鬼歴1500年を向かえる目前、桃太郎の魂は今世から消滅した。
そしてその後を追うようにして、もう一つの魂も今世より絶とうとしていた…。
温羅の絶望……。
彼が前世で望み、そしてまた今世でも望んだこと。
宿敵桃太郎と、あの頃のように、お互いが最高の状態で、本気でぶつかり合い、真の決着をつけること。
それから、温羅が最も愛した、誰よりも深く愛したがけして叶わなかった想い人ビキを手に入れること。
桃太郎と温羅、千五百年の時を経て、やっとお互いが同じ時に生まれ変わることができた。
また、温羅の愛した人ビキも、彼らと同じ時代に生を得ていた。
桃太郎はリンネに、温羅はビケに、ビキはタカネに生まれ変わった。
リンネに生まれ変わったことは桃太郎の誤算であり、次の依代としたテンに裏切られたこともまた彼の誤算だった。その結果の桃太郎の消滅は温羅にとっての誤算であり、最も手に入れたい存在が手に入らないことも彼の誤算だった。
『すべてを忘れ、私だけを想うはずだった、なのに…』
彼女の心には奴がいた。忌々しいあの存在が。
温羅は嘆いた、どうしようもない現世に。
タカネが我が物にならないこの世界にいる意味などない、と、全力で己の存在を否定した。
温羅の魂は天へと、…桃太郎を追いかけるように昇っていった。
事の起こったその日は、1500年二月三日。なんの因果かその日であった。

「温羅、あなたは諦めるというの?」
ビケは体からすうっと温羅の魂が抜けていくのを感じていた。答えず消えていくその存在に問いかけるようにつぶやく。
鬼が島の中心にそびえ立つ居城【鬼城】の最上部、この国のトップ鬼王が座するそこは、天下や頂点などとは程遠く感じるほど、質素で殺風景な部屋だった。淡い照明が室内で膝をついたままのビケの黄色い髪をふんわりと照らしている。ビケのやわらかい髪がわずかに揺れた。
「でも、私は…」
どこを見るでもなくビケは一人つぶやいた。赤い瞳が細まる。
「ビケ…、温羅が消えたのね」
背後より聞こえた柔らかい竪琴のような声、ビケは立ち上がりその声のほうへと振り返る。
ふんわりとした黄色がかった白髪を上部で束ねた老女は、憂いを帯びた眼差しでビケを見つめている。
その人こそ桃山タカネ。行方不明になっていたリンネの祖母で、テンが血眼になって探していたタカネだ。
タカネの言葉に返事をするわけでもなく、ビケは自嘲っぽく笑った。
「せっかくあなたの中の、私以外の記憶を消したっていうのに、思い出してしまうなんて、ほんとどこまでも忌々しい存在」
桃太郎…、いや桃山リンネ。ビケは心の中で苦々しくつぶやいた。
「桃太郎も消えて、温羅も消えたなら、あなた達が戦う理由なんてなくなったはずよ。お願いビケ、どうか思いなおしてちょうだい」
「リンネの、ために?」
哀願する彼女の瞳の中にビケはその姿を見て、目を細めながらそう問いかける。だがタカネは首を横に振りながらこう答える。
「いいえ、あなたのためよ、ビケ。あなたとリンネは殺しあう為に生まれたんじゃないわ。想い合うために生まれて、出会ったのよ」
「勝手なこと言わないで」
吐き捨てるような口調でビケは否定する。
「リンネの想いなどまがい物よ、私の想いと比べるに値しない塵のようなもの…」
言葉の後半ビケはまた目を細めて、切なく眉を寄せる。
「私がタカネを想うそれにまさる感情など、どこにもありはしない」
「ビケ…」
ビケはすっと手を伸ばす、タカネのほうへと、だがそれは触れることのない距離。
「千五百年もの間アナタを想い続ける温羅の想いと記憶は常に私の奥底で強くあった。
いつか会えるアナタに思いをはせながら、私はこの世に生れ落ち、生きてきた。父上は何度も私を殺そうとしたけど、私の想いの強さは毒などでは阻むことなどできはしなかった。
あの島での生活は退屈でろくなものじゃなかったけど、いいこともあったわ。
タカネ、アナタの声を知った。機械ごしのそれでさえ、私の心は激しく揺さぶられたわ。
