イサマの赤い目に映る景色は、恐ろしい赤色だった。
胸を押さえながらよろける父、その体を鮮血が染めていく。
「おのれぇ…、認めぬ、認めぬぞ…、お前のようなホグが…」
逆流した血で咽ながらも、父は目の前の相手を鋭く睨みつけながら、人でないものと侮辱する言葉【ホグ】と罵った。その相手は我が息子でもあるガンツァーラーだった。まだ十歳でありながら、その体つきは成人と同等であり、背丈は父を越えていた。
「ぐふぅっ」
大量の血の混じった体液を吐き出しながら、父はイサマの目の前で絶命した。兄ガンツァーラーに殺された。
力と才能ある者こそが、星に選ばれ、長となるに相応しい。予てからガンツァーラーはそう主張していた。その意見は父と対立し、父は徹底的にガンツァーラーを非難し、排除しようとした。何度も毒殺や暗殺を企てたが、送り込んだ刺客は返り討ちにあうか、またガンツァーラーに取り込まれてしまった。若く血気盛んな若者達の中には、ガンツァーラーを支援する者も出てきていた。その現状を危惧していた矢先だ、父である長は皆の前でガンツァーラーに敗れ、息絶えた。
長の死を境に、一族は結果滅びた。族の長を失い、まとまりを失い、バラバラになる。ガンツァーラーは金剛石を手に部族を離れた。彼に賛同する強き者たちもガンツァーラーについていった。
母は絶望の後ガンツァーラーに強い恨みを抱きながら命を絶った。イサマに「父の仇をとりなさい。お前こそが星に選ばれた正しき者」と何度も言いながら、壮絶な最期をとげた。

「イサマよ、生きよ」

兄ガンツァーラーに言われた言葉。あれは宣戦布告だったのだ。イサマが生きている限り、いつかは、対峙する時がくる。
天童子が予言した星に選ばれた者はどちらなのか、それとも……。



――ガンツァーラーは他部族を武力で圧倒し、子供らしからぬ気迫とカリスマでもって次々と勢力を増していった。人外のような恐ろしい外見は、人を恐怖させ、また強く人を惹きつけもした。それは見た目だけではなく、ガンツァーラーの精神面の強さ、内からあふれ出てくる強大なパワーを本能的に感じてしまうからだ。力ある者ほど、相手の力量を察知できる。賢い者ほど、無駄な抵抗はしない、己の利になることをすぐに悟る。ガンツァーラーもまた己の配下として相応しい人物を見出す能力に長けていた。


「う、ううう、なんてことだ」
男は落胆する。野うさぎを仕留めようと仕掛けていた罠がことごとく壊され、当然のようにうさぎは捕らえられていなかった。ぺたんこになった腹を押さえ、膝をつく。もう三日も食べていない。
男は片腕がなかった。体に欠陥のある者は、部族から排除される。一人野に放たれて生きていくしかない。またはどこかの部族の奴隷として生き延びる手もあるが、人として死ねるほうがはるかにマシにも思える。現実、そうなったものはまともに生きることができず、のたれ死ぬ。狼に殺されるのなら本望だが、そんな死に方はそうそうできはしない。餓死…、悲しくも惨めな最期だ。だが生きたいという根底の本能が己を立ち上がらせる。
「こんなところで…」
銛を杖にして立ち上がる。視界の先にふわりとした丸く動くものが見えた。野うさぎだ。
「(仕留める!)」
力むが、体はふらつき、視界が霞む。冷たい地面が顔に当たる。
「くそぉっ」
獲物はどんどん遠ざかる。このまま、なさけなくも死ぬしかないのか。

「あきらめるのか、貴様は本当のホグに成り果てたいのか?」

馬の蹄の音が聞こえた。幻聴かと思えたが、そうではなかった。黒く歪な体つきの大柄な馬。がそれよりも、それに跨る者に度肝をぬかれた。異形の姿…だが辛うじて人なのだろうか? 顔の大半を黒い痣で覆われ、肌は歪に岩のような表面だ。錯覚でそう見えるだけなのだろうが、大きな馬が潰されそうなほど跨る者が巨大に映る。
が、男はその者に恐怖するよりも、奮い立たされた。
「ホグ」それは草原の民にとって、もっとも侮辱的な言葉だ。男も部族にいたときは何度も「ホグ」と罵られ、屈辱に耐えてきた。
「冗談じゃない!」
男の視界から不気味な男が消える。変わりに先ほどの獲物である野うさぎが映る。視界にはもう獲物しか映らない。

