Z島…、頭の中でずっとぐるぐると回っていたキーワード。
Aエリアに戻ってから、仕事をしている中でも、私はずっとあのことが気にかかっていた。数秒考え込んでしまい、手が止まっていたことをミントに指摘される。
「若旦那大丈夫っすか? お嬢に振り回されてそんなに疲れたんすかね?」
「いえカイミのせいでは…、ただちょっと」
ミントに話すべきことではないが、悩みを抱えている姿など周りに見せるわけにはいかない。鬼門の人間として、Aエリアの領主として、完璧であらねばと言い聞かせてきた身として。
ただこのままでは仕事にも支障をきたしそうだ。早々と仕事を進めて、私は一日休暇を得る事にした。
行き先はBエリアとだけ伝えて、Aエリアを出た。
実際の行き先は、Bエリアの先のZ島。
港通りに着き、島まで行くボートと操縦士をレンタルし、出発の準備をしていたところ通信機が鳴った。
『ワシじゃ、キョウお前今どこおるんじゃ』
「キン兄さん」
『さっきAエリアに繋いだんじゃが全然お前と通じんかったから通信機に切り替えたんじゃが…』
「実は今日休みを取ったんです。今Bエリアにいて…」
『Bエリアじゃと? なにをしとるんじゃ?』
「私用で……少し気になることがあって…」
キン兄さんは知らないのだろうか? コロッシアムでのビケ兄さんとテンのやりとりを。
会話はほとんど聞き取れなかったが、ただならない空気を感じた。テンの真剣な顔も気にかかる。テンがつぶやいていた「Z島」というキーワードに特にひっかかる。なにかあるのだろう、Z島に。
『なんかおもしろそうなにおいがするのぅ』
…キン兄さんになら隠すこともないかもしれない。兄弟の中でキン兄さんは一番私が心を許せる人でもあるし。
「キン兄さん、一緒にきてもらえますか?」
キン兄さんの到着を待って、ボートに乗り込み、Z島を目指す。
Bエリアを発ち、海原を走り、ボートはその島へと無事ついた。
Z島、地図にはないこの島を知るものは極一部だろう。鬼が島より罪人が流されてきた終わりの島。
島についた第一印象は、なにもない田舎だが、感じたのはそれじゃない、酷く懐かしい不思議な感覚。
「おおっなんじゃ、懐かしい気がするのぅ」
「私もです。ということはここは私たちの…」
キン兄さんと顔を見合わせる。すべてを話さなくても互いにわかる。ここは私たちの故郷だ。遠い昔の、前世の、サカミマとチュウビの故郷であったあの島。何度も夢に見たあの景色と、千五百年近くたった今も大差なく感じる景色。
海沿いをキン兄さんと歩く。
初めて来る場所なのに、よく知る場所のようなこの感覚はやはりサカミマの記憶からなのだろう。
「せっかく来たんじゃし墓参りにでも行くか?サカミマの。…と思うたがどこじゃったか忘れたのぅ」
「キン兄さん、私がここに来たのは前世のことではなく…あっ!?」
浜辺に横たわる男を見つけて私はそのほうへと駆け出した。「おいどうしたんじゃキョウ」キン兄さんもあとからついてくる。
遠目からで、まさかと信じられない気持ちで私はその倒れた男の元まで駆け寄った。そこには信じられない光景があった。砂浜にうつぶせ、気を失っているその男は私の知る者だったから。私がここにこようと思ったそのものだったから。
「テン!? しっかりしてください」
「どうしたんじゃ、おっ! そいつはテンか? なんでテンが死んどるんじゃ?」
「そんなテンが死ぬわけ、テン!」
波打ち際から離す様に、私はテンの体を持ち上げ移動させた。声をかけても体を揺すってもテンは目覚めなかった。がなんとか息はしていた。死んではいない。
「テン、無事か?」
堤防の上から放たれたその声に私とキン兄さんが振り向く。堤防を越えて浜辺へと降りてきたのはびっこをひく老人。足だけでなく頭にも怪我をしているのか痛々しく包帯が巻かれていた。
「なんじゃじいさんケガしとるんかい」
いや驚くのはそこじゃないキン兄さん。
