嫉妬の炎を纏わせながら山を登ってきたアゼルがエーディンへと駆け寄り、レヴィンから引き離すように己のほうへと抱き寄せる。
「レヴィン、お前今エーディンに触っていたよね? なにやってんの? 婚約者いるくせにさ、なに?灰になりたいの?」
完全にブチキレているアゼル(表情は穏やかを保っているようだな口調が完全にキレている)にわてわてしつつも、そんなことより後方から迫る危険のほうがはるかにでかいレヴィンは焦る。
「だーー、なんでアゼルまでここにくるんだよもうややこしい!」
「ややこしくしてんのはそっちだよね?」
「アゼル、落ち着いて、レヴィンの話を聞いてあげて」
今度はエーディンがアゼルをなだめているが、エーディンにセクハラしていたと勘違いしているアゼルは冷静に耳を貸そうとはしない。怒りの炎を纏わせ発動しようとしているが、アゼルの炎よりレヴィンは後方から迫り来る暴獣への恐怖で汗流れまくりだった。
すでに三人の位置はブリギッドの攻撃圏内に入る。迷いなく引かれる弓から恐怖の矢が放たれる。
「きゃっ!」
エーディンが小さい悲鳴を上げて身を屈めた。ブリギッドの矢は幸いにも三人の横をかすめて通り過ぎていった。
「今のは?」
「お姉さま?どうして」
「ごちゃごちゃもめてる場合じゃないんだって、早く逃げるぞ」
三人は木々を盾にしながらブリギッドから距離をおくように逃げる。
「どういうこと、ブリギッドが襲ってくるなんて…、そうかわかったぞ、レヴィン、ブリギッドにセクハラしたんだろ?それでブリギッドを怒らしたんだ。やっぱり君は灰になるべきだね」
ジロリと横目で軽蔑の眼差しを向けてくるアゼル。どうしてそういう結論になるんだとレヴィンは叫ぶ。
「なわけあるかー、むしろその逆じゃい! ああもう簡潔に言うからな、ブリギッドバサーク状態!」
ある程度距離がとれたため、いったん立ち止まり三人は息を整える。
「キノコがって言ってたわよね? キノコを食べて姉様は混乱状態なのね? それならレストの杖で解毒できるかもしれないわ」
「レストか。試してみる価値はあるな。エーディンその杖は…」
とレヴィンはエーディンが胸に抱きしめている杖へと目をやる。が、それはレストの杖ではなく。
「これはクロード様からお借りしたレスキューの杖よ。私これしか持ってきてないの、困ったわ」
こんなことならレストを持ってくるべきだったわね、とのん気に溜息つくエーディンにレヴィンは脱力した。希望が見えたと思った瞬間コレだ。現実はそう上手くはいかない悲しい現実。
だがレヴィンに反してアゼルは明るい表情でぽんと手を叩く。
「それだよエーディン。レスキューだよ」
「バカ! 間違ってもそれ使うなよ?」
「バカはそっちだろバカ。レスキューでブリギッドを呼び寄せて一気に押さえ込むんだよ」
ナイスアイデアとばかりにそういうアゼルにレヴィンは反論する。
「お前できんのか? あのブリさんを押さえ込めるのか? 俺ら三人がかりでもムチャだ。一気に全滅フラグだぞ。それができないから魔法でなんとかしようとしてるんだよ」
「じゃあ早くなんとかしなよ」
「お姉さまを助けてあげて」
半ギレのレヴィンは心の中で「こいつら〜〜」と叫んだ。すぐ背後に暴れるような殺気を感じて三人はそこから散り散りに去る。
奇声を上げながら、ブリギッドは容赦なく攻撃を続けている。幸いにもレヴィンたちには当たらなかったが、周囲の木々は破壊されている。時間稼ぎもそんなにできないだろう。
「どうする」
焦っても解決策が浮かばない。疲労もたまる一方だし、こう逃げ回っていては魔法にも集中できない。ここの森には風精が多く集まるとはいっても、これでは上手く戦いづらい。
「魔法ね、なんとかなるかな?」
アゼルやレヴィンでは肉弾戦でブリギッドに挑むのは無謀だったが、魔法でなら止める事は不可能じゃないかもしれない。アゼルはエーディンを気にかけつつ逃げながら術発動の準備を考える。
「なんの騒ぎだ?」
「アゼル!エーディン!」
