紺龍の本拠地に到着した翌日、温羅は精霊女と対談した。
精霊女は自ら神秘の力のことを温羅に話した。
自分は普通の者が聴くことのできない存在の声を聞くことが出来るのだという。
それは植物であるだとか、大地そのものであるだとか。
具体的にどう聞こえるのかは教えてはくれなかったが、感覚的なものらしい。
精霊女の目には曇りがなかった。純粋であるのか、自分の神秘なる力を本物だと強く信じているのか。
強い信仰心を抱いた人間はそんなものなのだろう。
彼女は、温羅は自分と同じその神秘の力を持つ者同士として強く興味を持っていた。
温羅もまた自分の力のことを話した。温羅のほうは彼女のように神秘の力を強く信じているわけでも、自覚しているほどでもなかったのだが。一度死の世界を彷徨ってから感覚が鋭くなった事を話した。
「間違いない!温羅殿こそ、わらわの捜し求めた救世主殿じゃ!」
まるで子供のように目を輝かせて温羅の手をぎゅっと両手で握り締めた。
そんな精霊女に温羅は少し戸惑いを見せた。
「わらわは幼き頃から夢の中でおつげを受けてきたのじゃ。この混沌の大地を正しく治め導く救世主殿の存在を。わらわの役目は救世主殿を見つけ出し、その手助けをすること。
そのために戦も行ってきた。少しでも救世主殿がこの地を統べるための近道になるように、と」
「それでは、精霊女殿は、自ら王になるためではなく?」
温羅の言葉に「当然じゃ」と精霊女は頷いた。彼女が他三大勢力と戦ってきたのは、己が王になるためではなく、のちに現れると彼女が信じてきた救世主のためだったのか。
「王となるのは、温羅殿…いいや温羅様!あなたであります」
「私を・・・王とする為に……」
「紺龍は温羅様につき従う。この地を温羅様に治めていただくことこそがわらわたち紺龍の願いそのもの」
しゅっと衣をこすらせる音をさせて、精霊女は右手を胸にあて、頭を垂れて目を閉じた。
紺龍のトップである誇り高きこの女性が、会ったばかりの得体のしれない自分に頭の髪のわけ目が見えるほど頭を下げている。
温羅は早く戦いの世を終わらせたかった、そのためには力がほしい。紺龍という四大勢力の一つである巨大な組織が力となってくれるのなら、願ったり叶ったりである。彼女の頼みを望みを断る理由もなかった。
「なら、遠慮なくそなたたちの力を借りる」
温羅の言葉に精霊女は「ははっ」と再び深く頭を下げた。

温羅との対談の後、精霊女のもとを訪れたのは意外な人物であった。
その人物とは、精霊女と同じ立場にある、四大勢力のひとつ赤鳥の将、鷲将(おおとりしょう)だった。
精霊女は戦場に直接赴くことはなかったため、直に鷲将と会ったことはなかった。当然顔も知らない。
突然訪ねてきたのが、敵対する組織のトップであるなど簡単には信じられないことだった。
その鷲将を名乗る男は年は四十代ほどの中年の男。体型はいたって普通で平均より少し背が高い程度。
にこにこと毒気のない笑みを浮かべて、頬の骨が浮かび上がる。
一見人のよさそうなおじさんの風貌のこの男を目の前にして、精霊女は眉を寄せた。
それは警戒心をにおわせる表情だった、鷲将と名乗った男もすぐにそう察した。
たしかに、敵であり、そのトップが予告もなしに訪れれば、警戒するのは当然だろう。
精霊女のいる室内には幾人かの従者がいる。敵陣にたった一人の鷲将を名乗る男。
死する覚悟があってきたのか、己の無事を確信してきたのか、男の無害そうな笑顔からは前者とは思えなかった。
目線を逸らさぬまま、すぅと軽く息を吸って、精霊女は目の前の中年男に問いかける。
「わらわは直に鷲将に会うたことがない。噂では、赤鳥の将は数人もの影武者がおると聞いたことがある。
……そなたは、本当の鷲将か?」
疑念の表情だ。だが男はそれに動じる気配もなく、にやりと口元に笑みを見せたまま
「神秘の力を持つとされる精霊女殿…あなたであれば、私が本物か偽物かわかりますでしょう」
にこにこと笑みを崩さず、精霊女の反応をうかがう鷲将と名乗る男に、精霊女は「うむぅ」と複雑な表情を浮かべた後「ふむ、当然じゃ」と答え、鷲将が影武者ではなく本物だとそこで認めた。
実際彼女に鷲将が本物か偽物か、わかる能力があるのかは定かではない。
そして鷲将も、精霊女の神秘の力が本物であるか、もしあってもそれが己の存在を危機に追い込むほどの巨大な力とまでは思っていなかった。
「その、赤鳥の将が何用で紺龍の地まで来たのじゃ?」
すぅと息をすい、身を背後へとそらしながら、精霊女は鷲将に問いかけた。
「噂に聞きましてね、ぜひともお会いしたいと思いまして」
鷲将は精霊女を見据えて「あなたにではなく」と意味深に付け足す。
「わらわにではなくだれに?!」
ハッと目を見開いた精霊女は「もしや」とつぶやいた。
その彼女の表情を見て、余裕の笑みのままの鷲将は「はい」と頷いた。
「あなたが探し当てたという、この地を救うとされる救世主殿に」

