繰り返し見る悪夢。
海賊船に攫われて、エーディンの前から突然姿を消した双子の姉ブリギッド。
彼女が失踪したあの日のことが、今でもエーディンの心を苦しめている。
エーディンが五歳の時、姉と一緒に父に連れられて港町を訪れたことがある。
行動的で好奇心の強いブリギッドが外の世界を知ればどうなるか、わからなかったのだろうか?
ブリギッドは世界中を旅したいと鼻息荒く語っていた。見知らぬ世界に興味津々で、一人であちこち駆け回り、少し目を離すとすぐにいなくなってしまった。
父が目を離したそのすきに、ブリギッドは見知らぬ船に一人乗り込んでしまった。臆病なエーディンは父の側を離れることが出来なかった。遠くから聞こえてくるブリギッドの自分を呼ぶ声、それが段々遠くなって…。
あとになって、その船は海賊に襲われたと聞いた。
ブリギッドの捜索は長い年月をかけて行われたが、見つけることは叶わなかった。襲った海賊のことも、船に乗っていた子供の情報もまったく入ってこなかった。
奴隷として身売りされたとか、海に落ちてそのままとか、そんなだれも証人もいないのに噂だけが流れて、ブリギッドのことは忘れよう、そんな空気になったのはいつ頃からだろう。
ブリギッド失踪は父のリングの中にも深い傷を残した。リングはブリギッドがいなくなってからは、ブリギッドに瓜二つのエーディンを今まで以上にかわいがり、贔屓した。そんな父親に反発してアンドレイとの間にも深い溝が生じることになってしまった。
父の前ではいつも笑顔でいいこでいようとエーディンは努めた。悲しみを表に出してしまったら、父はブリギッドのことを思い出し、悲しみにくれるだろう。
いつしか、アルバムから完全にブリギッドは消えてしまった。皆が忘れてしまったその存在を、エーディンだけは忘れまいと常に心に思った。だがそれが結果としてエーディン自身を追い詰め、心を痛めることになった。
あの時、姉は自分を呼んでいたのだ。だけど、自分はそれを無視してしまった。
あの時の行動を深く悔いている。
父と弟の間で揺れ、家族はバラバラになってしまった。すべての原因はブリギッドがいなくなったから。
『それは私のせい…』
幸福の象徴のような存在だったブリギッドとともに、ユングヴィから、エーディンから幸せは消えてしまった。
お人形さんのように愛らしい娘と褒められた、実際人形のようだった。いつも同じ笑顔を浮かべて、砕けそうな心は奥にしまって。
ブリギッドが失踪してから五年経つ頃にはエーディンがユングヴィの顔になっていた。
父の顔を立て、社交界にも積極的に参加した。
人形のようと例えられたエーディンは人形のように完璧に近い美貌を放っていた。まだ十歳の子供なのに、十近くはなれた男性でさえ息を呑むほどの美姫だった。柔らかい笑顔がまたそれを引き立てる。
社交界デビューをきっかけに、エーディンの噂はユングヴィ内に留まらず、グランベルの有力貴族にまで広がることになった。エーディンの美しさをものにしたいだけでなく、彼女を射止めればユングヴィの次期当主の座というのもおいしかった。エーディンが表に出れば出るほど、アンドレイとの確執も広がる結果となった。
それはエーディンにとって望まぬことだったが、父とユングヴィのためと己に言い聞かせた。
アゼルと会ったのもバーハラでの社交界がきっかけだった。アンドレイよりも年下で、愛らしい笑顔を絶やさない男の子。幼いながら、しっかりしていて、大人の心を捉えるのが上手い子だった。エーディンも数度会話を交わしただけで、すっかりひきこまれてしまった。親しみを感じて、一気に距離は縮まった。
それ以降も何度もアゼルは会いに来てくれた。ユングヴィにまで遊びに来たときは驚いたが、嬉しかった。兄の立場もあるからと表立ってというわけではなかったが、エーディンの周辺の臣下たちの多くがアゼルのファンになっており、その協力もあり、エーディンとアゼルが姉弟のように親しく語らう姿を周囲もほほえましく見守っていた。アンドレイとの仲が上手くいってなかった事もあり、エーディンにとってますますアゼルはかわいい弟のような大切な存在へと昇華していった。