待ちきれなかった、ずっと…。やっとあの島を離れて、Bエリアでタカネに出会えて、あの日のこと今でも深くこの胸に刻まれているわ」
きゅっと目を閉じて、ビケはその時のことを想う。
テンとZ島を脱し、Bエリアの街に来て、ビケはテンの側を離れた。それは彼にとって一番の目的だった。
タカネに会うこと。
声は知っていた。祖父鬼太郎からもらったラジカセにカセットテープ、それから流れていた桃山タカネの歌声。
自分はずっと知っていた。彼女を、知っていた。
遠き昔、想い焦がれたその人だから。
姿は変わっても、魂は同じだと感じていたからだ。
自分が温羅であるように……。
Bエリアの街角で、ビケはタカネを見つけた。タカネもビケを見つけて、言葉を発するよりも先に、優しく微笑みかけた。
「あの日、私を優しく抱きしめてくれたでしょう。私ほんとうに嬉しかったのよ。あの瞬間に夢を見たの。
タカネのぬくもりも、愛情も、すべて私に向けられるのなら…、タカネが私だけを想ってくれるなら、私はなんでもできるだろうって」
ふふふ、とビケは笑う。
「初めて会ったあの日、あの一日限りだったわ。あなたは用事があるからとすぐに私の前から姿を消して、その直後にテンと出会ったの。テンもだれかを探していたみたいだったけど、それがビケだとは私も知らなかったわ。テンもずっとあなたのことを心配していたのよ。私に心配かけまいとテンは黙っていたけれど、テンの中にはいつもビケ、あなたがいたわ。
長い間、想いが行き違えていただけよ、テンとの誤解だって解けるわ。
ビケ、それに」
「誤解ですって? 誤解もなにもないわ。テンは私との約束をやぶった。
私が父上を殺しに行っているその間に、タカネを横から掻っ攫っていった。
私は温羅との約束をはたさなければならなかった。温羅は私で私は温羅で、だからそれをなによりも優先させなければならない。わかっているけどもどかしかった。
桃太郎との決着をつけ、タカネを手に入れる。そうすることで、千五百年前のしこりはとれる。温羅の無念は晴れ、私も幸福になれる。
そのために時が来るのを待った。
鬼が島で、桃太郎の成長を待ちながら、できるならば、憎たらしいテンが桃太郎になって私の前に現れることを願いながらね。
前世以来の再会から十年、タカネに会う事はなかった。温羅の思いを果たしたその時に、正式にあなたを手に入れるつもりだったから。
千五百年も我慢した温羅ですら、その十年はとても辛く長く耐え難いものだった。
姿やしぐさを真似ることで、タカネを近くに感じようとしたけど、気休めにもならなかったわ。
やっぱり私には、タカネがそばにいないとダメなのよ。
タカネが私を、私だけを見て想わないとダメなのよ。
タカネが私以外の誰かを欠片でも想うなんて許せない、私以外がタカネを縛ることも許さない」
十年前、ビケはここで父である鬼王を殺した。親への感情など彼にはない。邪魔だから始末した。それに、タカネを縛る存在として許すわけにはいかなかったからだ。
「だから父上は消した。…おじい様は、とりあえずとどめ刺すのは止めてあげたけどね」
そう言ってビケはくすりと笑みを浮かべ、だけど。と鋭く目を光らせる。
「リンネとテンは殺すわ。そうすれば、タカネには私しかいなくなる」
これでやっと、私の想いは叶う。ここに来るまで長かった。
ビケは想いをはせる。温羅として生きてきた記憶、それから死して転生するまでの千五百年近い時間、生れ落ちてから今に至るまでの時間。気が遠くなるほど長いその時間を耐えてきたこの想いを無下にすることなどできない。
「ビケ、やっぱり私ではあなたの望みにはなれないわ。あなたの望むようにはしてあげられないもの。
あなたも私に夢を見すぎているわ。私はただのおばあちゃん、あなたの想いをすべて受けきるなんてできないわ。でも、リンネなら、すべてを知って、それでもあなたを選んだあの子ならば……。
ビケ、どうかリンネの想いに応えてあげてちょうだい」
ぎゅっと両手を握り締めて、ビケを見つめ、タカネは懇願する。
