恋愛テロリスト

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  第七幕 熱愛宣言 8  

「おい、そんなに痛むのか?ケツが」

顔面枕に押し付けた状態で痛がるあたしのすぐ横で、テンが膝をついてあたしのケツへと注意を向ける。

「痛いに決まっているでしょ!だいたい誰のせいでこんなことになったと思っているのよ?!」

顔を横に向けて、涙目のあたしは怒りの言葉を吐き捨てる。

「あのガキのせいだな」

・・・たしかに、ショウがもっとも悪いと思いますが、テンだって散々やってたでしょうが。
と無言で睨みつけてやる。

「あのガキのせいで、俺の店がめちゃくちゃに・・・あのガキのせいで!」

ショウに全部押し付けかい!さすが俺様悪くない主義は健在ですね。

「まあ仕方ない。ここにおいてやる。寝れば傷などすぐ塞がるだろうからな」

あたし被害者なんですけど、なんでしょうね、その上からの物言いは・・・まあ今更ですけど。
さて、話を戻して

「お前は何者だ?」

「あたしはリンネ。タカネの孫よ」
短くきっぱりと言い放つ。
それにテンは少し眉を寄せつつも、表情はそのままであたしを見ている。

「タカ、ネ?」

「そう、そしてテンはそのタカネの恋人、ってあたしにしつこいほどそう言ってたじゃない!」

「タカ・・・ネ・・・」
なにか感じ取る物があるのだろうか、テンは呪文のようにそう何度か「タカネ」とつぶやいた。
そして、目を細める。

「タカネ」思うにその言葉は、テンがもっとも多く発してきた言葉じゃないだろうか?
脳内の記憶では一時的に削除されてしまったけれど、その口は、体は
きっとタカネを記憶しているんじゃないのか?

「テン・・・「もういい」

え?

「鼻の奥がツーンとする・・・気がおかしくなりそうだ」

「はい?」
気がおかしいのは元からですよ?テン。

その夜、そのままテンは部屋から去った。
そのすぐ後、片づけを終えたエメラが戻ってきて、いろいろ声かけてくれたみたいだけど
ぼーとしたあたしはテキトーに空返事をしていた。

にしても、テン
やっぱり変、変通り越して気持ち悪いよ。
自分から聞いておいて、なにあの態度
まるで、逃げるみたいじゃない。逃げるなんて選択肢
絶対持ち合わせてなさそうなテンだったはずなのに・・・

ああもう、尻は痛いし、テンは気持ち悪いし、ビケさんには会えないし
そんな最悪な夜の中でも、あたしは眠りについた。


それはとてもリアルな世界
足の裏の、夜の冷えたひんやりとした石畳の感触。
ザーという風と波の混じった、港通りならではのその音がBGMになっている。
人通りも閑散としている夜のその道。
どうやらあたしは、カフェテンのすぐ外、港の前にいるみたい。
世界を見ているのはあたしの目で、この感触もあたしの体が感じているもので
だけど、あたしの意識で動いているのとは違う感覚。
だから、夢、なのだと思う。
スクリーンの中の世界を、あたしの中から見ている感覚。

その視界に映ったのは、海に向かって立っている人影。
それはテンだ。
あたしが近づくと、数メートルもいかないうちに、テンが振り返った。
その手には、あのいつもテンが手にしていたあの凶器が、Z島で、テンがビケさんからもらったと言っていた
刀があった。
テンはこちらに向きかえったまま、その刀を少し抜いた。
月明かりがその抜いて見えた部分を怪しく反射している。

「そいつはしっかりと持ってたみてーだな」
それはあたしの声、でもあたしの言葉じゃない。
あたしの体とあたしの感覚、だけどそこにあたしの意思は自由はない。
それが夢の世界という不思議感覚・・・

