「はーーーー」
わざとらしく、うざいほどレヴィンはためいきを吐きまくっていた。

ラーナの命で修行のため山篭りをしなければならなくなったレヴィン。
護衛という名の監視にマーニャも同行し、王都シレジアの北部にある山地に来ていた。
レヴィンはシレジア王家の血筋であり、フォルセティを受け継ぐことが出来る唯一の存在。
だが、そのフォルセティも聖痕が現れなければ、扱うことはできないといわれる。
レヴィンには、まだそれがない。
その聖痕が現れるまで、山から戻るなとの命令であり、レヴィンにとってはたまったもんじゃない。
だいたいフォルセティになど興味がないし、王位にも興味がないのに。
こんなヤル気0な俺が王になっていいわけないじゃん。

「はーーーー」
またしつこくため息を吐く。

そこは人の往来がほとんどなく、自然だけがそこにある、獣の声と風の声。
今は雪も融け、緑が見えるその大地もけして優しくはないのだろう。
そして、そんな地だからこそ、他よりもより濃く風の精霊たちが集まってくる。
まるでレヴィンを急かすみたいに。

「レヴィン様、お茶が湧きました」
「ああご苦労」
背後からレヴィンを呼ぶのはマーニャ。やんわりとハーブティーの香りがレヴィンの鼻にも届いた。
にっこりと微笑みかけるマーニャにレヴィンも笑顔で返したが、直後はっとなりしかめっ面になる。
陰謀だ。
修行などレヴィンのためではない、母ラーナの意地なのだ。
犬猿の仲であるラーナとレヴィンの叔父マイオス。なぜそんなにも仲が悪いのか、その真意は後日として。
二人の意地の張り合いに巻き込まれる周囲はたまったものじゃない。その主な犠牲がレヴィンであった。
ラーナはレヴィンに一流の風使いとなることを命じた。マイオスもまた、レヴィンが風使いとして一流でなければ認めるつもりはないのだという。
生まれつき風精を従えるレヴィンは特別な修行をつまずとも、魔道の才は衰えたりしない。風神セティの直系であるレヴィンは魔道の申し子とも言えた。その気になれば賢者を目指すこともできよう。
しかしレヴィンは魔道の道よりも、芸人として生きたかった。レヴィン自身そっちのほうが才があると思っていた。
だれも認めてくれないけど。
ああだけどたった一人、あの人ならば、理解してくれる、そう思う人がいた。
その人は自分に新王になれと言ったけど、自分の心のうちを話せば、きっと理解してくれる。
だれよりも尊敬し、そして失望させたくない。
その人を心に浮かべたら、修行もやっていけそうな気がした。直後ラーナやマイオスの顔を思い出せば、その決意も萎えてきちゃう悲しい現実なのだが……。

山の管理のために設置された小さな小屋、そこに寝泊りをすることになっているが。室内は狭く薄暗く、ろくな設備もない。ただの倉庫みたいな小屋だった。野宿よりははるかにマシといえる程度の。
食料は保管されておらず、まあ森の中に山菜なりなんなり探せばないこともないのだが、ペガサスに乗った使者が必要なものを届けてくれるようなのだ。どこか甘い、とは思うのだが、マーニャを溺愛するラーナがマーニャにだけは不便な想いをさせたくないのだろう。マーニャにだけは。
「陰謀だ」
レヴィンはぶちぶちとつぶやく。
修行にマーニャもつき合わせるのは、ラーナの企みのひとつだ。
ラーナ的にレヴィンの修行も兼ねて、マーニャとレヴィンがくっつけばいいと望んでいるのだろう。
人里はなれた山奥で、狭い密室で寝食を共にすれば、いずれ間違いが起こるであろうと、いや起こらなければ困るのだと、ラーナ的に。
起こってたまるか。
ラーナやマイオスに苛立ちながらも、マーニャのことを考えると申し訳なく思った。
立場的に従うしかないマーニャ。
命令とはいえ、好きでもない男と狭い室内で寝食を共にしなければならないなんて、苦痛に違いないだろうな。それがレヴィン自身というなじみの相手でも。とレヴィンは思っていた。