「ふふふ、やっぱりリンネがそんなに大事なのね? だからこそありえないわ。私があれを認めることなどありえない。タカネこそあれに夢を見すぎているわ。あれはあっさりと私を忘れたのよ。しょせんその程度の想いでしかなかった。私の想いと比べることすらできないでしょう。まさにゴミそのもの」
「いいえ」とタカネは首を横に振る。
「忘れてもあの子はまたあなたを好きになったわ。忘れないことが想いの強さそのものじゃないと思う。
きっとリンネは何度でも好きになれる。それがあの子の強さなんだわ。
桃太郎とは違う、桃太郎がもたない強さ。あなたや桃太郎は愚かだと呼ぶかもしれないリンネのそれを、私は信じているわ」
タカネの双瞳の中にリンネを見たビケは、それを否定するように目を逸らし、彼女に背を向けた。つかつかと彼女から離れ、窓枠に手をかける。
鬼城の最上階の窓から、庭園を見下ろす。そこは蠢く地面があった。そこらかしこからもごもごと地上へと芽を出すように、得体の知れないものが現れようとしていた。
大昔の古びた鎧兜を身に纏った、かつての人だったもの。桃太郎の起こした戦いの気によって彼らは触発され、彼らの崇拝する永遠の王温羅の魂が消え去ってしまったことも強く影響し、今に目覚めてしまった。
人の良心を失った、戦うだけの戦鬼として。
「彼らも目覚めてしまったことだし、鬼が島の門を開く時が来たようね」
タカネの背後から音がした。この最上階唯一の出入り口である扉の鍵が開いた音だった。
タカネに背を向けたままビケは彼女に告げる。
「タカネ、Bエリアまで逃げなさい。大丈夫よ、彼らは闘気を持たない者には襲い掛からないから」
彼女にここを離れるように指示をする。
「あなたの言うリンネもテンもここを目指してくる。私を倒すためにね。あの二人に桃太郎も温羅も関係ない。
それは私も望むこと。温羅は諦めてしまったけど、私は絶対に諦めない。
タカネ、あなたを…必ず迎えに行く」
「ビケ、あなたを救うのはきっと……リンネだわ」
タカネは祈るようにそう一言残して、ビケの前から立ち去った。
大地が揺れ、巨大な門が今口を開く。鬼が島へと続く禁断の扉が開いた瞬間だった。



燃える恋乙女こと桃山リンネです。なんだか妙にテンション上がってきそうなこの心境はなんなんでしょう?
もしかしたらそれはきっと、あのあたしに不幸をぶつけまくってくれた忌まわしい存在【桃太郎】がいなくなったことに関係しているのかも。
桃太郎、それは千五百年前に初代鬼王【温羅(うら)】にケンカふっかけた歴史に残る大悪党。鬼が島に逆らった初代テロリストってところ。その桃太郎があたしの前世らしくって、千五百年前に死んだはずのその桃太郎の魂があたしに付きまとっていて、そいつの目的が温羅との決着をつけて天下をとることだったらしいんだけど。そのためにあたしが邪魔で、桃太郎はテンにとりつくべくあたしから離れたわけだけど。テンと組んだと思っていた桃太郎。でも実はテンのほうが桃太郎を利用していて、桃太郎を欺き、完全に拒絶された桃太郎の魂はこの世に留まることができなかったらしく、消えてしまった。今あたしもその存在を感じることは一切ない。
やっといなくなった桃太郎。心も体もすっきり、晴れ晴れした気持ち。
まあだけど、ほんとに晴れ晴れな気持ちになるのはまだ早いのよね。
あたしの目的、それを果たすのはこれからになるんだもの。
ビケさん…。
あたしの初恋の人、想い人。
ビケさんに出会って好きになって、ビケさんの本当の想いを知った一年前、あたしはビケさんへの想いである記憶を捨てた。それでもまたビケさんに恋をして、また失恋して、それでもまたビケさんに。
おばあちゃんへのビケさんの想い、到底太刀打ちできそうにないけれど、あたしはあたしの想いを捨てることはできない。
叶わない想いなら捨てたほうが楽だけど、捨てられないんだ。
どんだけドMなんだ自分。
だけど、後悔なんてない。その道はあたしが選んだ大事な道だから。
