「リンネ? まだ起きていたんですか?」
まだ通路に突っ立ったままのあたしに声をかけて近づいたのはキョウだ。
眠れないんですか?の問いに、あたしはそんなわけじゃないんだけどと返した。
寝たいと思えないし、夢を見るとしたら、それはまた自分をどん底に追いやるような夢しかない気もして。
「不思議なんだよね。あたしあんなにAエリアに帰りたがっていたのに、元々自分から嫌気さして出て行ってたし。それに今またこうしてAエリアにこれたっていうのに……なんで」
「心はBエリア……ですか?」
キョウの言葉に頷くわけはないけれど。どうしてだろう、あたしはあの街と因縁ありすぎる気がする。
どっちかといえば嫌なことばかりあった街だけど、あそこにいかなきゃって感じている。
落ち着かない心、立ち止まったままで、ふらふらで、前に進むか後退するか、横に転落するか、わかんないまま不安定な状態。
もしまた、ビケさんへの想いを捨てるなら、そのあとあたしはどうなるんだろう?
桃太郎が消えて、あたしを支えてきたビケさんへの想いも消えたら、その時のあたしは……
何も残らない、からっぽの、抜け殻になっちゃうかもしれない。
「……キョウは、鬼が島と戦うって言ってるけど、あたしはそこまで付き合うつもりないから」
「リンネ?! それじゃああなたのおばあさんは」
「おばあちゃんはきっとテンがなんとかするよ。ううん、テンがなんとかしなくても、ビケさんが……」
「本当に…そう思ってるんですか? テンも桃太郎に利用されているんですよ。あの桃太郎があなたのおばあさんをどうするかもわからない」
「キョウには何度も助けられて、感謝している、けど…、あたしにできることなんて、なにもない」
キョウに背中を向けて、あたしは通路を歩き出す。
「でもひとつだけできること、あたしはあたしを救ってあげてもいいよね?」
「リンネ?」
後ろのほうでするキョウの声にあたしは振り返らないで進む。
決意した。あたしはこの気持ちとさよならする。
あたしにはテンみたいな強さはない。おばあちゃんも救えないし、助けに行く勇気も気力もない。
それにそれはあたしの役目じゃないってわかっているし。
なにもない、なにもできない、誰も救えない。
ううん、たった一人だけ、救えるやつがいる。
それがあたし自身。どうしようもないあたしをリンネを救う方法をあたしは知っている。
ビケさんが好き。どうしようもなく好き。
真実を知った今でも、あたしの心はそう叫んでいるから。
他の道なんてないんだって、泣き叫ぶから。


早朝にあたしは仮眠室から出た。
通路で「ふぁあ〜」とあくびしているミントさんに出くわした。
「あら、はよっす。桃山さん早起きっすね」
「おはようございます。あのこれを」
「ん?」
あたしはミントさんに駆け寄ると、彼に白い封筒の手紙を渡した。
それは昨夜あたしが書いたもの。館内にあったものを借りて書いた。
「キョウに渡してもらえますか」
ミントさんはあたしが渡したその手紙に目をやってから、あたしをちらりと見て。
「まさか、ラブレターじゃないっすよね?」
「違いますよ。お礼とか感謝の言葉とか、ほら言葉にするとちょっと恥ずかしかったりして、そんなんですよ」
と誤魔化したけど、キョウに話せば、絶対反対されるだろうから、言えないだけで。
「それから、いろいろ理解不能だったりもしたけど、キンにも…、短い間でしたけど、ミントさんにも感謝してますから」
ふいとミントさんを見上げたあたしを見て、ミントさんが気づいたように
「迷いがはれたんすか?桃山さん」
あたしはこくりと頷く。
「じゃあ、さようなら」
玄関口へと向かうあたしの後ろからミントさんが声かける。
「桃山さん、あんた死ぬつもりっすか?」
眉寄せて心配そうな顔でミントさん。そんな彼にあたしは笑顔で答える。
「違いますよ。……捨てに行くんです、大事なものを」
扉を開く。白くなりかけた空の下、あたしは目指す場所へと駆け出した。


