大切な妹はすでにこの世にいない。殺されてしまった、あの男によって。
血に濡れた巨大な鎌、銀毛の狼を従えた黒衣の男。気色の悪い笑みの、あの男。
いっそ忘れたい顔だが、忘れてはいけない顔だ。こびりついて離れない、なんともいえない不快な感情がアオの体を駆け巡る。

「うぐわぁぁぁーーあんにゃろーー」

体をかきむしって怒号した。

「うわぁっびっくりした」

後ろでひっくり返って腰をつく音が聞こえた。振り返るとさきほどダンから紹介された丸い顔の人のよさそうな顔立ちの男、フダルだった。慌ててアオも「あ、ごめん。フダル…だっけ」とフダルのほうに歩み寄る。「あはは」とフダルは気のよさそうな笑顔で返す。

「なにかあった? さっきソウ坊ちゃまとすれ違ったけど、ソウ坊ちゃま落ち込んでいたようだったから、アオとなにかあったのかと思って」

気にかけてアオを探してくれていたということだろう。ソウに対して酷い態度をとってしまったとアオも自覚はしていたが、今はソウのことを気遣う余裕などない。ダヴァフのせいでみんなが死んだと思い込んでいるアオからすれば、ソウも同罪だった。ナイム全体を憎んでしまいそうな勢いだが、フダルやダンたちまでは毛嫌いできそうになかった。こんな状況でなければ、もっとこの人たちに優しく接せられたはずなのだ。

「別に、なんでも…」
「そっか、アオよかったらソウ坊ちゃまと仲良くしてあげてよ。もちろん他の皆とも仲良くしてもらいたいけど。
ソウ坊ちゃま今回の婚姻を機にアオと友達になりたいって、すごく楽しみにしてたみたいだから」
「…なんだよ、それ」

かわいい妹は渡さんと勝手に敵視していたアオと対照的な感情に、がくりと肩の力が抜けそうになる。

「それにさ、アオにとっても救いになるんじゃないかな。一人は辛いよね。仲間がいるって、やっぱりとても心強いことだよ」
「…フダルってさ、お人よしだよな」
「うんよく言われるよ。男としては弱いほうだから、ダンからもお前は優しさを武器にしろって言われたんだ」
「ははそうなんだ。オレも、どっちかっていったら弱いほうだから…」
「うん、ならアオも優しさを武器にしたらいいよ」
「いや、やっぱ…強くなりたいけど」
力のなさは痛感するところだが、言われてフダルのように開き直れないアオだった。「あはは」と人懐っこく笑いながらフダルはアオの背中をポンポンと叩いた。

「ちょっとフダルー、アンタ暇ならこっち手伝いなさいよー」

女性の声がフダルを呼んだ。そのほうを見ると大量の布を抱えた女性がいた。フダルに作業を手伝えと言っている。

「あー、アオ、君手伝いに行ってやってくれる。僕用事があるから、頼むよ」

片目を瞑りながらフダルはアオにそう言って、アオが承諾するのも聞かずに反対方向へと走っていった。

「あっちょっ」「ちょっとーー」

仕方ないとアオは女性のほうへと駆け寄った。

「あーもうフダルのやつー」
「オレが手伝うよ。なにすればいい?」

首を横に傾けながら布を抱えた女性はアオのほうを見た。アオより年上のしっかりした感じの女性だ。腕まくりした腕は日に焼けたくましさを物語る。

「あーアンタがアオね。三つあみの少年。私はチレグよ、よろしくね」
チレグと名乗った元気そうな女性と挨拶する間もなく、「こっちこっちあの子を手伝ってあげて」と作業場のほうへとアオを連れて行く。

「イア、助っ人連れてきたよ。こき使ってやんな」

ぼすっと上から布の固まりを落とされて、アオは「おわっ」ととっさに両手で受け止めた。布の向こう側に見えたのは、布の前で作業をする一人の少女。彼女を見てアオは固まる。