この対談を境に紺龍と赤鳥の関係は一変した。
天下をとる為、この地の王になる為、ぶつかり合ってきた勢力。
だが精霊女の目的は自身が王になる為ではなく、王となるべき存在の救世主のため、その救世主がより天下に早く近付けるようにその地盤を固めておく事だった。
障害となる黒狼や金酉に赤鳥、この大きな三つの勢力を少しでもなくすこと削る事、そのことに専念してきた。
精霊女のその思惑など、他の勢力の者は誰一人として知るところではなかった。だが直に対話して鷲将は精霊女の考えを知った、そして手を組む事を提案してきた。
鷲将は紺龍と赤鳥が手を組み、他勢力の黒狼、金酉と戦うことをすすめてきた。
赤鳥にしても紺龍にしても敵勢力が一つでも減るのはありがたいことだったのだが……
「そなたのような男に紺龍のものたちがついていくと思われるか?
まさか、赤鳥がわらわたちの下につくとは信じがたいのじゃが」
キレ長の目を細めて精霊女は確認するように鷲将を見る。
まだ胡散臭そうなという表情のままの彼女に、変わらず笑顔の鷲将は彼女の隣に座する赤い髪の青年に視線を映す。
「どちらのもとにつくのではなく・・・、たった一人の救世主殿のもとにつくのですよ」
「えっ?」
鷲将の発言に驚き、温羅は膝を起こした。
「温羅様のもとにつくというのか・・・ならばこちら側は問題はない、がどういうことじゃ?
鷲将よ、そなたは王になるべく赤鳥という組織を立ち上げたのではなかったのか?」
目を細めたまま精霊女は鷲将へと問いかける。
「ええそのつもりでした。この混乱の世を治めるにはそれが一番だと思っていましたから。
だが、私は王になる事にこだわっていたのではありません。王となるに相応しい者がいなかったから、己がやるしかないと思っていたからであって、私以外にふさわしい者が現れたなら、その者が強く善の志の者であるなら、私はその者を王とすべく働こう、そう心に誓ってきましたから」
「それが、私だと言うのか?」
まだ信じられぬといった表情の温羅に、表情崩さぬ男は「左様でございます」とゆっくりと頷いた。
「温羅様のために力を貸すというのなら、心強い申し出だ。わらわに断る理由はないな。
しかし、最終判断は温羅様じゃ。現紺龍のトップは温羅様じゃからの」
精霊女や鷲将の言葉に温羅は複雑な表情のまま
「しかし、私はこの地の者ではない。異国の者なのだ。たしかに戦乱の世は終わらせたい、しかし異国の者である私が王になっていいのか?そなたたちを率いる将となる資格があると思われるか?」
「だからこそ相応しいのですよ、温羅様。
あなたが異国の者であることも、赤い髪と赤い瞳の姿である事も、神秘の力も、人々を惹きつける強い存在感こそ主となるに相応しい。この世を救いに降り立った神の化身となって人々の希望となっていただきます。
紺龍と赤鳥ふたつの勢力を率いていく私と精霊女の上に立つ存在はあなたでなければ」
思いのほか話は進んでいった。二つの巨大勢力が温羅の下一つとなる。
温羅は赤鳥紺龍連合の代表となる。その傍らには鷲将と精霊女。敵対していた両勢力の者達はリーダーに強く付き従う者たちばかりであったため、トップの決めた事には素直に従い、わだかまりなく二つは一つになった。とはいえ役割はけして一緒ではなかったのだが。
紺龍赤鳥、共に敵対する組織が一つ減り、倒すべき相手は黒狼と金酉だけになった。
この地を救うにはその二組織を滅ぼすのが第一だ。
決戦の時に向けて、彼らは動き始めた。


