天童子(そらみこ)がくる。
今日は朝早くからみんなそわそわしている。天童子は星のお告げをする神の使い。草原の民にとっては大切な神聖な存在だ。
天童子を迎える準備をアオも手伝いながら、昨夜のことを思い出しては時々うわの空になる。
「なにをぽーっとしてるんだよ? アオ。さてはイアのことで頭がいっぱいになってたのかい?」
「うおっと、ななんだよ、別にぽーっとなんてしてたわけじゃ」
チレグに肘で小突かれて、アオは慌てて否定する。
「オレが考えていたのは…」
昨夜の夢の美しい女性のことを思い出して、ぶわっと顔面から汗が噴出し、アオは違うなんでもないと首を振る。
「え、違うの? あー、結局あの子誘えなかったのかしら…」
はー、とため息吐いてうーんと呻るチレグに、意味がわからずアオは首を傾げるが、アオが考えていたことがばれたわけではなかったことに、安堵する。
「それはともかく、今日実行するんだね? ソウ様の女嫌い克服作戦」
にやり、とチレグが訊ねてくる。ソウのためというのはアオからしたら意図違いになるが。女にびびるソウの情けない顔を至近距離から拝めるのは楽しそうだ。
「ああ、そのつもりだ」とアオもにやりと意地悪げに笑って返した。
日が落ち始めるころ、装飾品をまとった馬にまたがった一行がナイムのもとへやってきた。天童子の一行だ。数名の供の者と降り立ったのは幼い少女が一人。
「お待ちしていた、天童子よ。私がナイムの長ダヴァフだ」
ダヴァフとソウが天童子に挨拶し、迎え入れる。両脇に従者であるナリブラナ族の大人を連れ、彼らの腰ほどの背丈の小柄な幼子の天童子。恭しく迎え入れるダヴァフたちに対して、幼い少女の姿の天童子は、無表情のまま静々とダヴァフのあとを行く。
「あれが、天童子…」
遠目に見ていたアオは、小さいながらも堂々と大人たちを従え歩いていく天童子を不思議な思いで見つめていた。みなは天童子を子供ではない、特別な存在であるという。だがアオからすれば、やはり幼い女の子にしか見えなかった。「(お菓子とかあげてもてなしたい)」と思うが、みんなにもやめた方がいいと反対されてしまった。
お告げのことも気になるが、アオが聞ける立場ではない。
「!あ」
思わず声を上げてしまった。一瞬天童子がアオのほうを見たからだ。ほんの一瞬で、なんでもないのかもしれない。だけどもしかしたら、アオの心の声が届いてしまったのでは?とか、アオを気にかけてくれたのでは?とか、考えているアオの背後にダンの「おいアオ行くぞ。宴の準備にな」との呼びかけを受けて、「ああ」と返事して彼のほうへ向かう。再び気になって振り返ったが、天童子はもうダヴァフたちと一緒に長のゲルのほうへと移動して見えなくなっていた。
「なんだか上の空って感じだな。アオ、誰のこと考えてんだよ?」
と今度はダンに茶化されるアオ。そこまで上の空していた自覚はないが、アオはためらいながらも答える。
「誰のことって、ちょっと…笑うなよ」
そう釘を刺しつつアオは素直にダンに話した。夢で見た謎の美しい女性のことを。笑うなよといったのに、ダンは「ぷっ」と噴出してしまったから、アオが赤い顔して「笑うなって言っただろ」と反応する。
「わりぃわりぃ、けどまさか夢の中の女に恋するなんて、アオも乙女だねー」
「別に妄想の中に逃げてるってわけじゃないけど。なんか気になるんだよな。たぶん、子供のころにその人に出会ってる気がして…、考えていたらすげーその人のことばかり頭に浮かんで」
ハッキリと顔がわかるわけじゃない。なんとなく雰囲気で、だけどもとても美しい人なのだと感じている。星のお告げがあるのなら、夢のお告げを信じてもいい。アオの話を聞きながら、ダンは馬鹿にするでもなく、うんうんと丁寧な態度で聞いてくれた。
「もしかしたら本当にその人に会っているのかもな。ドゥルブの民じゃなくて旅人の女性だったってことなんだろ?」
「うんそれだけはハッキリしてる。他部族の人で、なにか理由があって渡り歩いている感じで。オレに父さんの力になれって言ってくれてた。年上で優しくて…」
「おーいアオ現実に戻ってこい」
耳元でダンに言われて、ぽーっとなりかけていたアオがびっくりして我に返る。
「たぶんだけどな、該当する人物に心当たりがある」
まさかのダンの返答にアオは目を丸くし「えっ」と声を上げてダンを見上げた。アオの夢の中の謎女性に、心当たりがあるという。それは…
「イサマ殿、かもしれない」
「イサマ…? 名前までは、ちょっと覚えてないけど…。いったいその人はどんな人なんだ?」
「おいおい食いついてくるな。俺も詳しく知るわけじゃないが、以前ナイムにも訪れたことがあるから、長やソウ坊ちゃまも面識があるよ。それに天童子ならわかるんじゃないか?なんせ彼女は天童子のお告げで、星に選ばれた者だと言われているからな。一人旅を続けながら他部族のもとを訪れ使命を果たしているらしい」
