「く、しまった…」
こんなことになるなんて。
森の中に逃げ込んだはいいが、それが間違いだったとアゼルは後悔している。
右肩に激痛が走り、炎の魔道書を持ち上げることさえできない。敵は反撃で倒すことが出来たが、手痛い傷を受けてしまった。なんてこったい、こんなところで凡ミスだ。
出血が思っていたより酷いらしい、目眩がする。
ああやばい、それにこの焦げ臭さ。
森の中で炎の魔法を乱発しすぎた。
森炎上。
なんてこったい。
膝から崩れ落ち、自力で立ち上がることさえ出来なくなっていた。
涙で視界がかすむ。
煙たさの為か、悔しさの為か。
「ああ、エーディン、まだ君を助けてもいないのに…こんな…」
こんなところで、しかも自滅という最悪の形で命を終えてしまうなんて。
「!?アゼル!!」
遠くなっていく感覚の中、アゼルは幻聴か、愛しいその人が己を呼ぶ声を聞いた気がした。



――アゼルは死後の世界? いや夢の中で温かい光に包まれたようだった。
「アゼル!?」
聞き覚えのある琴の音のような美しい声にアゼルは目覚めた。
「…あ?」
自分を見下ろす金色の瞳からははらはらと涙が溢れていた。アゼルはしばらくぼーとしていた。これは夢なのか、それとも死後の世界なのか?おかしい、だってそこにどうしているんだろう?蛮族に捕らわれたはずの彼女が。
「ボクは、やっぱり死んだ…のか」
「マジボケか」
すぐそばで親友レックスの声が聞こえた気がしたが、スルーした。
「夢じゃなくて? ほんとうに…エーディン?」
こくこくと何度も彼女は頷いた。

「ほんとうに運がよかったとしか言えないわ。エーディンがあなたを見つけなかったら、アゼル公子あなたは今頃死んでいたかもしれないのよ」
腰に手を当てながらあきれるのはエスリン。彼女も回復の杖を持っているが、アゼルの傷を治したのはエーディンの力だった。その証拠にエーディンの手にはリライブの杖が握られている。
アゼルはゆっくり上半身を起こす。ベッドの上に寝かされていた。そしてここはどこかの家屋の中だ。
「エーディンがボクを助けてくれたのか…?」
「ええそうよ、ちゃんと確認してごらんなさい。あなたの傷もすっかり塞がっているはずよ」
エスリンに言われたとおり、アゼルの体から傷は消えうせていた。痛みもなかった。疲れも回復している。
「それから、あなたが燃やした森も、もう鎮火したから安心して。この村の人たちのおかげよ、感謝しなさいね」
森が燃えたことはアゼルにとってどうでもいい問題だったが、ショックはもう一つにあった。うわぁぁとアゼルは頭を抱えて顔を埋めた。
「なんてこったい、ボクがエーディンに助けられるなんて、こんな情けないことがっっ」
「そーじゃないでしょ」
とぽかりとエスリンがアゼルの赤い頭を小突いた。うう、と口をへの字にしながら、アゼルが顔をあげる。エーディンの顔はまだ涙に濡れていた。
ああ、そうか、彼女を泣かせたのはボクなんだ。なんてこったいを百万回繰り返しても足りないほど、情けないことを自分はしでかしたのだ。
「エーディン、ごめんなさい。……無事でよかった」
「いいえ私こそ、ごめんなさい。あなたまで巻き込んでしまって」
「! 巻き込んだって…そんな」
「私のせいで、関係のないあなたまで、戦争に巻き込んでしまって」
「!! 関係ないってそんなっっ」
エーディンの言葉にアゼルはふぐぅっと頬を振るわせた。
「まだ休むには早いわ、早く兄上達に合流しないと、レックス公子、それから君デュー君だったかしら?行くわよ」
エスリンが剣を手に取り、レックスと、エーディンとともに逃げてきた少年デューを促した。エスリンとともに二人が村から出て行く。
アゼルとエーディンだけが残り、しんと静かな空間になる。
「とにかくよかったよ、無事で…」
アゼルは起き上がり、扉のほうへと向う。
「アゼル、もう体は平気?」
「いつまでも休んでなんていられないだろ。まだ戦いは終ってないんだから」
背中を向けたままだが、アゼルには見えていた、自分を見るエーディンの不安げな顔を。そう思うとますます悔しさがこみ上げる。
「エーディン様! ご無事で!!」
エスリンたちと入れ替わる形でユングヴィの弓騎士ミデェールがエーディンのもとへと走ってきた。
「ミデェール!あなたこそよくぞ無事で。本当にあなたにまで心配をかけさせました」