紺龍と赤鳥が手を組んだという噂は金酉にも黒狼にも届く事になった。
その事実を知った黒狼内には動揺が走ったが、リーダーの桃太郎は眉一つ動かなければ、心が揺れ動く気配もなかった。桃太郎にとって紺龍と赤鳥が一緒になろうが、一緒に倒せばいいだけで、大した問題ではなかったからだ。だが、その直後、その両組織の代表が温羅だと知り、その目はカッと見開き、心波打つままに激しく身を起こし、より強く紺龍赤鳥連盟との激突が早く来る事を望んだ。もちろん金酉の武者王も自分の手で倒す気満々ではあるが、温羅だけは特別強く抱く敵対心から早くやりあいたいと想いが急いた。
温羅の名前を聞いたビキは心がびくんと跳ね上がった。もしや、とは思ったが、まさかそんな、自分の知るあのウラなのか? ビキは口には出さなかった。まさかそんな偶然があるだろうか、同じ名の人物なだけなのかも。だが全力で否定できない不安な感情がうねっていた。
金酉の武者王は桃太郎以上に動揺していた。焦っていた。
兵士達はよその地へと逃亡、その多くは戻ってはこず、新たな戦力も集まらず、じわじわと滅亡の道へと走り出していたことは武者王も自覚していた。
これ以上兵力を逃すまいと、彼らの家族や財産を人質にとり、逆らわせないようにしていた。
彼の元の家臣のほとんどが、彼に忠誠を真に誓っている者などいなかった。
自分の事しか考えない、すべて力ずくでなんとかできるとしてきた暴君は、気がつけば独りだった。
戦に負ければ死しかない。もし生き残ることが出来たとしても、自分を許す者などいないだろう。
天下をとらなければ、自分が一番だと、正しいということが証明できなければ、待つ未来は暗いものしかない。
先に動いたのはその武者王率いる金酉だった。
精霊女や鷲将が王となるべき存在と称える正体知れぬ怪しい男温羅を、この手で葬り去るために。

