大陸の大半を覆う草原地帯。そこには古くから遊牧をしながら栄えてきた民がいた。
草原の民。
彼らは太古から草原に住み、多勢の家畜と家族というグループで定住をせず、草原の中を移動する。
星を信仰し、狼を誇り高き生き物として崇拝し、馬を家族として相棒として、また貴重な移動手段として重宝していた。
家族は旅先で他の家族と交流し、娘同士を交換し、別の家族へと嫁いだ娘はそこで子を産んで命を繋いだ。それを幾年と繰り返し、やがて家族はいくつかが合体し、巨大な家族となっていく。
交流は、いいものばかりではなかった。力をつけた家族は、自分たちより力の劣る家族を力ずくで取り込んだ。草原の民は武装する事が常となった中世期。
より富む為に、家族の長たちは家族を膨らませることを考えた。より多くの家畜を、より多くの娘を、より多くの…。欲望は果てなく膨らんでいく。
一集落の規模となった家族=部族は、中世期には部族間の抗争も珍しいことではなくなっていた。力のない部族は吸収されるか、最悪は滅んでいった。
中でも、差別されたのは身体に欠陥のある者だった。部族内に一人でも障害のある者が生まれれば、その悪い血が広がり部族が弱まり、滅びると危惧された。そういった者は赤子の時に処分されるのだ。母親には死産だったと伝えて、その手の技に長けたものが部族内に一人はいた。

が、なかには大人になっても欠陥を抱えて生きている者もいた。後天的にそうなった者もいる。そういった者は差別され、部族を追い出される。苛酷だがそれが草原の掟だった。追い出されたものに行く先などなく、そう言った者を受けて入れるところもない。たった一人で生きていけるほど、この世界も優しくはない。行く先に待つのは…、暗い未来しかない。


太古、この星にはたくさんの隕石が落ちてきた。草原にも隕石は落ちていた。粉々になった隕石の欠片は、星を信仰する草原の民たちによって大事に保管された。
それは【金剛石】と呼ばれ、美しい宝石のように輝いていた。掌に収まるほどの美しく神秘的な石。
金剛石は特別な力を持つと言われ、やがてそれはひとつに揃うと言われた。
そう言ったのは【天童子(そらみこ)】という星の声を聞く子供だった。天童子とは…役職の名である。星を守護する部族の一つである【ナリブラナ族】がその役目を担う。
天童子は一代につき一人しかいない。役目を受ける者は、役目を終えた天童子が発生した時点で次の天童子が決まる。どのようにして決まるのかは天のおつげによるらしい。詳しい仕組みは明かされていないが、天童子となった子はその子本来の個性を失い、無感情な子になる。その代わり代々天童子の知識と記憶を受け継ぎ、星のおつげを受けることができる特殊な力も受け継ぐ。天童子になるのは三歳から七歳ぐらいまでの子供で比較的女の子がなることが多いが、歴代の天童子に男子もいる。天童子である期間は個々に寄るが、十歳を迎える前に皆役目を終えて元の子供へと戻るという。
天童子は星見票を常に携帯している。それを媒体に、星からの声を受けるのだという。

天童子を抱えるナリブラナ族は中立を貫き、どこの部族にも肩入れはしない。
その代わり、天童子が果たす役割は、各部族に平等でなければならない。

星を信仰する草原の民にとって、天童子は星と人々を繋ぐ重要な役職だ。見た目は幼い子供でしかないが、草原の民は天童子に最大の敬意をはらう。
星からのおつげを受け、人々はそれを道しるべとして生きていく。


ある日、天童子がある部族の下を訪れた際、あるおつげを伝えた。
それは、近い将来、草原の民を一つにまとめ上げる強大な覇者の王が誕生するだろうという予言だった。
「星に選ばれた特別な者が誕生する」と。
おつげを受けた族長は確信した。それは間違いなくもうすぐ生まれてくる我が子に他ならない。
我が部族から、草原を統一する王が誕生する。族内が大いに沸く喜ばしいおつげだった。ただでさえ族長の最初の子が誕生する。それだけで嬉しいビッグニュースである。
族長も、その妻もその時をいまかいまかと待ちわびた。

そして…待望の第一子、天童子のおつげどおりなら間違いなくその子は近い将来草原をまとめあげる初めての王となる、希望の星が生れ落ちた。
歓喜から、一転…、族長の顔には暗い影が落ちる。

生れ落ちた我が子は、眼を覆いたくなるような、おぞましい姿をしていた。
顔面の大半を覆う黒い痣、その下からぐりっと剥き出た真っ赤な両目には黒い部分がなく、完全に失明していた。産声も上げず、ただじっと不気味な赤い目をぎょろりと剥いている。
子を産んだ母は、ひぃっと恐ろしげな悲鳴を上げ、気を失った。
泣きもせず、ただじっと手足も動かさない不気味な赤子の誕生に、誰も幸せな顔などしなかった。不安な眼差し、バケモノを見るような脅えた顔で、言葉を発する事も躊躇われる。
押し黙り、皆、族長の指示を待った。
体に欠陥のある子は、生まれてすぐに処分するのが常識だ。そういった人間はいづれ部族の弱点となり汚点となる。そういった邪魔な芽は早々に摘まなければならない。
だが…
天童子のおつげは絶対だ。草原の民として、おつげを疑う事などけしてない。
硬く厳しい表情のまま、族長はその不気味な赤子を、育てる事を決意した。


