桃の扉
「それじゃ、…桃の扉を」
ホツカは桃の扉を選ぶ。なぜなら、該当者のリンネ本人曰く「常識人の乙女」らしいので。
「シラセナンキョクは非常識な存在なので、それに対抗できるのはやはり常識しかありません」
『ホツカよ、それはちょっとどうかと思うぞ…』
たしかにシラセナンキョクは存在も行動も力も非常識だ。だからといって常識が対抗力になるとは思えないが。ホツカの決断に師匠は不安を覚える。
「はいまさしくそのとおりですよ! そしてあたしこそが常識の塊の象徴みたいなものですから!」
ビシッとリンネが宣言する。しかし常識人を自称するのはちょっと非常識な気がするが。
「あんなピンク色の頭で常識とかなー」「ですよねー」などと空海とカケリがぼそぼそ言い合う。
まあ見た目はともかく、大事なのは中身と言うことだ。
「ともかく、扉の向こうに行きましょうわっ」
背後から首をつかまれてホツカは思わずうめく。ホツカを掴んだのはアメジで
「ちょっと待った。少年、リンネなんかについて行ったらやっかいなことに巻き込まれるぞ」
「すでに今の時点でやっかいに巻き込まれてますけど…」
「ちょっとアメジさんなにしてんですかー。自分がふられたからって、未練がましいにもほどがありますよ。ホツカ君を放してください。ホツカ君が選んだのはこのあたしなんですからねー」
「おいおいなに勘違いしてんだよ。あたしは少年のためを思って止めてやってんのにさ」
「むっきーーー、いーかげんにしてください」
「あの、ちょっ…くるしい」
ホツカを潰す勢いで肉体で挟みながら火花を散らすリンネとアメジ。この現状を見て師匠は『ホツカ、お前の選択ミスではないか?』と思う。だがホツカの決意は変わらない。
「とにかく、桃の扉に行かせてください!」
スタート前からぜいはあと、無駄に労力を使ってしまったようだ。ホツカの声にアメジもわかったようで解放してくれた。
「さあ行きましょう」
ホツカとリンネと師匠は桃の扉を開く。吸い込まれるように光の中へと向かっていく。
カランカランと乾いたベルの音が聞こえて、さらに女の子の「いらっしゃいませですー」と声が聞こえた。
「ここは…」
きょとんとホツカが顔を上げ見渡す。どうやら屋内で、木造立ての小さなカフェのようだ。目の前にはホツカたちを出迎える愛らしいウエイトレスの少女がいる。
「カフェテンだ。ああっ、あたし元の世界に、Bエリアに帰って来たんだー」
いやっほーいとリンネが歓喜して跳ねる。どうやらここはリンネの住む世界、らしいが…。
「ここはリンネさんの世界なんですか?」
「ええそうですよ。あ、この店あたしの知り合いがやってて、すっごくおいしいんだから。あー、お腹すいたしなにか食べていきましょう♪」
うきうきるんるんと嬉しそうに跳ねながら、窓際の席へと向かうリンネのあとをホツカと師匠もついていくが、どうも腑に落ちない。
『どうも、怪しいな』
「ですね。シラセナンキョクは扉の先はダンジョンと言ってました。簡単にリンネさんを元の世界に帰すとは思えません」
こそり、と背後に立つウエイトレスに聞こえない声量で師匠と話すホツカ。ここがダンジョンの中なら、あのウエイトレスもシラセナンキョクの手下なり罠なりの可能性が高い。気をぬくわけにはいかないだろう。
リンネが座る席に向かい合うようにしてホツカも腰掛ける。警戒するホツカに反して、リンネはうきうきるんるんと心弾ませ、ずいぶんとゆるゆると油断しまくっている。
「あの、リンネさん。あまり気を抜かないほうがいいですよ。ここはリンネさんの世界じゃ「ビーフシチュー大盛りくださーい。いやー、テンの料理すっっごくおいしいから。ホツカ君も食べたほうがいいですよ。ビーフシチューサイコーです♪」
「…あの…」
あまりのリンネの浮かれっぷりにホツカも脱力する。師匠もやれやれとあきれて白い肩を落とす。
「ビーフシチュー大盛りですね? かしこまりましたー」
にこにこと終始笑顔のウエイトレスが明るい声で注文を受けて、厨房へと向かっていった。
「ビーフシチューサイコーです♪ビーフシチューサイコーです♪」
『なんか歌い出したぞ。…もうこの娘ほおっておいたほうがいいんじゃないか?』
げんなりする師匠に激しく同意しそうになったが、いやいやとホツカは首を振る。
「たしかにリンネさんがアレでも、見捨てるわけにはいきません。シラセナンキョクに対抗できるのは、リンネさんの常識力しかないと…」
と必死に己に言い聞かせるホツカだった。が今にして思えば、アメジのほうがマトモだったのかもしれない。
リンネがビーフシチューを注文してから数分後、特に異常もなくおいしそうなビーフシチューのにおいが漂ってきた。リンネでなくてもヨダレが垂れまくりそうな、この世のものとは思えないデリシャスな極上な最高なパーフェクトなビーフシチューのにおいだ。大げさではなく、ホツカも食べたいと感じてしまったほどだ。魔法使いになった今、欲望などとは縁遠い体になったと思っていたが、そんなことはなかったようだ。すでにリンネは我慢の限界値を超え、滝のようなヨダレが垂れている。それには師匠の肩が撫で肩通り越して骨折する勢いで下がっていくばかりだ。
おいしいにおいはリンネたちの前に運ばれてくる。大皿と言うよりも鍋に近いビッグサイズ。それを片手で持ち運んできたのは先ほどのウエイトレスではなく、眉間にしわ寄せた仏頂面の無骨そうな長身の男だった。エプロン姿なのでここの店員なのだろう。
「待ってましたよ! テンのビーフシチュー!」
いやっほーいと叫ぶリンネだが、ホツカは異常を察知する。この男から発せられているのはおいしいにおいではなく、とてつもない殺気。
「リンネさん、気をつけて、この人は」「あ、この人がこのお店の店主のテンで、あたしの知り合いの」とのん気にリンネはこの男が自分の知り合いのテンという者だと紹介するが、そのテンは鍋のような大盛りビーフシチューをリンネたちのテーブルへと叩きつけながらこう言った。
「フン、死ね!」
叩きつけられたビーフシチューは爆音を上げて爆発した。リンネたちに灼熱のビーフシチュー弾が降り注いだ。
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