動き出した金酉を打ち滅ぼす為、黒狼を離れた元金酉の兵士達の一部は、温羅の噂を頼りに紺龍赤鳥連合への仲間入りを懇願した。温羅は彼らを快く受け入れた。まずの敵は金酉だと。悪の権化である武者王を葬り去ろう。皆が打倒金酉と声を高らかにした。だが敵すべてが憎いわけではない。家族たちを人質に捕らわれ仕方なく武者王に従う同士たちもいるのだ。彼らを救わねば、この地は救えぬ。滅ぼすのは悪だけだ。
金酉をよく知る元金酉の兵士たち、鷲将の知略により、人質の解放に成功する。
そのことで、武者王に不満を抱きながらも従っていた者たちは次々と寝返り、温羅の元へと集ってきた。
一刻も早く温羅を打たねばと先走る武者王は、金酉と赤鳥の勢力のぶつかり合う境界線へと向かっていた。
大地がむき出しの荒涼としたその道を馬に跨り駆ける。勾配の激しいその道のりを土煙を巻き上げながら、ガシャガシャと鎧がかすれあう音を響かせながら、口ひげを蓄えた中年の男は消えそうな己の野望を必死で消させまいとその一心で目指していた。
気がつけば数千といた自軍は数百、数十とあっというまに減っていってしまった。
金酉の兵士達、その多くが温羅たちの勢力に寝返ったからではなかった。
桃太郎率いる黒狼が突如攻めてきたのだ。奇襲の得意な黒狼ならでは。瞬く間に金酉は追われる立場になった。先陣きって突っ込んでくる桃太郎に恐れをなした武者王は部下達を盾に北へと逃げた。
殺される。強くそう本能で感じた武者王は桃太郎から逃れようと馬を走らせた。土色の渓谷を走っているとき、景色が暗く映り始めた。ぐるぐると唸りながら広がりだす黒い雲。天候が急変した。今にも泣き出しそうな、いや荒れ狂いそうな空に映った。まるで己の心を表しているようでかき乱されそうになる。
「!ぬおぅっ」
地面がぬめる箇所があり、馬の足が捕らわれ動きが鈍る。必然とスピードは緩められる。
「待ちやがれー」
「!?」
背後から迫ってくるこの声は、全身の毛が逆立つ、桃太郎が迫って来ていた。足止めの部下達は皆やられてしまったのだろう。
「くっ、桃太郎め、我輩はあんな小僧に邪魔されてなるものか、我輩の野望はこんなところで奪われてはならん」
鞭を走らせ、ムリヤリ馬を前進させようとする。なぜこんなにも地面がぬめっているのか?先ほどまで快晴だったというのに、なにか巨大な気味の悪いものに道を阻まれているような気がした。悪寒が走る。
ぽつぽつ……ザザーー
すぐに空から雨が降り出した。それは数秒のうちにすさまじい豪雨となり、視界を完全に奪われた。
「くぅっ」
走れ!と鞭を走らせても、この雨の中馬も身動きできなかった。動けぬ、このままでは桃太郎に殺される!
「ちぃっ、なんだ?これはーー」
だが桃太郎のほうもすさまじい雨により視界を奪われ、動きは鈍った。激しい雨の音は聴覚も鈍らせ、雨のにおいが敵のにおいさえ消し去る。
「桃太郎ー、いったん退け!ここは危険だ」
後ろから桃太郎へと呼びかける仲間たちの声。
「うるせー、くそっ、これは…なんだよこれは」
雨でぐしょぐしょにぬれる顔で桃太郎がちぎれるようにはき捨てる。
強く顔面に打ち付ける雨は、武者王だけでなく桃太郎にさえ強い敵意を持っているよう。
その雨の向こうに、桃太郎は見た。
「温羅っ」
直に目に見えているわけではない、本能だ。その存在をたしかに強く感じる。
数分か十数分のち、豪雨はおさまった。視界が晴れ動けるようになった両者、だが豪雨によってぬかるんだ道はたやすく進めるものではなくなっていた。
「くっ、くそぅっ」
ぬかるみと、水分を含んで重くなった鎧。兜の先端からはぽたぽたと雨だれがあった武者王が馬を走らせようとしたその頭上から轟音が襲ってきた。
岩など含んだ大量の土砂が武者王の上へと落ちてきた。男の吼えるような声を飲み込みながら、轟音は桃太郎の進路さえ遮った。
音がやんで、桃太郎の目の前には道を塞ぐように土砂の山があった。武者王は完全に見えなくなった。もう生きてはいないだろう。
目前にして、突然に奪われた獲物。桃太郎は悔しさで身を震わせた。
「桃太郎ー、無事かー?」
太蔵たちが桃太郎のそばへと駆け寄った。全員さきほどの豪雨によって全身びしょ濡れだった。
「俺様の獲物を奪いやがった、温羅っ」
なにを言っているんだ?と仲間たちが桃太郎を覗き込んだ。その時、上部から声がした。桃太郎はハッとした表情でその存在を見上げた。
そこに現れたのは紅色の甲冑で身を固めた赤鳥の武装兵、その赤鳥のリーダー鷲将と紺龍の主精霊女、そして彼らの中央に立つ赤い髪をなびかせる長身の男。桃太郎が特別視する特別な存在の男。
「温羅ーーー!!!」
敵意むき出しで温羅の名を叫ぶ桃太郎を冷ややかに見下ろしながら温羅も相手の名を呼ぶ。
「桃太郎…」
その温羅のそばにいた小柄な少年に気づいたサカミマやチュウビも声を上げた。
「ゼンビ!」
「お前生きとったんか?」
「オイラは温羅についていくって決めたんだ。温羅と一緒に天下をとる」
迷いなく温羅を見上げるゼンビの目、そんなゼンビを目の当たりにしてサカミマの心が揺らいだ。
「かつての仲間は今日の敵か。まあこういう展開もありじゃなぁ」
「なに言ってるんですか、こんな仲間同士で殺しあう展開なんて、私は望めませんよ」
「だったらさ、サカミマこっちにきなよ。どうせもう黒狼はおしまいなんだし」
ゼンビがサカミマにそう呼びかける。
「そのとおりじゃ、見たであろう武者王の最期を。温羅様の予言どうりじゃ。温羅様は大自然を味方につけておられるのじゃ。お前たちのような卑しき魂の者が温羅様に勝てるはずがないわ」
両手をバッと広げ、白い衣を四角にさせて、精霊女は高らかに笑う。
元金酉の兵士達は涙で頬を濡らしながら温羅を崇めるように地面に両手をついた。武者王という悪の権化が消えたことによる解放救い、精霊女が救世主と呼ぶその神秘的な容姿の温羅が救いの神の化身に映った。
晴れ渡った空から照らす光がより明るく温羅の髪を瞳を照らす。信者となった彼らの目には神が降りた幻想的な姿に映っていた。
「降参しろ黒狼の者。私はそなたたちを殺したくはない、できるなら力を貸して欲しい。この地を救おうとする同士なら我々が殺しあう必要はない」
温羅の呼びかけに同調するようにゼンビが「うんうん」と頷く。
「それはつまり、赤鳥と紺龍の下につけってことなのか?」
太蔵が問いかける。
「いいや、私の下にだ」
「断る!」
ランランとした鋭い目の桃太郎が答えた。挑戦的に温羅へと刃を向けて、敵意のおさまらない激情むき出しの桃太郎に変わらない表情で温羅は見下ろす。
ふう、とため息をついて温羅は鷲将に合図を送る。鷲将は部下達に武器を下げるように命令を下す。
「一時休戦だ。お互い話し合いの場を求めたい」
「休戦だ、桃太郎!刀をしまえ」
ぎりっと歯が砕けそうなほどくいしめながらも、桃太郎は刃を収める。

