島魂粉砕

モドル | ススム | モクジ

  第二十話 死ネ、コロス  

一体何があったのか、帰宅して早々キョウジは現状を聞く。ミヨシもパニック状態で「私が止めていれば」と、あの時こうしていればと悔やむばかりだ。メバルはもう一度外探してくると飛び出した。
こんな時パニックになって闇雲に探してもだめだ。キョウジはミヨシを落ち着かせるように、シズクに会ったときのことを話した。
「ちょっと道に迷って遅くなっているだけだよ」
と自分で言いつつも、さすがに遅くなりすぎだし、なにか事件か事故に巻き込まれた可能性も高い。
それにシズクはあのおかしな状態の件もハッキリと解決しないままだ。もしかしたら、またあのおかしな状態になって、どこかでなにか問題を起こしている可能性だってあるだろう。
自分より先に帰宅して、現状を聞いていた父アラシにも確認する。

「親父、警察には連絡したのか?」
「いや、それが…」

とアラシは表情を曇らせる。
シズクが行方不明になったと聞いて、すぐに周辺とミヨシには家の中を念のため探してもらったが、見つからなかった。もしかしたら、実家に戻ったのかもしれない。先日の件で、シズクは気にしていたし、いったん実家に帰ったほうがよいのかと提案していた事もあった。それに、シズクの父ヨウスケにもこのことは一刻も早く知らせなければいけない。心配だってするだろう。協力もしてもらいたい。
アラシはすぐにヨウスケに伝えた。ヨウスケは当然ながら心配していたが、なにか焦った様子で、警察には絶対知らせないでくれと言った。その対応にアラシは首をかしげたが、あんなに溺愛していたシズクが行方知れずなのに、なぜ警察には知らせるなと言ったのだろう。大事にしたく無いからとは言っていたが、心当たりがあるのかもしれない。他人には話せない事情なのだろうか。深く追求はしなかった。今はそれよりも、シズクを探し出して、無事保護してやらねば。

そういったいきさつで、警察には知らせず、ヨウスケと協力してシズクの捜索をしている最中だと言う。
アラシ同様キョウジもヨウスケの対応に疑問を抱かざるを得なかったが、すぐにシズクの捜索に走った。
帰ってきた道を再び逆方向に行く。風東家を出て、工場のある港の町方面へと向う。
自分からしたら迷いようのないルートだ。だがシズクは、どうだろう。あまり一人で外に出歩いた事がない。道に迷った可能性だってある。が、それ以上に心配なのは、あのイカレた状態になって、またなにかしでかしていないだろうかと。通りすがりの男を誘惑して、どこかに…とさすがにマイナスに考えすぎか。

「シズクー」

名前を呼びながら、探す。足を滑らせて落ちていないか、水路の中も覗き込む。ルート上にある店舗の人にシズクを見てないか聞きながら、道をそれて人気のないところも探す。
もたもたしていたら日が落ちて、夜になる。視界も悪くなる。早くしないと、さすがにキョウジの心にも焦りが生まれる。



シズクは薄暗く狭い空間に閉じ込められていた。古くなった物置の中。農具やら機材や木材が乱雑に積まれてある。農家の納屋の中。その中に自分ともう一人。
シズクを連れ去り、この納屋の中に連れ込んだ張本人、クマオだ。
興奮したように荒い鼻息、薄暗い中で不気味に光る白目がちな三白眼。嫌な予感が酷くして、バクバクと心音が高鳴る。兄の様子がおかしい。自分をこうして連れ去ったのも、自分を心配してのことなのだということはわかるが、それが強い思い込みであることもわかる。
実家を出る前に気にかかっていたこと…。クマオはキョウジのことを誤解している、悪い方向に。
ちゃんと説明しなければと思った。それに帰してもらわないと。帰りの遅いことを、みんな心配しているに違いない。これ以上風東の人たちに迷惑をかけたくはない。