獲物を仕留める事ができ、男はなんとか命をつなげられた。

男はガンツァーラーと出会った。ガンツァーラーも自分と同じホグだった。星に選ばれた者、草原の覇者となるべくガンツァーラーは他部族を従え、滅ぼし、金剛石を手にするという。
草原の掟を破り、作り変える。真の平等ある世界へ。ホグと罵られた者たちが中心となり、またホグはホグでも強い精神力と能力を持たねば、ガンツァーラーに認められなかった。力さえあれば、ホグであれ関係ない。草原の古い掟をぶち壊す。ガンツァーラーの考えとその力に、多くの者が惹き付けられ、集った。金剛石も彼の元に集まっていく。

ガンツァーラーは自らを【アグォーエル】と名乗るようになる。アグォーエル…、それは草原の覇者である偉大な王を表す名。ガンツァーラーはその名の通り草原の覇者…覇王となる。
天童子は誰にも従う事はないが、ガンツァーラーを草原の王として認める発言をしている。

「天童子よ、余に仕えよ」

アグォーエルのその言葉に天童子はけして頷かない。天童子は星を見て星の言葉を代弁することが務め、主を持たず、他部族に平等であるべし、との考えを貫き通す。アグォーエルも星学の信徒、無理強いはしない。

「時期尚早か。まだ金剛石は揃ってないのだからな…」

草原の完全統一はまだ成しえていない。ガンツァーラーが部族を離れすでに二十年の月日が経っていた。多くの他部族を従え、滅ぼしてきたが、武力による行いに抵抗する他部族も多数いた。特に星を守護する部族間で連携をとるようになっていた。その抵抗もあるが、裏で金剛石を守り、ガンツァーラーから遠ざけているものがいるように感じられた。おそらくそれが、もう一人の星に選ばれた者の仕業ではなかろうか。天童子に金剛石のありかはと訊ねるが、その返答は不可とのことだった。天童子は星の言葉を告げるのみ。要望に応える事はできないのだ。

「ボヒルよ、金剛石の入手を最優先しろ」

アグォーエルのゲルにて、指示を受けるのは黒いマントに身を包んだ端整な顔立ちの青年、名をボヒルドゥルと言う。アグォーエルに絶対的な忠誠心を持ち、非道なまでにどのような任務も遂行する。事実上アグォーエルの右腕ともいえる存在だ。

「しかしよろしいのですか? 天童子のお告げに背く事になりますが」

天童子のお告げはいつも同じであるとは限らない。星は動き人の歴史は進んでいく。未来も日々変動していくのだ。数代前の天童子のお告げと現役の天童子のお告げが変わってしまうこともある。
金剛石が一人の人物の元に集えば、草原のみならず大陸全土に強大な災いが降りかかる。天童子はアグォーエルにそう警告を鳴らしている。天童子のお告げは必ずと守ってきたアグォーエルだが、すべてのお告げを実行すれば矛盾が生じ身動きが取れなくなることもある。己の都合のいいように解釈すればいい。そう言ってアグォーエルはボヒルドゥルに命じた。

「おまかせを。アグォーエルの理想世界を早期に実現するため、尽力いたしましょう」

漆黒のマントを翻し、真紅の刃を持つ巨大な鎌を手に、ボヒルは部隊を率いて任務に向った。彼に追随する銀色の毛の狼も、群れを率いて共に向う。

アグォーエルの草原完全統一は近い将来実現する事になるだろう。それは同時に彼の元に金剛石が集まる事になる。星を守護する部族たちと、その他の草原に生きる数千の他部族。草原の民達の世界はたった一人の男によって、やがて大きく変えられていくことになる。


「星が、大きく瞬いた」

星見票である銀色のプレートを手にしながら、天童子の少女コルが言葉を発した。大きく瞬いた星、それはアグォーエルを示しているのだろうか。無感情の幼子は、ただ星を見て、星の声を聞くだけだった。


戻る  目次へ  次へ  2012/06/13