「いいえ、姫様!私の力が足らぬばかりに、姫様を危険な目に」
うううと泣き崩れるミデェールをエーディンが慰める。その光景にアゼルの口はむむむとますます歪む。
「さあ姫様、すぐに戻りましょう。こんな蛮族どもの野蛮な地一刻も早く立ち去らねば」
「いいえ、戻るわけには行きません。まだ戦争は終わっていないのよ。私にはこの争いを終らせる義務があります。ミデェール、もう少しだけ私に力を貸してください。
ジャムカ王子なら…。私を助けてくれたジャムカ王子なら、きっと話せばわかってくれるはずです。
お願い、私をジャムカ王子のもとまで連れて行って」
エーディンの決意は固く、困惑しながらもミデェールは折れた。
「ジャムカ…王子?」
エーディンが連呼したジャムカという相手に、アゼルはぷちりと嫌な気持ちを覚えた。


シグルド率いるシアルフィ軍はジェノアを制圧し、エーディンの無事も彼らの耳に届いた。エーディンもシグルドと再会し、自分の気持ちを伝え、彼のもとに留まった。
次はこのヴェルダンの親玉とも言える相手、第一王子のガンドルフとの戦いになる。ジェノアの街で、しばしの休息を騎士たちはとっていた。
この街にも何軒か武器屋があったが、どの店にもめぼしいものはなく、レックスは手持ちの鉄の斧を修理するだけで店を出た。店を出た先で、膝を抱えうずくまり、ネガティブオーラを周囲の次元が歪むほど放っているアゼルに遭遇した。
「なんだずいぶんひでぇテンションだな。あの女にふられたのか?」
「レックス死んで今すぐ死んで」
半目で恐ろしい呪文を唱えだしたアゼルにクールなレックスの顔も引きつる。
こいつは結構重症だ。ユングヴィがヴェルダンの襲撃にあったとの一報が入った直後の、アゼルの意気揚々と燃え滾ったあの目を思い出すと、ほんとに別人のように酷いありさまだ。
レックスが予測するに、エーディンのなにげない一言か態度が、アゼルのハートにクリティカルヒットを与えてしまったのだろう。アゼルは愛らしい外見とは裏腹に、結構タフなハートの持ち主だ。それもヴェルトマーの血筋ゆえか、あの厳格な兄の下しつけられたからだろう、表の顔と裏の顔を上手く使い分けている。人当たりのいい好青年を演じ、周囲からも温厚な青年だと思われている。アゼルの本性を知るのはレックスくらいだった。そんなアゼルが、このエーディンのこととなると、感情の浮き沈みが極端になる。それだけ彼女は特別な存在なのだろう。
めんどくさそうにレックスは顔をしかめる。
「全然予定と違うし。エーディン自力で脱出してくるしさ。…拍子抜けもあるし…」
アゼルが気落ちするのはそれだけではなかったが。
「…自力脱出じゃないらしいぞ…」
「は?」
アゼルはレックスを見上げ、言動の真意を問う。
アゼルが気を失って介抱されていた間に、エーディンがエスリンに話していたことをレックスも耳にしていた。エーディンをガンドルフのもとから解放してくれた者がいたこと。つまりそれがエーディンにとっての恩人ということになる。
「なんでもヴェルダンの王子の一人らしい」
アゼルの耳がぴくりと動き、キッと目がつり上がる。
「まさかそいつがジャムカ!?」
「なんだ知ってたのか?」
不愉快な表情がアゼルの顔に浮かぶ。エーディンをガンドルフのもとから救い出した恩人、感謝すべき相手なのに、アゼルにとっては不愉快な感情が強かった。アゼルはこの手でエーディンを救い出すそのシーンを何度も何度も脳内シミュレーションしていたというのに、うっかりミスかまして自滅しかけて、助けるはずの相手に助けられて、見知らぬジャムカという男の名前を連呼していたエーディン。むかむか不快な感情が湧いては止まず、また情けない気持ちがめいっぱい自分の心を侵していく。
「くっ…」
アゼルは猫のように丸くなり、顔を膝に埋めた。赤いマントに覆われた背中がプルプルと震えている様を見て、レックスはこらえきれず口元を手で押さえた。なんでこいつはこんなにおもしろいんだ。
「おい、レッグズ…」
ずびっと鼻をすすって、アゼルが立ち上がり、ギランとレックスを睨みつける。背後に般若的ななにかが見えるような見えないような?嫌な予感がして、じりっと後ずさるレックスにアゼルは
「そこ動くなよ」
といってファイアーの魔道書を取り出し、メラメラと炎を纏いだす。こいつ正気か!?
