「やっと二人きりになれたな」
Bエリアの片隅の、小さな廃屋の中であたしの声が怪しく響く。
ギシッと恐ろしく軋む古い木の床の上、にらみ合うようにして対峙するあたしとテン。
正しくは、あたしの姿をした桃太郎なわけだけど、そう、いまだにあたしはこの自称桃太郎に体の自由を奪われたままなのだ。
あの混戦状態に背を向けるようにあの場から逃げ出したテンと桃太郎は、なにか特別な合図を交わすでもなく、ここへとやってきたのだ。
なんだか、この二人も…
つまりテンと桃太郎も、面識あるみたいな気がした。
まあ以前、あたしの記憶も定かじゃないけど、Dエリアでの時と、Cエリアの夜の悪夢の時と、テンがいたように記憶しているから、…うん、たしか
言葉を交わしていた? そんな記憶さえあるみたいだし。
さすがに会話の内容までは覚えてないけど。
あたしの目線は、あたしの意思とは無関係に、テンを頭のてっぺんから足のつま先までじろじろベタベタと一通り見る。さらにはその内側まで見ようかという意思さえ感じられる。
まだ暑いっつーのに分厚いジャケットを羽織っているテン。露出は少なめだけど、ジャケットの下には薄いシャツ(タンクトップ?)を着ているだけなので、はだけた部分からは逞しい体のラインは確認できる。
Dエリアで生き残ってきた人間だから、鍛えられた体は当然なんだろうけど。
その胸元や、衣服の上からも透けて見えるバッチリ割れた腹筋を何度も何度も視線を往復させている、あたし……、じゃなくて桃太郎。
「ああ、いい体してやがるな、たまんねぇぜ」
他に言い方ないんか?こいつは!
効果音つけるならよだれをすするような「じゅるり」といった下品な音がよく似合いですよ。
「なんだ、貴様、気色悪い奴め」
不快感マックスといった表情のテンが、数歩退いた、オーラ的に。
一気に引く空気ってやつね。
まるで変質者を見るような目線が痛い。あああ、あたしだって痛いですよ、こいつの行動言動は。
でもはたから見て、これじゃあたしが、桃山リンネがテンの体を見て「ハァハァ」している変態になっているようで。言い訳したいのに、まだ桃太郎の支配の中、あたしは心の中でわめくことしかできないのだ。
でもテンはどうやらこいつ(目の前にいるあたし)をリンネじゃなく、桃太郎だと認識しているようだから、少しはマシか。
「…そういえば、桃太郎と言っていたやつか」
テンのその言葉に、桃太郎はにぃと口端を吊り上げる。
「そうだ。ちゃんと覚えてるんだろう? Cエリアとかいったあの場所で、俺様は言ったよな」
無言であたしを睨んだままのテンに、桃太郎は確認するように話す。
「お前の体が欲しいとな」
なっ、ちょっ、びーえる発言は当方では禁止しておりますが!
キモイ、キモイよ、テンの裸が欲しいとかなに言ってんのこいつはーー!
「ああ、うるせー、てめーは少し黙ってろよ糞女」
なっ
あたしの声だけど、ものすごい不愉快なんですが。
はたから見たら、独り言言っているキモイ女にしか見えないだろうけど、中ではあたしと桃太郎の精神?バトルが繰り広げられているのだ。ただあたしがわめいているだけともいう。
「…貴様は、いったいなんだ?
リンネにとりついているのか?」
不審者を見る目つきのテン。あたしの中にいるこの桃太郎って奴を悪しき存在だとわかっているのね。
たしかに悪霊、こいつは悪霊の類だと思う。
「とりつくってのはちょっと違うな。まあ俺様の場合は、なぜか魂が分離しちまった状態で転生しちまったからな、温羅の野郎とは違ってな。
こいつは俺様の血を引く女で、俺様の生まれ変わりだ」
生まれ変わりって、金門と同じこと言ってやがる。(あっ、やばい口調うつった)
「糞女、てめーもいい加減理解しやがれ。なんのイヤガラセかしらねーが、てめーは俺様の生まれ変わりなんだよ」
そんな、あたしは…桃太郎の血を引く桃山の人間で、さらにその桃太郎の生まれ変わりだなんて。
つまり生粋の悪党ってことじゃない?!
