武器を振り上げ、兵士は島民へと襲い掛かってきた。
「うわーー」
「死ねー!愚かな島人よ」
「そうはさせない!」
その間に滑り込むように入ったサカミマは身を屈めたまま、手に持っていた鎌で、兵士の鎧の隙間の柔らかい部分を狙い、斬りつけた。
「ぐぅっ」
鋭い痛みに、兵士は一瞬顔を歪め、苦痛の顔を見せた。
半歩後ずさった兵士を背後からチュウビが持ち上げ、自分の後方へと投げた。
兵士は砂浜にと叩きつけられ、鈍い音と共に、意識を失った。
「お前、なかなかやるのぅ」
にやりと笑みを向けサカミマにそう言うチュウビに、サカミマは真剣な顔のまま
「まだ連中はヤル気ですよ」
「おーし、勝負じゃ、だれが一番多く倒せるか!」
勝負などどうでもいいが、今はチュウビたちと力を合わせ、兵士たちを静めることが最重要と判断したサカミマは、勢いのまま兵士たちにかかっていった。
大半の兵士達は、チュウビとゼンビによって倒された。チュウビたちの強さは兵士達にとって想像外だったのだろう。悔しそうな顔をしながら、島を去っていった。
それを見送った島のものたちは、安堵と歓喜の声を上げた。
「よくやったサカミマ」
島民の一人がサカミマに近づき、肩を叩きながら彼に声をかけた。
それにサカミマは素直に喜べず、微妙な顔のまま「はぁ」と息を吐いた。
暴力は好まないのに、兵士達のやり方は許せなかった。
この島を、自分たちの生活を守る為の最終手段だと思っての行動でしかなかったからだ。
戦うことを楽しんでいたように見えたチュウビたちとは違う。
そう思っていたサカミマだったが、この二人と意気投合してこの島を立つことになるのは近い未来の話。
その日の夜、サカミマ宅を訪れたのは、チュウビとゼンビだった。
二人の訪問に驚きの表情を見せたサカミマに対して、チュウビはマイペースに笑いながら、サカミマの肩をぽんぽんと叩きながら、入ってきた。
座敷にて向かい合うように腰掛けた三人は、今日まで馴染みのなかった関係なのに、以前からの友であったような不思議な気持ちになっていた。
共に危険に立ち向かったからであろうか、よくはわからないが・・・
もしくはそう思わせたのは、やたらと人懐っこいチュウビの性格にあったからかもしれない。
「チュウビと、ゼンビでしたね。今日はあなた達のおかげで、島の者に一人も犠牲が出ずにすみました」
サカミマは二人に感謝の意を伝えた。
「別に島のためにやったんじゃないし、ま、思ったほど手ごたえなかった連中だよね」
行儀悪く膝を立て、唇を尖らせながらそう言うゼンビは目の前の菓子を啄ばむ。
「そうじゃ。ワシらは退屈しとったんじゃ。この島は平和すぎるからのぅ」
え?
