島魂粉砕

モドル | ススム | モクジ

  第二十九話 風東の修行場にて  

「ううう、いや…やめて」

目の前にいる幼馴染の男に、シズクは恐怖に震える。確実な敵意を持って、キョウジはシズクに対して呪術を使ってきた。たしかに先ほど、キョウジに「婚姻した相手は禍」であると告げた。気のふれた自分の言ったことはそのとおりなのかもしれないが、キョウジを敵に回して自分は何がしたいのだろう。
混乱しながらも、シズクは本能的に目の前の脅威から逃げようとする。

「待て、逃がすかよ」

新たに術紙を取り出し、キョウジは再び術を行使しようとする。

「っうわっ」

突然キョウジの手元の術紙が引火し燃えてなくなる。「あちっ」とキョウジはやけどしかけた手を振る。

「キョウジ、貴様なにをしている?!」

「えっ、ジンヤ?」

ギリリと目を吊り上げたジンヤがキョウジの前に現れた。どうしてお前がここにと疑問に感じるキョウジだが、すぐに現場へと駆けつけたもう一人の呪術師を見て、二人はグルだと気づいた。

「君は、とんでもないことをしでかしましたね」

「マサト! まさかお前ら」

シズクをかばう様に立つマサトとジンヤ、それはキョウジと敵対するように立つ構図だ。

「キョウジ、お前がこんな酷いことをするとは思わなかったが」

ジンヤの表情はキョウジに裏切られた怒りと悲しみが見えた。それもお前の勘違いだとキョウジは言いたかったが、シズクは怯え、完全に被害者の顔だ。マサトはしてやったりといったにやりとした顔でキョウジを非難する。

「ジンヤ君も見ていたようですね。私もしっかりと確認しましたよ。シズクさんの悲鳴が聞こえたから心配してかけつけてみれば、キョウジ君がシズクさんに対して呪術を使って暴行しているなんて…。これは大問題ですよ。すぐに各家当主に報告しなければなりませんね」

「ちょっと待て、一方的にこっちを悪と決め付けるなよ。僕が攻撃したのはシズクじゃない、シズクの中の禍だ!」

キョウジの発言にマサトは「はぁ? なにを言っているのですか? 君は」とはなから信用していない口ぶりだ。

「さっき言ったよな、シズク、禍と婚姻したって」

「え、…わ、わたしは…」

真剣な顔でこちらを見据えるキョウジの目から、シズクは目をそらし、キョウジの言い分を肯定しなかった。

「禍と婚姻? なんだそれはどういうことだ」

なにを言ってるんだお前はと言いたげなジンヤの発言を、マサトが「ジンヤ君、こんなキチガイの話など聞くだけ無駄ですよ」と遮る。

「シズク、ちゃんと説明しろよ、そこのわからずやどもに」

キョウジの言葉などマサトははなから聞く気がないのだろう。それがわかるから、キョウジはシズクに訴える。

「え、あのわたし…、いきなりのことで、怖くてなにも…」

「!? はあっ」

先ほどの挑発的な態度から一変、恐怖に怯えるまなざしで、体もガクガクと震えているシズクが、きちんと事情の説明などしてくれなかった。シズクが事実を認めてくれない以上、キョウジに疑いがかけられるのは当然だった。


「相応の処分は覚悟したほうがいいですよ」マサトの言葉の端から悪意を感じたが、己の行為は間違っていないと思うキョウジは「処分も何も、禍から人を守るのが呪術師の務めなんだろ」と憤る。元からキョウジをよく思っていないマサトはともかく、ジンヤからも疑いのまなざしを向けられるのは軽くショックだったが、元凶のシズクがいる手前、なにを言っても裏目に出そうな気がして、それ以上の反論はやめた。



キョウジの問題行動は、マサトから各家当主に報告があった。だだでさえキョウジの自由を許容してきた後ろめたさもあり、アラシの気は重くなる。マサトだけでなく、ヨウスケからも厳しい批判を受けた。ヨウスケの話ではシズクが涙ながらに訴えたのだという。キョウジから酷い暴力を受け、生命の危機を感じたほどだという。信じたくはないが、各呪術師から批判を受け、キョウジの評判は地に落ちたに等しい。多少強引でも、なんとかせねばとアラシは焦る。