山道を歩くレヴィンはふらふらと怪しく道を外れてしゃがみこんだ。
「おお、なんかにおうぞーー。おおっこれは見たことないぞ? 新種のキノコかもしれんー」
とレヴィンがテンション高く発見したものは、どう見てもキノコではなく、黒くごろっとした塊、異臭を放つそれは獣の糞と思われるが。そんなレヴィンを不安な顔で見つめるマーニャ。
「レヴィン様? そ、それはキノコではなく…。ああ、都会暮らしのせいで視力も嗅覚も衰えてしまわれたのでは? 私のあとについてきてください! シレジア国内とはいえ危険なものはございます!」
「うえ、いや今のはマジじゃなくてだなー…」
冗談のつもりなのに、マーニャは真剣な顔でレヴィンの感覚の衰えを心配している。
「え、ご冗談でしたか? ちゃんとキノコと糞の区別はついているのですよね?もう驚かせないで下さい」
眉間にしわ寄せて心配するマーニャにレヴィンは申し訳なくなった。マーニャは真面目すぎるゆえジョークが通じないとこがあるのが少し困ったところだ。
「(ここでブリさんやシルヴィアならいいかんじにつっこんでくれるんだけどな。…ってマーニャにそれを期待するほうがあれか)」
すっかり吟遊詩人レヴィンとしての生活に慣れていたため、王子として振舞うことに妙に違和感を覚えてしまう。やはりレヴィンには俗世界のほうが性に合っているのかもしれない。
歌や小話など、王宮では許されないだろう、王妃やマイオスが許すとも思えないことはレヴィンも百パー承知である。
無事小屋まで戻って来たレヴィンたち。修行の為とはいえ、この簡素すぎる環境はいかがなものかと思う。レヴィンは平気だが、むしろこういうの大好きなのだが、マーニャはそうではないだろう。シレジア天馬騎士のトップとして、王都で、王宮の贅沢な部屋で生活してきたのだ。ラーナの庇護という名の贔屓の元に。マーニャをかわいそうだと思っていたのはレヴィンであり、実のところマーニャは今の状況を嫌だとは思っていなかった。
「レヴィン様、本日もお疲れ様でした」
「ああマーニャこそお疲れ様。はーー、しかしあんなんで修行になんのかねー。なんか草刈りしただけな気がするんだけど」
「それだけじゃありませんよ。害虫駆除もご立派でした」
にっこりと微笑むマーニャだが、レヴィンは苦笑うだけだ。今日の修行はというと、山の中で襲い来る虫どもから必死で身を守ったことくらいか。その数尋常でなかったが、レヴィンが強く意識しなくとも、風精たちはレヴィンを守るように的確に動いてくれた。ようするに大したことやってないのだが、やはり集中力や魔力のコントロール力はもっとつけるべきかもしれない。うっかり一箇所刺されてしまった。赤くぷっくりと膨れ上がってしまい痒みと戦っている。
どうも実感がわかない。ちゃんと修行になっているのかと。魔法は生死をかけた実戦の中でこそ伸びる気がする。気持ちの問題だろう、そこが魔法にとってかなり重要なところだ。同じ魔道士のアゼルも、先日のアグストリアでの戦いの中でメキメキと魔道力を上げたのだ。それはレヴィンにしてもだった。シレジアは平和すぎる。いいことなのだが、レヴィンが魔道士として伸びる環境としてはいまいちだった。本気で死合える相手がいない。
それ以前にレヴィンのやる気のなさだ。はーー、と盛大なため息を吐く。
「もー、ムリだと思うけどな。俺には王になる資格なんてないんだよ。直系だのつったってフォルセティが使えないんじゃ意味ないわけだろ。俺よりも相応しい人がいるんだって」
やれやれと片膝立てて座るレヴィン。いえいえと首をぶんぶこ振りながらマーニャが答える。なぜか正座して。
「いいえ、レヴィン様しかいません!きっとレヴィン様ならフォルセティを使えるようになります」
フォルセティなんて別にいらない。レヴィンがほしいのは別のものだ。笑いの才能がほしい。
(ダッカー叔父上こそ相応しいと思うのにな……)