「エーディン、大人になったらボクと結婚してくれる?」
結婚だなんてこと簡単に言えるのは子供だから、その言葉の重さなんて理解していないのだろうと思った。
初めてアゼルにそう言われた時は、驚いたが本気にはしてなかった。嬉しくなかったわけじゃない、むしろ嬉しかった。エーディンは自分が年上だと言うことを強く自覚し、アゼルの気持ちを壊さないように、「そうね、あなたが大人になったらその時に気持ちが変わってなければ、改めてお返事するわ」と伝えた。アゼルはそれを鵜呑みにして「うん、絶対だよ」と嬉しそうに答えた。

時がたてば、そんな約束忘れると思っていたのに……。アゼルの気持ちは変わらなかった。いや実際はさらにエスカレートしたといってもいい。アゼルの初恋はエーディンで、現在進行形だった。


エバンスの城主となり、エバンスに留まることになったシグルドのもとに、エーディンたちも留まることになった。
そこにはアゼルやジャムカ、アイラたちの姿もあった。ヴェルダンの乱はかたがついたとはいえ、今度はアグストリアの諸侯が狙いを定めていると聞く。エバンスから兵を退かせるのは危険であったからだ。エスリンたちレンスターの者も帰国は先延ばしにした。
エスリンが兄の元に残ったのは、兄のことだけでなく、兄の妻となったディアドラがあまりにも世間のことを知らない娘だったため、彼女にグランベル貴族としての常識を叩き込むまではほおっておけないと思ったからだ。そのまま帰ったら帰ったで気になって仕方なくなるだろうと。
だが彼女が心配するのはディアドラのことだけではなく、親友のエーディンのこともあった。