「こいつを知っているのか」
テンがその刀を少し持ち上げて、そう聞く。

「ああ、とーぜんだろーがよ。そいつは俺様のもんだったやつだ。

とても1500年前のものだとは思えねー輝きを今でも放っているだろ?」

「千五百?・・・貴様のものなのか?」

あたしは眉間を親指でぐりぐりしながら
「あーー、ややこしいな。こいつじゃーなくってな・・・

俺様は1500年前に惜しくもこの世を去った桃太郎様だ!」

「・・・わけがわからん、とんだ妄想者のようだな」

「あーくそめんどくせーな。つまりだな、こいつは俺様の生まれ変わりでー・・・

まあそんなことはてめーにはどうでもいいことだろうしな。いちいち説明も面倒だ。記憶が戻れば理解できるだろーし
とにかく、てめーと俺様は深い繋がりがあるんだよ」

テンは刀を鞘に戻して、眉間にしわ寄せその刀を見た後、再び海のほうへと向きを変えた。
その目は海を、打ち寄せる波の中へと向けられているようだった。

「俺はどこから来た・・・どこへ向かおうとしていた・・・?

覚えているのは海の中にいた記憶と・・・なぜかこいつだけはずっと手の中にあったことだけだ」

「海の中にいた記憶はあるってか。ならよ、てめーを海に突き落とした野郎のことは覚えてねーのか?」

「?!」

「あいつもよ、望んでるぜ。てめーと本気で殺り合える日をな、そして俺様もだ」
波の音が遠ざかっていく・・・
ほんとになんだかわけのわからない夢を見てしまった。


「リンネさん!」

「!」
エメラの声で目を覚ます。そして尻の痛みに顔をしかめながら身を起こした。
もう朝だ、今日は昨日より早く起きれた、でもなんだか寝起きはよろしくない。
その直後、異変に気づく。

「リンネさんその足どうしたですか?」

「うわっ、なんじゃこりゃー?」
足元にザラザラとある嫌な感触。茶色の染みやゴロゴロした小さな物は、小さな石ころとか、土汚れに似てて

「もしかして、寝ている間にお外に出ちゃったですか?素足のまま」

そんなわけない、と首を振った直後、あの変な夢を思い出した。まさか・・・
不安な気持ちのまま、すぐに汚れた足を洗い、身支度を済ませ、エメラが用意してくれた軽い朝食をミルクとともにいただく。ミルクの匂いを感じ取ったハバネロがするりと現れ、エメラに催促にいく。
「ふふ、ハバネロ、いりこちゃんも食べるですか?」
「きゅる!」
ぱりぱりといい音させて、エメラの手からいりこをもらうハバネロ。はぁ、おいしそうに食べるねぇ。
「ぷっ」
「あてっ!」
あたしの顔面になにか細かいのが直撃した。
「コラコラ、頭残しちゃだめですよ!」
あたしの胸元に、いりこの生首がこんにちわーってしてた。…ハバネロ、もしやわざとあたしに首飛ばした?
「きゅるv」
かわいこぶってもだめーー!


昨夜の夢のこと
妙にリアルに感じていたり、会話とかもほとんど覚えている。
これは以前にも・・・そうたしか、Cエリアにいた時、あの時もテンがいて、ハイセーズとかって変な三人組が襲ってきた夜のこと・・・
あの時も・・・・・・
うわあ、止め止め!あんまりリアルに思い出してはいけないことの気がするし。
そんなことより、はりきって開店の準備だ!

・・・なにもうすっかりカフェテンの従業員ヤル気なんだよ、あたしは。
でも、がんばっているエメラを見ていたら、なにかに夢中になることって悪くないと思ってしまう。
働くことは大変だし、肉体も精神も疲れることだけど、でもなにかをやり遂げる達成感みたいなのを感じるのは悪い感覚じゃないから。
あたしにとって夢中になれることって、ビケさんしかないけど、そのビケさんとも連絡とれないしー、泣きたい。
はあ、でも今こんな体(尻)だし、あっでも、こんな尻だからこそケガの心配とかしてもらえるかも?

『あら痛々しい尻ね。擦ってあげようかしら? それとも舐めてほしい?』

ふぶっ、なに妄想しかけているのあたし!
ぜ、ぜひ舐めてほし…って!!