「兄さん聞いて、あのね、キョウジは」
「いい、言うな」

頑なにクマオはシズクの言葉を聞こうとしない。なにも言うなの一点張りだ。シズクもそれ以上言う事をはばかれた。なぜなら兄の手には、ギラリと不気味に輝く包丁と言う凶器が握られていたからだ。下手に刺激するような事ができない。それでシズクを脅す事は今のところはないが、もし興奮してそれを振るわないともいいきれない。以前、ある件でクマオが包丁を持って暴れたことがある。その時怪我人も出たのだ。自分の過失で怪我人を出した経緯があるのに、包丁を躊躇いなく持ち出し、むき出しの刃を手にしているクマオの神経がシズクには理解不能だった。
そして、それはある相手に対しての武器であるということ。もしかしたらと恐ろしい予感がシズクの脳内にめぐる。それをクマオ自身の言葉が決定づける。

「アイツ、殺す」

冗談ではない。シズクの知る限りクマオは冗談の言えるタイプではない。だからこそクマオの言うその一言が、鋭く胸を貫きショックを受ける。
クマオはキョウジのことを誤解している。それは殺意にまで上りつめたほど。今ここでクマオをとめなければ、クマオはキョウジを殺す行為に走る。
クマオが殺人を犯すことも、キョウジが殺される事も、どちらも避けたい。
なんとか説得しなければ、クマオを止めなければ。その時、外のほうで声が聞こえた。かすかに、それは「シズクー」と自分を呼ぶ声だ、しかもその声はキョウジの声だ。
気づいたのはシズクだけじゃない。クマオもぴくりと耳を動かし、ギリリと顔を歪ませる。普段暗く俯きがちな表情は、ぐわっと口が裂けそうなほどに顔にはおそろしいほど皺が寄り、まるで鬼といったような人がここまで狂気に満ちた顔ができるのかと感心するほど、おそろしく歪んでいた。歪ませるのは、キョウジに対する強い殺意のせい。

「コロス!」

「ダメ!」

必死に飛び上がり、シズクは兄の太い腕にしがみついた。包丁の握られたほうの手だ。下手したら自分が斬られるかもしれないが、その時は兄を止めなければという一心だった。

「離せ!」
「きゃっ」

ブンっと腕を振られ、シズクはあっけなく飛ばされしりもちをつかされる。

「すぐ、コロス、まってろ」

クマオはシズクのほうを振り返ることなく、納屋を出た。ドン、という音がして納屋の出入り口は閉められた。すぐに追いかけようとするが、戸は開かなかった。クマオが出てすぐにつっかえ棒をして中から出られないようにしたからだ。

「やめて! お願い! 誰かー」
力ずくで戸を開けようとするがビクともしない。ドンドンと拳で叩くが、痛むだけで戸を破壊など非力なシズクには不可能だった。
せめて声だけでも、と戸を叩きながらシズクは叫んだ。
声は届いた、キョウジの耳に。

「シズク?」
気のせいだろうか、かすかにシズクの声が聞こえた気がした。必死になるあまり聞こえた幻聴の可能性もあるが、今は幻聴であれわずかな可能性にすがりたい。
向った先は道をずいぶんとそれる。人気のない林の先、手入れもほとんどされていない、汗ばむこの時期草木の成長もいちじるしく、酷いところは膝元まで草が伸びている。行く先に見えてきたのは古びた納屋だ。農機具などをしまってあるのだろうが、…まさかあの中にシズクが?
まさかと思いながらキョウジは納屋に近づく。気のせいではなかった。納屋の中からシズクの声が聞こえた。

「シズク? その中にいるのか?」

「キョウジ?」

ドンドンと叩いていた手を止める。キョウジの声を聞いてシズクは一瞬安堵したが、すぐに冷たいものがさぁーっと降りてきた。

中から出られないように木のつっかえ棒がしてあった。シズクを閉じ込めた犯人のせいに違いない。「すぐに出してやるから」と言ってキョウジがつっかえ棒を外そうとした。背後にキョウジを覆い隠すほどの大きな影が広がった。

「逃げてキョウジ!」

涙声の混じったシズクの叫びと同時に、強い殺気を感じとって、キョウジが振り向くと同時に狂気が襲い掛かった。

「うぐぅっ」

どぐっという肉を叩くような鈍い音と、キョウジのうめき声が聞こえた。「ひっ」とシズクは恐怖で息を飲み込む。

ぶたれた勢いでキョウジは地面を転がった。が痛くて蹲っている場合ではない。それはすぐにキョウジの元に近づいてくる。夕日に照らされたその巨体は、血に濡れた鬼のように見える。手にはギラリと輝く包丁がある。狂気に染まったクマオが、今まさにキョウジを殺そうと近づいている。