「あなたは彼を、テンを知ってるんですか?」
私のほうをじっと見る老人、…どこかで会った事あるだろうか? 小声でキン兄さんに確認をとるがキン兄さんは「知らんぞ」と答えた。たしかに知らない相手だが、妙にひっかかりを覚える。私はどこかでこの人に会ったことがあるのかもしれないと。ハッキリしないのでもやもやもするが、今はそのことよりもテンがどうしてこうなったのか確かめねば。
「そこにいるテンとはここの島で一緒に暮らしていたことがある身でな。…あれから私のところにこなかったから心配していたんだが、ちょっと怪我をしてしまい動きづらくなってな。まあなんとか動けるように回復したから島の様子を見て回っていたんだが、テンがこんなことになっとるとは。
リンネさんは無事戻られたのか?」
「じいさんリンネもしっとるんか?」
「つい最近知り合ったばかりだがね。不思議な縁もあるもんだと思ったよ」
「リンネならCエリアに戻ったと聞きましたが…、彼女もこの島にきていたということですね?」
テンがこうなった事情をこの老人とリンネは知っているかもしれないという事か。
「無事に帰ったのならよかった。テンも…生きていたのならな。こいつなら何度でも立ち上がるだろう。ビケとの因縁は簡単に断ち切れんだろうからな」
「ビケ兄さんとテンの?」
この老人は知っている、ビケ兄さんとテンの関係を。そこにリンネがどう繋がるのかはわからないが、二人の間に関わっているのはたしかなのかもしれない。
そういえば私はテンはともかく、ビケ兄さんの事をあまりに知らなさ過ぎる。
「恩人、友、それらの関係では括りきれん。桃太郎と温羅の因縁と言おうか。まあテンは桃太郎の生まれ変わりではないようだが、現代の温羅を止められるのはテンしかいないだろう」
温羅を? 父王を止められるのがテン?
「お前さんらは鬼一が温羅と信じているのか?」
鬼一?! 父王の名を口にするなんて不敬極まりない。この老人は…。
「なにを言ってるんですか?あなたはいったい」
「本物の温羅はビケよ。お前さんらもアレに気をつけることだ。アレは己の目的の為なら身内も欺き利用する」
「ビケ兄さんが温羅?」
私と老人の間にキン兄さんが立つ。
「おいキョウ相手にしてはならんぞ。このじいさんここの島におるってことは罪人じゃ。鬼が島に仇なした罪人じゃ」
キン兄さんの言うとおりこの老人は罪人なのだろう。だけど私の心は妙に揺さぶられる。どうしてだろうこの老人の言っている事が嘘だと否定できない。疑念…、私はビケ兄さんが何者かハッキリさせたい。
キン兄さんの脇から、私と老人はじっと向かい合う。嘘をついている目に見えない、真剣な眼差し。
「お前さんならわかってくれると信じて話した。…もう戻りなされ。テンなら心配はいらん」
私とキン兄さんはそのままボートへと向かった。テンがあんなことになっていて驚いたが、それ以上にあの老人の話にも驚かされた。
ビケ兄さんが温羅? もしそれが本当なら、テンをあんな目にあわせた相手が温羅の生まれ変わりなら納得できる。キン兄さんはあの老人を警戒している。これ以上の接触はやめたほうがいいか。
「キョウ、お前なんの用事でここに来たんじゃ? もしやテンの奴を探しとったんか?」
「ええまあ、テン、きっと彼ならすぐに戻ってくるでしょう」
私たちはZ島をあとにした。
この島に来た事、私は間違ったとは思っていない。ただこの時の私の選択が、後の運命を決めてしまったといっても過言じゃない。ハッキリしない前世の記憶の一部が、まだ靄がかったその部分がゆっくりとはれていく。
Z島からAエリアに戻り、Aエリア領主の仕事に日々を費やす。コロッシアムが終って以降、鬼が島からの指令もなく静かな日々が戻ってきた。が私の心は落ち着かなかった。その原因はあの島でのことにある。
浜辺で意識を失っていたテン、そのテンと関わりを持つあの老人の言っていたこと……。
ビケ兄さんが温羅?