「おい、八つ当たりか?」
「ああそうだよ八つ当たりだ。いいからそこ動くなよ!ボクの炎の魔道書に☆50個つけるんだからな!」
むちゃくちゃだ。アゼルめエーディンにふられたからって親友に八つ当たりか?レックスもやっかいな相手を怒らせてしまった。冗談じゃねえぞとレックスは逃げの姿勢をとるが、相手はもう魔法を発動させようとしている、レックスピンチ。
その時、「りゅーせーいけーん」と子供の掛け声が聞こえて、「いでーっ」とすっとんきょうな悲鳴を上げて倒れたのはアゼルだった。ばたーんと不意打ちによって前方に倒れこみ、痛そうに転んだ。その様子に顔をしかめるレックスだが、自業自得ともいえるので同情はしなかった。倒れたアゼルの足元には十歳そこらぐらいの少年が剣を片手に立っていた。黒い髪の独特の民族衣装を纏っている。ヴェルダンには珍しい風貌だ。
「い、いたい…」
うつぶせたままぷるぷると震えるアゼル。ぐわっと起き上がり、襲い掛かってきた少年を睨んだ。アゼルの額には痛々しいほどぷくーと脹れたこぶができていた。
「うわっ」
「おいアゼル、ガキ相手にムキになるな」
普段の彼ならにこりと笑顔で子供をあやすだろうが、今のアゼルは心理状態が正常じゃない。子供とはいえなにをしでかすか。と勝手ながらレックスが思っていると、今度は少年が来たほうから女性の声が近づいてきた。
「コラシャナン、私の側を離れるなといっただろう」
「あ、アイラ!」
シャナンと呼ばれた黒髪の少年が振り返る。アイラと呼ばれた女性は少年と同じく黒い髪で独特の民族衣装を身に纏い異国のものであると一目でわかった。グランベルでも、ヴェルダンでもない、その風貌は…。
「イザーク人?」
レックスが顔をしかめるが、アゼルは丸い目でその女性を見ていた。歳はアゼルたちとさほどかわらないように思えるが、妙な落ち着きと、凛とした空気を纏っていた。美しい顔立ちだが、すきを感じさせない鋭い眼差しがアゼルへと向けられる。
「赤い髪…あなたがアゼル殿か?」
一瞬ぽかんとしたアゼル。
「あなたは?」
「私はアイラという、わけあってあなた方と行動をともにすることになった。よろしく頼む。さきほどは私の連れのシャナンが失礼をした」
「いいよ、子供のやんちゃなんだから」
にこりと人のいい笑顔でアゼルが答える。シャナンがぶつけた剣は真剣ではなかったようで、アゼルにできた怪我はぶつけた額にできたこぶくらいでたいしたことはなかった。アイラは挨拶程度に軽く目を伏せてアゼルの横を通り過ぎる。
「あなたはレックス殿だな?よろしく頼む」
「……」
「レックス挨拶くらいしなよ」
お前は保護者か?みたいなアゼルの物言いに「ちっ」と舌打ちしながらもめんどくさそうに「ああ」と無愛想に返すが、アイラのほうはさほど気にかけていなかった。レックスの横をとおりすぎると、もう一度ちらりとアゼルを見た後すぐに背を向け、「いくぞシャナン」シャナンを呼び、アゼルたちの前から立ち去った。
「…見た?アイラ殿の目…」
「は?イザーク人の目がどうしたよ?」
「そうじゃないよ。…彼女の目、あきれたって目をしていた…」
気のせいだろとレックスは思ったが、アゼルはそう解釈していた。その思い込みがアゼルのある思いに火をつける。
「このままじゃ終れない。…このままジャムカに負けてたまるか…」
まだ見ぬライバルに闘志を燃やし、アゼルは打倒ガンドルフに燃えた。


ガンドルフが陣取るマーファ城へと一気に攻め込むシアルフィ軍勢。エーディンに逃げられ、怒りに燃えるガンドルフは次々に兵隊をシアルフィ軍へとぶつけたが、大勢いたマーファの軍勢もあっという間に全滅に追いやられた。シグルド始め、シアルフィ軍もヴェルダンの兵隊相手に闘いなれてきたこともあるが、ジェノアから仲間に加わったイザークの女剣士アイラの活躍も大きかった。彼女の剣技にはすきがなく、また彼女の必殺剣【流星剣】は見惚れるほど美しく完璧な強さがあった。ゆるぎない彼女の強さがアゼルは羨ましかった。
昨日は夢を見た。悪夢だった。
愛しいエーディンが出てくるのだが、彼女は決して自分のほうへと振り向いてくれないのだ。姿も見えない忌々しいジャムカのほうばかり見つめている。ギリギリと歯軋りして目が覚めた。いつになったらこんな気持ち悪さから解放される? それは強くなるしかない。揺ぎ無い、圧倒的な強さを力を。弱い自分が情けなくて腹立たしくて仕方なかった。だからこそアゼルは決意した。
