島魂粉砕

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  第十二話 虐げられるジンヤ  

キョウジとシズクが家に着くと、昼食の準備ができていた。おいしそうなにおいが玄関先まで漂ってくる。

「お帰りなさい。シズクさん楽しかったですか?」
にこにこと嬉しそうにシズクに訊ねるミヨシに、シズクも「はい」と答えて席に着く。

ほんとに楽しかったかどうか怪しいものだ。
ミヨシに気を使って、シズクも演技をしているのだろう。一緒にいたのが自分ではなく、ジンヤだったら…、シズクも本心から楽しかったと思えたに違いない。
そう思うとイラッとしてくるが、腹減りにはおいしいにおいの誘惑には完敗だ。

キョウジとシズクはテーブルで向かい合って、もくもくと料理を食する。どことなしにキョウジが不機嫌に思えて、重い空気が流れる。
食事はおいしいのに、そのせいでのどを通ることが妙に気になって、まともにご飯を食べられない。

「(わたしがへまばっかりしたから、キョウジあきれてるんだ。せっかく、付き合ってくれたのに…)」
世間知らずで島の中もよく知らないシズクを、キョウジからしたら手間のかかる存在だと思われても仕方ない。
シーンとした食卓で、今食事をとっているのはキョウジとシズクだけで、もくもくと食べている音と、奥のキッチンでミヨシが食事の用意をしている音が聞こえるだけだ。

「あの、今日はごめんね…」
気まずく、シズクはキョウジにそう言う。
「はあ?」
なんの謝罪かわからず、聞き返す。
「また突き飛ばしちゃったこととか、…それだけじゃないけど…」
どうでもいいことをまた気にしているのかコイツは、とあきれながら「別にいいよ」とキョウジは軽く返す。そう言われても、シズクは簡単に納得できなかった。別に今日のデートのことだけじゃない。婚姻したことでこの先もいっぱい迷惑をかけていくことになるかもしれないと思うと、申し訳なく思う。

「ごちそうさま」
気がついたらキョウジは先に食事を終えて、食器を片付けていた。そのまま部屋へと向おうとするキョウジを慌ててシズクが呼び止める。

「キョウジ、明日はどうするの?」
「明日? 夕方までバイトだけど」

「そうなんだ。…わたしどうしようかな…」
「別に、家でゆっくりしてればいいだろ」
と簡単に返されて、シズクは悩む。家でゆっくりと言われても、なにをすればいいのか。
家にいた頃は、在宅で家庭教師から学んだり、習い事をしていたが、マサトとの縁談が決まった際に、稽古事は全部やめてしまった。キョウジみたいに特別趣味があるわけでもなく、ゆっくりしていいというのが一番困る。ただでさえ風東家に迷惑をかけているようで、居心地が悪い。
ミヨシの手伝いでもしたほうがいいのかとキョウジに聞いてみたが、ミヨシは仕事でここに来ているわけだし、シズクが手伝う事で仕事の邪魔になるからやめたほうがいいと言われた。たしかに、足を引っ張りそうでその方がいい気もする。


二階の部屋に入り、シズクは一人思い悩む。
「このままじゃ重荷になるよね。…なにかキョウジのためにできることがあればな…」
いつも助けてもらってばかりで、自分はキョウジになにもできていない気がする。マサトのことがなければ、今回の婚姻だってなかったし、迷惑をそこまでかけることもなかったのに。
実家より持ってきた数少ない荷物の中の、ジンヤからの手紙を手に取る。何度も何度も手垢がつくくらい読んだ手紙に、また目を通す。ジンヤの書いた文字というだけで愛しさと切なさがこみ上げてくる。
会いたい、と思うが、ジンヤに会ったら会ったで、今度はジンヤに迷惑をかけてしまいそうで、そんな想いをかきけさねばと思う。

自室に戻ったキョウジのほうも、一人悩んでいた。がそれはシズクとは別の理由でだ。
今日の浜辺デートでの一件。あの海坊主についてだ。
シズクにしてもジンヤにしてもそうだ。二人とも島を出たいなど露程思ってもいない。そのことがキョウジにとっては疑問だ。
実際二人だけじゃない。海坊主に謎を抱かない者がなぜ他にいないのだろうか? アレの存在を解明しようと思うものがどうしていないのだろうか。
「(こういうのって孤独だよな)」
と一人思うが、なぜだろうとは思うが辛いとは思わない。探究心は己を育てるようで悪い気はしない。ただ、もしかしたら、この島ではたった一人なのかもしれないと、真剣に考え出すとそんな思考になりそうだ。