考えもしなかったことだ。だがもしそうなら、もしあの老人の言うことが本当なら、…ずっと心の奥でひっかかっていたものが明らかになるような気がしている。
私もキン兄さんも前世で温羅を知っている。もしビケ兄さんが温羅なら、キン兄さんだってわかるはずだ。だがキン兄さんはあの老人の話を全否定していた。あの島にいたということは罪人である確率が高い。鬼が島に、鬼王に背いた者。つまり私たちにとって信じるに値しない存在だ。それなのに、私はどうしても彼を全否定できなかった。
なんとか時間を作って、私はテンの様子を見てこようとした。
Bエリアの港通り、Z島に向かう手続きをしようとしたところ、私はそれを中断せざるをえなかった。島に向かう必要はなくなった。私の目的であるその彼はそこにいたのだから。
「テン! Bエリアに戻ってきたんですね」
声をかけるとテンは振り向いたのだが、私の顔を見ての第一声が
「…だれだ?貴様は、なれなれしく人の名を呼びやがって」
拍子抜けしたがたしかにテンとは親しい間柄ではないわけだ。顔見知りとはいえ、鬼が島を敵とするテンが私を快く思わないのは当然だろう。私が一方的に好意を持っているだけだ、いや好意というよりも興味と言ったほうが正しいか。
「失礼、お忘れでしたか。私はAエリア領主鬼門キョウです。あなたは相変わらずムチャをやっているようですね」
「フン、お前のことなど興味はない」
「くるるぅ〜」
白い仔猫がどこからともなくやってきて、テンの足元にまとわりつく。
「私の事はかまいませんが、ところであなたZ島でなにをしたんですか? リンネとはあれから会ってないのですか?」
「貴様はなんだ? ごちゃごちゃとわけのわからんことを、俺のストーカーか? この猫だけでもうっとおしいのに」
「テン…?」
私の事などまるで興味なしとテンはすぐに背を向けた。彼の目は一軒の家屋に向けられている。
「俺は…海から来た。どこへ向かうべきかようやくわかった。…俺はここでカフェを開かねばならんことがな」
この時テンのいっている意味がまるで理解できなかったが、彼は記憶を失っていたのだ。テンという名前だけは辛うじて失っていなかったが、自分が何者か、何をしてきたのか、何をすべきだったのか、…忘れているようだ。私がなにを言っても彼は聞く耳すら持たない。元々私にろくに興味を持っていなかったテンは、記憶を失った今、私のことなど視界に映らないほど、どうでもいい存在らしい。まあ仕方ない事だ。彼を呼び戻せるとしたら、彼が血眼で捜していたリンネの祖母タカネさんか、リンネしかいないだろう。今は様子を見守るしかない。
テンの様子は気になるが、そうちょくちょくBエリアに行くわけにはいかない。…が、気になってしまうのか数秒手が止まるとすぐにミントの指摘が飛んでくる。ミント、あなたは四六時中私を見張っているのですか?!
「最近そわそわと怪しすぎっすよ若旦那。もしや…Bエリアに女を囲っているんじゃっ!?」
「バカを言わないでください! 別にそわそわなどしていません。それよりも、ミントあなたのほうがそわそわしてませんか? 先ほどからしょっちゅう席を立ってますけど」
指摘するとぎくっとあからさまに動揺するミント。
「いやぁー、頻尿みたいでー、困るっすねーー」
バレバレの嘘をついてまた席を立つミント…。人のこと言えた行動ではない。ミントが部屋を出た直後、聞き覚えのある声に私も席を立つことになる。
「おいミント、なんだよこのバグ!」
どうしてお前がここにいるんですか?!
