人魚伝説・・・、エメラの話ではこのBエリアにいると言われている、海に住む人間に似た人間とは異なる種族
半分魚とかそんなファンタジーな容姿ではないらしく、見た目はまったく人間と変わらないし、人間の言葉を話すという。
海で進化を遂げた人類ってことなのか? お伽話のような信じがたい話だけど
その人魚の話は、あたしは初めて知った。
Bエリアでも、その人魚伝説を信じる者はあまりいないらしく、人魚を直に見た者もいるのかどうなのかさえ怪しい。

胡散臭いことこの上ないそんな伝説を、エメラは嬉々とした乙女モード全開の瞳で語りだした。

「人魚の一族は生涯一度だけ、陸に上がることができるです。それも夏の間だけ・・・
その限られた期間に一生を決める大事な選択をしなければならないらしいです。

生涯の伴侶を見つけて、陸で一生を過ごすかわりに海での生活を捨てるか。
結局海に帰って人魚の一族として生きていくか。でもその場合は一族の決めた相手を伴侶としなければいけないらしいです。そして、二度と陸には上がってはいけないです。

諦めて決められた道を歩むか、自由を得るためにひと夏のチャンスにかけるか。

エメラはその自由を勝ち取った人魚にぜひ会ってみたいと思うです!」

キラキラ眼に、ぐっと拳を握り締めながら熱く語るエメラに、あたしは「はぁ」と乾いた返事を返した。

「エメラ、今まで何人もの男の子たちに、好きとか付き合って欲しいとか言われたことあるです」

なに急にモテ自慢か?おい

「でも、エメラは、今までそんな風に思えた人に出会ったことがないです。

エメラも、エメラも誰かをそんな風に真剣に好きになってみたいです。
そんな中人魚伝説を知って、エメラぜひその人魚さんに会ってみたいって思って
この夏休みに、Bエリアに来てその人魚さんに会ってパワーをわけてもらいたいって思ってるです」

そう言って、エメラはカウンターの中にいるテンへと視線を向ける。

「人魚に会うならこの港通りが一番いいと思って、情報求めてフラフラしている時に出会ったのが、あの子猫ちゃんです」
エメラが指差すのはあの白い子猫のハバネロ。

「エメラ、天使を見たと思ったです」

どの辺が天使なんだかわかりませんが、聞き流すとする。

「その天使ちゃんに導かれるようにしてエメラが進んだ先にいたのが、店長だったです。
どこか遠い目をして、海を見ていたその姿に、エメラピンときたです。

もしかして、この人が噂の人魚さんかもって・・・

それでおもいきって訊ねてみたです。そしたらたしかに海にいた記憶があるって言ったです。
それでエメラ興奮していろいろ聞こうとしたら・・・」

再びテンへと視線をやり、はーとため息を吐くエメラ。

「テンという名前以外なにもわからないと言うんです。猫は、一度食べかけのパンを与えてから傍を離れなくなったらしいです、それがあのハバネロです」

あたしはエメラからこのBエリアに来たいきさつやら、テンとの出会い、そしてこの店カフェテンで住み込みで働くことになったことなど聞かせてもらった。
ちなみにどうでもいいが、ハバネロの名前はショウが勝手に名づけたらしい。テンはネコと呼んでいるらしいとか。
いつのまにやら定着してハバネロになったらしい。

仔猫になつかれるだの、ほんとにあのテンなのか?と疑いたくもなる。
だってテンなら、仔猫もいい食料だぐらいにしか思いそうにないんですが。

「なんだ貴様、さっきから人の顔をジロジロ見やがって」

あたしの視線を感じてジロリと目だけを動かしてこちらを睨みつけるテン。
でも手は休みなく作業をしている、他にすることがないかのように
器用に、皿を、カップを拭いて、ケースに片してくその手が、本当は武器を手に、暴力を振るっていた手と同じだなんて
不思議な感覚で目で追っていた。