いやいややはり、乙女として、こんな尻は知られたくないわけで、ジレンマ。

テンはまた相変わらず、とっととしろ。みたいに怒鳴りつけてくる。しかもあたしばかりに、チクショー。
なにさ、かわいこちゃん(エメラとハバネロ)贔屓しちゃっておじんくさっ。
いや、そんなことないか、実際あたしがヘボ&トロイからですね。くー。

そういえば、あの夢の中ではテンは今でもあの刀を持っていたけど、持っているのかな?実際。
後で、確かめてみるか。
そろそろ開店時間だ、というころにあたしの腰ポケットの中の通信機が音を出した。

「ビケさん!」
そそくさとトイレに逃げて、どきどきと激しく踊る心臓を抑えながら、震える手をもう片方の手で補助しながら、通信ボタンを押す。

「ビケさん!」
『リンネ、私ですが・・・』

「へ?」
通信機の向こうから聞こえてきた声はビケさんの麗しボイスではなく、その声はAエリアのキョウ?

「あ、キョウ?」
拍子抜けした声でそう確認すると、キョウの声が「ええそうです」と返ってきた。
あれ、でもなんでキョウからかかってくるんだろ?これってあたしとビケさん間専用じゃなかったの??
これから聞こえてくる声はビケさんしかないと思い込んでいたし、ビケさんだと思っていたから
もう、めちゃめちゃドキドキしまくってたのに、がくりというか、拍子抜け。少し魂が出ました。

『テンのことですが、あれから変わりは?』

「え、ああ、うん。まだ今のところ、思い出したりとかないみたいだけど」

『そうですか。・・・海に落ちて記憶を失ったのなら、また海に落としてみたらどうでしょうか?』

「はい?」

『私は当分そちらに行けそうにないので、なにか変化があったらすぐに教えてください』

「えっあ、ちょっ」
一方的にキョウからの通信は切れてしまった。テンのことだけか。
なんか周囲はテンにしか興味ないみたいだな、そういえばエメラもハバネロもだし。
いいけどさ、別に、あたしにはビケさんだけがあたしに興味持ってくれたらそれだけで。
でもそのビケさんからはなんの連絡もない・・・
と、涙じわりしそうなその時、切れたばかりの通信機が音を出した。

すっかりテンション下がったまま、通信ボタンを押して耳に当てた。
「はー・・・なんすかー」

『リンネ?私だけど』

「ぶっはーー!ビビビビ・・・」

『ビビビビじゃないわ、ビケよ』

「ビケさん!!!」
驚きのあまり通信機を落としそうになった。震える手を片方の手で支えつつ、朝の挨拶を済ませる。

「あ、の、今Cエリアですか?」

『ええ、Cエリアにいるけど』

「すすすすすすすぐ戻ります!」
慌てるあたしにビケさんの冷静な調子の返答。

『戻らなくていいわよ』

「えっ?どういう」
サーと血液が下に落ちていく音がした。

『尻が見るも無惨なことになっているとか』

「?!」
え?なぜビケさんがそのことを知って・・・思わず尻に手を当ててしまう。

「あの、どうしてそのことを知って」

『いいから、しばらくそっちでゆっくりしているといいわ』

「えっ」
ビケさん、どういうこと?ビケさんはあたしのこと全然心配してないっていうの?

『戻ってくるのは、事を果たしてからになさい』

「えっ、あのビケさん事って?」
返答なくそのまま通信は切れてしまった。すぐにビケさんに繋ごうとしたけれど、やっぱり繋がらなかった。
やっぱり、これってこっちからは通信できないのか?はあー。

にしても、事ってなに?
すごく意味深な・・・・・・もしかして、テンのこと?
ビケさんは知っているんじゃ、・・・だれかがビケさんに教えたんだ。
だれ?やっぱりショウか?
でもショウはあたしの尻の状態を知っているとは思えないしな。あたしをふっとばしてすぐにカフェテンから去ったように記憶している。
あたしの尻の状態を知っているのはテンとエメラだけ、のはずだ。

じゃあ、どういうことだろ?

