母は見つめていた。自分の力で動き出した我が子を。
ゆっくりと立ち上がり、我が元を離れ、外へと向う。
母の目に映るのは、心許無い足取りながらも、振り返ることなく、迷うことなく、前へと進んでいく我が子の後姿。
ただじっとその光景を、丸い瞳に映しながら、見守っていた。
やがて、我が子は光を浴びる場所まで達する。
光に照らされるその眩い体に、わずかに落ちる瞼の下から、じっと見守る。
柔らかく青く茂る草の上、ゆらゆらと風にゆらされる花たち。
その中に立つ我が子は、小さな顔を上げて、空を見上げた。
真っ青な空へと、そこを目指すのかと、我が子の体がわずかに振るえ、その小さな丸い背中から、母のものによく似た翼がはえた。
生まれたばかりのその翼を、めいっぱいはためかせて、我が子は空へと飛び立った。
何度も繰り返して見てきた光景、だがいつの時も、母にとってはかけがえのない宝物のような光景だった。


母の下を離れた我が子たちは、意思を持ち、長い年月をかけて、世界を作り上げた。
最初は兄弟が力を合わせて、いくつもの困難を乗り越え、新たなものを生み出し、進んできた。
長い長い時は、自分たちの絆さえ薄れさせていった。気の合うもの同士で組織を作り、それが家となり、村となり、国となった。母が子を産まなくなった代わりに、子は子の力だけで繁殖できるように進化した。それはさらなる発展を生み、さらに多くの思想を生むことになった。やがて翼を必要としなくなった者たちがその力を捨て、翼の力を忌み嫌うようになる。翼の力が争いを生む。年月が過ぎていくにしたがって、子の中で母の記憶はどんどん薄れていく。母への愛も。さらに月日は流れ、翼なき者が増えていき、逆に翼を持つものが翼なき者にしいたげられた。人々は恐れた、争いを生む力を。だが本当に争いを生むのは、卑しい心だというのに。
争い、憎みあう子等の心は母の心に激しい闇を落とした。母によって作られた子の世界は、母の嘆きによって少しずつ崩壊していく。色鮮やかな花は姿を消した。青々と茂る森は少しずつ消えていく。子は子を産めなくなっていく。母が子のためにと持たせた石はさらなる奪い合いを生んだ。もう子の暴走を止められないと悟った母は、この世界の破壊を選んだ。だが、どうしても未練が残る。だから最後に、希望を生んだ。最後の我が子を産み落とした。すべてを浄化してくれるように。崩壊するのは、私自身に留めたいと願いながら。



ある日、一人の少年は不思議な夢を見た。それは滅び行くこの世界。心を闇に落としながら破壊しあう人々。なんとかしたい、だけど、無力な自分ではそれが止められない。少年は翼を広げた。翼の力で争いを止めようとした。が、できなかった。打ちひしがれる少年の前に、光り輝く翼の少女が舞い降りた。
少女は光の翼の救世主。少女の光によって人々の心は浄化され、世界に明るさが満ちていく。
それは夢。夢だったのだが。
少年は強く信じた。光の翼の存在を。今は存在しないその翼を。
目覚めた少年の目は希望に満ち溢れていた。
この世界に絶望するのは早いのだと。いつか現れる光の翼の救世主。自分はその力になりたいと。導きになろうと。固く誓って……。


さらに年月は過ぎていく。少年が夢を見てから何十年と時がたち。世界は崩壊の道を突き進む。絶えることのない争いに、増えていく悲しみは憎しみを生み。大地は嘆き、悲鳴を上げて崩れていく。
すでに子を作る力さえ失った彼らには残された時間はわずかだった。
そんな中一人の男が動き出した。男の名はサイチョウ。翼を持つ者。
サイチョウは世界中の翼を集め、ある存在と戦うことを決意する。
自分の考えについてきてくれる翼の者を集め、行くあてのない幼い子等を救済し、我が子として育てた。
サイチョウが動き出してから、十五年。彼の組織は国と呼べるほどの巨大な組織に育ちきっていた。
サイチョウの元に集った翼の者は、みなサイチョウを尊敬し、彼の強さと優しさを誰よりも信じた。
サイチョウは翼の力で、争いを治め、滅び行く世界を救う為に、神と戦う道を選んだのだった。
そう遠い昔、母と呼んだその存在へと牙をむく道を……。


目次  第一話