まだ日の長い夏なのでうっかりしそうだけど、気がついたら日が暮れ始めて、店も閉店の時間になっていた。
エメラは看板をcloseに立て替えたりして、閉店作業をしていた。
あれからずっとショウはハバネロとじゃれあってた、こいつ領主の仕事ってしてないのか?
してないんだろうな・・・

はっ、そうだ、のんびりまったりしている場合じゃない!
遅くなったらAエリアの巡回バスも止まってしまう。
テンのことは気にかかるけど、早くCエリアに帰らなきゃっと立ち上がったとき
下のほうから高い機械音が聞こえてきた。
それは腰に下げていたビケさんからもらった通信機。

「うわっ、あっ、ビケさんっっ」
慌ててそれを手に取った瞬間、横からしゅぱっと掻っ攫われた。

「あっ、ビケ兄♪」

「チョッ、何勝手に出てんのよショウ!」
あたしが通信ボタンを押す間もなくショウに通信機は奪われた、くそっビケさんの声を真っ先に聞くのはあたしのはずなのにぃぃー
しかも、勝手に楽しげに会話しているのがわかるから余計にむかつくーー
すぐにショウの手の中のそれを奪い返して、ぶつける勢いでそれを耳に当てながら

「ビケさん!ごめんなさい、ショウのやつが勝手にとったもんだから」

『いいのよ、ショウちゃんはかわいい弟だから』

かわいい弟?!かわいい弟・・・かわいい弟かわいい(エコー)

『リンネ?』

ハッ!ビケさんのステキな声が、通信機からとはいえあたしの耳元でくすぐっている。
初めてのビケさんとの通信ですよ!ああなんて甘美な行為なんだろう・・・トリップ・・・v

『Bエリアにいるみたいね、なにかおもしろいことでもあるの?』

ハッ、しゅびっと後方のテンを警戒するように見たあたしは、通信機のマイク部分を思わずそっと手で覆ってこそっと話した。
すぐ近くにテンがいるし、もしテンの声がビケさんに聞こえてしまったら、おそろしいことになりそうな気がして
とっさに。
ショウはテンのことを話してなかったので、たぶんまだビケさんはテンのことを知らないと思う。
あの時の、あの二人の間に流れていた空気を思い出すと、下手にビケさんにテンのことは言えない気がする。
それは、あたしの中のどうしようもない不安があふれ出しそうな気がして、怖いからかもしれない。

「いえいえなにも、なにもたいしたことはないのです!」
慌てて唾を飲み込むタイミングさえ誤るあたし、確実に動揺しまくりなのがバレバレ。

『怪しいわね、まさか浮気じゃないでしょうね?』

「は・・・ハイーー?!」
ビ、ビケさん?!なにをおっしゃるのでー?
うわ、浮気だなんて、こんなステキなビケさんがいながら、なにに気を浮つかせるというのですか?
意味不明ですけどっ

「そうそうー、リンネさー、レイトのやつがリンネにまた会いたがっていたよー」
会話のやりとりが聞こえていたのか、ショウのやつがわざとらしくデカイ声でそう言った。
て、なぜそこでレイト?!いつの人ーー?

『ふぅーん・・・いい度胸しているじゃない』

「ちっ、ちがっ、知りませんレイトって誰ですか?!」

ほんとだれなんですかね?レイトなんて記憶の欠片もございませんが
と人が否定していると、すぐ横にまで来たショウがまたしてもわざとらしくビケさんに聞こえる声で

「レイトさー、今度リンネに会ったら(硫酸)ぶっかけたいvて言ってた」

「はっ?」

「ぶっかけって・・・なにをですか?」
両手を口元に当てながら聞くエメラ、お前なぜそこで食いついてくるんだ?

