自暴自棄になっていてもおかしくない。その心配は的中し、シズクは崖下の海に身を投げようとしていた。恐怖で心臓が口から飛び出しそうだった。シズクに死ぬ勇気はなかったが、クマオはシズクの自殺を寸でで止めたのだと思っていた。もし、あと少し遅ければ、シズクは死んでいたかもしれない。真青になったシズクの死に顔を想像しては首を振る。そんな現実はあってはならない。

「兄さん、…わたし…」

恐怖と動揺でまだ体の震えるシズクを見て、クマオはますますキョウジへの憎しみを膨らませる。

「いい、なにも言うな、帰ろう」

強い力で腕をつかまれ、シズクはいやおうなしにクマオのあとを歩かされる。強いまなざしと口調にシズクはなにも言えなくなり、家路へと戻る。

言わなければ、事態は悪いほうへと向かう。だが混乱する心のまま、それを打ち明けることはできずに、シズクはシズクでマイナスの感情を募らせていくのだった。
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