生まれてから八年弱、ボクはずっと暗闇の世界にいた。
喜びだとか幸せだとか快楽だとか、そんなものとは無縁の世界。
首都鬼が島、薄暗い部屋の中、痛みと罵声ばかりが繰り返す地獄の空間。
鬼王の子、英雄温羅の血を継ぐ鬼門家の人間、キン兄とキョウ兄と同じ両親から生まれた同じ血とルートの兄弟なのに。ボクだけは特別だった。父王からすれば、特別にできそこないの息子だった。
末っ子だからとか、小柄だからとか、力がないとか、そんなことは言い訳にならない、強くなければならない。
それが鬼王の鬼門の掟だった。
できそこないだから、ボクばかりがしかられた。弱いから、しかられる、そう思って強くなろうとした。Bエリアの雷蔵伯父上のもとで、戦闘訓練もした。
それでもボクはできそこないだった。父王はいつもそう言ってボクを殴った。
ああ弱いからだ、役立たずだからだ。そう言い聞かせて、強くなろうとがんばった。
だけど、どんなにがんばっても、父王は罵声と暴力をやめてくれなかった。あのころはわからなくて、ただただ怖くて、自分のせいだと思っていた。
記憶が蘇った今になって、どうして父王があんなにボクにばかり当たっていたのか気がついた。

『目障りな役立たずめ』

あの男と重なる。ゼンビを嵌めた鷲将とかいったあの男と。
父王があの男の生まれ変わりだったのか、父王が亡くなってしまった今それを確かめる術はないわけだけど。そんなことはどうだっていい。ボクにとって重要なのはたったひとつ、ビケ兄のことだけだ。


ボクら兄弟が戦闘訓練を受けていたのは、鬼門家の者として強くあるためだけじゃなかった。その本当の目的は伯父上にすら知らされていなかった。ボクら兄弟三人に与えられた指令。鬼が島から追放され島に流されたと言う悪鬼が、鬼が島を、父王の命をとりにやってくるという。その悪鬼を倒す為に、ボクら三人は戦闘訓練を受けさせられた。父王の言う悪鬼、赤い髪に赤い瞳…悪魔のような風貌の男なのだと。
父王に認めてもらうために、ボクは、戦闘はキン兄たちに比べたら得意じゃなかったけど、死ぬ気でがんばろうと思った。
鬼歴1489年、鬼が島にその悪鬼が現れた。
赤い髪をなびかせて、手にはなにも得物らしきものも見えず、ゆっくりと近づいてきた。
戦わなきゃ!心の中で自分を奮い立たせようとするボクに、その悪鬼は両手でもってボクの動きを封じた。
力ずくじゃなくて、温かさでもって。
「大丈夫、もう戦わなくていいから」
ボクは一気に力が抜けて、緊張が解けたっていうのかな。その人の腕の中で抵抗なんてしなかった。会ったばかりなのに、父王から悪しき鬼なのだと聞いていたのに、たったの一言なのに、ボクはこの人が味方で、ボクのすべてを理解してくれたんだって一瞬でそう思った。
それがビケ兄だった。ボクは十年前にビケ兄と鬼が島で初めて出会ったんだ。いや、本当に会ったのはもっと昔に遡るけど、その時は温羅とゼンビとしてだったわけだけど。
ビケ兄と出会ってから、ボクの世界は一変した。
ボクたち兄弟はBエリアの雷蔵伯父上のもとに戻った。あの日以来、鬼が島には行っていない。
Bエリアに戻ってすぐに、ボクらはAエリアへと移る事になる。学校へ通えってことでね。ボクはキン兄たちと違って学校なんて興味なかったけど、ビケ兄が勧めてくれたから通うことにした。
ビケ兄は優しかった。ボクら兄弟に対しても。会ったばかりの他人同然の関係なのに、そんなことなど気にする素振りもなくて、長年の家族だったみたいに気遣い労わってくれた。キン兄たちもビケ兄を特別慕ってたみたいだけど、ボクはそれ以上にビケ兄を慕った。
特にビケ兄はボクに優しくしてくれた。ビケ兄だって、鬼門から追い出されて、島に流されて、父王から迫害されていたのに、ゆがみもすさみもなく、いつもボクのことを一番に考えてくれた。
鬼が島のビケ兄への待遇も一変した。ビケ兄は父王から暗殺されそうだった身だったのに、鬼が島へと乗り込んできたビケ兄は咎められることもなく、父王のもとへとたどり着いた。ビケ兄は父王が思っていたような悪鬼じゃなかったとわかり、和解した。今では若くして執政の地位へと上り詰め、誰より鬼が島鬼王に近い存在になった。鬼が島から認められたビケ兄は、雷門の当主の伯父上や、金門からも信頼されるようになった。それは鬼が島の力だけじゃなく、ビケ兄個人の力もあった。ビケ兄はCエリアやBエリアにも何度も足を運んで、現鬼王の代で薄まりかけていた金門雷門との関係を強める事に成功した。