怪訝そうな顔で現れた登山者はレックスと、彼の後ろをついてきたティルテュだった。やっと合流できたかと思えば、なんだか騒がしく殺伐とした空気があるものだからレックスは厳しい表情をさらにしかめる。
「あー、タイミング悪いなぁ」
「え?」
アゼルの発言の意味がわからずティルテュはぽかんとする。
「二人とも姉様から逃げて! 大変なことになっているの」
「え? ブリギッドから逃げる?」
どういうことだろう。鬼ごっこにしては妙な緊迫感。ティルテュよりも先にレックスが現状を把握する。
「あの熊女、狂いやがったか」
「え?え?どういうこと?」
「そういうこと。ティルテュも魔法使える準備しといて、当てるのはムリとしても牽制になるだろうし。レックスの側から離れないでね」
まだ困惑気味のティルテュにそれだけ伝えてアゼルはレックスに目配せしながら走り去る。レックスの肘に押されてティルテュはゆるい坂に生える木の後ろにと下がった。
「な、なにが起こっているの? ブリギッド見つかったの?」
「いいからここから動くんじゃねぇ」
「う、うん…。あっ、あれはレヴィン!?」
木々の間間にレヴィンがかけていく姿が見えた。ブリギッドになにか異常があり、レヴィンたちは逃げている?まだティルテュは現状を理解しきれていないが、緊張を保ちながら様子を見守る。
「このあたり、すごい風が…」
魔道士であるティルテュはこの森に集まる風精の力を強く感じる。ただ殺伐とした空気は風精にはなく、やはり別のものにあった。それは完全に狂戦士と化したブリギッドから放たれるもの。ブリギッドの矢はあらゆるものを破壊する。
木も盾としての役割はほぼないだろう。レックスはすぐにそれを危惧し、ティルテュを連れ逃げの姿勢をとるが、わずかにブリギッドの攻撃のほうが早かった。
「くっっ」
とっさに構えた愛斧で運良くその一撃を防いだが、刃が欠け、鋼の肉体が売りのレックスですらその衝撃で腕の筋肉がしびれて動かなくなった。その間に素早くブリギッドは次の矢をひき放つ。
「ダメー」
反射的に放ったティルテュのサンダーが運良く矢に当たりその軌道をずらした。バチッと火花をあげてそれは地面に落ちた。
魔法のサンダーが発動された事にレヴィンはそのほうに気づく。
「ゲっ、ティルテュまでこんなところに来てるのかよ」
またまたややこしいことにと頭を抱えそうになって、「あっ」となにか思いついたのかレヴィンは顔を起こす。
「そうか、俺一人ならムリだけど、あの二人がいればなんとかなるかもな」
それがひらめいたら、レヴィンの顔に明るさがともる。魔法を放ちブリギッドの気をそらしつつ、ティルテュのもとまで走りよる。
「ティルテュ、大丈夫か?!」
「レヴィン、うんあたしなら大丈夫だけど」
ちらりとティルテュと彼女の側にいるレックスへと目をやってから二人の無事を簡単に確認しつつ、簡潔に会話を進める。
「現状聞いてる?」
「ブリギッドが大変なにことになってるって、いったいなにがあって」
「見ての通りバサークっちゃってる。早いこと止めないとやばい。つーことで、ティルテュ、君の力を貸して欲しい」
「え?」
まさかこんなところでレヴィンに頼られるとは思っていなかったティルテュはくるりと目を丸くさせる。
「正直俺一人じゃ止められない。でも、ここには三人魔道士がいる。いちたすには、サンバル…三倍になる!」
「それって、あたしとレヴィンとアゼルってこと?」
確認しつつ、ティルテュはまだレヴィンの考えがわからずにいる。
「おい、どこかのだれかさんは森全焼の前科があるんだぞ」
怪訝な顔するレックスに、レヴィンは「いいやその心配はない」と自信げに言う。
「この森は風精たちの住処だ。風精たちが自分たちの住処を破壊などしないからな」
「ま、待って! それって…」
レヴィンの言葉でティルテュは彼の考えを察して不安な顔になる。
「俺たち三人で風精を使役する。風の術でブリギッドの動きを一気に封じるんだ」
「でも、あたし、まだ…」
風術をつかいこなす自信なんてない。ティルテュの不安な眼差しにレヴィンは「だいじょうぶだ」と答える。