「使命って?」
「さあ、そこまでは知らないよ」とダン。いろいろと聞きたいことがあったが、ダンも詳しくは知らないという。夢の女性がそのイサマなのだとしたら…。実際に会ってみないことには確認できないだろうが。
長との面会をすませ、天童子は宴の席にいた。ナイムの長ダヴァフとソウ、二人と並び来賓の天童子とお供のナリブラナの民。ご馳走が振舞われ、楽器がもてなしの曲を奏でる。広くどこまでも続く草原に、そこだけはひときわ明るく光が浮かぶ。草原の中、逞しく生きている草原の民の活動の光。だけどもきっと星の光には敵わないだろう。
ナイムの民たちはみな宴を楽しんでいる。アオはやはり幼い少女である天童子のことが気になっていた。無表情のまま、決まった姿勢のように両手で銀色の盤を胸元のところで抱えたまま。出された食事に手をつけることなく、無言のままずっと座っている。天童子としてはそれはごく普通のことだが、その年頃の子供としてみれば不自然に見える。祭りの中、笑わないでじっとしている子供がいたら、かまいにいきたくなる。
うずうずと我慢しきれず、アオは「オレやっぱりあの子にお菓子あげてくる」と行って駆け出した。「え、おいちょっ待てよアオ」と引き止めるダンの声がしたが、すでにアオは夜空の下消えていた。
「あ、星が…」
ずっと無言でいた天童子が声を漏らした。それに隣に座するナリブラナの付きの者が「天童子よ、星のお告げか?」と訊ねる。隣に座るダヴァフとソウもピクリと反応して彼らのほうをうかがう。
星見票である銀色の盤を覗き込みながら、「はい、星のお告げです」と天童子は答える。すうっと顔を上げる天童子。彼女の視線の先、こちらへと向かってくる一人の少年。長い三つ編みを左右に揺らしながら、こちらへと駆けてくるのは…「アオ!」とソウが目を見開く。しかしアオはソウには目もくれず、天童子の元へと走りより、「これ、よかったら食べてよ。オレが作ったお菓子なんだ」と布で包んだ菓子を差し出す。アオの行動にも天童子は無表情のままだった。「天童子はそういったものは口にしない」と付きの者に拒否されたが、「なんだよ、ナイムの子供は喜んで食ってくれたぞ。天童子だって子供だろ」とアオはあきらめず勧めた。迷惑そうな顔をする付きの者に天童子は「彼です」と伝える。「お告げの…?」ハッと息を飲み込む付きの者たちに反して、アオはなんのことかわからずきょとん顔で首を傾げる。そこにダンが慌てた様子で走ってきて、長たちに「すみません、すぐにアオ連れていきますんで」と言ってアオを引っ張っていった。
「アオは世話好きで優しいところがあるから…」
いつも気にかけてアオのことを見ていたソウはアオをフォローするためだか、単に自分の感想をつぶやいてしまっただけなのか、遠ざかるアオを見つめながらそうもらした。
息子の横顔をチラ見して、ダヴァフは天童子にお告げのことを訊ねる。
「天童子よ。お告げとはアオのことになるのだな? 先ほどのお告げと関係するものなのか?」
父の問いかけにソウの顔色も青くなり、父の横から天童子の言動をしっかり聞こうと耳を澄ます。先ほどのお告げ…それは長のゲルの中で天童子から告げられたナイムに深く関わる出来事だった。アオは関係ない、そうであってほしいとソウは祈る気持ちでいた。
天童子は首を横に振った。ナイムの事象に深く関わるのはアオではないということだが。
「彼はとても弱い小さな小さな星。…だけど、彼はあの星を支えるとても大切な存在になる」
「あの星?」とソウが聞き返すが、天童子は空を見上げ星を見つめる。天童子には見えているのだろうか、アオの未来が。アオが大切な存在になるというその者のことが。
ダンに引っ張られていったアオは、イアから借りた衣装を身にまとい、女装して準備をしていた。三つ編みを一つにまとめ、髪飾りで固定する。イアに手伝ってもらいながら、アオはどこから見ても立派な娘に変化していた。
「うん、バッチリよアオ」
と褒められても、やはり微妙な心境だが、夜であれば日中よりも誤魔化しがききやすい。ソウはダンが呼び出してくれる手はずになっている。すでに星祝いが始まり、賑やかな楽器の音、その音に乗せて歌う声が聞こえてくる。天童子はすでに来賓のゲルの中休んでいるから、星祝いはナイムの民たちの宴になっている。
「ねえ、アオは星祝い、誰と過ごすの?」
ぽつり、とイアがアオに訊ねてきた。
「え、…いやオレは別に。そんな気にかけてくれなくていいからさ、イアは自分のこと考えてろよ」
な、と微笑んでアオはイアの頭をくしゃっと撫でた。「え、私は…」なにか言いたげなイアには気づかず、アオは「じゃあ行ってくる」と言ってゲルを出た。