バケモノのような子を産んだショックで、母は育児を完全に放棄した。母乳をやることも拒んだ。脅えた顔で幼い我が子を見下ろし、バケモノに遭遇したような悲鳴を上げた。他の乳の出る女性に授乳を頼んだが、誰一人として承諾するものはいなかった。恐ろしくて恐ろしくて、大の大人を萎縮させる生まれて間もない赤子。
「かわいそうに、かわいそうに、ばぁばのおっぱいでも飲むかい?」
ただ一人、赤子に恐れを抱かなかった者がいた。それは族長の母であり、赤子にとっては祖母となる老婆だった。老婆だけは赤子を恐れず、かわいいかわいいと大事そうに抱きかかえた。ギロリと剥いた赤い目にまったくひるみなどない。しわしわの垂れ下がった乳房を取り出し、おぼつかない手つきで「ほら」と赤子の口へと差し出す。
赤子は、迷いなく祖母の乳房を掴み、むさぼるように乳首をしゃぶった。
飢えから必死に逃れるように、その姿はかわいらしい赤子がおっぱいを飲む仕草とはほどとおく、獣のように激しく猛りながら、貪ると言ったほうが正しいくらいに。
その姿に、周囲は言葉を失い、固まった。猛獣に睨まれた小動物のごとく、動けなくなるように。
ただ祖母だけは、「おやおやそんなにしゃぶりついて、よっぽどおっぱいがほしかったんだね、かわいそうに、かわいそうに」
優しく垂れ下がった目尻をさらに垂れ下げながら、愛しそうに赤子のほとんど禿げ上がっている頭を撫でた。肌はざらざらと人間ではないような歪な肌をしていたが、祖母はそれに驚きはしなかった。


赤子は【ガンツァーラー】と名づけられた。草原の言葉で独り者や孤独を指す。はぐれ者というイヤガラセの意味も込められていた。
障害を持ちながらも、ガンツァーラーはすくすくと成長した。赤い両目は目として機能しておらず全盲だった。顔のほとんどを覆っていた黒痣は成長と共に濃くなり、より広がった。歪な頭皮からは髪の毛もほとんど生えてこなかった。成長すればするほど、人外さが極まっていくガンツァーラーを皆内心気味悪がっていた。目が見えなくても、ガンツァーラーは自分は皆とは違うという事は、幼いながらに理解し始めていた。それでもそんな不安や不満は表に出すことはなく、学問に武芸にと学ぶ事に励んでいた。成長は著しく、二歳になる前に乗馬はマスターしていた。体もすくすくと、同じ年頃の子を早い段階で追い越し、筋肉も異常に発達した。知識の吸収も早く、草原の民らしく星学にも意欲的に取り組んだ。だが、周りの対応の影響もあるが、心開く相手はいなかった。…昔、赤子の頃、乳を与えてくれた祖母にだけは、ガンツァーラーは心を許していたのかもしれない。祖母はなにがあっても、ガンツァーラーには優しく、いつも気にかけてくれていた。それは祖母が老化でほとんど視力を失っていたからだろう。悪魔のようにおぞましいと皆が言うガンツァーラーの、かわいい幼子とは程遠い容姿も祖母の目にはほとんど見えておらず、自分の孫であるというただ一点で愛しいかわいい存在にしかならなかった。その祖母も、ガンツァーラーが二歳になってまもなく、死亡した。
名前の通り、孤独となったガンツァーラー。
ガンツァーラーが生まれて五年後、族長にとっても運命の転機が来る。
第二子の誕生。
実は天童子のお告げは、あれからまた一度次の天童子より新たなお告げを受けていた。
「星に選ばれた特別な者の誕生」
草原の運命を変える大きな出来事と、天童子は言った。族長は確信した。間違いなく、今度こそ生まれてくる我が子が、星に選ばれた運命の者であると。ガンツァーラーではなかったと。
産まれてきたのは、赤い髪に赤い瞳の女の子だった。草原の民に赤毛も赤目もマレで、目立つ容姿だった。第二子の誕生では、母は歓喜の涙と声をあげた。ガンツァーラーを生んだ時とは対照的に、いやガンツァーラーの出産があったからこそ、今回の出産の悦びはひとしおだった。
その日は一族上げての祭りとなった。運命の子は【イサマ】と名づけられ、族長はじめとして皆が娘の誕生をこの世の栄華のように喜んだ。

それから数日、族長である父から、ガンツァーラーは「お前は跡継ぎではない。私の後を継ぐのは、イサマだ。お前はイサマのために尽力しろ」と命じられた。
族長だけでなく、母も、周りのものも、ガンツァーラーに冷たく当たった。それでもガンツァーラーは、一人孤独に、もくもくと己を鍛え、学ぶ事に日々を費やした。
イサマは愛され、すくすくと、愛らしく成長していく。
父の期待、母の愛情、すべてはイサマに注がれた。それが当たり前で、ガンツァーラーは腫れ物のような扱いを受け、皆距離を置いた。

なんのために生まれたのか?

幼いながらに、そう疑問に思うことがあった。ただ一つ信じられたのは…星の真意。
星は選んだ、草原の覇者となる者を。それは皆から愛され期待されているイサマのことなのだろうか?
疑問はくすぶる。

盲目のガンツァーラーにはイサマの愛らしい素顔は見えない。見えないが、声や立ち振る舞い、オーラでわかった。ガンツァーラーは目の見えるものより、よほど見えていた。視力は機能してなくとも、他の機能が補い、常人をはるかに上回る機能にまで発達していた。
皆のいないところで、イサマはガンツァーラーに甘えていた。
不思議とイサマはガンツァーラーを恐れなかった。祖母のように目が見えないわけでもない。明らかに他と違いすぎる、恐ろしいと皆が言うガンツァーラーの姿を見ても、一度も恐れたりはしなかった。
それが星に選ばれた者の勇ましき心のせいだろうか、それともただ、妹として兄を好いていただけの、当たり前の兄妹の姿か。


「イサマよ、生きよ」
ガンツァーラー十歳、イサマ五歳、大きな転機となった年だった。


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