「リンネさん?そろそろ開店の時間です」
エメラが呼びに来た。

「となると考えられるのはひとつだけ、ビケさんの愛のテレパシーてやつしかない!」

「リンネさん?大丈夫です?」

はっ、心の声が漏れていた。本気でエメラが不憫そうな目であたしを見ていた。
あせあせと店内へと戻った。

昨日あの騒ぎがあったというのに、開店からすぐに客はやってきた。
もちろんハバネロの客引きも大きな力だ。
Aエリアなら、あんな騒動が一度でもあれば、その店は確実に閉鎖されるだろう。
さすが、Bエリアだ。そこはいいとこだと思う。
その日もてんてこ舞いな忙しさだった。特にお昼のランチタイムの混みっぷりは戦場のようだ。
そして、息つく暇なく一日は終わった。

「はーーー、ちかれた」
閉店後の店内のテーブルの上でうつぶせるように、あたしは脱力していた。
働くって大変だけど、嫌なこと考える余裕もないくらい忙しいのは心にいいのかもしれない、気休めかもだけど。
ビケさんがなに考えているのか・・・わからないよ。
あたしばかりがテンション高いよね、絶対。妄想に現実が追いつかない。いや追いついたらそれはそれで、刺激が強すぎて、身も心も持ちそうにないんだけど。
ポケットの中の通信機を取り出し、切なく眺める。あれからビケさんから連絡はないし。

「おい」
あたしの上にぶわっと現れた影はテンだった。
日が落ちだして、点灯してない店内は薄暗くなりだしていた。そんな中不気味に立つテンは不気味だ。

「な、なによ?」
通信機を掌に守るように、テンの影から逃れるように横に動きながら、テンを見上げた。

「お前、こいつは自分のものだとか言っていたな」
すっとあたしの目の前にテンが差し出したのは、あのテンが持っていた刀だった。
そう、あの夢の中でテンは持っていた、え、じゃあ。
一瞬固まったあたしをテンが不審そうに見下ろす。

「おい、どうした?」

「そ、それはテンのものでしょ?・・・あの島で話してくれた・・・

それはテンがビケさんからもらったものだって」

「ビ・・・ケ?」
テンがビケさんの名前を口にする。テンが記憶を取り戻すということは、ビケさんのことも思い出してしまう。
そうなると、きっとまたテンはビケさんにその刃を向けることになるんだろうか、それはあたしにとっても
嫌なことだけど・・・だけど、テンにはやっぱり思い出して欲しいと思うんだ。

テンは目元を指で押さえながら、一度あたしから視線を逸らして、またあたしに視線を戻す。

「お前、明らかにおかしなことを言うな。昨夜はこいつは自分のものだったと、桃太郎だとか言いくさって」

え、ちょっそれって昨日の夢の話?でもなんでテンがあたしの夢を、いやまさか、夢じゃなくて・・・?
あの足の汚れを思い出して、でもそんなバカなと首を振る。

「だってそれは夢の中の話で」

「夢?・・・夢か俺もおかしな夢をよく見るがな。

どこかの島だか、森だか知らんが、俺の隣にいた赤い髪の小僧が出てくる夢だ」

!それって、ビケさん?!

「まあいい。今の俺にはこの店で手一杯だ。めんどくさい記憶など、ないほうが楽かもしれんな」

「な、なに言ってんの?テンは記憶よりもこの店のほうが大切なの?」

「・・・ああそうだ」

??!!
お前ほんとに誰だーーーー?!