ガンドルフはこの手で倒すと。
元はといえばこのガンドルフのせいだ。ユングヴィを襲い、エーディンを連れ去り、今回の火種をつくった張本人。地獄のそこに叩き落しても、アゼルの怒りは収まらない。憎い敵。
城へと乗り込む陣をとるシグルドの指示を無視して、アゼルは単身城につっこんだ。
「アゼル!?」
悲鳴に近いエーディンの声が聞こえた気がした。
ああまたエーディンはボクを信じていないんだ。悔しさにギリと歯噛みして、アゼルは走りながら激しい炎を纏い始める。玉座から立ち上がり、こちらへと突進してくるガンドルフが見えた。
「ガンドルフー!!」
「この城はぜってぇわたさねぇぞ! 全員皆殺しだ!」
ガンドルフが投げた斧がアゼルの横っ腹を切り裂く、「ぐぅっ」痛みに一瞬足が止まりそうになるが、アゼルは口の中を噛み、だんっと力強く床を蹴りつけ標的へと向う。
「死ぬのはお前だ!ガンドルフ、よくもエーディンを」
アゼルの赤い瞳には炎がともり、激しく燃えていた。腕を振り上げ、全身にマントのように纏っていた炎をガンドルフに向けて放つ。
「なんだ?ガキが偉そうにたてつきやがって」
「!なんだと?!」
ひゃはははとガンドルフが高笑いをしてアゼルの炎をかわし、デカイ斧を高々と振り上げた。
「まーずはいっぽーん」
ぶおんっと風を抉るような音が鼓膜を襲い、振り下ろされた斧がアゼルの太ももを襲う。
「っっあがぁっっ」
聞こえたくない嫌な音が、そして気を失うほどの痛みがアゼルを襲った。一瞬白目を向き、完全に意識が途切れそうになった。目で確認していないが、足が切断されたのかもしれない。
「ひぐぅぅっ」
そのまま体が横に倒れる。鬼のように恐ろしく映るガンドルフ。返り血で真っ赤に染まった顔で、「ひゃはははは」と狂った笑い声でアゼルを見下ろす。
このまま死ぬ!?情けない己をさらしたまま死ぬ?
耐えられない!なんのためにここまで来た?
振り下ろされる刃、だがアゼルはそこを見ていない。なんとか動く首だけで、アゼルは再び炎の魔法を放った。
「ぐわぁーーー」
炎に焼かれ、踊るように暴れまわるガンドルフ。ガンドルフの手を離れた斧はアゼルの背中を突き破り、完全に意識を失った。赤い血はどんどん流れ、赤い水溜りをつくっていく。ガンドルフが倒れた後も炎は彼を焼き尽くそうとしていた。
「アゼル!!アゼルーー」
遠いところで、エーディンが泣き叫ぶ声が聞こえていたような気がした。そのまま…アゼルは…。


温かい光、癒しの光。
夢の中にいるような感覚。だがゆっくりと現実の感覚に近づいていく。
「エー…ディン…」
視界がはれていく、そこには泣きはらした顔のエーディンが杖を掲げてアゼルを見つめていた。
城の中には仲間たちが入っていた。ガンドルフの処分を済ませ、制圧が完了したところだろうか。
感覚が戻ってくると、アゼルも実感し始めた。
「ガンドルフを倒したんだ」
ほぼ相打ちに近い状況でのアゼルの勝利だった。やった…。アゼルは小さくつぶやいた。
傷はエーディンのリライブのおかげだろう、ほぼ回復していた。足も何とか繋がっていたようでほっと胸をなでおろす。
「エーディン、ガンドルフを倒したよ。ボクが殺したんだ」
やっとエーディンの顔を正面から見つめられる。目的を果たせた充実感と、自信がアゼルに笑顔を与えた。
パーン!
「え?」
アゼルの左頬にじわりと赤いものが浮かぶ。突然襲った軽い痛みは、どういうことかエーディンの白い手がアゼルの頬へとぶつけられたせい。
ぽかーんとするアゼルに、エーディンは涙にふるえた声で告げる。
「アゼル、あなたはもう…戦わないで!」
「ど、どうして…」
エーディンは顔を覆い、泣きながらへたり込む。
「お願いアゼル、あなたはもう戦わないで!いい加減にして、もうこれ以上は私、私…」
「っ…いい加減にしてほしいのはエーディンのほうだよ。いい加減ボクのこと半人前みたいに扱わないでよ」
胸をぎゅうとしめつける想い。
彼女は一度だってボクを頼りにしてくれないんだと、苛立つ想いだけがアゼルの中に残った。


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