ボクら兄弟三人はAエリアの学生寮に入った。ビケ兄は忙しい合間を縫って、ボクの様子を見に来てくれたりした。

「ビケ兄、帰らないで」
しがみつくボクの手の甲をビケ兄が優しく撫でながら引き剥がす。
「大丈夫だよショウちゃん。離れても僕らは深く強く繋がっているんだから」
ビケ兄の優しさと言葉とぬくもりがボクの原動力になっていった。ボクの一番はビケ兄で、ビケ兄が一番大事で、ビケ兄以外の存在なんてどうでもよかった。

ビケ兄は優しい、ビケ兄はいつだってボクのことを一番に心配してくれた。ボクはビケ兄が好きだから、ビケ兄の期待に応えたいと思った。ビケ兄がボクに望む事は…、前世の記憶を取り戻し、鬼が島への揺ぎ無い忠誠心を持つ事。…時間はかかったけど、ボクはそれを果たす事ができた。
これでビケ兄はボクを認めてくれる。ボクを見てくれる。


「なにをしているのショウちゃん、そんなにあの忌まわしき桃太郎の力を受け継いだあの男が怖いの?」
なにもない暗闇の空間の中に、ビケ兄が現れてボクに問う。あの男…オッサンが怖いなんて、そんなわけないだろ。ボクはビケ兄のためなら、なんだってできる。
わかってくれていると思っていた。だけど、今目の前に浮かぶビケ兄の目には、信頼の光が見えない。探る様な目なんだ。
「立ち向かう勇気のない子なら、必要ないわ。ショウちゃん、鬼が島を私を幻滅させないでちょうだいね」
「ボクはビケ兄を裏切らない! 絶対に」
「ふふふ、裏切らないだなんて、よく言うわ。あなたは昔私を裏切ったじゃない、忘れたの?」
心臓を氷の刃が貫くみたいに、ボクは内部にダメージを受けた。ビケ兄の言葉が理解できなくて、視界が凍りつく。
裏切ったって、なんのことだよ? ボクがビケ兄を裏切ったことなんて、あるわけがないのに。
どうして……。