眉間にしわ寄せ表情のサカミマは顔を上げ、二人を見る。
なんともマイペースな、わが道を行く若者の顔。
正義感で立ち向かったサカミマとは少し違う。
「あいつらよりもさ、強敵はあれだよね」
「おおそうじゃ、あのバケモノ猪じゃな。やはりあいつを倒さんと・・・ワシらは一番になれん」
「・・・なんの話ですか?」
そう問いかけたサカミマに、二人は嬉々として教えた。
「あの山におるんじゃよ。バケモノのようにドデカイ怪物猪がの。
ワシとゼンビで何度か追い詰めたことがあるんじゃが・・・あと一歩のところで逃げられてしまうんじゃ」
「あいつだけは絶対に倒さなきゃーね。見てよ、この傷」
ゼンビは右太ももをサカミマに見せるように、服を捲り上げた。
太もも中央には、大きな傷が、山のように膨れ上がった箇所がある。
「酷い傷を・・・、その猪にやられたんですか?」
「そーだよ、この借りは絶対に返さないとね」
鼻息を荒くするゼンビに、チュウビはそうじゃ!と意気揚々と答える。
「よし、早速明日の朝退治に行くぞ!サカミマ、お前も一緒に来い!」
嬉々としてそう誘うチュウビに、呆れ顔のサカミマは首を横に振った。
「行きませんよ、私は仕事があるので」
「なんじゃー、つまらん。お前はなかなかやる男じゃと思うたのに」
はー、と息を吐くチュウビに、サカミマもはー、と息を吐いて呆れた。
「猪退治とか、そんなのん気なことやっている場合じゃないんですよ。
金酉の連中があのまま引き下がるとは思いません」
「安心しろ、やつらが来るまでにケリつけてきちゃるわ!」
どこまでマイペースな人なんだと、はー。と息を吐いてサカミマは二人が帰った後、仕事に戻った。
大量にあった器の上の菓子は、きれいになくなっていた。
翌朝、サカミマは早朝の仕事を一通り終えた後、あの山の前にいた。
バケモノ猪がいるというあの恐ろしき山。昔、山姥がここの山に住んでいて、山に入った人間を襲い喰らったと言い伝えられ、恐れられていた。
普通の島民なら、その山に近づこうと思う者はいなかった。
噂ではなく、実際バケモノ猪も、山姥もいたからだ。
山姥に関わろうという人間は誰一人いなかったし、山姥も島の人間に関わろうとはしなかった。
この山は、この島の監獄のような・・・そんな陰気な場所だった。
そんな場所にあの常識しらずのあの二人は行くといった。
ほおっておけばいいと思いながら、ずっとあの二人のことが気にかかっていたサカミマは、結局様子見に来てしまったのだ。
おせっかいなこの性格が煩わしいと思いながらも、逆らえない感情のようだ。
少し視線を上にやると、大きな人間の影と、自分より小さな人間の影が動くのが見えた。
すぐにそれがチュウビとゼンビの影だとわかったサカミマは、二人の名を呼びながら、山道を駆け上がっていった。
「おおっ、サカミマかー!やっぱり来たんかー」
にやにやと笑みを浮かべながら、手招きをするチュウビに、サカミマははーと息を吐きながら、問いかけた。
「あなた達、普段一体なにしているんですか?」
「修行!」
「あと畑耕したり、な!」
こんなことばかりしているわけではないのか、少しほっとしたサカミマだった。
しかし、この二人は・・・
「よーし、勝負じゃー!三人でー」
「誰があの怪物を倒せるか!まー、オイラが勝つけどね!」
にししと歯を見せながらゼンビは笑う、手にはあのパチンコを持っている。
ひょいひょいと獣のように木と木の間を飛び渡りながら、木の実を千切りとり、それを弾にするのだろう、掌の中に用意しながら、いつでも登場しろとうきうきした顔をしていた。
チュウビは大柄だが、自分と同じ年頃のように思えた。ゼンビはもう少し年下に見えた。
この二人はどういう関係なのか、兄弟にしてはあまり似てないようだし、サカミマと知り合う前から、仲はよさそうな間柄に思えた。
欲望のまま好き勝手にしそうなこの二人に、必要のない心配をしてしまうサカミマは、二人の後につきながら、暗い山道を登った。
山は周囲の木や草がこれでもかと背高く多い茂り、日光をほとんど通さなかった。
朝だというのに、夜のような暗く冷たい道だった。
今にももののけが現れそうな、そんな場所だった。
島民が、恐れ近づかないのも納得だ。
しかし、チュウビとゼンビの二人は、まるで宝物に近づくみたいに、わくわくと心躍らせる子供のような顔をして道を登っていた。
そんな二人を呆れた目で見ながらも、サカミマは親しみも同時に感じていた。
二人のことを、嫌いでないのかもしれないと、思いながら・・・