どうしてあたしなの? むしろテンのほうが……
「そいつはてめー以上に俺様がそう思っているよ。なんでてめーみたいな糞女に生まれ変わっちまったのかって、なんでこいつじゃなかったのかってな。
だがよ、幸いにも、俺様はこの女と魂が分離している」
え、それじゃあ…もしかして
「貴様はリンネから離れることができるのか?」
テンが会話に割り込む。いや実際は、桃太郎とテンしか話してないわけだけど。
「ああ、本来ならできないことだけどな。いろいろ制約ってのがあってよ。
俺様とこいつみたいに、魂が分離している状態ってのがそもそも異常なことらしいぜ。
だからか俺様の力にも限界があんだ、こいつの…リンネの体じゃな。
けどそれも意味のあったことじゃねーかと思う。俺様は転生先を間違っちまったんだ。
本当なら、お前になるはずだった」
「なぜ、そう思う」
「お前は俺様の血を引くからな。それに俺様の力を使いこなしている」
桃太郎がそう言って指差すのは、テンの持つあの刀。
「それから温羅との因縁だ。温羅の野郎も、お前が俺様だったらと望んでいる」
え、温羅って……?
「ビケのやつだ」
ちょっと、あたしの口でビケさんを呼び捨てにするな、って……ええーー!?
温羅がビケさんって、それはZ島にいたビケさんのおじいさんの戯言じゃあ。
「あいつがなんだろうがどうでもいい。俺にとってはビケでしかない」
「けどあっちはどーでもいいなんざ思ってねー。あいつは完全に温羅と同化している、あいつは温羅で、温羅はあの野郎だ。表では鬼王が温羅ってことになっているらしいが、ほんとの温羅はビケのほうだ。
鬼王ってのがどんな奴か興味ねえし、どうでもいいんだがな、まあ事実上ビケの野郎が天下で間違いねぇ。
……天下だとか興味ねぇってな面だな。お前はあのタカネってな女しか欲しくねーんだったな。
だからぶっ倒してーんだろ、ビケの野郎をよ」
ちょ、ちょっとアンタいー加減に……
人の体使ってすき放題べらべらと
「たしかにお前はつえー。生まれ持った素質と素質ある奴に鍛えられた。そんでもってこの俺様の血を引く恵まれた体。簡単にやられやしねぇ。Dエリア最強の座も本来ならお前だろうな。
けどよ、あいつには敵わねぇ。手も足も出なかったしなぁ」
下品な笑い声をワザとらしくさせながら、桃太郎はテンをバカにするような態度をとる。
手も足もでなかったって、もしかして、Z島でのビケさんとの…?
「ああそうだ。ビケの野郎本来の力がどの程度かはしらねぇけどよ。温羅の力は、心底ムカツクが…お前でも太刀打ちできねーよ」
温羅の力? 伝説の英雄温羅の力、漠然としたイメージしかないけど。
あのZ島でのこと、今でもハッキリと覚えている。
向かうところ敵なしで、鬼強いテンの攻撃を難なくかわしていたビケさん。
テンのような目に見える強さじゃなくて、ビケさんの強さはなんというか……。
「でも、俺様の力があれば、お前はさらに強くなる。あの温羅の野郎をぶち殺せるのも夢じゃなくなる」
ギッとテンの目を睨むような強さで見やる。テンもずっとあたしの目を見たまま立っている。
ちょっと、桃太郎の話ってもしかして、テンにとりつくってことなわけ?
テンの体が欲しいってそういうことなの?
それはつまり、あたしの中からいなくなってくれるってことなの?
「ああ、そーゆーことだ」
それって、願ったり叶ったりじゃない!
もしビケさんが温羅の生まれ変わりだとして、あたしが桃太郎の生まれ変わりだなんて事実は最大の障害でしかないもの。それに今まで散々バイオレンスな出来事に巻き込まれてきたし、それともおさらばできるなんて、まさに願ったり叶ったり。
「そうだろう、俺様だって願ったり叶ったりだ」

……あっ、でもそうなると、こいつとテンが組んだら、ビケさんの身がさらに危険なことになるわけ?

「ちっ、ごちゃごちゃうぜーな」
「なんだ、貴様さっきからぶつぶつと。リンネと精神トークでもしているのか?
キショイ奴め」
「できるならとっととてめーの中から出て行きてーんだよ。でもな制約があんだよ、ややこしーことにな。
それを満たす為に、てめーをちっとばかし鍛えなきゃなんなかったんだ」
うわっ、ちょっ
あたしの体が宙を舞う。桃太郎がジャンプしたんだ。
手持ちの銃器を鈍器として、テンにいきなり殴りかかった。
テン!危なっ
とあたしが心で叫んだところでテンに聞こえるはずもなんの影響もナッシング。
テンはあたし(桃太郎)の不意打ちに驚くことなく、とっさに手にしていた刀で受け止めた。
武器の重さは圧倒的にこちらが上だけど、テンの力と、もしかしたら桃太郎の言う桃太郎の力(テンの刀?)でなんなくその一撃をしのいだ。
攻撃がふせがれたことに舌打ちする桃太郎、だけど悔しさってのじゃないような、むしろ喜んでいる?