フォルセティの後継者が国王になる資格だなんて馬鹿げている。そのことと、亡き国王の遺言が尊重される。レヴィンが王として、国を背負う立場として未熟であることは、ラーナもマイオスもわかっていることなのに。
ほんと馬鹿馬鹿しいと思う。このような現状を招いた亡き王が憎らしくてしょうがない。実の肉親だが、レヴィンは父王が嫌いで嫌いでしょうがなかった。その反動でより強く叔父ダッカーを慕った。
(まあそのことをマーニャに愚痴るわけにもいかんよな。ただでさえあの母上だし。俺と母上の板ばさみなどたまったもんじゃないだろう)
「マーニャ、ほんとうに苦労をかけるな」
しょぼしょぼ声でマーニャに頭を垂れるレヴィンに、マーニャはあわあわと手を振る。
「いいえ苦労など微塵も感じておりません! レヴィン様はもっと自信をお持ちになってください。レヴィン様ならばきっと立派な王になられます」
いいやないない。
レヴィンは苦笑いを返事代わりに返す。
「まあきっと、近いうちお前の荷も降りるだろうよ…、なんとか動いていかなきゃな」
「レヴィン様」
マーニャはそれをレヴィンが王となる決意と受け止めたが、真意は違っていた。レヴィンが思っていたのは、ダッカーを持ち上げることだった。自分の為だけじゃなく、皆の為にもそれがベストだと思う。ラーナとマイオスの意地の張り合いも先王の遺言もどうでもいい、まっぴらごめんだ。ラーナに振り回されているマーニャを自由にすることにもなるだろうし。我ながらいい考えだと思った。
「決意も新たにされたところで…、そろそろお休みになられては?」
少し遠慮がちながら休息を奨めるマーニャ。彼女の真後ろに位置する簡易ベッドに気がついて、ハッとなる。
ベッドはひとつ、しかもなんのイヤガラセかサイズはシングルサイズ。大人二人が寝るにはちとキツイというか、いやでも肌が触れ合う面積だし、掛け布団は質素なのが一枚だけという事実。元々山小屋の管理人一人が寝泊りできればいい環境だから仕方ない設備なのだが。
「マ、マーニャこそ休んだらどうだ?そこ使えばいいし。俺は外での生活で鍛えられているから、下でも全然平気だしな」
そう彼女に勧めつつ、レヴィンは視線をつつーと天井に逸らす。だって瞬間野性がどたまを叩いたから。
薄暗い小屋のせいで、目の前のマーニャがいつも以上に艶っぽく映るから。白い鎧を脱いだ彼女の体のラインが妙に気になるし、レヴィンの脳内は今「おっぱい」のワードがぐるぐるしていた。
男の乳はおっぱいとは呼ばない主義。いいやむしろ男の乳はおっぱいだ!今だけでいいそう思い込む。脳内切り替えて変な気分を吹き飛ばさなければ。
「私こそ気を使われては困ります。…私の添い寝は…そんなにイヤですか?」
きゅっと眉を寄せて、苦しげにつぶやくマーニャに、そして彼女のセリフにレヴィンは激しく動揺した。
だって、ええっ?!
「そそそそ添い寝ーーー?!」
その時、レヴィンの動揺と連動して、小屋の壁がドンドンと揺れた。それにまたレヴィンは激しく動揺する。
「し、心霊現象きたーーーー」
少し落ち着けレヴィン。反対にマーニャのほうはその現状を冷静な目で見ていた。きゅっとすぐに戦士の目になり、立てかけていた銀のやりを手にし、レヴィンを庇うように彼の前に立つ。
「心霊現象ではありません。…この獣臭は…」
「え?」
涙目のレヴィンもようやくそれが心霊の類ではないと気づく。たしかに漂う独特の獣の臭いに、人のものとは違う呼吸音、激しく揺れる木の壁は、外から何者かによって激しく叩かれているらしい。もしや、とレヴィンも察した。次の瞬間、バキバキバキーーー、小屋の壁が大破し、その向こうからは恐ろしいほど赤い口を開けたバケモノが現れた。
添い寝で動揺どころじゃねぇーーー!


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