今日もエスリンは親友の部屋へと向かう。彼女の部屋の前には、彼女の護衛で臣下の弓騎士ミデェールの姿がある。エスリンに気づくと慌てて座っていた椅子から立ち上がる。長くエーディンに仕えてきたミデェールともエスリンは顔なじみだ。「いいわよ、そのままで」とひらひらと手を振って硬くなる必要ないと彼に合図する。
ミデェールはマジメな性格だが少し小心者でもある。エーディンの護衛としては少々頼りない面がある。エーディンのいる前ではけして表には出さないが、結構愚痴っていることもある。あの当主とアンドレイとの確執に巻き込まれ、振り回されているユングヴィの家臣の大半が同じかもしれない。
「エーディンは中に?」
「はい、姫様あれから元気ないようで。まったく、あの二人のせいで」
憤慨するミデェールに同意はするものの、エスリンは「やれやれ」とあきれた声を出す。ミデェールのさすあの二人とは例のストーカー…、アゼルとジャムカのことだろう。
「あなたはいいわね、ミデェール。臣下としてエーディンの側にいられるんだもの」
にっこりと笑顔でエスリンが嫌味をはくと、ミデェールは顔を真っ赤にして汗を噴きながら否定した。バレバレだ。このミデェールも結構前からエーディンに想いを寄せている。それは態度からして周囲にはバレバレだが、当の本人は隠しているつもりで、鈍いエーディンは当然気づいていない。
そのくせハートは繊細なんだから……。エーディンは性格的にも立場的にも甘えられる人がいないようだ。親友で貴重な女友達のエスリンには割りと心を開いてはいるが、それでもどこか遠慮しているところがある。
「私よ、エーディン。入るわね」
いつものようにそう言って、エスリンはエーディンの室へと入った。窓辺の椅子にもたれていたエーディンは「ええどうぞ。ゆっくりしていって」と笑みで迎える。
彼女と向かい合うように腰掛けて、エスリンは話しかける。
「あれから、あの二人、すっかりエーディンから距離を置いたみたいね」
エスリンのいうあの二人とは、例のストーカー…のアゼルとジャムカのことだ。みなのいる前で、エーディンにふられて、それでもなおあがいているように見えたあの二人も、反省したのか諦めたのか、エーディンに付きまとわなくなった。恐ろしいほどにぴったりと。
「そ、そうね…」
エーディンは困ったように顔を伏せた。ふられた方より、ふったほうが落ち込んでいるようだ。それもエーディンの性格だから…、エスリンにはよくわかる。
「それにしても、同時に二人の殿方から迫られるなんて、さすがエーディンよね」
エスリンのちゃかしにも、エーディンは真剣な顔で左右に振った。
「やめて、困るわ」
「まあね、強引過ぎる男もどうかと思うけど。…本気でイヤじゃなけりゃ受けてみてもいいと思うのよ」
エーディンはほんとに好意を寄せられることを拒否したいんじゃないのかもとエスリンは思う。
「きっと気の迷いだと思うの。ジャムカ王子にも、アゼルにも、私よりも相応しい女性がいるはずだから。特にアゼルには、私よりもかわいらしい人が似合うと思うの」
そういいながら、エーディンはいそいそと指を組む。
「ねぇ、エーディン。あなたにとってアゼル公子は弟の身代わりなの?」
エスリンの問いかけにエーディンはハッと目を見開く。すぐにその目はゆっくりと細められて、こくりと頷く。
「そうね。でもアゼルだってそうだと思うの。アゼルお兄さんには甘えられないって言ってたから。だから、年上の私をお姉さんのように思って。私もそれが嬉しいの。だからこれからも、そういう関係でありたいと願うわ」
そうなれるわよね。とエスリンに同意を求めるように話すエーディン。自分から遠ざけたのに、側にいて欲しいと願う。それはアゼルとは別の願いで、きっと交わることがない想いになる。
「エーディン、それは…あなたのワガママだわ」
エーディンを傷つけまいと気づかいながら、エスリンはつぶやくように言葉を繋ぐ。
「わかっているわ。だけど、怖いの、変わっていくことが、とても…」
ゆらゆらと不安定に揺れる金色の瞳。エーディンは変化を恐れている。その根底にはブリギッドのことがある。
もしブリギッドがいてくれたなら、エーディンの立場も感情も、違っていただろうに。しかしいないものはいないのだ。過去には戻れない。強くあって欲しいと思う。だがエーディンは今日まで彼女なりに強くなろうとした。だから…とエスリンが思うことは、エーディンのすべてを受け止め、支えられる相手が、彼女の伴侶であってほしいと思う。


城下の一角で金属がぶつかり合う音が響いていた。赤い髪が左右に揺れて、汗という雫が舞う。
「どうした、集中力がきれかかっているぞ」
凛とした女性の声が、スピードにのって発せられる。
「う、わたっ」
情けない声で、足をもつれさせて「いてっ」と路面に手をついてアゼルは倒れた。ガランと音を上げて彼がさっきまで握り締めていた鉄の剣が横に転がる。
「やっぱりアイラはすごいな」
剣を交えていたその相手に、感心の言葉を伝える。汗でぐっしょりとした頬や額に、アゼルの赤い髪がはりついている。
アゼルは現在アイラから剣の稽古を受けている。その理由はというと、エーディンにふられたあの日へと遡る。
エーディンへの想いをあきらめない恋敵ジャムカに対して決闘を申し込んだことだ。お互いエーディンへの想いをかけて、決闘をすることにジャムカも受けてたった。
その決闘の形がというと、お互い得手でない武器にて行うということで同意した。アゼルは炎が得意な魔道士、ジャムカは戦士だが弓のみに特化した戦士であり、剣は手にした事がないという。さらにフェアな条件で戦う為に、剣の師を中立な立場であるアイラに依頼した。意外にもアイラはそれを快く承諾してくれた。自分の稽古も兼ねられるし、軍の戦力アップにも繋がるだろうからよしとしたのだろう。
体格面では、小柄で魔道士体型のアゼルのほうが不利のように思えたが、剣士の強さは体格で決まりはしないだろう。現にこのアイラがそうだ。すらりとした女性の体格なのに、ヴェルダンの蛮族を圧倒していた彼女の剣技はだれもが脱帽したほどだ。
「時間だ。次ぎはジャムカ王子の稽古に向かう」
中立な立場で、二人の稽古に平等に付き合う。シャナンの世話もあるというのに、多忙だ。それを表に出さない、微塵も感じさせないところも彼女の強さの一つだろう。
アイラの背中を見送りながら、ライバルの修行の状況も気になるところだが、互いの稽古は覗かない。それもルールの一つとして同意している。
「さてと、忘れないうちに復習復習」
体の記憶が新しいうちに、体に覚えさせようと自主練習に励む。
目の前に憎いライバルの姿をイメージすれば、腕にもぎりりと力が入る。
「絶対に、負けるわけにはいかない!」
ただの決闘ではないから。
アゼルにとっては、己の人生そのものといってもいいソレを賭けた決闘だから。負けられない。
ライバルのイメージの向こう側に、最愛の人をイメージする。そこにたどり着く為にと、アゼルは気合を入れて剣を振った。


