「くっ・・・熊!?」
突然レヴィンの目の前に現れたのは、体長ニメートルは超える凶暴そうな熊。

一瞬ビビってしまったが、これも試練だ!と呼吸を整えつつ、術を放つ体勢に入る。
レヴィンの位置より斜め後ろに立つマーニャは銀色に輝く槍を構えて、まばたきせず熊の動きを見ていた。

レヴィンが魔法を放つ前に熊は目を見開いたまま倒れた。

「えっ?」
その熊の後ろから現れたのは、陽気な声を発しながら

「今夜は熊鍋だなv」
聖弓を手に、銀色の矢をバトンのようにくるっと回しながら、レヴィンの前に伏した状態の熊をがっと勇ましく
担いだのはブリギッドだった。

ぽかーんとしているレヴィンと目が合ったブリギッドは陽気に「よっ」と笑いかけながら

「レヴィンじゃないか、お前こんな山奥でなにやってんだよ?」

「そりゃこっちのセリフだってーの!!」

レヴィンたちがいるのは王都シレジアより北に位置する山地。人の出入りもほとんどない未開の地といってもいいその大自然漲る場所。
で、なぜこんなところで熊と対面などしているのかといえば、時を少し遡る・・・・・・


マーニャがセイレーンに来てからレヴィンは鬱な日々を過ごしていた。
いや、マーニャというよりあのHKという怪しげな占い師と会ってからだろう。
こう、目に見えないなにか気持ちの悪い物にぎゅうと体と、魂ごと圧縮されそうな変な圧迫感を感じていた。
それはシレジアを出て、旅先では感じなかったものだった。
だからこそ、再びシレジアを脱したいと思っていたのだが、監視も厳しく、なかなか思うようにはいかなかった。
ただ唯一の救いであったのはそこが王妃ラーナのいないセイレーンであったこと。
もしシレジアならもっと余裕などなくしていただろう、空っぽになるかもしれない。

しかし、ついにその時は来てしまう。
レヴィンがシレジアに帰郷してから二ヶ月が経つ頃、マーニャとともに王都シレジアへと行かねばならないことになった。
どんなにレヴィンが嫌だ嫌だと嫌がっても、周囲の力が強ければ、そちらに流されてしまうのだ。
不機嫌オーラを放つレヴィンを見て、シグルドやクロードは嬉しそうに手を振って見送ってくれた。
その光景はレヴィンにとってはムカツクこと最大でしかなかった。

レヴィンが王都に向かうのが嫌だったのは、母であるラーナに会うのが嫌だったのもあるが
叔父ダッカーに会うのが憂鬱だった。
レヴィンがこの世で最も尊敬するその人は、レヴィンがこの世で最も愛する人であり、認めてもらいたい存在であり、そしてなにより失望させたくない存在であったから。
今のこの自分でも嫌というくらいわかっていることである情けない自分を見せたくない見られたくない。

誰よりも喜ばせたいその人を、がっかりさせたくないのだ。

「はぁーーー」
わざとらしいほどの憂鬱なため息を吐くレヴィンに、ペガサスを駆っているマーニャは心配げに後ろにいるレヴィンへと振り返る。

「レヴィン様? もしやお体の具合よくないのでは?」

「いや、まあそういうわけじゃ」
ぱっと顔を上げてそう答えるレヴィン、その自分の心情などマーニャにでさえ気恥ずかしくて言えない。
もじもじと口ごもるレヴィンを見て、マーニャは嬉しそうにくすっと笑みをこぼす。

「ラーナ様にお会いするのが久しぶりすぎて、緊張されているのですね」

いや、全然違う。
と心でつぶやきながら、レヴィンを乗せたマーニャのペガサスはシレジア城の上空へと到達した。
旋回しながら、少しずつ降下してき、城門を越え、広く整えられた庭園へと降りた。

マーニャの話では、今日シレジアの主な要人、つまりはシレジア王族の者がここに集まるとのことだったが、ダッカーは私用で来れなくなったらしい。
それを聞いたレヴィンは少しほっとした。
しかしほっとしたのもつかの間だった。