「呪術師としての才能は、キョウジ君よりメバル君のほうが上ですよ」

マサトはメバルのほうがキョウジより才能があるとアラシに告げた。それはつまり、跡継ぎはメバルのほうがいいと言っているようなものだ。
各当主やマサトたちを説得するには、当のキョウジの改善が必須だろう。キョウジが戻れば、早々にさせねばならないと、アラシは決意する。


帰宅したキョウジをアラシが慌てた様子で迎える。父の様子ですでにマサトから報告があったんだろうとキョウジも察する。

「あ、親父シズクのことなんだけど」
「キョウジ! お前はすぐに風東の修行場に行け。すでに荷物の準備はしてあるから」
「は、え、ちょっと?」

帰宅の挨拶をするまもなく、慌しく父は用意していた荷物の入ったバッグを玄関先に立つキョウジに押し付けながら、家の中に入ることを妨害する。

「いきなりなんだよ、マサトのやつか? シズクのことなら話したいことが」
「いいから修行場で修行に励んでくるんだ。お前の信頼を回復するには、そうするしかない」
締め出された玄関の戸ごしに父の声を聞く。お前のためだと言われても、素直にわかったとは言えない。父の立場もわかるが、こっちの話を聞く気もゼロで、信頼されていないんだなと感じる。
島から出て行くつもりだが、呪術師の役目を完全放棄する気はない。弟やみんなに負担をかけてまで、己の欲望を優先するほどろくでなしではない。だけど、無責任な酷い奴だと思われても仕方ないのかもしれない。シズクとの婚姻のことにしたって、少しは父を喜ばせられたかもしれないのに、結局は無意味になった。四家からしたら、ろくでもない跡取り息子になるんだろう。

「わかったよ、出てくよ!」

苛立ち半分で、そう言い放ってキョウジは風東家に背を向けた。


風東の修行場は、風東家の南、小高い山の中にある。寝泊りできるだけの小さな小屋があり、キョウジはそこにきた。長らく使われていない小屋の中は埃とカビのにおいがした。野宿よりまあマシ程度であるそこ。父から押し付けられた荷物の中には着替え数着と軽毛布、保存食などがあった。せいぜい二三日くらいだ、長期はムリだろう、この食料では。
たかが数日で、修行場で修行に励んだ程度で、信頼が回復できるとはどういうことか? そんなのは時間稼ぎにしかならないだろう。それにしても、シズクの態度の酷さ、禍のせいだとしても腹が立つ。以前のシズクなら、誤解だと言ってキョウジをかばったに違いない。それが、被害者面でキョウジがマサトに責められてもしらんぷりだ。
優しかったシズクが、人を陥れるようなことができるだろうか?

アイツの中には禍がいる。

キョウジはそう思う。シズク自身も禍の関わりを断言した。禍と婚姻したのだと。おかしな話だと思うが、婚姻うんぬんはともかくとしても、シズクの人格に悪影響を与えているのは禍に違いないだろう。シズクはキョウジと婚姻したくなかったから、禍と婚姻したいと願ったと言った。ということは、キョウジと婚姻するずいぶん前から、禍の影響を受けていた可能性がある。
一体、いつどこでだろう?
それに気がかりなことがある。森の中で出会ったマサトから聞いた衝撃の事実。結界の森の結界にほころびがあるという現状だ。結界も目に見えないから、キョウジ自身確かめる術がないが、天才呪術師マサトなら気づけるのだろう。第一の防御壁が壊れほとんど機能していないことになる。万が一封印が解けていれば、なだれ込むように巨大な禍は結界の森を抜け、さらにはこの島から解き放たれることになるだろう。先祖が決死で封印した恐ろしい魔物を本国へと、いや世界へと放つことになってしまう。少しでもその危険を回避するのが、呪術師の役目だ。マサトは、本気で禍を封じる気があるんだろうか? 当主の仕事を増やすからなどとそんな言い訳が通用するものか。マサトのほうこそ不審な行動をしている。

「くっそ、すっげーむかついてきた」

最初から敵丸出しなマサトはともかく、親友のジンヤからも疑われ、父も話を聞こうともしなかった。島のあり方に疑問を抱く同士はどこにもいなかった。最初から自分は一人で、異端で、味方なんてどこにもいないんじゃなかろうか。そうだとしても、おかしいと思えることに納得はできない。みなが「お前が間違っている」と非難してきても、キョウジは己の考えを曲げることはできない。

