馬 駆ける
第九話 【惑う恋心?、悪魔の微笑み】
だ…だめだ、眠れない…どうしてくれよう。
時計を見るとすでに深夜三時…、三時って深夜なのか早朝なのかまあ微妙な時間帯っていうの?
いや、そんなくだらないこと考えてもなかなか眠りにつけなくて、やばいどうしよう。
あたしあれからずっと、マケンドーのこと考えてる。アマツカ君のこと考えまいとは誓ったけど、だからってなんでマケンドーなの?っていう。だから…
「うがーーーーっ」
両手で目の上覆ってさらに暗闇にしてみるけど、それでもギンギンにさえて眠れないよ。考えたく無いからいっそ寝たいのに。それもこれも、マケンドーがあんなことしてくるから。あんなこと、あんなことって……。
「うわわーー」
「がーーっ朝っぱらから発狂するな、気持ち悪いんじゃぼけぇーーー!!」
「あだっっ」
ばしっとまるまった新聞紙でヒヨコさんにぶたれた。そう、もう朝の六時半…。一睡もできないまま朝がきてしまった。
「あんたほんと寝起きの顔ひっっどいわね、ざまぁ」
なにがざまぁなのかはよくわかんないけど。そんなに酷い顔かな、眠れなかったし疲れてそうな顔してそうだけど。
顔洗って下に降りたら、カツさんに会った。
「カケリ様おはようございます」
「カツさん、おはよう」
「昨日はお疲れ様でした。…相手はチャンピオンでしたし、どうかあまりお気になさらないで下さい」
昨日のレース、…テンカワさん、強かったなぁ。チャンピオンだし当然だろうけど。
「ああうん、別に気にしては」
「マケンドー様も心配されてました」
「ぶふーーっ」
「?! カケリ様?」
カツさんの一言で昨日のあのこと思い出して、ふいちゃったじゃないか。あきらかに変だってカツさんに思われてる。
「ああえっと、な、なんでもないです。あの…カツさんちょっと変なこと聞きますけど、…マケンドーの奴実はたらしだったりするんですか?」
「え?」
「やっなんでもないです。とっごはん食べに行ってきます」
朝食の席でマケンドーに会うの憂鬱だな、だけどおなかはしっかりとごはん要求してくるし、健康体もどうかと思う。食堂に入るとマケンドーは今日早く出るのか知らないけどすでに食べ終える直前だった。あまり一緒に空間にいられないですむとわかって、あたしはほっとしている。なんか顔見づらいし。
「…おはよう」
「ああ、おはよう、…今日は早いな」
「あたしだってたまには早起きくらいするよ」
誰のせいで寝られなかったと思っているんだこんちきしょー。
「いっただきまーす」
朝ごはんおいしいな。うちにいた時はほとんど朝はインスタントとか前日スーパーの閉店間際に買った半額パンとかばっかで、こんなちゃんとした朝ごはんなんてなかったもんなー。おいしい。専属料理人がいるとかパないわ、カクバヤシ別邸。
あたしが半分も食べないうちに、マケンドーが席を立つ。
「カケリ」
「むぐっ」
「今日もトレーニングにしっかりと励めよ。手を抜いたら承知せんからな」
「わ、わかってるってば。いってらっしゃい!」
びっくりした。危うく喉にアスパラガスがひっかかるところだったよ。そのままマケンドーは出て行った。今日も区長の仕事があるんだろう。カツさんと一緒に出て行く後姿が見えた。
…なんだ、マケンドーいつもと一緒じゃん。あたしが意識しすぎていただけかな。
第一、マケンドーがあたしを好きなんてまだハッキリしてないし、そもそもショーリン君の勘違いって可能性も高いし。好かれるようなことなんてしてないし。
昨日のアレだって、実はたいした意味なんてない行為かもしれない。ホラあれだ。選手の試合後にコーチがよくやったっていう労いのハグ…みたいなさ。うん、そんな気がしてきた。…でもマケンドーってそういうことする奴だっけ? う、あああー、なんかまた混乱してきた。
昨夜ずっとそのことでうなされて、今日も引き続きとか馬鹿馬鹿しい。
「カケリ様、元気にふるまっておられましたが、疲れている様子でした。おそらく精神的にも」
議会へと向かう車内で、運転をするカツは後部座席のマケンドーにそう伝える。
「そうか、やはりな。原因は…アイツか、アマツカ…」
流れる横の景色を眺めながら、マケンドーがつぶやく。
「なかなかに厄介な相手かもしれん。カツ、アマツカが何者か調べておいてくれ。アイツと…オオガワラの繋がりも含めてな」
