聞きなれたあの人の足音。家の前まで聞こえてきたら、すぐに玄関の戸を開いてやる。
「こんにちはサカミマさん。お手伝いにきました」
おかっぱ頭の幼馴染のその娘ビキはよく彼の家業を手伝いに来てくれる。
サカミマ…、Z島がZ島と呼ばれるよりずっとずっと昔、温羅がこの国を統一するよりも前の時代に、ここZ島にて診療所をやっていた父親の家業を手伝う真面目な青年だった。
サカミマは自分を兄のように慕ってくれる心優しいビキを妹のように大事にしていた。いや彼にとっては妹を越えた大切な一人の女性であったのだが。彼のその想いはビキに届くことなく彼の命と共に去ってしまった。
穏やかで、ゆったりと時の流れる島での生活。
だがそれはもう帰れぬ世界。
あの日、金酉の兵士達がやってきてから、チュウビたちと出会ってから、桃太郎と出会ってから……。
彼の人生はあの選択をした瞬間に決まってしまったのかもしれない。
争いを終わらせる為、それは大切な人たちを守る為。大切なビキの幸せのため。
太蔵と出会い、そして温羅との運命的な出会い……。
温羅と桃太郎、歴史に名を残すその偉大すぎる二人と関わったのがサカミマにとって不幸だったのだろうか。
桃太郎とともに戦った時も合った。が最終的に彼と敵対する温羅の勢力にサカミマはついた。
その結果、彼は鬼が島にて桃太郎の手によってその若い命に幕を下ろされる。
鬼が島にて命を散らせたサカミマは、チュウビによって故郷の島にと帰ってきた。
サカミマの心に最後まで強くあったのは、故郷への思慕と、ビキへの想いだった。



「若旦那、脱いでください」
ミントに言われるまま私は服を脱ぐ。
「うーん、やっぱりサポーターが合わなくなってるみたいっすねぇ。また調整しとくっすよ」
「すみませんミント、あなたも忙しいのに」
ミントは伯父上に仕える雷門の者、今はAエリア領主館内で務めている。Aエリアで寮生活を送っている私やショウはたびたび彼の世話になっている。彼との付き合いは長く家族のようなもの。
いや、もしかすると、それ以上かもしれない。彼だけが私の秘密を知っている。それは伯父上やキン兄さんですら知らないことだ。
私の体には欠陥がある。といっても微量なもので通常は支障のない程度なのだが。
「なーに気にしてんすか、あんたの体のこと知ってんのはオレっちだけでしょうが。異常あれば遠慮なく頼れっつたでしょーが」
「ありがとうございます」
私は幼い頃に事故で肩を負傷し、その後遺症で戦闘訓練も思い通りに進まなくなった。元々肉体的にも恵まれているキン兄さんより劣っていたというのに、ケガのせいでますます兄さんには追いつけなくなってしまった。
鬼が島は、つまりは父王は強き者しか必要としない。幼いながら私はいつ鬼が島からきられるか不安に襲われていた。そんな私を励ましてくれたのが、彼ミントだった。
「足りないものは、道具でも何でも補えばいいんすよ」
そう言ってサポーターを作ってくれた。彼のサポーターのおかげで格段に動きやすくなった。さらに体への負担を抑えた武器を作ってくれた。もちろんそれを扱いこなすには訓練が必要だったのだが、彼のおかげで私はなんとか自信を失わずに今日までこれた。
「見た目にはほとんどわかんないっすけどね」
サポーターをつけてくれながら、ミントが私の肩を見ながらの感想。たしかに、そのケガは傷跡はほとんど目立たない。このケガさえなければもっと強くなれただろうかと思うこともあった。
「名誉の負傷なんしょ? この傷はお嬢を守った証なんだから」
「いえ、己の未熟ゆえに負ったものですよ。伯父上やキン兄さんならもっと上手く守れたでしょうし、怪我など負わなかったでしょう」
「後悔してるんすか?」
「いいえ、…カイミを守れなかったほうが後悔しますよ」
ええ、私は後悔していない。その事実は、ただ己の未熟さは別問題だ。
この肩の負傷は十歳の時、キン兄さんやショウとともにBエリアの雷蔵伯父上の元で世話になっていたころ、ビケ兄さんとはじめて出会って、父王からAエリアで学業に励めとの命を受けた直後だった。
その日Bエリア領主館の庭内で戦闘訓練を行っていた。キン兄さんとショウと私と三人、こうして伯父上の元で戦闘訓練を行うのも最後という日だった。三人がBエリアにいるのも最後ということもあってカイミもそこにいて見学していた。何事もなく終る一日だと思っていた。私だけでなく兄さん達もそうだったろう。
突如襲ってきた地震。それは立っているのがやっとのほどの震度。領主館の屋根の一部が倒壊し、その真下にいたカイミは動けずに蹲っていた。私はなにも考えずに、ただ気がついたら体を走らせてカイミを守るように抱きかかえてうつぶせた。
遠くで伯父上達がなにか叫んでいた気がするが、頭上に降り注ぐ瓦や木材の音に遮られて、また己を襲った激しい痛みによってよくわからないまま、意識を失った。
次に意識が戻った時は、ベッドの上だった。傍らで、カイミが泣きつかれた顔で私の手をぎゅっと握り締めたまま寝息をたてていた。その瞬間、私はほっとした。カイミは特別怪我もなく無事だったのだと、あとで伯父上の口からも聞かされて安堵した。
「よかった…」
心の底からそう思った気持ちが口から零れた。
ケガはたいしたことはなかったが、大事をとって私だけはAエリア入りを一週間遅らせた。傷もすぐに完治したが、肩の異常に気づいたのは半年後だ。
それはかすかな感覚の違いで、特別意識しなければ気づかないレベルのものだった。がそのわずかな違和感に完璧な強さを求める鬼が島の期待には答えられないことを知る。
運動能力等、常人に劣ることはないが、超人にははるかに及ばない。常人に勝る…程度の人間を鬼が島は必要としない。それが温羅の血族である鬼門の人間であればなおさらだ。
鬼が島に必要とされるか否か。それは私の存在意義に強く関わる。
鬼が島に必要とされないことは、この世から不必要ということになる。私はそれが怖かった。
私は鬼が島が怖かった。それを表に出してはなるまいと、感情を押し込める事を意識するようになった。
けして見破られてはならないと、冷静である事を努めようと。時を重ねるにしたがって、私のポーカーフェイスは完成に近づいた。ただ…あの人の…、ビケ兄さんの前でだけは、完璧でいられる自信がなかった。どうしてか、私はビケ兄さんが苦手だった。常に笑みをたたえた物腰柔らかいビケ兄さんに、私はなにを感じていたのだろうか……。