一人夜の草原の中、佇むソウは複雑な顔のまま、ダンに言われたとおり相手を待っていた。いつもどおり断りの返事をするだけだ。それだけのことが酷く重荷に感じる。ただでさえ女性と二人きりで話すことにも抵抗があるくらいだ。
「おまたせ」
できるだけ高い声でアオは声を出した。口元に手を寄せて、できるだけ女性らしいしぐさを意識して。ソウとは距離があるが、お互いの姿は確認できる。
「あっ」
驚き目を丸くするソウ。ソウの反応を楽しんでやろう、アオのいじわる心に火がつく…はずが。ソウの顔は驚きから一変喜びの表情になって駆け寄ってきた。それにはアオが予想外の行動で、「うえっ」と身構えてしまう。
「君だったんだ。どうしようかって思っていたけど、よかった」
「え、え…ちょっと、まだ私…なにも言ってない…わよ?」
たどたどしい女言葉で焦りながらアオが話すが。なぜ嬉しいのか、ソウの反応が予想外すぎてアオのほうが押されてしまっていた。
「ダンから女の子だって聞いていたから、すごく憂鬱だったけど。あの、僕は君と仲良くなれたら嬉しいって思っていたんだ、アオ!」
「へ、…え? なんでオレだって始めっからばれてて…」
「う、うん。すぐにわかったよ。いつも、君の事見てたから…、でもなんで女の子みたいな格好を?」
「しっしるかよ! 少しはびびったりするとかしろよ!」
女嫌いのソウをおちょくるはずが、アオのほうが赤い顔してうろたえていた。最初からアオだとばれていたなんて、こんな恥ずかしいことはない。アオは「うわーちくしょー」と情けなく叫びながらソウの前から走り去った。急いで服を自分のものに着替えた。髪飾りを外し、三つ編みが開放されてアオの背中で揺れる。
「はー、せっかくみんなに手伝ってもらったのに…。なんだったんだ、結局…」
ソウの奴…、と憎憎しげにつぶやく。だが、アオだと知り嬉しそうな顔をして駆け寄ったソウを思い出すと、なんともいえないむずがゆい感情に胸の中をかきむしりたくなる。
着替えて外に出ると、明るい曲調の楽器の音が流れている。灯りの元に集い、談笑しているナイムの者たち。ダンを始めとする彼らは、アオに親身でいてくれて…。ドゥルブにいたころを思い出す。ナイムが嫌いなわけじゃない、だが行き場のない怒りになにか標的を求めてしまう。やはりそれはダヴァフしかなくて。その息子のソウですら腹立たしい。アイが死んだのはアイツらのせいだ。そう思うことで自分を保っていた。アイツらのせいにしなければ、自分を殺すしかない。アイを守れなかったのは、自分のせいじゃないかと、それを直視できないばかりに。
灯りのほうへ向かいかけた足を止め、背を向ける。
「オレはナイムの民じゃない。オレは…」
夜空を見上げ、父の顔を思い浮かべる。そして、夢の中で見た謎の女性。彼女との約束も果たせなかった。ドゥルブは滅び、金剛石も……。
「アオ、どこに行くの?」
ハァハァと息を切らしながら走ってきたイアがアオを呼び止めた。星祝いでチレグたちと楽しんでいたはずのイア、優しい彼女は自分のことを気にかけてくれたのだろう。
「悪いな、失敗したよ。最初からソウの奴に見抜かれてた。アイツの女嫌いってのオレじゃ治せそうにないってことだ。ごめんよイア」
苦笑いして手を振ってアオは再び背を向けて歩き出す。
「私が気にしているのはそのことじゃなくて。…ねえアオ、星祝い、一緒に行こうよ。天童子がくるのが今度いつになるかわからない。私たちにとっては今日しかないかもしれないんだよ」
行こう、そう言って手を差し出すイアの、その手をアオはとらない。あの中に解けこんでしまえば、ダンたちナイムの者たちの中に入ってしまえば、きっと居心地がいいと感じてしまう。
心は頑なに「オレはドゥルブの長の子だ」と叫ぶ。あの日の怒りを憎しみを忘れないために。
「そうだな、イアにとっては大事な星祝いだもんな。誘ってくれるのはありがたいけど、オレのことなんて気にしなくて大丈夫だからさ。ちゃんと誘いたいやつのとこに行けよ。強引に行けばなんとかなるかもしれないぞ」
イアが過ごしたい相手はソウだ。…アオはそう思い込んでいる。アオの態度にイアはむうと頬を膨らませ、
「なんでそんなこと言うのよ? 私は、私はアオのお嫁さんになりたいと思ってるんだから!」
赤面薄っすらと涙目で、イアはそう言い放つとアオに背を向けて駆けていった。
「え、うそ…だろ?」
イアの告白に驚くアオは、走り去るイアを追いかける気もなく、ただどうすればいいのかと、星を仰いだ。アオには星はお告げを与えてはくれなかった。「どうすりゃいいんだよ」とひとりつぶやく。
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