「むー、なんじゃー、おらんぞーーー」
山道に入って、二時間が経つ頃、チュウビの大きな声が山に響き渡った。
「ほんとだ、まったく気配が感じられないよ・・・どういうことだろう?」
不満気な顔の二人、サカミマは少しほっとしたが、残念がる二人を可哀相だと思いつつ声をかけた。
「今日は諦めて、戻りましょう」
「えーーー、なんでだよ?まだ一戦もやってないってのにーーー」
ゼンビの幼い少年声が山に響き渡る。
はーー。とサカミマが約束のようにため息を吐いたその時、三人の前に一匹の獣が飛び降りてきた。
頭上から、飛び降りてきたその影は、サカミマよりも一回り小さな・・・、ゼンビよりも少し大きいくらいの、それは
獣のような鋭い眼光の、少年だった。
「な・・・君は・・・?」
少年の手には、獣の肉と思われるそれが握られていた。それを少年はそのまま噛み千切っていた。
「その毛の色・・・まさか、あの猪の!?」
少年を見たゼンビの目がカッと見開いた。
少年の手に・・・口にしている獣の毛の色に、ゼンビたちは見覚えがあった。
何度も挑んできた怪物のそれと同じであったから。
ゼンビは直感で、それがあの猪のものだと感じ取った。
「お前がやりやがったのかー?ちくっしょーー!」
悔しさが込みあげたゼンビは、少年に向け、パチンコで射撃した。
「!ゼンビまっ」
サカミマが止める間もなく、木の実の弾丸は、少年目掛けて放たれた。
ダメだ!
サカミマが目を閉じたその瞬間、少年の姿は彼の、そしてゼンビの視界から消えた。
「な、消え・・・」
ゼンビが首を振ろうとしたその時、ゼンビの身体は前方に飛び、木に腹をぶつけながらそのまま蹲った。
「何者じゃーきさま」
両腕をブンと振りながら、木の根元でしゃがみこんだ少年へとチュウビが突撃した。
「チュウビ!」
「ぐぅっ」
少年の身体がチュウビと合体するくらい接近した直後、チュウビのうめき声がして、ゼンビに続いてチュウビもダウン、そのまま草葉のふとんの上に寝るようになった。
目の前で一瞬で起こったその事実を実感するのに、時間がかかった。
呆然とそれを見ていたサカミマは、動けず、チュウビを倒したその少年と目があった。
なにか言葉を発しようと思ったが、できなかった。
少年がすぐ目の前にせまったと思ったら、衝撃と同時に意識を失ったサカミマは、黒い世界の中にいってしまった。
「はっ!」
目を覚ましたサカミマの目の前には屋内と思われる、天上のような景色が見えた。
「サカミマさん、大丈夫ですか?」
その声はすぐ傍でした。ビキの声だ。
「ビキ・・・?」
首を横に向けたサカミマの視界には、心配そうに隣にいたビキの姿が映った。
なぜビキがここに・・・?・・・いや、ここはたしか・・・
ビキの家だ。ビキの家で、なぜか自分は布団の中、寝ていたのだ。
一体・・・、たしか自分はあのバケモノ猪の出るという山に行って、あの二人と一緒に
そこで、謎の少年と遭遇した。
ぼうとする頭を抱えて、不思議な体験を思い起こしていたサカミマの前に、ビキの父がやってきた。
「サカミマくん、具合はどうだい?」
サカミマは身を半分起こして、彼のほうを向いた。
「はい、大丈夫です・・・けど、その一体・・・」
自分の身に起こったことをまだ理解しきれていないサカミマを察して、ビキの父は答えた。
「あの山の中で倒れていたんだよ。よかった、気を失っていただけのようで。
君のうちに送ろうと思ったんだが、君のとこにはケガで動けない人が多いからね。
私の家で休んでもらおうと思って、ここに運んできたんだよ」
「そう・・・ですか。すみません、病み上がりの身なのに、苦労をかけてしまって・・・・・・
あっ、そうだ!あの二人は?!私と一緒にいた小柄の少年と、大柄の男は」
ゼンビとチュウビはどうなったのか、二人の姿が見えないサカミマは不安になって訊ねた。
ビキの父は、こくりと頷きながら
「ああ、あの二人なら君より先に気がついて、もう戻ったよ。二人とも特にケガもしてなかったようだから、安心したらいい」
「そう、ですか。よかった・・・」
ほっ。と安堵のため息を吐いたサカミマにビキも安心して、席をたった。
「私・・・お茶入れてくるわ。サカミマさん、もう少しゆっくりしていて」
「ありがとうビキ・・・」
少し疲れていたサカミマは、二人の好意に甘えることにした。
身体の表面をさすってみたが、特に外傷もないようだった。あの少年に襲われた気がしたのだが・・・
寸でのところで助かったのだろうか・・・それとも、本当にあの少年はいたのだろうか?