Aエリアを出て、Bエリアへと戻ってきたあたし。
目的とするのはあの場所だった。
キョウたちとAエリアで向かう途中通ったところ。薄暗い細い路地を通り抜け進む。その道筋に覚えがあった。あたしはこの道を通ったことがある。
1499年2月3日のあたしの十八歳の誕生日のその日、心が砕ける音を聞いた日。
ふらふらのあたしがたどり着いたのがそこだった。
なんでも売り買いされているという自由の街Bエリア。
まさか記憶まで自由に売買できるなんて思わなかったな。
はちゃめちゃでなんでもありで、とんでもないところだけど、こういう時はBエリアがそんな街でよかったとさえ思った。
路地のつきあたりにひっそりと立つその建物。数ヶ月ぶりになつかしい。コンクリ壁の古びた建物。
ポストのような看板に記憶売買の店である旨が記されている。
「ここ」
ふうっと見上げるその灰色の小さな建物が重苦しく感じてしまう。
店の前まで来て、あたしは足を止めてしまった。
強く決意してここに来たはずなのに、かすかに揺らぐのはなぜだろう。
恐怖?
首を横にぶんぶん振って、そんな負の気もちを追い払うようにして、あたしは石の階段を登って、鉄の取っ手を右手で掴んで、扉を引いた。

入ってすぐに感じるのは、つーんとした独特の臭い。待合室は横イスがあって、狭くて薄暗い。
待合室に客はいないみたいで、あたしに気づいた受付の人が受付口の中から声をかけてきた。
「受付はこちらでしてくれよ。これに記入して」
受付で渡された用紙を受け取って、イスに座ってあたしは記入していく。
名前とか性別とか年齢とか、それから売りたい記憶の詳細とか……。
そういえば、あの時も、あたしはビケさんとそれに関する記憶の消去を希望したんだっけ。
実際ビケさんの記憶どころか、いろいろおかしくなってたわけだけど。
でも他になかったんだよね。ビケさん以外で、大切な思い出とか。あたしには悲しいほどなかった。
あとは、おばあちゃんで……。

待つこと三十分。受付の人があたしに声をかける。
「最初に記憶の状態調べるから、そこの部屋に入ってくれる」
指定されたその部屋へとあたしは向かった。
古くて重たい鉄の扉を両手で押し開けて、その部屋に入った。
少し広めのトイレの個室くらいの広さのその部屋中央のイスに深く腰掛ける。
何も音のしない静か過ぎるその部屋。
イスのすぐ横に置いてあるいろんな装置のついたヘッドギアを被って、あたしは目を閉じた。
しばらくして、装置が作動したのかピーという音が耳の奥でした。
まるで夢を見ているような状態で、過去から今までの記憶が思い出される。
初めて寮に入った日、初めておばあちゃんに会ったこと。
一緒に花火を見たこと。優しく抱きしめてくれたこと。あたしを大切だと言ってくれたこと。
学校をやめて、Bエリアに来て、ビケさんに出会って恋をしたこと。
本当はあたしより先に桃太郎がビケさんと出会っていたんだけど。
その諸悪の根源ともいえる桃太郎があたしに災難を呼び寄せて、ビケさんとグルだったこと。
あたしを好きだと言ってくれて、二年間も一緒に暮らしてくれたビケさんが、ほんとうはずっとおばあちゃんが好きだったこと。
ビケさんの気持ちを知って、そのビケさんから「ゴミ」だと言われて絶望したあたしは、この店に来て記憶を売った。
そのあとの記憶はあいまいで、いまだによく思い出せていないけど、愛人形屋って店で自分を売った。
店にはあたしと同じ年頃の女の子が何人かいた。次々に女の子は買われていって、新しい子が何度か入ってきて、あたしより先に買われていって、あたしはなかなか売れなくて、ほんとうにあたしはゴミなのかってまた絶望して、店を飛び出して彷徨って。
テンと出会って、おばあちゃんが行方知れずだと聞いて。
売れ残りだったあたしをBエリアの領主ショウが買って、ショウと出会った。
強引なテンに巻き込まれて、Aエリアに戻ることになって、キョウと出会って、あたしは自分でAエリアを出て行ったことを忘れていたからキョウたちから事実を聞かされて驚いたっけ。
おばあちゃんを探してDエリアに行って、キンと出会った。
Cエリアに行くことになって、ビケさんと会ってあたしは再びビケさんに惹かれた。
運命の出会いだと信じて、あんなに辛い想いをしてすべてを捨てたのに、あたしはまた同じ過ちをおかして。
生ぬるいものが頬を伝い落ちていく。
偽りの言葉なのに、行為なのに、それなのにあたしはまだこんなにもビケさんのことが……。
何度も再生されるあたしの記憶。
コロッシアムとかZ島とかカフェテンとか……。
空っぽ…のわりにあたし結構濃い人生送ってきたのかも。
ビケさんの記憶をなくしたら、テンとかキョウとか、今までのハチャメチャな事件とか、全部忘れちゃうのかな。
あたしはあたしじゃなくなっちゃうのかな?
いいのかな、これで……。
『バカがっ!戦えリンネ』
脳内でテンの声が再生される。まるで脳内であたしと話しているみたいに。
もう戦いはお終いなの。あたしのビケさんへの想いが終わったら、もう戦う必要なんてないんだから。
『それがお前の答えか』
そうだよ……。
『フン、情けないぞリンネ』
どうせあたしはテンみたいに強くない。だからしょうがないもの、道はこれしかないの。
『本当に…そう思ってるんですか?』
今度はキョウの声。
そうだよ、そうするしかないよ、あたしにはこの選択しかない。
『ほんとむかつくんだよね。リンネの勘違いっぷり』
なっ!?今度はショウの声。
なによ、なにを勘違いしてるって言いたいわけ?
『ビケ兄のことなにも知らないくせに』
そうよ知らなかった。気づきたくなかった。ビケさんの本当の想いに、必死に気づかないようにして逃げてきた。勝手な妄想ぶちかまして。それで幸福に浸っていた。そんなあたしをバカだと思っていたんでしょう?
『這い上がってこいよ』
どういうこと?ショウ、あんたはあたしの味方なの?それとも……。
なんでそんなこと言うの?みんなして、無責任なことばかり言わないでよ。あたしなんかに、無力なちっぱけなあたしなんかに。
『リンネ』
ふわりと暖かい光があたしを包む。次に流れたその声は……おばあちゃん。
『大丈夫、怖がらないで。あなたはひとりぼっちじゃないの。だから捨てたりしないで』
おばあちゃん。
『リンネ、あなたのその想い。あなたが捨てたら永遠に救われないわ。だけど、あなたが諦めなければ、その想いも救われる時がきっと来るはずよ』
光に包まれたおばあちゃんはあたしを優しく抱きしめながら、にこりと微笑む。
おばあちゃん……あたし……。
『自分のその想いが哀れだと思っているの?そんなことないわ、リンネその想いがあなたの武器なのよ』
おばあちゃん、あたし……わかってる、この想いが叶うわけないって、痛いほどわかっているはずなのに、ビケさんに裏切られたこと許せないって思っているのに、それなのに……。
それでも、あたしビケさんが好きなの。
やっぱり捨てたくない。記憶も想いも、痛いのも全部ひっくるめて、あたしのかけがえのない記憶なの。
おばあちゃんはにっこり笑って、あたしの両頬を掌で包んでくれる。
『リンネ、その想いを持ってビケに立ち向かって。きっと届くわ、私はリンネの想いの力を信じているわ』
おばあちゃんは完全に光になってあたしの体を包むようにして消えていった。