「アイ?」
「え?」

瞬きして再び彼女を見た。よく見ればアイではない。別人の娘だった。

「じゃよろしく、まかせたよ」

ぱんと背中を叩かれて、チレグは作業場から出て行った。ぽかんとするアオに少女が話しかける。

「あなたが手伝ってくれるのね、助かるわ。私はイアよ、よろしくね」
「オレはアオ、よろしく」
「うん、知ってるわ」

にこりと微笑むイアに、アオはびっくりして赤面する。チレグもアオを知っていた。ナイムの人たちはすでにアオを認識してくれていたのだ。それは恥ずかしくもあり、少し嬉しく、アオの心に暖かいものが少し蘇った気がした。

衣類の手直し作業をイアの隣でアオが手伝う。黙々と作業するアオの横顔を、イアがじっと見つめていたことを気づきもせず、作業に没頭する。こうした手作業は得意だった。アオは力仕事よりも女性的な細かい作業のほうが向いているのだろう。本人は認めたくないだろうが。

「おっし、これで終わり?」

大量にあった布の山はあっという間に平らに整えられた。アオの手伝いもありイアの仕事は思いのほか早く済んだ。

「ええありがとう。アオのおかげだわ。器用なのね」
「いや、そんなことないけど…」
特別手が早いとは思っていなかったが、自分が片付けた分の山とイアが片付けた分の山を見比べると、ずいぶんと差があり驚いた。
「イアは、…ちょっと手が遅すぎるんじゃないか?」
彼女の作業ペースでは日が暮れていたに違いない。
「そ、そんなことは…だって、見とれていたから」
「へ? なにに?」
言い訳するイアのそれにさっぱり心当たりがないアオは疑問で返す。
「ううん、なんでも。ほんとに助かったわ。…やっぱり思っていた通り優しいんだね、アオは」
嬉しそうに微笑んで見上げるイアに、アイの顔が重なる。
「オレでよければいつでも手伝うよ。遠慮なく声かけてくれよな」
くしゃっとイアの頭を思わず撫で、びっくりしたイアにアオは慌てて「ごめん」と手を離した。いくら妹と重なったからといってイアからすればアオは出会ったばかりの他人だ。さすがに馴れ馴れしすぎる。
「ううん」と言って顔を背けたイアの顔が赤らんでいたことなど、アオが気づくはずもなく、そのまま作業場をあとにした。


作業場を出たアオは前方にある人物を見つけた。向こうもアオに気づいた。
「ソウ…」
複雑な表情でアオのほうを見てなにか言いたげな様子だ。先ほどのフダルの言葉を思い出す。
『ソウ坊ちゃま、アオと友達になりたいって、楽しみにしていたからさ』
アイも言っていたな。同じ歳の男同士仲良くなれるんじゃないかって。

「(そうは言っても…)」
ソウに対しては、イアやフダルたちのように親しげに接することができそうにない。ダヴァフの顔を思い出せば怒りの熱が湧き上がりそうだ。息子のソウを見れば、連鎖的に怒りの感情が湧いてきそうで。ぎゅっと唇をかみ締め、アオはソウを睨みつけた。対するソウも、みるみる表情は硬くなっていく。眉間に皺が寄り、口元がぷるぷると引きつっていく。そして…

「うわっこ、こないで!」

怯えた顔をして、悲鳴を上げて逃げていった。さすがにソウの反応が予想外すぎて、アオもびっくりして固まる。いくら睨んだからといってあれは情けなさ過ぎやしないか?

「あはは相変わらず過剰反応だな」
「え?」

振り返るとすぐ後ろに先ほどの女性チレグがいた。「ありがとうアオ。イアも感謝していたよ」といって、アオの肩をポンと叩いた。すでに姿の見えなくなったソウのいたほうを眺めながら、「おもしろいだろ」とアオの同意を求めるように笑った。なんのことかわからずアオが訊ねる。

「ソウ坊ちゃんだよ。大の女性恐怖症でさ、私らにはあんな感じなんだよ。珍しいだろ」
「…女恐怖症? なんだよ、それ…」

チレグから聞かされたソウの弱点に、アオは拍子抜けした。
「(つーか、オレより女のほうが怖いっていうのかよ…)」
苛立ち半分情けなさ半分のアオだった。


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