夢でも、見ていたような・・・
「そういえば、なぜ、あの山に来たんですか?」
しばらく混乱していたサカミマだが、そのことに気づいてビキの父に問いかけた。
自分を助けたのは、おそらくビキの父で、ということはあの山に彼が入っていたということか?
なぜ?!
「彼に・・・会ったのかい?」
ビキの父のその言葉にぴくりとサカミマは反応した。
彼とは・・・もしや、あの少年・・・
「彼は・・・何者なんですか?」
知りたかった、あの少年が何者なのか、サカミマは気になっていた。
瞬時の出来事だったが、只者でないのはわかった。
ビキの父はこくりと頷いて、ゆっくりと語り始めた。
「彼の名は・・・桃太郎という」
「桃太郎?」
ビキの父はこくりと頷き、話を続ける。
「今から十六年前になるかー・・・、ある女性が子供を産んだんだが、その子が結婚を予定していた相手とは違う人との間にできた子らしくてね、周囲の強い反対と罵りに耐え切れず、生まれたばかりのその赤子をあの山に捨ててしまったんだ。
その頃、私にもビキという赤子がいて、それが他人事と思えなくて、彼女から話を聞いて、その山に向かったんだ。
彼女は桃の木の下に、その赤子を捨ててきたそうだ。
私は急いでそこに向かった、真暗な闇の中のようなあの山へと・・・
こんな暗い場所に、一人置き去りにされた子の心細さを思うと一刻も早く見つけてやらねばと思って、その桃の木に向かったんだが・・・
私がついた時、そこには赤子の姿はなかった。その周辺も探してみたが、存在さえ感じ取れなかった。
その時、巨大な猪に襲われそうになって、慌てて逃げたんだ。
あんな恐ろしい猪がいたなんて・・・・・・、おそらくその子供はもう・・・あの猪に・・・
もうこの世にいないのだと諦めていた。
あれから十六年たった今、あの赤子が生きていたと知った。
信じられないが、あの少年は桃太郎と名乗ったんだよ。
私はあの子だと直感でそう思ったんだ。生きていたんだ、あの山の中で、逞しく。
こんなことが・・・あるんだね・・・」
信じられない・・・そんなことがあるのか?
サカミマはそう思ったが、ビキの父は純粋にそう信じているようだ。
ビキもそうであるように、ビキの父もまた、純粋な人間であった。
あの少年は、ビキの父と言葉を交わしたのか・・・
一体どんな会話を・・・?