数時間後、非暴力の誓いの下、金酉領地内にて話し合いの場が持たれた。
だがリーダーの桃太郎はまともに話を聞ける状態ではなく、すぐに席を立った。
桃太郎に対して不満を抱いていた者は黒狼を抜け、温羅の下へとついた。元々黒狼は寄せ集めの集団。個人の利で各々動いていたのがほとんどで、黒狼という組織に執着することもなければ、桃太郎に義理があるわけでもない。温羅についたほうが得だと判断すれば、そうする。大半が温羅の下につくか、もう黒狼がダメとあきらめた者はそのまま組織から抜けた、掟がどうのといってももはや、組織自体がほぼ壊滅状態にあったからだ、だれも気にする者はいなかった。
太蔵は温羅の誘いに首を横に振った。桃太郎に対しての責任がある、そしてまだ太蔵は桃太郎を捨てられずにいた。太蔵とともにしてきた長年の仲間たちも太蔵のもとに残った。
サカミマとチュウビだが、ゼンビの誘いもあったが、サカミマはまだ迷いがあった。太蔵はサカミマたちに好きにしろと言ったが、内心は寂しくもあった。
「片付けたいことがあるんです。それまで待ってもらえますか」
サカミマの迷いは、ビキのことだった。ビキはきっとこのまま桃太郎のそばにいるつもりだろう、だが桃太郎は、きっと最後の抵抗勢力になったとしても、戦いの道を選び続けるのだろう。それは破滅の道でしかない。
ビキの目を覚ませることができるのなら、そうせねば。

話し合いが始まり数時間で一部の者にはうやむやなまま終了となってしまった。
黒狼もリーダーの意思とは無関係にもう解散となってしまった。戦闘組織としてはほぼなりたたないといってもいいくらい、バラバラになってしまった。太蔵たちにとっては元に戻っただけともいうが。
サカミマは金酉を倒し、この地の争いを終わらせるというその目的は果たしてしまった。金酉が滅び、赤鳥と紺龍がひとつになり、賊集団黒狼もなくなってしまった。少しずつ、平和な時代へと進みだしたのだろう。
なのに、心は靄がかったままだった。

「黒狼をはなれるって、どういうことですか?! サカミマさん」
揺れる瞳でビキはサカミマを問い詰める。ビキの耳にも黒狼は解散、天下を治めるのは赤鳥紺龍連合で時間の問題なのだということは入っていた。
「いいですかビキ、黒狼は敗北したといっても争いは終結したんです。赤鳥紺龍の代表の温羅は私たちを受け入れてくれるといってるんです。彼とは面識があるし、信頼できる男です。桃太郎よりもよほど」
「ウラさん?! 私その人に会いたい。知っている人かもしれないの」
ビキはサカミマの体を押しのけ、飛び出した。
「ビキ?」
制止しようとするサカミマの腕をすり抜けて、ビキはついさきほどここを立ち去った温羅と名乗る人物を追った。