適当に床の埃を払って、寝転がった。もう一時間もしないうちに日は暮れるだろう。

「うおっっ」

びくりと反射的に身を起こす。太ももを虫のような気持ち悪いものが這った感触があったからだ。原因はすぐ目に映った。かさかさと慌てた様子で部屋の隅に逃げ込もうとするゴキブリだった。
むかつくなぁと思った次の瞬間、ゴキブリは突然バチィッと不自然に跳ね上がり、絶命していた。

「なんだ?」

不思議に思ってゴキブリに近づく。周辺には絶命するような罠とかなにも障害物もないし、薬の類も感じられない。

「まさか、禍の影響?」

生命力の強い虫が突然死ぬなんて、不自然だと感じた。ここは風東の修行場で、ここには関係者以外は立ち入れないように風東の守りの術が施してある。呪術であるそれは禍をたやすくよせつけないはずだが…。
気味の悪さを感じながら、再び横になったキョウジは、今度は体の中の不快さに襲われる。

「あー、気持ちわりぃ…」

ズンズンと響くような頭痛がしてくる。あの森の中での不調に似ている。禍のせいか? 
みしり、と床がきしむ音。虫ではない、それなりの存在でなければこんな音はさせられない。
薄暗い室内にキラリと光る二つの光、眼光の輝き。ここにいるはずのない存在、それが今キョウジの目の前に立つ。

「シズク? どうしてここにいるんだ」

幻ではなく、ハッキリとシズクがそこにいる。いるはずのないその相手が目の前に。

「そういえば、ジンヤも北地の修行場でシズクに会ったと言っていたな…。ここの術も効力をなくしてるってことか」

立ち上がり、距離を置いて目の前の不気味な相手を警戒する。シズクは胸元に手を当てたまま、小刻みに震えていた。

「わたし、どうしたらいいかわからなくて。お父さんも兄さんもあの人も、キョウジのこと絶対許せないって、このままじゃキョウジは…」

事はキョウジが感じている以上に深刻になっているらしい。まあ元々信頼関係を築いていた相手ではない。些細なことで非難したいだけだ、マサトなど特にそうだろう。
どうしたらいいかわからないと言っているが、シズクが真実を話せばいいだけだ。だが、それができないということだろう。故意にかどうかはともかくとして。
自分の信頼回復よりも、目の前の禍をなんとかするのが先だ。

「僕の信頼回復なんてあとでいい。それよりも、シズクの中の禍を遠ざけるのが先だ」

術紙を取り出し、今度こそシズクに対して退禍の呪術をかける。強めの術にするつもりだが、鍛えていないシズクの体では多少打撲があるかもしれないが、大した怪我にはならないだろう。それよりも、禍を退けることが重要だ。

「え、まって…」

シズクの顔色が青ざめる。この前の体に受けた衝撃とショックはトラウマだ。殴られるより恐ろしいと感じてしまう。びくりと恐怖で後ろずさる。

「痛いかもしれないけど我慢しろよ。このまま放置しておけば、お前にも周りにも不幸が及ぶことになる」

「ち、違う」とシズクは首をふるふると振る。シズクは呪術をかけられることを拒否しているわけじゃない。たしかに怖いが、キョウジの行為が無意味であることがわかるから。

「そんなこと、意味がない」

「はあ? 意味がないって? たしかに禍を消滅させられないけど、呪術は禍を散らすことができる。禍には有効だよ」

「ううん、やるだけ無駄だよ。キョウジも知ってるでしょう? 婚姻関係は簡単に解消できないって。散らしたところで禍はすぐにわたしの中に戻ってくる。何度呪術を使っても意味がないよ」

絶望的なことをシズクは言うが、シズクの発言にキョウジは「そうか」とひらめく。禍との婚姻が成立しているかなど、いまだに不確定ではあるが、本当ならば、婚姻関係の解消は不可能ではない。

「お前の言うとおり、禍と婚姻しているんだったら。解決策はないことないだろ。
死ねばいいんだからな」

キョウジの言葉にシズクは「うそ…」と青ざめ、絶望の淵へと立たされた。
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