中央東区オオガワラ・ギゾウ邸、テンカワは併設のトレーニングルームでトレーニングを受けていた。別室のモニタールームにアマツカはいた。同室する白衣の中年の男から受け取った書類に目をとおす。ぱらりと書類をめくるアマツカの表情は厳しい。
「やっぱり、記録も落ちている…。これ以上、あの足で走らせるのは、ムチャだ」
アマツカのそれに「ああ」と白衣の男も頷く。
「思っていた以上に早くきたな。たしかにもう限界だ、あのこの体はな。私としてもドクターストップをかけたいところだが、区長がね…」
やれやれと男が肩をすくめながら息を吐く。
「ボクから頼んでみます。テンカワをあの足から解放してもらえるように」
「君も愚かだねぇ。聞いてもらえると思うかね? 死人の頼みなど」
男の言葉にアマツカは顔色を変えることなく、答える。
「近いうちにドクターのお世話になると思います。その時は、…よろしくお願いします」
白衣の男は一瞬呆けた顔で顎に寄せた手を止めた。数秒して、アマツカの発言の意味を理解し、「そうか、なるほど」と頷いた。
「区長はこのことは?」
「あの人はご存知です」
テンカワは知らないけど…、心でつぶやくアマツカの秘密。
「そうか、どおりで。最近テンカワ・ワタルに執着しなくなったわけだ。そういうことだったのか」
にやりと白衣の男が意味ありげに笑った。
「テンカワ」
トレーニングルームのテンカワへと、アマツカが声をかける。トレーニングは終了し、室内にはテンカワしかいなかった。汗を拭うテンカワの表情は涼しく、いつもどおりクールな立ち姿だ。でもそれが彼女のすべてじゃない事を、誰よりアマツカは知っている。
無理をしている、彼女は自分を想うがゆえに。
「調子は、どう?」
にこりと優しい笑顔で、アマツカはテンカワへと近づく。置いてある椅子へと座るように勧める。テンカワは椅子へと腰掛ける。対面するアマツカは膝をついて、彼女の鋼鉄の足へと目を落とす。
「大丈夫、問題ないわ」
抑揚のないしゃべり方だが、アマツカに心配させまいと気づかう感情がこもっていた。
「テンカワ、ムリしないで。…ボクの前ではウソをつかないで」
「ウソなんて…、ついてない」
「筋肉がこんなに緊張している。ずっと無理をして走り続けて、記録だってこの先も、落ちていく。もう限界なんだ、テンカワ。この鋼鉄の足は、装着者を傷つける」
「知ってる、でも、全然平気」
「テンカワ、もういいんだ。ボクが君を、この足から解放する」
「え?…待って、そんな私は」
「テンカワには内緒にしていたけど、…ボクにも症状がでたんだ。間違いないってあの人も言ってた」
テンカワの表情が凍りつく。アマツカの言葉の意味を理解したからだ。
「そんな…どうして…」
「だからもう、テンカワにこの足は必要ない。それにもう限界だし、テンカワはムリだって、伝えておくから」
笑顔で、アマツカはまたあの人のところに向かう。それもテンカワが恐れていた選択をするために。
「待って! いかないで! ツバサ兄さん」
去りゆくアマツカの袖口をテンカワが掴む。嘆きの混じる声色で、引き止める。懐かしい呼び名で。だけど、彼の気持ちは止められない。自分では…
「ワガママ言うなんて、珍しいな。…じゃあね、ワタル」
優しい微笑で、掴んでいた手を振り解かれる。遠ざかる背中を、引き止めることができなかった。
その日の夜、モニタールームに白衣の男と、ギゾウがいた。
「でどうかね、あの足の性能はもっと高められるのかね?」
「現時点の足の性能に装着者のテンカワの体が追いついていません。さらに性能を上げる事は可能ですが、これ以上はあのこの負担になりましょう。このままではカモシカの二の舞になるのでは?」
「今すぐには、困るな。まだ準備もできとらんし。ああ、そうだドクター、手術の準備を頼んでおきたい」
「手術…、ああ、彼の…ですか?」
「ああそうだ。思いのほかテンカワが、持ちそうにないのでな。早いうちにすませておきたい」
にやり、とギゾウが不気味に笑う。
「アレが自分からぜひにと言ってきた。くくく、自己犠牲が趣味のような奴だからな。テンカワにしてもか? あの二人、互いを想うがゆえにがんじがらめになっとる。だからこそ、ワシから離れられんのだよ」
「はぁ…」
今日のレースを終えて、あたしは控え室へと向かう。疲れた。今日はなんとか勝てたものの、なんかこうすっきりしない。やっぱり気になっているから。考えまいと言い聞かせても、どうしても…想わないなんてことはできない、アマツカ君のこと。