「彼の母親は、彼を捨てたしばらく後、子を捨ててしまった罪の重さに耐え切れずに、海で命を絶ってしまったんだ。
だからこそ、彼には・・・桃太郎には幸せになってもらいたいんだ。
サカミマくん、よければ彼と仲良くしてあげてくれないだろうか?」
純粋でまっすぐな目をサカミマへと向けるビキの父に、サカミマは「はい」と小さく頷いた。
二人の会話を戸の後ろでビキは聞いていた。
父の話す桃太郎が、あの少年のことではないかとビキは確信した。
また、会いたい・・・もっとあの人のことを知りたい。
そんな感情が高鳴っていた。
「あー、あいつ一体なんだってんだよ?むかつくなー、だいたいありえないよ、このゼンビさまが負けるなんてありえない!」
「むー、たしかに気になる小僧じゃったな、・・・もう一度、本気でやりあってみたいわ」
プリプリ愚痴をはくゼンビと、腕を組みうむうむと頷くチュウビは、なぜか今日もサカミマのところにいた。
サカミマは仕事の合間を縫って、二人の相手をしていた。
「彼は桃太郎というらしいです」
「なんじゃ?サカミマ知り合いなんか?!」
「あーもー、やっぱり山に行って来る!このままじゃムカムカしてしょーがないし!」
「別に私の知り合いでは・・・っとゼンビ待ちなさい!」
駆け出そうとしたゼンビの首根っこをサカミマが引っ張った時、サカミマを呼ぶ声が彼の元に近づいてきた。
その声は慌てた様子で、切羽詰った様子だった。
「海岸に・・・あの金酉の奴らが・・・」
息途切れ途切れに、男はサカミマにそう告げた。
「山は後回しじゃゼンビ。酉退治にいくぞー」
意気揚々とチュウビは海岸へと走り出した。
ちぇっ、まいっか。とゼンビもその後へと続いた。
やはり来たか。ぐっと息を飲み込んで、サカミマも彼らの後に続いた。
海岸にすでに金酉の兵士達は上陸していた。
船の数も、兵の数も、前回より二倍になっていた。
悔しい思いをしたから余計にだろうか。
連中の表情にも鬼気迫るものがあった。
気の短そうな司令官が声を荒げ、数人の若者を縛り上げ、船へと連れ込んでいた。
前回のチュウビたちの活躍に触発された若者たちが、果敢にも立ち向かったが、あっさりと返り討ちに合い、すぐに抵抗できないよう縄で縛り上げられた。
「またんかー!」
海岸に響くその声は、チュウビの声だった。
「お前らか・・・先日はよくもやってくれたな」
ギリギリと歯軋りしながら、兵士たちはいっせいにチュウビたち三人に襲い掛かってきた。
「簡単には負けんぞー」
「そらそらーー」
「くっ」
勢いで最初は善戦していたサカミマたちだったが、敵もバカではなかった。
数によるチームプレイによって、しだいに動きを封じられていたのはサカミマたちだった。
さらに、無抵抗な幼い子供や女性を人質に捕らえ始めたのだ。
「きゃっ」
その中にはビキもいた。
無抵抗なビキに兵士は武器を突きつけながら、高らかに笑っていた。
家族や大切な人を人質にとられた島民たちからは、嘆きに近い声が上がった。
「お願いです、乱暴なことは止めてください」
ビキは自分を捕らえている兵士に、そう訴えたが、兵士は「うるさい小娘が」と、武器の柄の部分をビキの肌に食い込むように突き当てた。
それを見ていたサカミマは、全身の毛が逆立つ感覚だった。
感情で身体が動きそうになったその時、彼らの前に現れた援軍は、意外な人物だった。
「止めるんだ!この島の人間に戦争で戦える人間はいない!諦めて帰ってもらえるか?!」
サカミマはその声の主へと振り向いた。
それは、ビキの父だった。ビキの父は手に刀を持っていた。
鞘は抜かれていて、眩く光る剣先は下を向いていた。
だれが見ても人のよさそうなビキの父に、不釣合いなものだった。
サカミマは驚きで、すぐに声が出せなかった。
「お父さん!」
ビキが父のほうへと叫ぶと、兵士はフフンと嫌な笑みを浮かべて、ビキの父を挑発するように、ビキの首筋に武器の刃の部分を押し当てた。
「そうか、この娘お前の娘か!こいつから先に殺してやろうか?」
へへへっと気色の悪い悪魔の笑みを浮かべながら、兵士は刃をビキにと突き立てようとした。
「ビキ!やめろー!」
サカミマは叫んだ。動揺する彼とは反対に、ビキの父は眉一つ動かさず、微動だにしなかった。
ショックのあまり、固まってしまったのか・・・?