「俺はブリギッドを止めたい。ティルテュもその想いに同調してくれるだろ?」
「うん、それはもちろん」
「じゃあ大丈夫だ。俺たちで力を合わせよう。心を一つにしよう、風精たちは必ずその想いに答えてくれるだろう。見せ付けるんだトリプルパワーを」
「トリプルパワー…」
それは不思議と勇気がわいてくる言葉だった。こくりとティルテュは頷き、不安な色をしていたその瞳にはゆっくりと勇気の炎がともり始める。それを感じとったレヴィンも頷いて、すぐに膝を起こして二人の場を離れる。
今度はアゼルとエーディンのもとへと走る。魔道士三人で力をあわせることにアゼルも賛成し、すぐにそれを実行に移すため移動を開始する。エーディンはアゼルから少し離れた場所でレスキューの杖を構える。もしブリギッドに近づかれた仲間がいたら、いつでも逃がせられるようにとの保険として。ただ杖発動よりブリギッドの攻撃のほうが早いだろうが。
「トリプルパワーって言いたかっただけじゃない?レヴィン。まあどうでもいいんだけど」
一人熱血してるっぽいレヴィンにやれやれとあきれたしぐさをしつつ、アゼルはティルテュたちの位置を確認する。
アゼルたちから反時計回りに移動したレヴィンもそれぞれの位置を確認して停止する。レヴィンのそばには詠唱なしでもすでに風精たちが集い始める。三人の魔道士たちはそれぞれ一定の距離をとって三角形にと配置している。その中央にはブリギッドがいる形になる。容赦なく矢を放つブリギッド、レヴィンの纏う風たちがなんとかその軌道をそらしてくれる。が圧倒的なブリギッドの力を毎度そらせるわけがない。のんびりもできない、レヴィンの合図でアゼルとティルテュも風精を呼び寄せ、魔法を発動させる。風のエキスパートであるレヴィンは言わずもがなだが、魔力に長けるアゼルの放った風魔法も強力な力をもってブリギッドへと向かう。ティルテュは風精を扱いこなす自信はなかったが、レヴィンの言葉を呪文のように脳内で唱えて強く言い聞かせながら、ブリギッドを救いたいと願いを込めながら術を放った。風精たちはティルテュの想いに答え、レヴィンとアゼルの放った風に乗ってブリギッドを包み込む。二人の力が合わさり、その風魔法はレヴィン一人のものよりさらに強力なものへと化けた。あのバケモノじみたブリギッドの動きを完全に封じ込んだ。が、彼女を倒すまでには至らない。動きを封じたに留めただけ。
「レヴィンさま!」
レヴィンの後方から息を切らせながら駆けて来るのはさきほどからずっと姿を見せなかったマーニャだった。
てっきり逃げたのだと思い込んでいたレヴィンは彼女が自分のほうへとかけてくる事に驚きを見せた。
「マーニャ逃げたんじゃなかったのか?」
「レヴィン様を置いて逃げたりなどしません。よかった、なんとか間に合ったようで、私は解毒剤を近くの村までとりにいってました。こちらです。早くあの方に」
マーニャの手には解毒剤が入っているという袋があった。
それを目にしてレヴィンの顔もぱぁあと希望に満ちた顔になる。
「でかしたぞマーニャ! それを宙に撒いてくれ」
「はい!」
マーニャが袋の中に手を突っ込んで、中の粉薬を空へと撒いた。それを風がひらってブリギッドのほうへと運ぶ。
解毒剤はブリギッドの口や肌へと張り付いて、彼女の体内に吸収される。数分後、薬の作用が始まったのかブリギッドの体は力をなくし、彼女の手から弓が離れて地面へと落ちる。同時にレヴィンたちも術をとく。
「ん、あれ…、あたしなにしてたんだ。…ぺっなんかにげーーんだけど」
一変ぽかんとした顔になったブリギッド、薬が苦かったのか口をゆがめながらツバを吐き出すそぶりをしている。
「よ、よかった。いつものブリさんに戻った」
一気に疲労が来て、安心したからでもあるが、レヴィンは脱力して腰をついた。
「お姉さま、お姉さま!」
涙を散らせながらエーディンがブリギッドへと駆け寄る。ぽかんとしているブリギッドにひしっと抱きつくエーディン。アゼルも彼女の側へと駆け寄る。
「馬鹿馬鹿しい…」