一方そのころジンヤは、北地家北東にある岩山内の修行場にて、呪術の修行を行う日々だった。呪術の修行は主に肉体のトレーニングとひたすら精神を鍛え上げる事だ。術紙は貴重なものなので、修行でたくさん使うということは基本しない。術紙の元は島内の工場で手生産される。元となった紙に一つ一つ各家の当主が術をかけるのだ。かなり手間のかかる作業だ。実際呪術を駆使するのは封印の儀のみで、あとは有事の際だが基本ない。術紙は先日のキョウジの婚姻の儀でも用いたものだが、島の祭でも用いる事がある。だが呪術は使わない。その力は古より禍を封じるためにのみ用いられてきたものだ。その考えをジンヤも幼い時から徹底的に教え込まれている。
朝から夕暮れまで、ほぼ一日山で修行している。おかけで筋肉がついたし日にも焼けた。痣も増え傷跡も増えた。それだけ修行が厳しい…だけでなく、要因は他にもあった。

帰宅するジンヤの視界に北地家の門が見えてきた。疲労した姿で門をくぐる事はできない。キリと顔を整え、姿勢を正して門をくぐり玄関に入る。
ジンヤの帰りを出迎えたのは、婚約者のスミエだ。
「ただ今帰った」とジンヤは厳しい表情のまま帰宅の挨拶をした。が、スミエはお帰りなさいの返事もしない。お互い緊張した空気が漂う。心許せない態度で、スミエはジンヤより高い目線のまま、腰に手を当てたままで迎えた。

帰って早々顔面になにかが投げつけられた。それがなにかに気づいたジンヤは怒り頂点で顔を赤くする。
「どういうつもりだ、これはぞうきんじゃないか! 貴様コレで顔を拭けとでも言うのか?!」
スミエの行いはいつもジンヤの想像をはるかに越える。どんな罵倒が来るかと思えば、帰宅して早々なぜぞうきんを顔面に投げつけるのか。

「ふん、ぞうきんで結構じゃございませんの? だいたいクサレホモ野郎にはぞうきんでももったいないくらいですのよ」
ふふんと人を馬鹿にしたような鼻息でスミエがそう答える。悪意を持っての行動だ。石の様に硬くと誓った決意はあっさりと砕けちる。

「もう我慢の限界だ! いつもいつも人を馬鹿にしやがってッ!」
カァッと限界まで血が上る。怒りの感情のままに、ジンヤが手を振り上げた。その行動にもスミエは動じる様子もなく、腰に手を当てたままジンヤを挑発する。

「なんですの? その手は。打つつもりですの? あら、アタクシに口では敵わぬとわかっているから、もう暴力に訴えるしかないということですの? ほんと野蛮なクサレホモ野郎でございましてね。まったく、信じられませんわ。北地家の跡取りという地位の方が、チンピラのような振る舞いしかできないなんて、これだからクサレホモ野郎は人間以下、いいえ、クズ以下でしかないんですわ」

「うぐっ」

スミエの先制口撃に、ジンヤの手も止まる。バチーンと乾いた痛そうな音が玄関に響く。ぶたれたのはジンヤのほうだ。頬がじわじわと朱に染まっていく。

「御当主様の前でそのようなくさった面見せるんじゃありませんのよ。その雑巾でホモ菌がとれるくらい顔面こすりとってしまいなさいな。なんですの? その目は、まるで人を敵のような目で見るんですのね? アタクシは被害者ですのよ? アナタというクサレホモ野郎に、騙されたいたいけな被害者ですのよ。それをお兄様にも北地の御当主様にも訴えずに、じっと今も耐え続けているんですのよ。むしろアタクシに感謝するがわではありませんの?」

被害者?どっちがだ、とジンヤは憤る。スミエはあれ以来、婚約者としてちょくちょく北地家に来ている。父の前ではおしとやかな明るい普段のスミエの態度で、父の前ではけしてこのようなバイオレンスな姿を見せはしない。ジンヤの前でだけだ。スミエはジンヤの前でだけで凶暴に豹変する。罵倒し、暴力を振るう。ジンヤも短気でカッとなりやすい性質だが、感情のままに殴ろうかと何度も思ったが、その前にスミエに悟られて先ほどのように先に口撃され手痛い攻撃を受ける。日に日に増えていく痣や傷跡は修行のせいだけでなく、このスミエの暴力のせいでもあった。
ここまで許せないと敵意を向ける相手の婚約者を続けるスミエの心境がわからない。いや、もしかしたら、スミエはジンヤをいたぶる事を楽しんでいるのかもしれない。冗談ではないが、負けん気が強いジンヤは泣き寝入りだけはしたくなかった。とことんこの女に反発してやると、わけのわからない感情に突っ走っていた。