「(ヤベェ、クマオさんマジでヤベェ…)」
痛みでしかめっ面になりながら、キョウジは膝をつきながら体を起こす。クマオの様子がおかしい事、今自分を背後から殴りつけたのは間違いなくこのクマオだ。後ろから殴りつけるなど、どんな理由があっても許される事じゃない。怒りが湧くのはそのことだけじゃなく、シズクを攫ったのも、あの納屋の中に閉じ込めたのもクマオの仕業に違いない。自分より十歳近く年上で、善悪の区別がついてないどころの問題じゃない。クマオの行いは人として許される事じゃない。

「キョウジ、ダメー、殺される!」

納屋の中からシズクの悲鳴のような警告。それにハッと気づかされる。間違いない、クマオは自分に対して強い殺意を持っている。それをクマオ自身も証明するように口にする。

「お前、コロス」

「殺されてたまるか」

ぐわっと両手を振り上げてクマオがキョウジに襲い掛かる。まともにやりあって勝てる相手じゃない。体格的にもパワー面でもキョウジは圧倒的に負けている。もちろんまともに正面からやりあえばの話だ。頭のゴーグルのスイッチに手をやる。近づいた瞬間、ライトマックスなら目くらましになる。対マサトでも有効だった。今回も一瞬ひるませることは可能だ。

カチ…。
「ん? !バッテリー切れかよ」
ライトはバッテリー切れで点かず、目くらましなどできず、そのまま突進してくるクマオの攻撃をかわせない。
「ぐおおお、死ネ死ネ!」
「ぐうっ」

内臓がぺっちゃんこになりそうな、重いパンチを体に受ける。
「がはっ」
血の混じった嘔吐物を吐き出す。己の意思ではなく、クマオの暴力によって体から吐き出される。
ブンっと空気を抉る音がすぐ耳の上でする。思い切り人を殴って、ためらいなどなく、連続で人をまた殴りつける。ここまでためらいがないということは、本気と言うことだ。クマオは本気でキョウジを殺す気でいる。
クマオがなぜここまで自分を殺そうとするのか、そんな理由を悠長に考えていられない。生命の危機の最中、生き残る事に神経を集中させる。
格闘技などやっていないクマオの動きは大雑把だ。それでも持ち前の体格とパワーは素人パンチであれ、相手に大怪我、打ち所が悪ければ死なせることだってできそうだ。現にくらったキョウジのダメージはでかい。受けた瞬間、意識が飛びそうになった。もし飛べば、確実にとどめさされてあの世直行だろう。


暗い納屋の中、シズクは外の様子が見えないが、どういう状態かは想像つく。音だけで十分だ。硬いもので肉をぶたれるような音、地面を転がる音に、キョウジの苦しそうにうめく声。そして、兄クマオの狂気に満ちた恐ろしい声。
「死ネ、コロス」その恐ろしい単語を、何度も何度も口にして。その言葉は直接暴力を振るわれていないはずのシズクをも苦しめる。
が…

苦しい、と思う反面、時折、不思議な感覚があった。
マサトとキョウジの間で望んだこと。二人が互いにつぶしあえば、という恐ろしい願望。それがクマオとキョウジにスライドしただけで、同じ事だ。
自分ではない別のなにかが、別のなにか恐ろしいものが、それを望んでいる。
違う、わたしじゃない。とシズクは涙に濡れながら、否定する。
どちらが死んでも、自分は苦しむ。この先も、ずっと苦しみの地獄に生きることになるだろう。
事の一端に自分がいる。自分のせいで、どちらかが人殺しになり、どちらかが死ぬことになる。
そんな恐ろしい現実、絶対いやだ。