「ショウ! お前ここでなにをしているんですか?」
いてはいけないはずのショウがAエリア領主館にいることに、私はしかりつけるが、ショウの出入りを黙認していたミントも共犯だと思うと、あきれて仕方ない。
「あキョウ兄、いたんだ」
「いますよ。いてはいけないはずのお前に言われたくありませんが」
「ああーAエリアのルールだっけ、いちいち細かいなぁキョウ兄はさ。いいよ別にたいした用じゃないし」
「…はぁ…、たいした用じゃないのなら来ないで下さい。それよりショウ、お前はコロッシアムの後どこでどうしていましたか?」
「は? 別に…あのあとはBエリアに帰ったけど」
ショウはZ島には行ってないようだ。ショウからはたいした情報は得られないか。
「Bエリアに…、あれからなにか気になることはありませんか?」
「なに? キョウ兄顔ちょっと怖いんだけど…」
「まさか、若旦那がBエリアで囲ってる女をめぐって骨肉バトル勃発っすか?!」
「え、なにそれ、そんなのいたの?キョウ兄」
「だから違うと言ってるでしょう! 私が気になっているのはテンのことです!」
「オッサン? オッサンがどうしたっていうのさ?」
なにも知らないみたいだショウは。となるとリンネとテンがあの島に向かったという事も知らないのだろうか。コロッシアム前まではショウがリンネの監視をしていたはず、現在はその任を離れているという事か。
「テンは…、今記憶喪失になっています。自分がテロリストだということも忘れて、私の事もおそらくお前の事も忘れてしまっているでしょう」
「オッサンが記憶喪失? ナニソレおもしろいんだけど」
「おもしろいことに事実です。ショウ、リンネはずっとCエリアに?」
「あ? そうだけど。もしかしてリンネに教えるの?オッサンのこと。でもさ、どうでもいいんじゃないの? リンネ今調子こいて周り見えなくなってるみたいだし」
「あーあの噂っすね。オレっち愛読の女性ヘブン(ゴシップ雑誌)にもデカデカとあったっすからね。Cエリアの領主様と桃山さんの熱愛記事。金門のショックでかかったみたいすねー」
「コロッシアムでは賞品にかけといて、今度は恋人宣言ですか? 金門がそれに釣られるとでも?」
ビケ兄さんとリンネが愛し合うなどありえない。ビケ兄さんはリンネを桃太郎の生まれ変わりだと信じているならなおさらだ。鬼が島から桃太郎の一族として認定されているリンネを、鬼が島が父王が許すはずが無いからだ。となると、これも鬼が島の指令なのだろうか。
「そのほうが都合がいいからじゃないの? まあリンネは目立てば目立つほど敵を増やしているだけだと思うけど。味方っぽかったオッサンが記憶喪失ってなると…ますます愉快な事になるんじゃない?」
「ショウ、Bエリアに戻るなら、テンの監視をしてくれませんか? 自由な時間だけでかまいませんから」
「ふうん、いいよ別に、今は暇だし、オッサンおもろそうなことになってるし。でリンネには話すの?」
「そうですね、折を見て話してくれれば。ただ…」
「リンネに話したところでいいように転ぶとは思えないってことでしょ。まあいいよ、オッサンもリンネも無様に転んでいくだけなんだし、ウォッチングしがいがあるね」
少々頼りないが、Bエリアの領主でもあるショウに監視を頼む事にした。
「頼みます。Aエリア内の移動はいつでも許可証を発行しましょう」
ショウからの報告は数度あった。
記憶喪失であることを確認し、テンに接触したらしい。テンはショウのこともまったく覚えてない様子だったとのことだ。さらにテンの行動に私たちは驚かされることになる。テンは私と鉢合わせた港通りで、カフェを営んでいるということだ。テロリストとして私たちの前に現れた彼とは、方向性が違いすぎる。がそういえばあの時にテンはたしかにつぶやいていた。カフェを開かねばならないと。
カフェのオーナーとなったテン…、どこか寂しさを覚えるのはなぜだろう。私は…私は夢の中で会った、いや遠い昔に実際に会っているあの桃太郎に惹かれる想いがあるのかもしれない。その桃太郎と重なるテンと、あのテンに戻ってきてほしいと願っている。
こんなにも誰かの事を考えた事があっただろうかと思うほど、私はテンのことばかり考えるようになってしまった。
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