飛ぶように駆ける桃太郎の足音が真新しい床の上鳴り響く。
始めの合図などない、桃太郎の叫びに近い掛け声で始まった。いや、それよりも先にはじまっていたかもしれない。
扉の前でゼンビたち三人は無言でその戦いを見守る。扉の奥へは足が進まなかった。
踏み込んではならない領域、三人ともそれを感じとっていた。
そこは彼らだけの領域、桃太郎と温羅だけの、二人だけの世界。
生と死をかけた、魂と魂のぶつかり合いの、出会った瞬間から、強く意識しあう特殊な存在のすべてを賭けた戦い。
室内に響く金属のぶつかり合う音、何度も何度も幾重にも。それは音楽のように、聞こえていた。
タン、トン、床へと壁へと天井へと、桃太郎は止まることなく駆け回り、各方向から温羅へと攻撃をしかける。
温羅は桃太郎とは逆に、ほとんど大きく動くことなく、守りから反撃といった受の体制をとっていた。
まばたきを忘れていたゼンビの目からはその渇きを潤す為なのかするりと涙がこぼれていた。
チュウビははねる心で二人の闘いを見守る、その手にはすべりそうなほどの汗をかいていた。
「温羅ぁーーー!!!」
今までより強くなった撃を感じ、温羅は以前の桃太郎よりも彼が強さを増した事を察した。
だが……
温羅の勘の鋭さ、剣の腕、力、己の中の正義の心、すべてが桃太郎よりも上回っていた。
その瞬間を、温羅はずっと待っていた。
桃太郎は今が一番生を実感していた。桃太郎にとって生きる事は戦うことなのだ。
ただ戦う事じゃない、己を上回るより強き存在と戦う事。肉体的にも技術的にも、精神的にも。
伝説の鬼神がいたのならば、迷わずそのバケモノと戦うだろう。
今あの恐ろしき老女が現れたなら、迷わずあのバケモノと戦うだろう。
幸福を感じる瞬間は人それぞれだ。
彼・・・桃太郎にとっての幸福である瞬間は今まさにこの時なのだ。
桃太郎が人生最大の敵と認めた、今目の前にいる男、赤い髪に赤い瞳、己を見下ろす巨体に揺るがない強き魂の、鬼王と名乗るこの温羅。
全身を駆け巡る快感に桃太郎の口元には不気味なほど常に笑みがあった。
その戦いは時間にすれば十分にも満たないわずかな時間だった。だが、そこに居合わせた彼らにとっては長い長い一瞬だった。一瞬一瞬を色濃く脳内に映し残して、それは桃太郎という彼らにとっていろんな意味で濃く存在した人間の最期の瞬間だったからだろうか。
温羅の一撃が桃太郎の腹部を貫いた。桃太郎の刃はミリというところで温羅の体には届かず、そのまま床に音を立て落ちた。
桃太郎が崩れ落ちて、数秒後、温羅は自分の衣服が少し乱れていた事に気づき片手でそれを直す、そして疲労が無意識に片膝をつかせた。
床に倒れた桃太郎はまだ息があった。今にもとぎれそうなそれではあったが、だがそれでも桃太郎は笑っていた。
「なぜ笑っている? そなたは負けたのだぞ」
「は・・・てめぇこそ、勝ったのになんだよその面は」
温羅の顔には勝者の笑みはなく、きゅっと縛られた口からは悔しそうな表情にも見てとれた。
「ビキは、私がもらう」
温羅の言葉に息きれながらも、「はは」と悪びれた笑いを返す桃太郎。
「あいつはお前のものになんか……ならねぇよ、・・・絶対に。
あいつの体も魂も俺様のものだ。
・・・てめぇの手にははいらねぇ…たとえ…来世があったとしても」
「そんなことはない!」
ダン!温羅は桃太郎の言葉を否定するように床を刀で殴った。
「そんなことはない、私は必ず」
桃太郎の呼吸は途切れ、忌々しい死に顔を見たくない温羅は目をそむけた。
桃太郎を温羅が成敗したことはすぐに城内へと、その日のうちに都中へと伝わった。
悪党桃太郎の死に人々は喜び、そしてそれを成敗した温羅を英雄だとさらに称えた。
太蔵やチュウビは桃太郎の死後、すぐに城内から都から脱出した。人々の目は桃太郎や温羅へと向けられていた為、彼らへの監視はないにも等しかったのでやすやすと逃れられたのだ。
ゼンビは温羅のもとへと残り、温羅にサカミマの死を伝えた。
その事実に温羅は「そうか」と小さくつぶやき、友の死に感情も沈んだ。
「私の友はお前だけになってしまったな、ゼンビ。これからも私の側にいてくれると約束してくれ」
「もちろんだよ、温羅! オイラの一番は温羅だから、ずっと温羅の側にいる!」
だが二人の友情も長くは続かないことになる。ゼンビの行動を裏切りだとした鷲将がゼンビは温羅を裏切っていたのだと言葉巧みに温羅をそそのかせ、ゼンビの処刑をすすめた。
身の危険を感じたゼンビは鬼が島を脱した。その手には桃太郎の愛刀があったとも言われた。
桃太郎が死に、温羅に歯向かうものはいなくなり、温羅の存在は絶対なものになる。
王としての職務をこなす中、温羅はビキの捜索を命じていた。だが、残念なほどビキの居所も生存の有無もわからずじまいだった。もどかしい想いを抱えたまま日々は過ぎていく。
愛する女性の行方は知れず、信頼していた友に裏切られ、温羅は心にあいた空洞を埋められずにいた。
王となり、多くのものが欲したその絶対的な地位についた自分。だが、それよりも大切なものは手に入らず、失ってしまった。なんのために生きてきた、なにが目的で生きているのだろう。
人々のため王になった。だが自分の為には自分はなに一つ行えていないのではないか?