あれからあたしはここカフェテンで住み込みで働いていた。エメラともいろいろ打ち解けたりして、Aエリアでの話を聞かせてもらったり、エメラの好きな恋愛小説の話やら、そして人魚の話。
エメラはグチっぽく、自分のおじいさんがすごく心配性でアレコレ反対する人らしくて、うんざりだと言っていたけど
そんな中から、おじいさんのことが実はすごく好きなんだということが伝わってきた。
それからあたしと同い年だというお姉さんが、長年幼馴染の人を想ってて、そのお姉さんの恋を自分のことのように応援していることとか。実家の近所にハバネロよりも小さな仔猫がいて、マリンブルーのうるうるアイズがかわいくて癒されるんだとか。
あたしもすっかり、常連客に覚えられてしまったくらいで
当初よりもこなれてきた仕事振りを褒めてもらったり、妙に照れくさいが、悪くないなと思ったり。
ハバネロも会った頃より大きくなったようで、等身も子供寄りより大人のそれに近づいてきた。
そのハバネロとも、ミルクをあたしがあげるようにして、ちょっとずつなついてきたかな?と思い始めていたんだけど
あたしがテンに話しかけたり、近づいたりすると、間に割ってはいるようにして、あたしのほうへ威嚇するように「シャー」と牙をむいてみせるのだ。
その様子はまるで、「あたしのダーリンに近づくんじゃないわよ!」な嫉妬女のごとくで
きっと人間なら、テンに恋しちゃっている女の子なのかもしれない。

恋する相手、間違ってますよお嬢さん??

テンも、記憶を失っているからって、浮気相手が猫はないだろーと、思うけど。

テンの様子に変化はなく、あの連絡以来、ビケさんからろくに通信がない。
たまに朝の挨拶とか、おやすみの挨拶とかあるんだけど、ほんと数秒程度の通信で、それでもないよりははるかに違うわけですが。

ビケさんの言った「事」というのがなんのことなのか、よくわからないまま。
あたしは夏をこのBエリアで、カフェテンで費やしていた。

このままじゃあたしの夏は、カフェテンで終わってしまう・・・
あー、なんかそんなこと前にも言っていた記憶がーーー・・・Cエリアで・・・
でも、ビケさんのほとんどいないCエリアに戻っても、なにもいいことないわけだし
とにかく、夏が終わらないうちに、テンを戻さねば。

テロリストに戻ってもらうのは困るけど
でも、テンはおばあちゃんのこと思い出さなきゃ、じゃなきゃ、なんかむずがゆくて嫌!
あたしに散々「愛だ!タカネがすべてだ!」と説教たれといて、店が大事だなんて、そんな結末納得できないでしょ?
あれだけ、そのテンの愛に振り回されてきたあたしだもの。

迷惑していたくせに、戻したいなんて、矛盾しているかもだけどね。

そんなテンに、あたしは(思い出すのも嫌な記憶ばかりですが)Bエリアで出会った時のことから、コロッシアムのことなど話して聞かせた。
でもそれにテンはろくに耳を傾けず、どうでもいいような態度。
ああ、もう、くそっ
キョウが言ってたように、マジでもう一度海に突き落としたほうがいいのか?
あたしにテンを突き落とすなんてムリそうですけど。
逆にあたしが突き落とされそうなー・・・・・・へっぽこマスター。



「確実に直撃するみたいです。今日は閉店してしっかり備えておくです」
天気予報をチェックした後、エメラは看板を店内に閉まったり、窓に外から木板を取り付けたりして、その来るべき災害に備えていた。
夏の終わりにやってくるそれは、大型台風。
昼間だというのに、空は夜のように暗く、不気味にうごめく雲が空を覆っている。
雨も今にも落ちてきそうな空気。
生ぬるく湿気を帯びた風、港通りならではの、その風に煽られて海水も飛んできている。
あたしもエメラを手伝いながら、いろいろ手間取っているうちに、雨が降ってきて、びしょびしょになった。

「はー、あとは嵐が通り過ぎるのを待つだけです。それまではハバネロ、お外でちゃダメですよ」

「きゅるるぅ」

台風。
段々と雨風も強まり、通りを歩く影もなくなった。
最接近は今夜らしく、明日には通り過ぎるだろうとの予報。
雨と潮が風で激しく打ちつけて、入り口の戸から見える外は灰色に汚れていた。
その日は仕事も特になく、エメラもハバネロも早くから床についていた。