城へと入り、皆が集まるという部屋へと向かう中、二年ぶりに戻ってきたその城の中は、懐かしくもあるが、レヴィンが知る姿とは少し異なっていた。少し改装されていたのだ。そんな部分に時の流れを感じつつ、レヴィンは皆が待つ場へと向かった。

「おかえりなさいマーニャ!」
マーニャの顔を見たラーナは嬉しそうな声を上げた。そんな母の行動にレヴィンは軽くむかついた。
マーニャが小声でレヴィンを促した。渋々ながらレヴィンはラーナの前に辞儀をしながら到着の挨拶をした。

「どちらさまかしら?」

「はっ?!」

半目で涼やかにレヴィンを睨みながらそういうラーナ。息子の顔を忘れているわけではなく、ワザと、嫌味のように、そんな態度のラーナにレヴィンは口元に笑みを浮かべたままぴくりとした。

「レヴィン?いいえ、レヴィンのはずないわね、そんな貧相な格好した王子がいるはずないもの」

「貧相って・・・これは吟遊詩人の衣装なんですよ。外の世界をろくにご存じない王妃殿はなにも知らないんですね、っうおっ」
レヴィンはラーナの周囲にいた近衛兵に捕まった。そしてきらーんと光るラーナの目に嫌なものを感じた。

「お前の考えなんて知ったことじゃないのよ。とっとと正装に着替えてきなさい。
そんな格好、あの人に見られたら・・・」

「なにを慌ててらっしゃるの?ラーナお義姉様」

レヴィンより数分遅れて入ってきたのは、数人の魔道兵を護衛に従えた中年の細身の男。
年齢の割りに派手な宝石や衣装を身に纏い、人の目を引く姿のその男は
故シレジア王の二番目の弟のマイオス。レヴィンの叔父になるその男は怪しげな笑みをたたえてレヴィンとラーナの前にとやってきた。

「お久しぶりですマイオス叔父上」
辞儀をするレヴィンへとつかつかと歩み寄るマイオスは、レヴィンの目の前まで移動してくると、じろじろと上から下まで舐めるように見た後、長く伸び研いだ赤い爪で唇をなぞりながら、ふっ、と小さな笑いをこぼし、またわざとらしく「ふふっ」と笑った。それは人を馬鹿にしている様な笑い方だ。レヴィンにはよくわかっていた、昔から、このマイオスが自分をどんな風に見ていたのかを。
ダッカーと違って、マイオスはレヴィンを認めたり理解してくれたりしなかった。
レヴィンはこのマイオスが苦手だったのだ、ラーナとどっちが苦手かと言われたら迷うが、かなり苦手な存在なのだ。
さらにラーナとマイオスも仲がよくなかった。顔をあわせれば周囲が巻き込まれるほどの冷たいブリザードが吹き荒れるほどだ。
レヴィンに王位を継がせたいラーナと、継がせたくないマイオス。

レヴィンは思う。
ラーナが自分を次期王にしたいのは、このマイオスに対する意地からじゃないのか?と。
もしそうならたまったもんじゃない。

「二年間修行の旅に出ていたと聞いていたけど、私が見る限り、たいした成果はないみたいね、がっかりだわ」
レヴィンを見てそういいながらマイオスはラーナに視線をやり、勝ち誇ったように「はっ」と笑った。
それにかちーんと眉を吊り上げるラーナ。
そんな二人のやりとりで病的なため息を吐くレヴィン。

「判断を下すのはまだ早いのではなくて?! それに、フォルセティを受け継ぐことができるのは

このレヴィンだけですのよ?!」
かぁっと年甲斐もなく顔を赤くさせながら、興奮飛び散りそうな勢いのラーナがそう言いながら後ろの息子をびしっと指差す。
その発言にマイオスの口はしがぴくっと動く。

「フォルセティを受け継ぐものこそがシレジアの王になるに相応しいんじゃなくて?! たとえこのレヴィンが
今はまだ頼りない身だとしても、フォルセティを手にすれば、生まれ変わるわ!」
鼻息荒くそういうラーナ。