あきれた声でつぶやきながら、レックスはくるりと彼らから背を向け下山する。「あっ」とレックスの背中になにか言いたげなティルテュを背中で感じたのか、レックスは振り向かずに「もういいんだろ」とぶっきらぼうに一言だけ言って下りていった。
「ありがとうレックス」
去っていく背中に礼を伝えて、ティルテュもブリギッドたちのほうへと駆け寄った。


「ああ、ごめんまじで全然記憶にないわ」
暴れていた記憶が一切ないとあっけらかんと発言するブリギッドに、レヴィンやマーニャはやれやれと脱力させられた。
「でもよかったじゃないか、みんな無事なんだしな」
少しも悪びれる様子もないブリギッドにマーニャが反論する。
「なにかあってからじゃ遅すぎるんです!」
「ほんとだよ、イチイバルとかさ、もうシャレにならないんだから勘弁してよね」
「ああほんとほんとすまんかった」
笑いながら軽く謝られても、誠意を感じないんだが、それでもレヴィンは深く責める事ができない。なんかもう、憎めない存在なんだよな。
「お姉さま、もう一言もなくどこかに行ったりなさらないでね」
「エーディンすごく心配していたんだからね」
「ああ、みんなにもすまんかったね。でもさ、結構楽しいもんだよな、山ってのもいいな」
「ほんと反省ゼロですね、ブリさんわっっ」
ケラケラとした陽気なブリギッドの笑い声が山の中に響き渡った。

「ずいぶんと時間を割かれましたね。レヴィン様、そろそろ戻りませんと」
マーニャに促されて、レヴィンは修行のことを思い出す。そうだそのためにここにきたというのに。
ブリギッドには振り回されてばかりだ。
「あー…そうだな。俺そろそろ修行に戻んないと」
ゆるりらと立ち上がるレヴィン。騒動でくたくただが修行しなければ。
「修行? レヴィン修行してたんだ。強いのに」
てっきりシレジアに行ってるものだと思い込んでいたティルテュは、レヴィンが山篭りしているとは知らなかった。
「そんなことないよ、全然だし、大変なんだよな」
思い出したくないのに、ラーナとマイオスを思い出してうんざりげにレヴィンは遠い目をする。
「修行か、あたしもがんばろうかな。今日のことでちょっとだけ自信持てた気がするもの。
風精アレルギー克服できる気がする」
「ああそういえばティルテュ、レヴィンアレルギーだったよね」
楽しそうな顔してアゼルがぽむと手を叩く。それに同調して「そうだそうそうレヴィンアレルギーな」と嬉しそうにブリギッドが頷く。それにギャイとレヴィンが大人気なくわめく。
「だから、違うっつてるだろ! 言うな! レヴィンアレルギーとか言うな!」
名誉毀損!と叫ぶレヴィンにこの二人がムキになるわけでもなく、きゃっきゃと茶化す。
「あたし臆病になりすぎてただけなんだよね。レヴィンのおかげで気づけたよ。ありがとうレヴィン」
明るく微笑むティルテュに、レヴィンも嬉しそうに笑み返す。
「だから言ったろ、そんなアレルギーあるわけないって」
「いやあるよね、ティルテュ」
「あったほうがおもしろいだろ、な」
「だからそこの迷惑コンビ!蒸し返すなっつーの! あーもー相手にしてられるか、もう行くからな」
待ちわびるマーニャのほうへとレヴィンは駆け出す。
「よしっ、修行の続きだな。あたしも付き合ってやんないとな」
にかっと陽気に笑みながら、ブリギッドが立ち上がりレヴィンのあとを追う。「げっ」とレヴィンはさも迷惑そうな顔になる。
「こりないよねー、ブリギッドもさ」
他人事だからとさも愉快そうにアゼルが彼らを眺めながら笑う。
「優しいのね、姉様って」
とエーディンもお約束のようにブリギッド限定の特殊フィルター越しでの感想をもらす。
「なんか負けてられない。あたしも帰ってがんばろうっと」
鼻歌でスキップしながら嬉しそうな顔でティルテュは帰路へと足を向ける。

「いーかげんにしてよもう!」
受難なレヴィンの声が森の中に響く。
災難に見舞われたレヴィンの山篭り修行もこれで一段落を迎えたのだった。


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