「決闘って、そんな…本当なの?!」
食事の席でそれはエーディンの耳に入ることになってしまった。
エーディンを賭けたアゼルとジャムカの決闘の話。最初は当人達二人だけの話だったが、ちゃっかりと金儲けに利用しようと企むデューが、二人の決闘に金銭の賭け事を周囲に持ちかけた。二人の対立を楽しむ周囲の一部のものたちもはやし立てて、エバンス城内では一大イベントにまで成り上がっていた。
娯楽の少ない城内では、騎士たちにとって貴重な娯楽の一つだ。
そんな話が進んでいるとは知らなかったエーディンの顔は青ざめる。
「やめさせなきゃ、絶対に…」
食事の席を立ち、エーディンはアゼルを探した。
中庭を横切る通路の途中で、探していた赤い背中を見つける。
「アゼル!」
呼びかけた声にその背中はびくっと反応したが振り返らず進んでいく。エーディンはドレスを抓んで足を出して走る。
「待ってアゼル!」
追いついて、赤いマントを掴んで引き止める。呼び止められたアゼルは「ああー」となぜか困ったような溜息のような声を出す。
エーディンの顔をちらりと見てから、目を周囲に向けてため息を吐く。
「マズイなー、ほんとはルール違反なんだけど。…まあだれも見てないみたいだし…」
ぼつりと独り言をもらす。「まあいいや、ちょっとだけなら」と心の中で援護しておいた。
「ジャムカと決闘だなんて、本当なの!?」
エーディンが言おうとしている事は予測できた。エーディンが快く思わないことも。
嘘をつくメリットもないと判断して、「本当だよ」とアゼルは答える。わなわなとエーディンが震える。
「やめて! どうしてあなたたちが傷つけあわなきゃいけないの? 私のせいなのでしょ?
お願いだから決闘なんてやめて! 無意味だわ」
きゅっと眉を上げて、目は涙で滲んでいる。エーディンの反応はアゼルの予測内だ。マントを掴んだエーディンの手をゆっくりと離す。
「違うよエーディン。なんか周りの連中勘違いしちゃってるみたいなんだけど。これはエーディンを賭けた決闘じゃない。それにこれはボクとジャムカの問題だから、エーディンには関係ないよ」
自分の態度に反して、アゼルの冷静な目と口調に面食らう。
そこに自分はいないのだと、アゼルに言われてエーディンは言葉を失う。二人の決闘は自分のせいだと思っていたのに。
「そ、そうなの…でもやっぱり決闘は…」
動揺しながらエーディンは口を動かす。例え関係ないとしても、二人が傷つけあうことは止めたい。
エーディンの主張はアゼルの声に遮られる。
「ごめんエーディン。もう付きまとったりしないから安心して」
「えっ…?」
じゃあと言ってアゼルはそっけなく背を向ける。なにを言われたのだろうと一瞬世界が白む。
遠くなる背中に気づいて、慌ててまた呼び止める。
「待ってどういうことなの? 私が…あんなこと言ったから?」
ヴェルダンで、自分は結婚できない。その想いを捨てて欲しいと言ったせい?
「付きまとわないでなんて言ってないわ! 私はこれまでどおりあなたと仲良くしたいの。
今までみたいに側にいてほしいだけなの」
「酷いこと言うなぁ、エーディンは」
アゼルは振り返らないでそう答え、そのまま通路の向こうへと進んでいく。
優しい声なのに痛い言葉だった。エーディンはそれ以上追えなかった。なにも言えなくて。
はたはたと涙が零れて、視界が歪んでいく。