「――…ョウ! ショウ!」
「!?」
何者かに体を揺さぶられて、目の前の景色が変わっていた事に気づく。
「リンネ…」
ボクを揺さぶって起こしたのは、リンネ。ゲームのほうのリンネだ。
さっきのは、どっちだったっけ? さっきのビケ兄は現実のほうなのか、ボクの記憶の中なのか、それともこのクソゲーのバグのほうなのか。…なんか混乱してきた。
「はぁ、びっくりした。通路で倒れているんだもの。冷や汗でたよ。こんなところで寝ていると風邪ひくよ」
いい加減、このゲームを終らせなきゃな。…なんて思うのに、ボクは、またゲームオーバーになってやり直してもいいかもなんて思ったりしている。わけわかんないな、ボクはどうしたいんだ? 現実に、戻るのが、怖い?
『裏切り者』
ボクの想像の中でそう動くビケ兄の口。違う、ビケ兄が言うわけない、確か別の誰かのセリフだ。馬鹿な勘違いしているだけだ。
こんなムチャクチャなゲームからとっとと解放されたい。そう思う気持ちもあるのに、戻りたくない気持ちが揺らめいて、ああまた変なストレスがたまりそうだ。
「ショウ、あのね…あたしショウに言いたいことがあって探してたんだ」
ボクの真横の影が動く。リンネがボクの隣に座り込む。ガンガン痛む頭の横で、リンネの声は妙にハッキリ聞こえていた。
「あたしショウに出会えてほんとによかった。ショウのおかげで日々の楽しさを実感できるようになったし、未来に希望が持てるようになった」
コイツはほんと単純だよな…。
「あたしほんとうに感謝してるんだ。今までありがとうショウ」
馬鹿じゃないの。…てまるで別れの挨拶じみてるな。…そうか、ゲームもそろそろ終盤になるんだよな。
…ここまできたけどなにを探れたんだ? 結局この世界では桃太郎には会っていない。ビケ兄のバグを除いては、特別なにかがあったわけじゃなかったし。
「あたしもうショウにばかり頼ったりしない。自分を信じて、突き進んでみる。
これからは、あたしがだれかの力になれるようになりたいから。見ててショウ」
自己完結で晴れやかな顔つきで立ち上がったリンネがボクに背を向ける。
散々人を頼っといて、勝手にもう頼らないとか、自信満々で決意して、なんなんだよこいつは。
「! 待てよ」
リンネ、お前は一体何者なんだよ? 桃太郎の力を持たない桃山リンネは何者なんだ?
通路の奥へと消えていく背中を追いかけた。

考えてみれば、鬼が島の指令的にはこのゲームをやる必要なんてもうなかった。桃太郎とオッサンを組ませる事に成功したわけで、鬼が島はリンネを処分する方向で事を進めているわけだし。
このゲームを続ける理由、それはボクの個人的な理由のため。リンネの記憶から作ったこのゲームは、プレイヤーのボクの記憶にすら作用した。そのせいで記憶の混乱が生じた。主にビケ兄関することで。だけどそれはゲームだけのことなのか、リアルのことなのか、ハッキリしてない。
それからもう一つ、リンネがむかつくから。