とはいえ、婚姻の儀にはまだ至ってはいない。さすがに、あのスミエと生涯縁を切れないなど、そこまでの覚悟はない。
ただでさえ父の顔色を伺うストレスの多い人生の中、スミエという強烈な相手に日々神経をすり減らされる。この若さで、禿げてもおかしくないかもしれない。なんとか毛髪は元気を保っているが、将来のことはわからない。

そんなジンヤが西炎家を訪れていた。その日はジンヤ一人で、西炎家の当主…つまりスミエの父と今後についての話をした。さすがに「あのクソ女とは破談にしてください!」などと言えるわけもなく、スミエの父から娘をよろしく頼むよ、と嬉々として言われて、承諾するしかなかった。


「やあ、ジンヤ君いらっしゃい。今からお茶でもご一緒できませんか?」

スミエの父との対面を終えたジンヤに、誘いをかけたのはスミエの兄のマサトだ。にこりと優しい笑みで柔らかい物腰でジンヤを誘った。
例の事件のことの疑いがジンヤの中で晴れていないため、内心マサトを警戒するが、事件のことがなければ、この優しそうな青年を警戒することなど普通はないだろうと思う。

西炎家のリビングへとジンヤは招かれる。侍女たちがお茶と菓子を持ってくる。
「さあどうぞ、遠慮はいりませんよ」
とマサトに勧められて、ティーカップを口に寄せる。

「スミエとは上手くいってますか?」

予想できたはずの質問だが、動揺してしまい、思わずお茶を噴出しそうになったジンヤ。幸いにも己のティーカップの中に少し逆流した程度で済んだ。
さすがに、「いつもスミエの暴言と暴力に悩まされています」などと言える筈がなく、スミエの父に話した同様、なんとかと適当に誤魔化した。

「それならよかった。あの子は少し思い込みの激しいところがあるので、できるだけ誤解のないような態度を心がけてやってくれますか。根はとても優しい子なので、真剣に話せばちゃんとわかってくれますから」

少し…どころではないぞ、とジンヤは心の中でつっこむが、それを口にする勇気はない。マサトはスミエを溺愛しているようだし、スミエの悪口を言うなど命取りになりかねない。優しいオーラを放ってはいるが、目の前のこの男には殺人疑惑があるのだ。疑惑は表向き晴れてはいるが、ジンヤのように内心どうなんだと思っている者はいるだろう。なにしろ一人どころでなく、五人も死んでいる。
あのスミエの兄だと思えば、なにをしでかしてもおかしくない気がしてくる。
というジンヤの不安などよそに、マサトのほうはいたってフレンドリーにジンヤに接してくる。

「私はね、嬉しいんですよ。かわいい妹の婚約が決まって、スミエには幸せになってもらいたいですからね。…残念ながら、私のほうは破談になってしまいましたが…」
ぎくりと背中に冷たいものが走った。マサトとシズクの縁談がダメになった一端は自分にもあるが、それはマサトに知られるわけにはいかない。
「心中お察しします」とマサトに同情するふりをした。ジンヤのその態度にマサトは好感触だったらしく、「それはともかく、こうしてジンヤ君との縁ができたわけですし、今後とも仲良くさせていただきたいのですよ」とよってきた。
マサトに嫌われるより、好かれたほうが状況的にいいのだろうが、得体の知れない不気味なものを感じて、こちらも好意全開というわけにはいかなかった。元々相手に好意を伝えるのが不得手なジンヤなので、ジンヤのつれない態度にもマサトはたいして気にも留めない。

「そういえば、ジンヤ君は最近呪術の修行に真剣に取り組んでいると聞きましたが、どうですか? 呪術師として慣れてきましたか?」

「いえまだ本格的には。早く極めたいとは思います。父上の期待にそうようにがんばらねばと」
真剣なジンヤの目の奥を、のぞきこむようなマサトの眼差し。マサトはジンヤの返事に感心しながらも、こう言った。

「ふふ、真剣に取り組むのはいいことですよ。ですが、呪術は極めようと思わないほうがいいですよ。

見えなくていいものが、見えるようになる。特に君のような真面目でまっすぐな人は、ほどほどがいい」

「どういう意味ですか?!」
同じ呪術師の跡継ぎとして、マサトの発言はジンヤは反論せずにはいられなかった。呪術を極めるなとはどういうことなのか。

「自分の存在する意味を見失うかもしれませんからね」
と意味深にマサトは笑い、視線を天井へと向けた。「それを自覚すれば、生きていくのはつらいですよ」と。
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