血走った目のアオは、乱暴な足取りでダヴァフの前に詰め寄る。そのままの勢いでダヴァフの胸倉を掴んだ。

「アンタのせいだ、アンタのせいで皆死んだんだ!」

愛する妹や家族、仲間たちを一瞬で失った怒りと悲しみの矛先はダヴァフへと向けられていた。ドゥルブの者たちを殺したのは、ボヒルドゥルをはじめとする【黒痣】の一味だ。
理不尽な怒りをぶつけられても、ダヴァフは冷静な表情を崩さず、目の前の怒り猛るアオをじっと見据える。

「どう責任とってくれるんだよ? アンタの勝手な約束のせいでアイは犠牲になったんだ!
オレの家族は死んだんだ! 全部アンタのせいだッッ!」

アオの怒声は周囲に響いた。アオの激高にダヴァフの表情は乱されない。それにアオの怒りはますます高ぶる。

「くそぉっ」

ダヴァフへと振り上げられたアオの拳は振り上げた直後に止められた。

「おい待て落ち着けって!」

背後からアオを羽交い絞めにして取り押さえる。じたばたと暴れるアオだが、男より小柄なため問題なく動きを封じられた。アオは悔しそうに「くそぉ」と何度も呻いていた。

「大丈夫ですか? 長」
アオを取り押さえたままの男がダヴァフにと尋ねる。

「ああ、それよりそいつの世話をまかせる」
「はい、まかせてください。ほらいくぞ、大人しくしとけよ」
「ちょっっおい離せよ!」

男に無理やりに連れて行かれるアオ、長のゲルを出る直前、アオは憎憎しげにダヴァフを睨みつけた。


「おいっなにすんだよ!」
自分を連れ出した男に、アオはギンと睨みつけながら怒りをあらわにする。そんなアオに男はやれやれと息を吐きながら「それはこっちのセリフだよ。お前、少しは落ち着け。俺らは味方だ、悪いようにはしないよ」とアオをなだめる。

「アンタにオレの気持ちがわかるかよ!」

「わからないこともないさ、俺もお前と似たような者だからな」

「え…?」

男の言った意味が瞬時に理解できず、アオは「どういう意味だよ?」と尋ね返す。

「俺も元々ナイムの者じゃないんだ。俺の一族も黒痣にやられちまって、命からがら逃げていたところをナイムの長に拾ってもらったんだ。
まあだからこんな言い方も変かもしれないが、お前とは同じ、お仲間ってもんだよ。
俺はダンって言うんだ、これからしっかりと面倒見てやるからな」

ダンと名乗った男はそう言うとにかりと人懐っこい笑みを浮かべて、アオの頭をぽんぽんと叩いた。

「同じ…」

ぽつりとつぶやくアオに、ダンは「ああ」と頷く。
「俺みたいな境遇のやつはここにも他にいるんだぜ」

「やあダン、例の彼の具合はどうかな?」

ひょこっと顔を覗かせたのは丸い顔をした気のよさそうな男だった。

「おっフダルか。ほらこの調子で元気だよ。紹介するぜ、こいつも同じくお仲間だ」

ダンがフダルをアオの前に手招く。お仲間ということはこのフダルもナイムの者ではなかったということだろう。

「俺たちみたいなよそ者も、長はナイムの者として迎えてくれた。今では立派に家族面させてもらってるよ。
だから、お前も…」

二人の男がアオに優しく微笑みかける。ナイムの長はアオのことも快く一員として迎えてくれると言うのだろう。同じような境遇の者がいるということは少なからずアオに親近感を抱かせたが…

「だからといってオレはナイムになるつもりはないよ」

アオの気持ちはまだそう簡単に切り替えられないようだ。悪夢のような出来事を、すぐには受け入れられるはずがない。行き場のない感情を簡単に塗り替えることも、消し去ることもできない。