(なんて勝手なことを・・・)
今度は変なげっぷがでそうになり、口元を手で押さえレヴィンは俯く。

「・・・そう、ところでレヴィン?
あなたもう聖痕は現れたの?」

「えっ?」
くるりと向きかえったラーナとマイオスがじっとレヴィンを見る。

聖痕。
聖戦士の直系のみにその体のどこかに現れるという聖なる痣のこと。
聖戦士バルドの直系であるシアルフィ家の嫡男のシグルドにも聖痕があることはレヴィンも知っていた。
直に見たことはないが聖杖バルキリーを携えたクロードにも聖痕はあるのだろう。
当然風使いセティの直系であるレヴィンにも聖痕があってもおかしくはない・・・のだが

「いえ、それらしきものは、まだ・・・」
と言った直後、カッと見開いた目のラーナの合図でいっせいに近衛兵に取り押さえられるレヴィン。

「うわっちょっなにするんだよ!?」

「隅々まで調べるのです!裏までしっかりと確認して!」
ラーナの指示で数人の兵にレヴィンは服を剥がされたり、体をひっくり返されたり、もう普通にセクハラで訴えちゃったらどーですか?なレベルの聖痕探しをされてしまった。

「ちょっっそんなとこまで触んなっ!・・・・イヤーーーー!!!」
泣き声も混じったレヴィンの悲鳴がシレジア城内に響き渡った・・・気がした。

「ラーナ様、どこにも見当たりません」
兵士達は皆首を振る。乱れた服を押さえたまま嘆きのレヴィンはうな垂れたままだ。

(俺は故郷に戻ってまでこんな辱めを受けるなんて・・・)

シレジアに来たことを激しく後悔していた。

くうー、ときりきりと悔しそうな表情のラーナと対照的に勝ち誇った笑いを浮かべるマイオス。

「たとえ直系でも、聖痕がないのであれば、フォルセティは受け継げないのではなくて?

くふふふ、残念ね。

もしかして、レヴィンは先王の子ではなかったりするんじゃ?お義姉様」
嫌味な笑みを浮かべたままのマイオスに、ラーナはさらにカッとなり声を荒げる。

「ま、まあなんて無礼な!

私は生まれてこの方亡き陛下としかまぐわったことがありませんわ!!!」

(こ、子供の前でそんなこと言うなーーー)
顔を両手で押さえながらさらにレヴィンはうな垂れる。

「間違いなくレヴィンはシレジア王の血を継ぐ正当な後継者!

きっと、あと少しの修行を積ませれば聖痕だろうがなんだろうがビシバシ現れるに決まってますわ」

「そう、ふふふ。それは楽しみにしているわ。そうね、長いこと玉座に埃を座らせたままではいけないものね。

じゃあ、私はトーヴェに帰るけど、またすぐにここに戻ってくるかもしれないわね」
ラーナをちろりと見た後、嫌味な笑みを浮かべたままマイオスはシレジアを後にした。

レヴィンの頭はガンガンしていた。己を保っているのがやっとという精神状態だった。
ラーナとマイオスはレヴィンにとって鬼門なのだ。ろくなことがないのだよくわかっているのだ。

そんなレヴィンにつかつかと鼻息荒く歩み寄ったラーナはレヴィンにこう命令する。

「修行よ!レヴィン、山にでもこもって修行してきなさい!」

「はっ、はい?!」
レヴィンは一瞬目が点になった。なにを言っているのだ?この人は?と。

「さあ、今すぐよ!とっととお行き!いいこと?聖痕が現れるまで山を下りてくるんじゃないわよ!

マーニャ、あなたも一緒に行ってもらいます。レヴィンが逃げ出さないようにしっかりと頼みますよ」

「は、ふわーーー?!ちょっっ、まっ、少し冷静になって母上?」

カーッと声を吐かれながらラーナに嫌な見送られ方をされたレヴィン。
今度はムリヤリシレジア城を追い出される。
レヴィンの目にはラーナの頭に二本角が見えたという・・・。


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