「あっ!」
目を開けると、そこはあの狭い部屋の中で、機械音は止んで、記憶の検査は終わっていた。
イスから飛び降りて、あたしは部屋を出て、受付にと急いだ。
ガラス戸越しに見える受付の人にあたしは身を乗り出しながら
「あのっ、すみませんやっぱり、キャンセルします!」
「え?」
怪訝な顔の受付の人に挨拶もそこらであたしは店を飛び出した。

そうだよね、あたしを救えるのはあたしだけで。
あたしの想いを守れるのもあたしだけなんだ。
ビケさんへの想いが例え仕組まれたものだとしても、それを選んだのはあたし自身。
だから後悔なんてしない。それに二度も失恋したらもうこれ以上砕ける心はないだろう。
突き進めばいい。この想いを武器にして。
胸の中にあったかいものがあった。おばあちゃんがそばにいてくれる気がして、勇気が増した。

「リンネ!」
Aエリアへと続く橋の上でキョウがあたしを待っていた。
「キョウ!」
少し青ざめた顔のキョウへとあたしは駆け寄った。心配気な顔は、あたしの手紙のせいかもしれない。
キョウが発するより先にあたしが口を開いた。
「あたし、記憶を売ろうと思って」
「え?」
「でも、直前で止めて戻ってきちゃった。あたしやっぱり捨てられない。バカかもしんないって思うけど、辛い記憶もひっくるめて捨てたくないって思ったんだ。
あたしビケさんが好き! ビケさんがあたしを見てくれないのなら、見てくれるまで諦めない、ぶつかっていくまでだって」
「リンネ……」
あたしの顔を見て、心配気だったキョウの顔は安心したものに変わる。
「えーっと、だから鬼が島と戦うの、改めてよろしくお願いします」
照れくさく頭を下げるあたしに、キョウは笑顔で「ええもちろん、こちらこそ」と言ってくれた。
あたしはまた戦う道を選んだ。
でもあの時と……、ビケさんのためにテンと戦う決意をした時とはどこか違う。
桃太郎の力はもうないけど、あの頃のあたしより今のあたしのほうが強い気がしていた。
一度砕けて固まった心は、もう簡単に崩れたりしない、そうさせない、だからあたしはもっと強くなるんだ。
あなたにたどり着く為に。



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