会場で、もしばったりと会ってしまったらどうしようとか心配して、でもし会ったら会ったで、こないだみたいに無視されたらまたショックだし。だからと言って話しかけられたら、なんて答えたらいいんだろとか不安になったり。
テンカワさんも今日レースみたいだったけど、見てない。…見たくないというか。テンカワさんの傍にきっとアマツカ君がいるような気がして。…あの二人どういう関係なんだろう。特別な感じにも見えたけど。もしかして、恋人…とかそれに近い関係、とか。…テンカワさんが相手とか勝てる気がしない。一般的に見てもあっちのほうがずっとかわいいし、馬としても敵わないし。あ、そんな気がしてきた。テンカワさんのことなら好きでもおかしくない、むしろあたしのこと好きとか言うほうがおかしい。そうだよね、冷静に考えてみれば、アマツカ君レベルの美少年がどうしてあたしに惚れるんだよ? 少女漫画じゃあるまいし、そんな都合のいい展開、それこそ宝くじ一等に当選するようなもんだ。
『アイツは中央東の犬』
そんなことないと信じたいのに、それならすべて納得いってしまうなんて、気づきたくないのに、あああもうー、どうすれば…。
「カケリさん」
「あっ、えっ」
声をかけてきたのは、馬仲間のウミコさん。
「あ、ウミコさん、こんにちは」
「ええこんにちは、…勝ったのになんだか暗い顔してるのね。なにかあったの?」
うえっ、そんなに暗い顔していたのか? あたし、情けない。
「ああその、別にたいしたことじゃないんですけど、まあちょっと、悩んでいるというか」
「そう、気持ちは体に直結しているから、あまり思い悩まないほうがいいわよ。…私でよければいつでも話聞いてあげるから、遠慮なく言ってちょうだいね」
ううう、ウミコさん優しいな。
「実は…好きな人がなに考えているのか、わかんないんです。…失恋したようなものかな」
そういえば、ほんとあたしはアマツカ君のこと知らなさすぎる。
「そっか、カケリさん恋しているのね。私はそういうのとんと縁が無いから、ちゃんとしたアドバイスとかしてあげられそうにないけど」
「いえいえ、あたしも今までまともに恋愛とかしたことないし、初心者ですよ! しかも一方的に片想いだし、妄想して浮かれてるようなレベルなんですよ」
「へぇ…、カケリさん見た感じ元気な感じなのに、恋には臆病になっちゃうのね」
「まあ自信なんてないですから。元々馬としても自信なんてなくて、成り行きのまま走ってるようなもんです」
「そうなんだ、あまりそんな風には感じなかったわ。あの区長さんと一緒だったからかしら?」
まあマケンドーのせいであたしは馬になったわけだし。
「馬として走っていくためには、区長との信頼関係は大事だと思うわ。信じていなければ、自分の走りができないものね。私は私で、リンドウを信頼しているわ。彼のしたことや考えを許せないと思うことも多々あるけれど、私を認めてくれて、私にチャンスを与えてくれた人でもある。すべてを受け入れられるほど私は強くはないけれど、信じる気持ちだけは持ち続けていたい」
ウミコさん…。
「あなたのとこの区長、いい区長ね。私もお世話になったし、ちゃんとお礼が言いたいと思っていたの、あとで会わせてくれないかしら?」
「? あ、もしかして、あの雑誌のこと?」
ウミコさんのことを記事にして中傷していた、ゴシップ雑誌。マケンドーがかけあって、後日謝罪文が載せられたんだっけ。
マケンドー、普段は嫌な奴だけど、ウミコさんのこと助けてくれたんだよね。
「ええ、なかなか伝える機会がなかったのだけど、あまり後になってしまうのもよくないし」
レースを終えた後、トイレに篭り、一人ずっと思い悩んでいたテンカワ。
「(どうすればいいの? このままじゃ…アマツカが…)」
辛うじて今日のレースは勝てたが、体の疲労は彼女が自覚していた以上にあった。頭の中はアマツカのことでいっぱいで、自分のことを考える余裕なんてなかった。どこを見ているかわからない目で、トイレを出てひやりとする通路を歩いていた。ふいに視界がぶれて、体が傾く。
「危ないっ、大丈夫ですか?」
転倒を免れたのは、通りすがりの青年に支えられたおかげだ。一瞬気を失いかけていた。
「あ、…平気、少し足がもつれただけ」
自分の足でない鋼鉄の足で、立ち上がる。
「お大事になさってください」
「(…この人は、たしか)」