紺龍本拠地方面へと続く道中、荒地から少しずつ木が生えたつ道を進む自分を呼び止める声に温羅は立ち止まった。その声は、長い間聞くことがなかった、とても懐かしい、そしてとてもいとおしい声で、一瞬幻ではと思ったほど。
振り返った温羅の先にいたのは、木にもたれるように息を激しく切らしながらやっとそこに立っているビキだった。
「ビキ・・・?」
温羅は数度瞬きをした。事実を把握するに一秒くらいかかったかもしれない。だが、たしかにそこに存在する、彼女の姿を確認して喜びに震える。
「その声は、やっぱりあのウラさん、なんですね?」
自分へと近づいてくる影を確認しながら、ビキはゆらりと揺れる赤い髪に自分の知るあのウラなのだと確信した。
「そうだ、そのウラだ。そなた今までどこにいた?ずっと探していたんだぞ、心配した」
「ごめんなさい、やっぱり心配かけていたみたいで・・・・、よかった元気そうで、それにずいぶん言葉上手くなったんですね」
疲れた顔だが、にこりと笑顔を向けるビキの肩をガッと掴んで温羅は自分の胸へと抱きしめた。
感情暴れるままに強く、きゃしゃな彼女の体を抱きしめた。ビキは驚きと苦しさに体をこわばらせた。
「ウラさんっ、あのはなしてくださっ」
体を左右に揺らし逃れようとするが、温羅の力にビキがかなうはずもなく束縛から逃れるすべはない。
「私はそなたを愛している。もうどこへも行かせぬ、ずっと私の側に」
食い込むほど掴まれた肩に、ビキは軽く悲鳴をあげる。そして温羅の愛の言葉に首を振り拒絶の意を伝える。
「お願い離して、私は」
どうして好意なのに嬉しく受け取れないのだろう、それはわがままにも己が欲する好意はたった一人でしかないから、その者以外の好意は望んでなどいないから。
震えるビキの口元に温羅の心がどくんとはねる。不安な感情の波がうねる音。

「ビキ!」
ビキのあとを追いかけてきたサカミマがビキと温羅の姿を捉えた。その時自分の脇をすり抜ける風を感じた。
二十メートル先にいたその二人の間を切るように、その風は駆け抜けた。
「そいつに触るんじゃねぇ!」
木々に木霊するようにその声は響いた。
鼓膜をビシビシと刺激され、不快そうに温羅が顔をしかめる。逆にビキはパァッと明るい表情に変わる。
長い髪がビキの額を叩くように流れる。ビキの体を乱暴に掴んで温羅から引き離したのは桃太郎だった。
鋭く温羅を睨みつける桃太郎、温羅も桃太郎を睨みつける。
今にも斬り合いが始まりそうな空気を断ち切るように、二人の前にビキが立ちふさがった。
「やめて! ウラさん、桃様を傷つけないで!」
ぐっと唇を噛みしめて、震えながらもせいいっぱい両手を広げて桃太郎の前に壁のようにたつビキに、温羅の動きも止まらざるをえない。
「こいつは俺様のもんだ!」
「!?」
ガッとビキの肩を掴んで自分の背後へと引き寄せ、目の前の敵を桃太郎は睨む。
その桃太郎の腰元の布をぎゅっとビキは掴む。
桃太郎が言ったことは、本当に自分を想ってのことからなのか、温羅に対する敵対心からなのかわからなかったが、それでもビキは心が跳ね上がるほど嬉しかった。温羅の想いまで受け止められるほどビキは器用ではなかったし、そうできたとしても、この二人が、温羅と桃太郎がお互いを強い思いで意識しあわない存在になることは不可能だったろう。
出会うべくして出会った二人、すべてをかけてぶつかり合う為、すべてを奪う為ぶつかり合う為、神が決めたのかそれともそれを越えた存在によって決められたのか、つまりは魂が……
温羅と桃太郎、けして相容れないふたつの魂の最後の激突はおそらく遠い話ではない。

しばらくにらみ合っていた温羅と桃太郎。さきに目を逸らしたのは温羅のほうだった。
切なげにビキへと視線を向けて温羅は身を翻した。
「ウラさん…」
「あいつのことなんて二度と考えるんじゃねぇ!」
感情露わにして、吼えるようにそうビキに言い聞かせ桃太郎は乱暴にビキの手を引いてもと来た道へと向きを変えた。

「桃太郎・・・」
ギリッと無意識に強く噛み締めた口からじわりと血の味が広がる。
目の奥の熱い感情に壊されそうな体を引きずる温羅を呼び止める声が後ろから近づいてきた。
「待ってください、温羅!」
サカミマは温羅へと走り寄った。
「私を、あなたの仲間にしてください!」
その彼の選択が正しかったのか間違っていたのか、この時の彼にはわかるはずもなかった。


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