あたしの体はすぐさま逆方向へと舞う。まるでサーカス団みたいな動き、ありえないあたしの体。
動かしているのは桃太郎だから無理ないか。通常ならありえない目に映る映像。
逆さに映る天井のように見える木の床は、すぐに反転して元の景色に戻る。ギッと不安な音と一緒にあたしの体は木の床へと着く。
にやり。笑ってる、明らかに笑ってますよマイフェイスが。桃太郎が笑ってる。
「その気にさせてやるぜ」
そう言って再び宙を舞う桃太郎。
その気に、テンをその気にさせるって?
「お前が俺様を欲しくなるように!
俺様に惚れちまうようにな!」
ギシィ…あたしの軸足下の床が少し沈む。瞬間そこにかかった強い圧力。桃太郎は今にも壊れそうなこの廃屋の木の床さえも、自分の力をいかせる道具にしているよう。
感じているのはあたしの体だもの。バネのようにしなう床はあたしの体をさらに高く跳ね上げる。
天井スレスレに弧を描く背中。お腹へと引き寄せた足をまたバネみたいに弾かせて、天井を地面みたいに蹴って、勢いをつける。そのままテンへと、落ちる。
「ぅらぁああっ」
ギイイイン。骨に響く衝撃。ずっしりと重さのあるライフルを桃太郎支配中のあたしの腕は難なくふっている。
このありえない運動神経に、力…。
桃太郎はあたしの体を限界超えて使っている気がしてならない。
「ふ、なるほど」
小さく吐くようなテンの言葉。
桃太郎の今の攻撃をまた防いだテン。桃太郎のパワーはテン数メートル引かせた。
「リンネの体でここまで動けるとは、貴様の能力はリンネの体にはあまるというわけか」
テンが素早くあたしのほうへと距離をつめる。ギシギシと鳴く木の床はよく壊れないな、ってそんなこと感心している場合じゃないよ。
ブンッと空斬る音させて、テンの腕がぶれた。
その瞬間、あたしの体は右方向へ軽く飛び、すぐに後方へと後ろ向きにジャンプ。
ぱち。まばたきの間に、テンが目の前に迫ってきて……
「ちぃっ、体が間に合わねっ」
愚痴っぽく吐く桃太郎の心情があたしにも伝わった。動きは読めている、でもよけられない。
桃太郎的にはおそらく、0,のわずかな時間間に合わない動き。
「がっっ」
内臓がジャンプした。あたしの体そのものが宙を舞っているんだ。さっきのとは違う。桃太郎の意思でもなく、あたしの意思でもなく、外からの衝撃によって、つまりはテンの反撃で。
古びた木製の黒ずんだテーブルの上に、あたしの体は後ろ向きにでんぐり返しするように転がった。
若干背中を打ったけど、とっさに桃太郎が受身をとったので思ったほど痛くはなかった。
テーブルの上、すぐに飛び上がるように身を起こした桃太郎の目と目の間(目がよりそうな距離)にぼやけるなにかがあった。
「貴様の負けだ」
テンに顔面すれすれに刃を突きつけられていることに今気づいた。ちょっとでも顔が前面に揺れればちくって刺さる距離。
「はっはっは、ははははは」
突然笑い出す桃太郎。こいつ笑うの好きだな。
「甘い、甘い甘い甘すぎてとろけちまうぜ、ああー、俺様を笑わせて溶かしちまいたいのか?」
なんか言ってる桃太郎にテンは微動だにせず、じっとこっちを睨んだまま。
「お前よ、厳しいこと吐きながらなんだかんだでこいつに甘いよな。邪魔するなら容赦しねぇとかよ。
こいつのこと殺すどころか傷つける気もさらさらねーくせにな。
笑かすんじゃねー」
テンはあたしを傷つけない?
おばあちゃんの孫だから?おばあちゃんのために?
「貴様殺されたいのか?リンネは生まれ変わりじゃないのか?まるでその体がどうなろうがいいみたいに思える言動だな」
「この体が殺されてもいいってことはねーよ。今この体に死なれても困るわけだしな。依代を失った魂は彷徨っちまう、それじゃあ俺様が転生した意味がなくなるんでな」
なによ人のこと体とか依代とか人格完全無視な発言は、胸糞悪い。
「なあ、俺様を受け入れてみないか?迷っている時間はあんまりないと思うぜ。
早くしねぇと、お前の大事な女が…取り返しのつかないことになっちまうかもしれねぇぜ?」
え?おばあちゃんが?