「まあ少なくとも、俺たちはお前のこと心配してるんだからな。遠慮なく頼れよ。ああ、それからソウ坊ちゃまもずいぶん気にかけてたみたいだよ」

ダンの口から聞いた【ソウ】と言う名前に聞き覚えがあった。先ほど見かけた少年だ。ナイムの長の息子…、アイの婿になるはずだった相手だ。

ゲルを出たアオは草原を歩く。女性たちが集まり作業をしている。若い女性たちはなにやら楽しそうに談笑している。不思議と悲壮感はない。何事もなかったかのようなナイムの日常に、アオは空想の世界にいるような錯覚に陥りそうだ。
夢だったのかもしれない。
あの惨劇は夢だった…。そう思い込もうとしたとき、体を突き刺されたような鋭い痛みが頭に走る。ぴしりとした瞬間の痛み。あの黒衣の男の不気味な笑み、血飛沫に汚されていくアイの表情が死人のものに変わっていく。目の奥が熱く、喉の奥が張り裂かれそうに乾いて痛む。
父の想いも守れなかった。大切なものは、なにも守れず、失った。ただ、生き残っただけで。
痛みと嘔吐で生きている辛さを実感させられる。そして沸いて沸いて止まらぬ激しい憤り。
アオの脳裏にダヴァフの顔が映る。
ダンはダヴァフに拾われ感謝していると言った。だがアオは同じ気持ちにはなれなかった。ダヴァフのせいだ、ダヴァフのせいでドゥルブの者は死んでしまったのだと、アオの怒りの矛先はダヴァフに向けられていた。

少しはなれたところで女性たちのきゃあきゃあと言った声が聞こえ、アオは現実に引き戻される。
声の先には数人の女性と、彼女たちとなにかやりとりをしている男の姿が確認できた。

「あいつは…ソウ?」

女性たちとやりとりをしていたのはソウだった。しかめっ面でなにか話している。用が済むと、そそくさと彼女たちの前から走り去った。

「なにやってたんだ、アイツ…。まあ関係ないけどな」

一人つぶやきながら、アオは遠目にソウとやりとりをしていた女性たちの様子を眺めていた。嬉しそうに頬染めてきゃあきゃあと話している。
アイと結婚できなくても、ソウなら女性には不自由しなさそうだ。そんなことを思っては、やるせなく、またいらだつ。
女性たちの中にはアイと同じ年頃の娘の姿も見える。もし、アイが生きていたら今頃は…。彼女たちと一緒に楽しそうに女の子同士の話で盛り上がっていたかもしれない。もしもの、ありえない妄想の中、アイの幻影が見えた。こちらに気づいた幻影のアイが、にこりとかわいらしい少女の笑みを向けてくれた。それに反射的に微笑み返して、はっと我に返る。
アイに幻視した少女は今目の前に現存する。よく見たらアイではない別人だが、纏う雰囲気はアイによく似ていた。まるで夢を見ているようにぼうとしていたアオに、少女は再びにこりと微笑んで、他の少女たちと一緒に自分の作業へと戻っていった。


「あ、ここにいたんだ」

自分に向けられた言葉だと気づきアオが顔を上げる。そこにいたのは先ほど見かけた少年。

「ソウ」

アオに名前を呼ばれて、嬉しそうに顔をほころばせたが、すぐに複雑そうな顔になってソウは俯く。

「あの、ごめん…」

震える声でアオより背の高い少年は謝罪した。もじもじとするソウに、アオはイラっとしながら聞き返す。

「なんのことだよ?」
「僕がもっと早く準備していたら、きっと間に合っていた。…ドゥルブの民が、死なずにすんだかもしれない」

ソウのその言葉は、アオの神経を逆なでするだけでしかなかった。ブチィッと我慢の尾が切れた音がした。

「もしもの話をしたってもうアイは、親父やみんなは生き返らない! 悪いと思うなら生き返らせてみろよ!」

自分で言っておきながら、むちゃくちゃだとアオは思った。現にソウはどうしていいかわからずますます困惑の顔になる。
「できるわけないよな」とアオは自分で己の要望を否定した。ソウはただ「ごめん」としか言うことができなかった。

「お前も残念だったよな。生き残ったのが花嫁じゃなくて、兄貴のほうでさ…。ほんと、なんで」

視界が滲む。もしものことを考えても仕方ない、仕方ないとわかっているが。生き残ったのが自分ではなく、アイならよかったのに。己の命と引き換えにしても、アイだけは守りたかった。

「(なんで生き残ったのが、こんなよわっちいオレなんだよ…)」

悔しくて悲しくてアオは空を仰いだ。青空に隠された星は、アオに答えてはくれなかった。


戻る  目次  次へ  2012/09/26