ビキの首筋に刃が突き刺そうとした瞬間、風が走った。
微動だにしなかったビキの父の横をかけた風は、彼の髪を揺らし、それはビキのオカッパ頭も揺らした。
「ぐはぁっ」
ビキを捕らえていた兵士の悲鳴が上がり、ビキを捕らえていたその手がゆるんだ。
ビキの膝元に、なにかがいた、さっきの風の正体だ。
「なにごとだ?!」
他の兵士達が、わっとそのほうへと注目する。
ビキはその正体と目が合った。
ビキのぼやける視界にも、その眼光の鋭さが見えた。
ビキはそれが、あの彼だとわかった。
ビキがもう一度会いたいと思っていた、あの少年だと。
サカミマたちも、彼に気がついた。ゼンビは「ああっあいつ!」と声を上げていた。
「あっ」
ビキが、彼に声をかけようとしたが、一瞬ビキと目があっただけで、すぐに少年は駆け出し、次々に金酉の兵士達にナイフで斬りかかった。
みんなその超人的な少年の動きに目を奪われていた。
が、驚いたのは少年だけでなく、ビキの父があの刀を振るい、兵士たちを次々に切り伏せていったことだ。
まるで、戦いを知っているような、そんな動きだった。
彼を知るものは、みんな彼の穏やかで優しい姿しか知らなかった。
そこにいるのは、一人の勇ましき戦士だった。
あっけにとられていたその時、ハッとしたようにチュウビが言った。
「なにしとんじゃ、今じゃー、行くぞお前らーー」
「あっ、くそー、いいとこやらせるかよ!」
チュウビたちも兵士へと拳を振り上げ、いっせいに襲い掛かった。
サカミマも、鎌を手に、戦いの中へと走っていった。
彼らだけでない、島民も皆、勇気を振り絞り、かかっていった。
その勢いに飲まれた金酉の兵士達は、あっという間に戦闘不能に追い込まれた。
捕らわれていた人質、縄に縛られ船に連れ込まれていた者も無事救出した。
安堵の声が上がったしばらく後、みなの視線は再び、謎の人物二人に集まった。
ビキの父と謎の少年・・・桃太郎に。
ビキはよろけてついた膝を、砂を払わずに立ち上がった、その少年のほうへと、視線を向けたまま。
ゆっくりと彼のほうへと歩いていった。
桃太郎は、ビキの父のほうへと近づいていった。
彼は一体だれなんだ?島民の小さな声がしていた。
みな桃太郎を初めて見る。隣のものに訊ね、聞かれたものは「知らぬ」と首を傾げる。
「あいつー」
と桃太郎に敵意のような感情を向け近づこうとするゼンビをサカミマは制止した。
瞬きも忘れ、二人へと注目していた。
ビキもそれ以上近付けず、止まったまま、見守っていた。
ぎっと鋭い目線の少年は、穏やかな表情のビキの父へと近づき、口を開いた。
「おい、あいつら倒したけどわかんねーぞ!」
乱暴な声が海岸に響く。彼の言葉の意味はそこにいるだれもがわからなかった。
わかるとしたら、彼が話しかけている、ビキの父くらいだろう。
彼の返事にみな興味を持ち、耳をすました。
睨みつけたままの少年とは対照的に、ビキの父は穏やかな表情のまま
「もも・・・」
口を少し動かしたビキの父の口は、言葉を発する形ではなく、物を吐き出す動きをした。
「ぐぶぅっ!」
口元を押さえて、ビキの父はそのまま海岸に倒れこんだ。
「!お父さん・・・?」
ビキは父の元に駆け寄った。サカミマも彼女のあとに続き、彼の元に駆け寄った。
「お父さん?・・・大丈夫?しっかり、しっかりして・・・」
体をさすり、起こし、うつぶせていた体を仰向けにさせながら抱き起こした。
父は苦しそうに息をしていた、眉間にできたしわがその苦痛を物語っている。
それでもなお、愛する娘の前で優しい笑みは途切れさせない。
優しい笑顔のまま、小さく口を動かした、ビキにだけ聞きとれるだけの声量で