二階から見える外は、もう真っ暗で、横殴りの風と雨の音だけがゴウゴウバケモノのように唸りまくっていた。
その灰色の世界はとても不安で恐ろしいけれど、だけど、なにか、心の中で踊る何かをあたしは感じていた。

この力を借りれば非力なへっぽこなてめーでもよぅ

?!
なにか声が聞こえた気がした。
それは空耳だったのか知らないけれど、なにかに突き動かされるように、あたしの体は進んでいた。
テンの部屋の隅に立てかけられていたそれを迷わず手に取り、一階へと降りる。

一階の店内にはテンがいた。
あたしを見るなり、一瞬驚いた顔をして、すぐにギッと表情を強めた。
「貴様、なにをしている?」
不信感高まるその表情のテンに、どこからかのその声があたしのテンションを高める。

やっちまえ!こいつを海の中へぶちこんじまえ、あの荒波へ

「海の中に大切なものを忘れてきたのなら、もう一度探しに戻ればいいのよ!」

「なんだと?おい」

あたしはそのテンの刀を人質にテンを煽る。
そして、そのまま外へと飛び出した。

「!ぬっ・・・はーー」
ドンとものすごい勢いで扉は開いて、飛び出した瞬間激しい横風が方向を狂わすようにあたしの体をぶらした。
雨にぬれた地面は滑りやすく、歩くのも一苦労だ。
横殴りの雨は耳の中にまで入ってくる。
想像以上にすさまじかった。

な、なにしてんの?あたしは。
ふと冷静にそう感じた瞬間、またあの声があたしの心をドンと押すように

とっとと行きやがれ!

るさい、わかってる。あたしだって、・・・確かめてみたい。
テンにとって、一番大切なものが、どこにあるのか。

そして

こんなにビケさんのことが好きなのに、なのに不安にかられて想いを絶対だと思えてない気がするあたしの心の弱さを
テンがおばあちゃんへの愛が絶対だと
それに勝るものもそれ以外なにもいらないと
愛のテロリストの力を証明してくれたら、あたしも
なにがあってもこの想いを信じよう、信じられる気がする。

もしかして、それは・・・
テンはあたしの目標なのか?
そう言ってしまえば、あたしはあたしの考えを、Aエリア的考えを否定しなきゃいけなくなる。

「おい待て、お前なにを考えている?なにがしたい?」
強い風の中、その声はいつもみたいに大きく響かないけど、あたしのあとから出てきたテンが叫ぶ。

ヨットが激しく上下左右するそこで、あたしはゆっくりと海へと近づく。
テンの声が届くギリギリの距離で。

「テンは店が一番大切なんだよね?記憶はいらないんだよね?

ならこれ、捨てちゃえばいいよね?」

手に持っているテンのその刀を、海に投げ捨てる素振りでテンのほうを見ながら
あたしは、ううん正しくはあたしじゃないその声の主が確信している
テンはこれを、記憶を失った今でも大切にしている。

テンにとって、おばあちゃんの次に大切な記憶のものだから。

激しく吹きつける風に、大雨のように降り注ぐ潮水に全身びしょぬれになる。
あたしを見据えたまま、テンは眉寄せ

「お前はバカか?」
それは呆れた声だ。

「ほら、落ちるよ。ほんとに落としちゃうよ、いいの?」
嵐の中、上手く立てず、腰を低めてへっぴり腰状態のあたしは、すり足で足場ギリギリのとこにいく。

テンの様子を見ながら、テンの気持ちが少しでも変わらないかと、その瞬間を待ち構えるように

「!?」
瞬間ゴウ!と特に強い風が襲った。
そして横から風と共に飲み込む勢いの大きな波が、暗闇の中の白い激しいものがあたしの上に
気づいた時はもう遅かった。

「うやぁーー」
あたしの悲鳴と波の打ち付ける音と同時に、あたしの耳に聞こえたのは
あたしのほうへと走ってくるテンが

「タカネーーー」
と叫んでいた声だった。
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