すっかりリンネを見失った。あいつはいったいどこにいきやがったんだよ?
まさか?
緊迫したBGMが流れ出す。ついにここまで到達したんだ。ラスボス。
通路の奥、階段の上から男の声が響いてきた。
「待ってよリンネちゃん、どうしてどうしてわからないんだ? ボクが一番リンネちゃんをわかっているのに。…しょうがないよね、力ずくでわからせるしかないよね」
あの男の声だ、あのキモイストーカー野郎の。それから物が破壊される音が上からした。
「ちょっ、やめてってば、どうしてまともに話を聞かないのよ」
リンネの声だ、あいつと対面しているみたいだ。ボクは階段を駆け上がるとすぐにリンネたちの姿を確認できた。アイツの手には物騒な釘バットがあった。その釘バットにて破壊したと思われるガラスやら物の破片が周囲に散らばっている。鼻息も荒く興奮している。
アイツが数歩前進すればリンネは確実に攻撃範囲に入る。バカか、なんでわざわざ危険人物に接近してんだよ、マゾかマゾなのか。
「リンネ!」
ボクの声にリンネが振り向く。その間にあのキモ野郎の目が光り、釘バットを振り上げてリンネへと襲い掛かる。
「バッ逃げろッ!」
「きゃあっ!」
振り下ろされる直前に気がついて敵へとリンネは振り向き、寸でのところで直撃はかわしたが、よけた勢いでてすりを飛び越え下の階へと落下した。
「ぎゃっふん」
すごい音立てて落下した。…でも生きているみたいだな、ゲームオーバーになってないし。
「はぁはぁ、下に落ちたんだ、しばらく動けないだろうね、ぐふふぐふふ、今行くよリンネちゃん」
血走った目でバットを持ったまま階段の下のリンネのもとへと向かおうとするキモ野郎。よだれをすする音をさせてもすすりきれないほどよだれたれてる汚なっ。
コイツがリンネの元に到達すれば、その時こそ確実にゲームオーバーだろう。ここはボクがコイツを止めるしかないのか。レベルは40は上がったし、もう十分クリアできるレベルになっているはずだし。…だけどどうもパワーアップしてない気がするんだよな、前回のプレイでも終盤十分なレベルのはずなのにバトルに挑んで即死したわけだし。…おそらく、今ボクが考えた選択こそ間違っている。
レベルアップがウソとは思えない。いくらクソゲーとはいえミントの奴がそんな凡ミスかますわけないし。
「いたた、びっくりしたなーもぅ」
リンネのやつ起き上がった。すごい音がしたわりにはアイツピンピンして…! そうか、ボクはバカな勘違いをかましていたわけだ。レベルアップはボクじゃなくて、リンネのほうだったわけだ。
答えが見えた、ゴールへの道が開ける。
「いいっ」
リンネが情けない悲鳴を上げて動きを止める。目線の先はこっちで、ボクを覆いつくす影。
「あぐぅっ」
くそっこの世界のボクとろすぎるにもほどがある。横をとおりすぎようとしたキモ野郎に首を掴まれて持ち上げられる。
「お前邪魔だな。ここで殺してあげようか?イヒヒヒヒ」
「やっやめてーー」
もがきながらボクは目線を下にいるリンネへと向ける。リンネの目は、さっきまでの無駄に自信に満ちていたものと変わって脅えたものになっていた。またこれじゃ…ゲームオーバーか?
いや、まだだ、まだゴールへの道は閉ざされていない。
「優しいなリンネちゃんは。こんなクズでも目の前で死なれるのはイヤなんだね。そうだね、どうしようか。
リンネちゃんがボクの言う事を聞くのなら、考えてあげようか?」
「ほ、ほんとうですか? 約束守ってくれますか?」
「もちろんだよ。だからそこで大人しく…床に手をついて、そうそのまま大人しく…ぐひひひひぃ」
リンネは野郎の言うとおり座り込んで手をついた。目を伏せて、諦めたオーラを漂わせて。
バカだろ? なんのためにここまできたんだよ。今までのことをなかったことにする気か?
「…なんだよ、口だけじゃないか。見下げ果てたよリンネ」
「ショウ?」
リンネの目が開いてボクを見上げる。
「うるさいな、お前入り込んでくるなよ」
キモ男が横目で睨みながら、さらにボクの首を締め付ける。こいつデカイ手で握力すげーな。
「ぐっ」
「やめて!」
「こいよ、這い上がってこいよ! アイツなんか頼らなくても戦うんじゃなかったのかよ? コイツすら倒せなくてオッサンと戦えるのかよ?」
ビケ兄のためならなんでもできると、オッサンとも戦えると、偉そうに息巻いていたくせに。現実のほうのリンネだけど…。
「バカだなお前、リンネちゃんがボクと戦うなんてそんな野蛮な事するわけが」
「そうだ、あたしは自分を信じて突き進むって決めたんだ」
リンネが立ち上がる。開いた目には迷いの色がなかった。
「わあああああーーー」
「な、うそだ、どうしてリンネちゃんーー」
階段を駆け上がりながらリンネはキモ野郎に突進した。視界がスパークに包まれて、再び視力が戻ると、そこはBエリア領主館のボクのプライベートルームだった。
「あ…」
膝元からファンファーレが聞こえる。画面にはクリアの表示があった。
「やっと終った…」
エンディングすらないまさにクソゲーだったわけだけど、このゲーム…。「ガキッ」、気色の悪い音が聞こえてゲームのディスクを取り出すとヒビが入っていた。もう二度とプレイできなくなったな、まあもう二度とする気は起きないけど。
リンネもこれで二年前の記憶を失ったままってことかな。売った記憶を自力で思い出すのって相当難しいって聞くしね。…それ以前にリンネは…
前世の記憶を思い出さないみたいだし。…ボクらとは違って、リンネは前世の記憶に想いに縛られない。
だからあいつは薄っぺらいんだ。ビケ兄のことも、深く知りもしないくせに、想いは負けないなんて偉そうにいいやがって。
「くそっ」
やっぱりリンネのことを考えるとひたすらムカついて仕方なかった。


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