「キョウジ、逃げてー」

兄を止めることなどできない。だから、シズクはキョウジに生き延びてもらえることを望んだ。納屋の中から、ただ叫ぶことしかできないが。

一方的に殴られて、ダメージもキョウジばかりが増えていく。だが、怒りで興奮状態のクマオに反して、キョウジは冷静だった。それでも気がおかしくなりそうなほど激しい痛みに、ギリギリと顔が歪む。現状は生き延びる事最優先として、脳も痛みを抑えてくれているのだろう。不思議と感覚は研ぎ澄まされている。
大振りで殴りかかるクマオ、包丁は力任せにキョウジにつきたてようとして、地面にぶつかり刃は折れた。あれがそのまま体に当たっていれば、想像するだけでちびりまくりそうだが。
攻撃を外して、「ぐう」とクマオが膝をついた瞬間を狙って、キョウジは身を低くして体を走らせた。抵抗を減らすためとかではなく、体がまっすぐ立てない状態になっていたということに気づくのはもっとあとになる。

シズクのいる納屋に走り、すぐにつっかえ棒を外した。

「シズク、早く逃げろ、助けを呼んで…」
納屋から出てきたシズクに逃げるように促すが、もうすぐ目の前にクマオが迫っていた。
その手には刃がかけているとはいえまだ立派に凶器をしている包丁がある。刃を下に向け、今度こそ殺すと言った殺人鬼の形相で、すぐそこに迫っていた。
蹲るキョウジの前に立つシズク、止まることなく駆けてくるクマオ、凶器を振りかざしながら、目は血走り、喉の奥まで見えるほど開かれた口からは、奇声が発せられている。
誰がどう見ても、まともな精神状態じゃない。口で言って止められるとは思えない。
狂った状態の今のクマオなら、シズクすら殺してしまいかねない。
シズクを逃がさねば、と強く思うが、キョウジの体は限界で動くことすらできない。
「バカ、逃げろ」
と言うが、影はキョウジの上から動かなかった。
「ダメ!」
庇うように、シズクは蹲るキョウジを抱きしめた。勇気ある行動ではない。ただの反射だ。事実、恐怖で固まり足は振るえ、動けなかった。
シズクの反射行動に、クマオも反射的にぴくっと手を止めた。
「うう、シズク…」
殺人鬼の目が、ブルブルと不安定に揺れた。がすぐに、キョウジにとどめをと力を入れる手、それを遮ったのは別の声。

「クマオ、やめろ、やめるんだー」

息を切らせながら、クマオの後ろから響いてきた声、ヨウスケだった。
包丁手に立っているクマオに、蹲るシズクを見て、ヨウスケの顔はみるみる青ざめる。

「シズク、シズクーー。クマオ、それを今すぐ捨てなさい!」

慌てて走りより、クマオの手から凶器を外させる。クマオは、いつもの、内気な青年の顔に戻っていた。が、なにか動揺したように、「ううう」と低い声で泣いていた。これ以上暴力を振るうしぐさはなかった。
ヨウスケはすぐにクマオからシズクへと注意を向ける。青い顔して「シズク大丈夫か? 怪我は?」と心配を隠しもしない調子で、シズクの無事を何度も確認する。

「わたしより、早くキョウジを助けて!」
どう見ても、唯一人重傷人がいるのに、それを放置で無傷の娘ばかりを心配する父の姿にシズクも怒りを覚えた。

しばらくして、アラシやメバルも現場にとかけつけた。一人血だらけで蹲るキョウジに驚いたが、なんとか生きていた。
「大丈夫か? 兄ちゃん」
「大丈夫…なわけねぇ、いてー、むちゃくちゃいてー、死ぬ死ぬ」
みんなが現れて、ほっとすると、体は一気に痛みと言う現実を教えてくれる。急にビキビキと痛みだす全身。痛みで転げるがその動作でますます痛くなる。もう痛すぎて死にそうだ、冗談ではなく。


シズク失踪騒動は、キョウジ一人の犠牲でもって解決した。ヨウスケの頼みで、今回の件は内密にということになった。ヨウスケからの謝罪はあったが、クマオ本人は謝罪などなかった。今後このようなことがないように厳しく言うとヨウスケは言っていたが、キョウジは納得がいかなかった。
不幸中の幸いは、シズクには怪我一つなく、無事戻ってこれたということだろう。
キョウジのケガも名誉ある負傷だ、と言われたが、ちっとも嬉しくない。死ぬほど痛いのだ、殺されかけたのだ。
当分寝たきりの辛い生活だと思うと、憂鬱だった。
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