「愛している」の言葉を最後に、彼の魂はこの世界を去っていった。
父が倒れたあの日、もしかしたら・・・という不安な感情がよぎったことがあった。
それは普通に考えたら、いつ起こってもおかしくはない出来事のはずなのに
人というのは、大切な人間の死は、非現実なものだと思い込んでしまう。
それは、なによりも怖いことだから、きっと、己の死よりも怖いことだから。
そう、勝手な信仰なのだ。
この世で最も愛する人をビキは失った。
心が砕けるほどの衝撃だった。
だが、ビキの心は砕けなかった。
彼がこの世を去ったその日は、涙を涸らさなかったが、翌日からはいつものようにサカミマに笑顔で挨拶を交わすようになっていた。
悲しみに暮れるビキを、サカミマは支えてやらねばと思っていたが、自分が思っていた以上に、彼女は気丈だった。
そんな彼女を見て、サカミマはほっとしたが、同時に少し寂しくもあった。
「私なら大丈夫。いつまでも泣いていたら、お父さんに心配かけたままだわ。
お父さんは、私の笑顔が好きだと言ってくれていたの。だから、私いつも笑っていたいなと思っているの」
元気付けてやろうと思っていたのに、逆に彼女の笑顔にサカミマのほうが勇気づけられる。
「あの金酉の人たち、また来るのかしら?島の皆無事でよかったけど・・・
争いなんて、早くなくなればいいのに・・・海の向こうの世界はよくわからないけど、悲しんでいる人や傷ついている人がたくさんいるなんて、悲しすぎるわ」
「そうですね・・・できることなら、その元を絶ちたいですね・・・」
それは小さな願い、叶うはずもないと思いながらも、サカミマが思う願い。
ビキの父が死んだのも、病み上がりの身でムリをしたためだろう。
元はといえば金酉の乱暴なやり方のせいだ。
できることなら、金酉をこらしめてやりたい、いっそ滅ぼせたなら・・・
叶いそうもないそんな想いを、サカミマは胸に抱いた。
夜・・・、父がいなくなって初めての夜だ。
夕食の片づけをして、小さな木の机を拭いていたビキ。
父のいない食卓に、父のいない空間・・・、虫の声が悲しく聞こえてくる。
鳴き声が泣き声のようだ。
平気なふりをしたが、心の中にはぽっかりと穴が開いたままのビキ、焦点の定まらない目はあるはずのない空間を見ていた。
「お父さん・・・」
口からこぼれた言葉、もう記憶の中の存在になってしまったのか。
いつもの場所、なのにいつもとは違う空間に、そこにある自分の体はただの塊のようで
生きるってなんだろう・・・
意識なく半開いてしまった口の中が渇きかけた時、縁側のほうから、なにか物音がした。
目の不自由なビキは、聴覚は鋭かった、すぐにその音が猫やら鼠ではないと気づき、そこに向かった。
暗闇の中で動く影・・・、人だ。
「あなたは・・・桃太郎・・・さん?」
影しかわからないが、ビキにはそれがあの少年だとわかった。
少年は警戒の顔を見せながらも、手に持っていた刀を縁側に置いた。
「あいつ・・・死んだのか?」
桃太郎の声。初めて、自分に対して話しかけてきたそのことに、ビキはどきりとした。
父のことを聞いているのか。
「はい、父は息を引き取りました」
「くそっ、なんでだよ、教えるって言っておきながら、勝手に死にやがって」
吐き捨て、桃太郎は身を翻し、闇夜の中に消えていった。
「あっ、待って!」
桃太郎を呼び止めようとしたビキの足元に、彼が置いていった刀がぶつかった。
ビキはしゃがみこんで、それを手に取り確認した。
それは、あの時海岸で、父が手にしていた刀だった。
ビキはそれを胸に抱え、桃太郎を追って外に出た。
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