「タカネの居場所を知っているのか?」
ぴくんとテンの眉が動く。おばあちゃんのことには激しく反応するテンだから。
でもちょっと、信じていいの?こんなやつの言う事なんて、でたらめかもしれないのに。
それにおばあちゃんはもうこの世にいないって……ビケさんが…
「生きているぜ、タカネはよ。ただこれ以上のんびりはしてられねぇってのを教えてやる。
早くしねぇと、タカネはお前の事なんて完全にどうでもよくなっちまっている可能性が高くなるぜ。
いや、もしかしたらもうすでに、お前のことなんてどうでもよくなっているかもしれねぇけどな」
ガッ、テンがあたしの襟元を掴んで持ち上げる、つり上がったテンの目があたしの目の前に。
「どこだ?!タカネの居場所を教えろ」
くくくと余裕の笑い声を上げながら、テンを見上げて桃太郎が答える。
「因縁の地…鬼が島…」


世界が暗転した。
テンの姿を感じなくなって、あいつの…桃太郎の意思も感じなくなった。
ああ、ここは夢の世界なのかな。
いや、もしかしたらさっきのが実は夢だったんじゃ……ああ夢、夢だったらよかったのに。
あたしの記憶が、感覚が、現実として受け止めている。だから悲しいけど
夢じゃないのか。
桃太郎の言っていた事が、いまさら胸につきささる。
そうだ、あたしはどこかで甘かったんだ。
テンはあたしを殺さないって、ほんとはわかってて、だからテンと戦えるって強く思っていたんだ。
もしテンが完全にあたしを敵だと思ってて、鋭い殺意を抱いていたなら、本気でテンと戦えるなんて言えたのかな?
テンはなによりおばあちゃんが大事で、おばあちゃんの存在も、想いも、自分の事以上に大事に想っているテンだから。
あたしを想うおばあちゃんの気持ちも、テンにとっては大事で守りたいものだろうから。
カフェテンにいた時の、あの嵐の夜のあの時に、あたしはテンを深く理解した気がしたんだ。
あたしはテンを、信頼していたんだよね。

ああ、いけない、ビケさんを遠くに感じそうになる。
おばあちゃんの繋がりを感じるほど、テンは近くに思えてくるのに
おばあちゃんとの繋がりを感じるほど、ビケさんは遠くに行っちゃう気がして
それは醜い女の感情なんだろうか?
あたしがもっと自分に自信を持てていたなら、些細な不安なんて簡単に吹き飛ばせるだろう。
あたしがもっと、ビケさんの愛にミリとも不安を持ってなければ、乱れる心なんてないだろう。
うん、だってやっぱり自信がないよ。
テンのようにまっすぐに信じる強さが欲しいんだ。
あたしは強くない、弱いから。
この想い一つで突き進むんだって、いまでもそう強く思っているけど。
ふつーの乙女だもの、女の子だもの、だから強く自分を後押ししてくれる力が必要なの。
ビケさんに会おう。
ビケさんの目を見て、想いを伝えて、あの胸に飛び込もう。
それでビケさんが抱きとめてくれたなら、特別な言葉をくれなくたって平気だから
突き進んでいこう。

……う…
う……うぐぅ…?
なに、なにかすごいことになってしまってるんだけど
えっと、ビケさんに会いに行って、ビケさんに抱きしめてもらったはいいんだけど
なぜか突然ビケさんがキンになってて、キンが覆いかぶさってきて?
んですごい胸筋に押しつぶされて、あたしのけして豊かじゃない胸(号泣)がつぶされそうになって?
て、ちょっちょっとまったーーー、んぐ、でも苦しくて、ものすごい圧迫感が、今あたしを最大限に襲ってます。
なんでーーーーー?!
「んむぅっ」
覚醒!?
目を開けた瞬間、あたしは夢を見ていたのだと気づいた、その時、口をわずかにぬくもりを感じるなにかに塞がれた。
圧迫感だけは夢じゃなくて、現実?
あたしの腹部に何者かが跨り、そしてそいつに口を、おそらくそいつの手によって今塞がれているのだ。
あたしが目覚めた事に、そいつも気がついた。
何者?こんなこと以前にもあったね、そうだ金門の…また金門があたしを狙ってきたのか、ちくしょーー。
わずかに窓から差し込む月明かりや街灯の光にじんわりと慣れてきたあたしの目が、その不届き者の輪郭を映し出す。
おのれーー金門めーーー
ぐっと上に跨るそいつを睨みつけたあたしは、脳内ガシガシシェイクだぜ状態になることに。
だってそこにいたのは……
キラリと反射する銀色のメガネフレーム。わずかにすれて響くスーツの音。銀色に照らされる白系の頭髪。
想定の範囲外ですよ!
Aエリアの領主で、少なくとも味方だと思っていたキョウだったから。
なんで?
なんで?
なんでーーーーー?!


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