青年の顔に、テンカワは覚えがあった。知り合いではないが、この会場で何度か遠目に見たことがある。若草区長の秘書の男だ。
「待って!」
とっさに、男の袖口を掴んで引き止める。
「お願いがあるの。あなたの区長に、頼みたい事が」
「え?」
あたしはウミコさんと一緒にマケンドーのもとへ向かった。駐車場へ続く地下通路で立ち話だ。
幸いにも、アマツカ君らしき姿は見当たらなかった。カツさんは、一緒にいなかった。
「区長お久しぶりです、緑丘のササオです。某特社の件ありがとうございました」
「いや、礼を言われるような事はしていない」
あれ? マケンドー「そうだもっと俺に感謝しろ」みたいな態度とるかと思ったら、全然そんなことなくて、むしろなんか困ったように見える顔でそう答えた。
「そんなことありません。一度出てしまった記事はなかったことにはできないけれど、でも謝罪文が出たことでだいぶ気持ちも救われたんです。本当に感謝しています」
「いい、よしてくれ。もうその件は忘れたほうがいい。互いにな」
「へ?」
「いくぞカケリ」と言ってマケンドーはウミコさんに背を向けて歩き出す。ウミコさんきょとんとしているし、「じゃあまた」とあたしはウミコさんに手を振って、マケンドーを追いかけた。
マケンドー、ウミコさんにお礼言われて照れているのかと思えば、そんな感じでもなくて。
「ちょっと、ウミコさんのお礼素直に受けたらいいんじゃない?」
「礼を言われるのは筋違いだ」
「どういうこと?」
「某特社を動かしたのは、俺の力じゃない。カクバヤシの名前の権力(ちから)だ。俺はカクバヤシの名でもって連中を動かした。だから、礼を言われる筋合いはない」
そういうマケンドーの顔は悔しそうな、切なそうな表情で、こんな顔したマケンドーは始めて見る。
「でも、それもマケンドーが行動したからでしょ? だから、それはやっぱりマケンドーの力だよ、あたしも、きっとウミコさんだってそう思ってる」
結果動かしたのがカクバヤシ家の力でも、行動したのはマケンドーだから。
「その…あたしからも、ありがとう。ウミコさんは恩人だし、力になってあげたかったんだ」
「だから、礼を言われるのは筋違いだと言っただろう」
「ちょっ、さっきの話聞いてた?というか伝わってなかった?」
いい事、というか恥ずかしいこと言った気がするけど、スルーされると余計にこっちが恥ずかしくなるよ。
なにこのツン男、というかひねくれ者!
「いや、伝わっている。…不思議なものだな、俺を勇気づけるのはいつもお前なんだな」
ふっと瞬間マケンドーが穏やかに微笑んだものだから、びっくりして「うぇっ」て変な声出しちゃった。なに今のセリフすごく意味深のような?
「な、なにそれ? どういうこと?」
「なんでもない、行くぞ」
いつもの調子に戻って、歩き出すマケンドー。だから、スルーするなっつーの。
「ちょっと、行くぞって、だいたい車のキー持ってるのカツさんでしょ!」
「へ〜、いろいろとおもしろくなってきそう。そろそろ見てるだけもあきてきたなー。どうしよっかー」
カケリとマケンドーを離れた位置で眺めながら、にやりと笑う怪しい影があった。人知れず影の中にその姿を消す。
「…私、頼ってしまった…」
若草区長の秘書の男に、テンカワは救いを求めてしまった。若草はギゾウがもっとも敵視している相手だ。敵だ。それなのに、いや、…だからこそかもしれない。
孤独なテンカワには他に味方がいなかった。かつてはいた、テンカワの家に入って、血が繋がらなくとも実子のように愛してくれたテンカワ夫妻、そして施設からの付き合いもあり兄妹になった兄のツバサ。三人を不幸な事故で失ってから天涯孤独となり、ギゾウの元に引き取られた。その後、死んだと思っていたツバサが目の前に現れ、かつての名を捨て「アマツカ」として蘇った。だから、テンカワの唯一の味方はアマツカだけだった。が、そのアマツカがあの選択をしてしまえば、自分の力だけでは止められない、彼を救えない。
ずっと一人で思い悩んで、テンカワがすがったのは、敵である若草のマケンドーだった。彼が助けてくれる保証なんてどこにもない。それでも……。
座り込んで、膝を抱え、冷たい足を見下ろす。
この足でアマツカを守ると誓ったのに、無力な自分が虚しく悔しい。テンカワの頬を静かに雫が伝い、落ちていった。
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