温羅の空虚な心を案ずる者は側にいなかった。鷲将も温羅の望みなどどうでもいいことだった。
今日もビキ捜索から戻ってきた部下より手がかりなしとの現実に肩を落としたばかりの温羅に鷲将が苦言する。
「温羅様、もうよろしいでしょう? ビキなどという得体のしれぬ娘のことなどお忘れくだされ。
温羅様は王なのですぞ、あなたにはなすべきことがございますでしょう」
温羅ではなく王であれとのことを鷲将は常に温羅に言い続けてきた。王子として産まれ生きてきた温羅もまた、己の感情よりも民を思いやり王としてあるべきことが大事な事であるとわかっていた。鷲将が間違っているなど思わなかったが、それでもビキへの想いは諦められずにいた。
いつまでたっても妃を迎えることのない温羅、だが周囲は早く鬼王の跡継ぎをと望む声ばかりだった。
温羅の心にはまだビキがいた、正式な妻を迎えることなどまだ抵抗があったのだ。
そんな温羅の前に鷲将は多くの女を連れてきた。それは鷲将の血族の娘達。娘達も温羅に抱かれる事を望んでやってきたからその目は爛々と輝いていた、不気味に輝く鷲将の目と似たように怪しく光を放つ。
国を豊かにするには、温羅の優秀な遺伝子を残す事が必要不可欠だと諭され、渋々ながらも温羅は毎夜娘達を抱いた。
温羅の絶倫ぶりは娘達の間で瞬く間に噂となり、温羅のもとに詰め掛ける女達は日に日に増えていくばかりだった。一人一人相手ではきりがないと一度に五人以上を相手にすることも多くなった。
娘達を相手しながらも温羅が常に考えていたのはビキのことだった。娘達の向こうにビキを見て、ビキではない娘を抱く。それでも心の中にあいた空洞は塞がる事はない。
鷲将の血族の娘達は次々に温羅の子を身ごもった。その温羅の血を引く子供達をいずれ有益な立場につかせようと企む鷲将のやり方に精霊女は反発。
鷲将と精霊女は意見の食い違いからその立場は交わることなく、精霊女と紺龍の信者たちはやがて都を離れる。彼らは英雄温羅の繁栄を都より遠く離れた北の未開の地で祈りを捧げる道を選んだ。
消息不明となったビキは温羅たちの監視の届かない小さな田舎村で男子を出産した。
桃太郎はビキの中に子種を残していた。産まれてきたそのこは桃太郎によく似たこだったという。
ビキは立派にその子供を育て、四十年で人生を終える。ビキの傍らには彼女を守る為に太蔵たちがいたとも言われるが真相は定かではない。ビキの子のその後の行方も、ゼンビのその後も詳しく知る者はいなかった。
桃太郎の刀が彼が生まれたあの島……後にZ島と呼ばれるその島にあったことからゼンビは島に戻ったという説もある。
温羅は生涯ビキに再会できず最期の時を向かえる。彼は最後まで己の人生に疑問を抱いていた。
悔いの残る人生、それは温羅だけではなかった……
そう、彼もまた温羅と同じように、悔いを残してあの世という場所で、輪廻の波の中彷徨っていた。
「よお、温羅じゃねーか。待ちくたびれたぜ」
魂だけとなった温羅を呼ぶその懐かしい声は
「桃太郎」
死後の世界でも付きまとう、いやだが、それを望んでいた気がする。
輪廻の海を泳ぐ魂だけの温羅と桃太郎。生の世界ではけして相容れることのなかったふたつの魂、彼らは今同じことを望んでいる。お互い手に入れられなかったもっとも欲するものを今度こそ手に入れるために
真の決着をつけたいがために……
「来世で決着つけようぜ、温羅。お互いが最も手に入れたいものを手にする為に」
「ああ、今度こそ、悔いのない結末にするために」
「待ってるぜ、必ず同じ時代にこいよな、そうでなけりゃ意味がねぇ」
「そなたも、強き者に生まれて来い。お互いが最高の状態で、そうでなければ意味がない」
「ははは、ははははははは。あたりめぇだ、そんなへま俺様は絶対しねぇ」
二つの魂は白い白い世界へと融けていった。
時は流れ
鬼が島の南東に位置する都の一つ、今はBエリアと呼ばれるその街にて、舗装も中途半端な路地を歩く一人の少女。肩よりも長い髪を揺らして歩く、その年は十代前半と思われる幼い顔立ちを残していた。
無表情のまま歩く少女は、顔を上げ、ある存在に気づくとその表情を変化させた。
口元に「にぃ」と少女にしては下品な笑みをした、その表情は似ていた、あの少年に……桃太郎に。
立ち止まった少女の正面より歩いてくるのは、少し長めの黄色い髪をふわりと風に浮かせる美しい青年。
長い睫に白い透き通るような肌、薄く紅をひいた唇は艶っぽく常人ではない美しくも妖しい存在を放っている。
化粧も身に纏うものも、一瞬女性と見紛うほどで、その姿は知るものは知るある人物をふわりと思わせた。
近づいてくる美しい青年を見た瞬間に少女はあの笑みを浮かべたのだ。
そう、彼女が待ち望んだその存在に会えたのだから、いや彼女ではなく、正しくは彼……
「よぉ、やっと会えたな、待ちわびたぜ、温羅」
青年を見上げてそう言葉を発する少女、少女の声だがその言葉は……。
少女のその声に応えるように黄色い髪の美しい青年はかすかに笑う。
温羅と桃太郎 完
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