迷わずに進むんだ。戦うことっていう、Dエリア的な考えになっても。
あなたにぶつかること、あたしの想いを全力で、ビケさんあなたに伝えたい。
一緒に戦ってくれる仲間もいるし、キンにキョウ。二人にはほんとに助けられたものね。
それから、ハチャメチャでとんでもないところが多いけど、頼りになる存在…テン。
あの雷門金門の騒動でテンと再会したんだけど。いろいろあったあと、またあたしはAエリアに帰ったんだけど、
帰路の途中テンとまた会うことがあって、その時にテンから聞いた情報。
それは鬼が島についてのこと。

「鬼が島の門が開く場所?!」
あたしはきょろきょろと見渡した。テンに連れられてきたのはBエリアの端。Bエリアの北西に位置するそこは鬼が島を川の向こうに見ることが出来る。
天高くそびえる鬼が島の城壁が川の向こうにあって、つるつるなそこからは門と思われるような線も隙間も見えないし。そもそもBエリアと鬼が島をつなぐ橋なんてのもどこにもない。でも船を接続できそうな場所もなさげで、どうやって入るのかわかんないな。
「ここがそうらしい。あの桃太郎とかいう奴のことにはな」
テンは桃太郎と一緒にいた間に、いろいろ情報を得たらしい。桃太郎の言うとおりなら、おばあちゃんは鬼が島に捕らわれていてそこにビケさんもいる。
「門を開くことができるのは鬼が島側だけ、つまりビケしか門を開けん」
「ええーっ、それってずっと開かないかもしれないじゃない」
「いいや、ビケは必ず門を開ける。奴はここで俺を殺すことを望んでいるからな。桃太郎の奴と組んで、それに相応しい舞台を演出したかったらしい。金門と雷門のバカ共をやり合わせたのもその一つだ。争いの気を高めて千五百年前に近い舞台にするためだとな。下らんことにこだわる連中め」
でテンが言うには下らんことにこだわる桃太郎とビケさんは決着の日を決めていたらしい。つまりその日が門が開く日ってことで。
「いつなの?」
「来年の二月三日だ」
「はー?その日って」
「リンネお前の誕生日だな」
なんだってその日なのよ、なんのいやがらせですか?なんかあたし誕生日ってろくな思い出がないんですが、特に主に一年前の……。
「さあな、よくはわからんが、桃太郎のやつはその日にこだわりがあったようだからな」
「二月三日ってことは…あと一ヶ月以上もあるじゃない。それまでどうするの?門が開くのを待つだけ?」
鬼が島の城壁を眺めてがくーと肩を落とすだけ。そんなに待ってられるの?特にテンは、おばあちゃんのことに関しては特にせっかちなテンだもの。おとなしく待っているなんてできるの?
なんて顔で見上げたらテンは
「ああ、できるならいますぐあの城壁をよじ登って行きたいところだが、十三年前の失敗を繰り返すつもりはないからな。二月三日には門は開き鬼が島に入れるのだ。その日にタカネを救い出せる。ならば今はタカネを向かえる準備をしとかねばな。俺はあの店を建て直してくる」
あの店ってカフェテンのこと?
「リンネお前にとっては貴重な時間だろうが。決戦に備えてできるだけ鍛えておけ。あの向こうにはなにが待ち構えているか俺もわからんからな。十三年前、俺たちキメッサーの戦闘部隊も一気に絶滅させられた危険なエリアだ。どんな罠が待つかは、桃太郎からも探りきれんかったしな。せっかくだ、有効に時間を使え」
テンはそう言ってあたしの前から去っていく。カフェテンのある港通りの方角へと。
なんのいやがらせかしらないけど、来年の二月三日に鬼が島の門が開くという。
雲まで届きそうなほどそびえる鬼が島の城壁をあたしは見上げた。
あの向こうに、おばあちゃんがビケさんがいる。
待ってなさいよ、絶対にたどり着いてみせるからね。
とりあえず、あと一ヶ月とちょっとだけ待っててあげる!
なんて余裕ぶっこいている場合じゃないからあたしは急いでAエリアにと走った。


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