『そう、そのためにBエリアまで・・・』

はあっ、そんなよりによってレイトに浮気疑惑なんて冗談じゃないっ

「ビケさん!あたしはなにがあってもビケさん一筋ですからっっ!」

思わず叫んでしまった、後になって、かなり恥ずかしい言葉を、ショウやエメラやハバネロやテンのいる前で
あたしは、恥ずかしい・・・・

いや、でもそんなの越えてビケさんのことが好きですから
だから、好きなビケさんに、そんな風に思われるなんて嫌すぎ・・・

『言わなくてもわかっているわよ』

涼しげなビケさんの返答。うわーん、恥ずかしいバレバレマックスかーー

その直後、通信機の向こうからくすっという笑い声が聞こえてきた。

『冗談よ、なにムキになってるの』

は、ははビケさんったら・・・、脱力して膝からドッと床についたまま通信中。

ああっ、ビケさん、愛しいその声。通信機ごしでも、そのステキオーラは伝わってくるんですから
だからこそ、足りないって心がハジケそうになってるんです。

会いたい、一秒でも早くビケさんに、会いに行きたい・・・

「あのっ、すぐに戻りますからっっ」

ここからAエリアまで結構距離あるから、近くでチャリ拝借してマッハでとばして、バスに乗って
Cエリアではこの通信機使ってタクシー乗れば、そんなに時間かからない計算で・・・
とシミュレーションしていると

『戻らなくてもいいわよ』

「へ、・・・はい?」

ビケさんの言っていることがわからないんですが

『私今晩は戻れそうにないから、私のいないCエリアに戻っても意味ないでしょう?リンネ』

「は、はいたしかにビケさんのいないCエリアなんて、意味ないです・・・けど」

ビケさんの言おうとしていることがわからないまま、足りないおつむぐるぐるさせていると

『ショウちゃんのとこにでもいけばいいでしょ』

「は、ちょっビケさん?!」

なんだかなげやりっぽく聞こえたそれを最後にビケさんからの通信は途絶えてしまった。
え、ええっとどういうことなんでしょうか?ビケさんはあたしがBエリアに残ろうが、心配じゃないんですか?

「ボクは別にかまわないけど、レイトのやつもリンネに会いたがっていたし。

一晩でも二晩でも、ゆっくりしてけばいいよ、レイトとたっぷり・・・」

話の内容を察していたショウが、にたにたとむかつく笑みを浮かべながらそう言った。
たっぷり・・・の後の考えていることは悲しいほどにわかってしまうあたしも悲しすぎる。

「冗談じゃない!Bエリア領主館なんて、二度といくもんですか!

だいたいレイトってだれですか?!」

もう忘却の彼方ですから、そんな奴。
レイトとかカイミとか、そんなにあたしの災難を見たいのかこいつは、ろくな死に方しないな、まったく。

そんなことより
「はー・・・」
ため息をついてさらに脱力する。ビケさんに、会えないなんて・・・ビケさんのいない時間なんて、気が遠くなるくらい長く感じるに違いない。

「今のって、もしかして、彼氏さんですか?」
そう訊ねてくるエメラに慌てて首を横に振る。

「そ、そんな彼氏なんてレベルの存在じゃないわよ!ビケさんはっっ」

そう、そんな単語で決め付けられる存在じゃないの、ビケさんは
顔面真っ赤で汗たらたらなあたしを見て、エメラも察したらしい。

「ラブラブな方なんですねv」
フフっと笑いながら、エメラはそう言って一人頷いた。

「でも、今日は会えないから、帰らなくてもいいって・・・」
がくーと床に顔がつきそうなほどうな垂れるあたしの背中を、ぽんと優しく叩くエメラの声。

「それなら、ここに泊まっていったらどうです?ね、いいです?店長」
テンのほうを向き、そう訊ねるエメラに、カウンターの中のテンはめんどくさそうに「フン、勝手にしろ」と言った。


テン・・・やっぱり違和感バリバリだ。
ビケさんの名前を聞いてもまったく反応しなかった。
テンにとって人生を変えたと言っても過言じゃないくらい、きっとテンにとって大きな存在だったビケさんとおばあちゃん。
その二人のことも忘れてしまうなんて・・・それはなんだかあたしの中にも空いたままの空洞のように不快で
このままは嫌、そんな気持ちがもくもくとしていた。


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