変わっていくのが怖い。
遠い昔、ブリギッドとアンドレイと三人で遊んでいた記憶がある。やんちゃな姉に弟が泣かされて、自分はそれを慰める役だった。だけど、すぐにみんな笑って、父もそばで優しく微笑んでくれてて。
もう色があせていくほど遠い昔の記憶。今となっては幻だったのかもしれないと思うほどに。
ブリギッドがいなくなったあの日、自分はなにもできなかった。ずっと後悔している。
そして今度は、…弟のように大切なアゼルが離れていく。
もう側にいられない。そう言われたのと同然だ。


エバンスの城下町を歩くアゼルの背後にこそこそと不審な影がつきまとう。
追いかける当人は、気づかれていないと思い込んでいたが…、「うげっ」、見失うなんて、がっくりと肩を落とすその背後からは…
「なにしてんのかな? デュー」
「ひっ!」
びくっと体をはねさせて、デューは振り向きびびる。真後ろには、追跡していたそのはずの相手がいて、にっこりと微笑んでいる。だらだらと汗が肌を伝う。
「へへ、ちょっとお散歩に」
「ボクをつけるなんていい度胸してるよね」
笑顔のままアゼルが手に取り出すは炎の魔道書。身の危険を感じて、デューは後ろとびで危険人物から遠ざかる。
だがアゼルの手からは炎は発する気配はない。ぱたんと本を閉じて、ひらひらと手を振る。
「やだなー。冗談だよ。なにそんなに警戒してんの?」
「うー…」
「デューはボクに勝たれると困るわけ?」
「え、ええっと、なんで?」
今さらとぼけるなんて無意味だよ。とアゼルは言う。
「知ってるよ。みんながボクとジャムカの決闘で賭けているってこと」
そのことは別に気にしていない。そう言いながら、人懐っこい笑顔で、デューを手招く。
「これ、よかったら食べてみない」
がさごそとアゼルが腰元から小さな袋を出して、そこから取り出した焼き菓子をデューへとすすめる。
キレイに狐色をしたおいしそうな菓子。どうして自分にすすめてくれるんだろう、デューが感じることは唯一つだ。
「(怪しい…)」
そんなデューの心意もアゼルの理解の範囲だ。
「毒なんて入ってないよ」
と言って、ぱくりと口に頬張り食べて見せる。
「おいしいね。我ながら上出来」
「もしかして、アゼルさんの手作り?」
恐る恐る訊ねるデューに、「そうだよ」と明るくアゼル。
「(ますます怪しい…)」
「稽古ばかりじゃ身が詰まっちゃうからさ。気晴らしに作ってみたんだ」
ここで頑なに断ってもあとが怖い気がして、デューは一つだけもらった。
「あ、あとでいただくね」
まだ疑心ははれていない。
「いいよ。あとでじっくり味わってよ」
無害なまでのにこにこ顔のアゼル、余計怪しいととデューは思いながら、目の前で捨てるわけにもいかないので、へらへら笑い返しながら、もらった菓子をポケットにつっこんだ。
「あれ? あれってレックスさんじゃない?」
デューの指差す方角にレックスがいた。こちらには気づいていないが、レックスの歩いているその通りがどんな通りだか、知っているデューは「うわ」と目を細めてつぶやく。
「レックスさんて不良だよね」
いかがわしい店が点在する通りにいるだけで、その人間の品性が疑われる。
軽蔑の眼差しのデューの横で、アゼルは気持ち悪いほどの笑顔で「あ、そうだ」と。レックスのほうを見ながら。
「後でレックスのやつにも食べさせてやろうっとv ちょうどいいし」
最後の一言に巨大な意味があると察して、デューはこそこそと退散した。


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