「どーしたんすか? 難しい顔して」
ミントの顔が目の前にあり驚いて身をそらす。うっかり考え込んでいたようだ。心配をかけまいと「なんでもありません」と伝える。
「ははーん、なるほど」
なにが「なるほど」なのかよくわからないが、にやにやとしながらミントはどこか嬉しそうな顔つきでスタスタとデスクのほうへと向かう。なにかガサガサと探している様子で「お、これこれ」と一枚のディスクを手にこちらへと戻ってきた。それを私のほうへ差し出しながら
「コレ、ショウ旦那に頼まれたブツなんすけどね。よかったらどうっすか?結構ダメ出しくらって直しまくったんで、いい感じに仕上がってると思うんすが。試しにプレイしてみたいっすか?」
「プレイということは、これはゲームですか?」
「エロゲーっすよ。若旦那やったことないでしょ。たまにはいいっすよ、リフレッシュ」
当然私はそれをつき返す。冗談じゃない、なんてものを奨めるんだ。
「結構です。興味ありません! ミント、こんなものを仕事中に作って?」
「そんな頑なに拒まなくても。ちゃんとプライベートタイムの合間に作ったんすよ。ちゃんと仕事はしてるっす」
まったく、くだらないものに時間を割いてまで、馬鹿馬鹿しくて理解できない。私はあきれるが、ミントはそんな様子はおかまいなしと「ふぅ」とためいきをつく。
「ミント、…あきれているのはこちらのほうですよ」
「オレっちとしては若旦那の、その潔癖なまでにピュアな部分は安心してるんすけど、でも同じ男としてちったぁ世話焼かなきゃなぁなんておせっかいも思うわけで」
などとつぶやきながら、またデスクのほうへと向かい、引き出しを開けたり閉めたりしながらごそごそとなにかを探っている。
「ショウ旦那みたいにヤンチャされても困るんすけど、若旦那には結婚するまで童貞を守り抜いて欲しいのは本心すから。でも本来放たなきゃならないものを我慢するのはよくないすからね。おっあったあった」
またにやにやと怪しげな笑顔でミントがデスクから取り出したのは、二冊の書籍。それを嬉々として私の前まで持ってくる。それを目にして私は目をむく。
「若旦那は三次元と二次元どっちがいいっすか? あ、恥ずかしかったらカバーかけてあげるっすよ。
さ、遠慮なくオナニーライフに活用してください♪」
「いりません!!」
ミントは頼れる存在だが、こういうところはついていけない。Aエリアの未来が少し不安になった。


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