「さてと…はじめるとする、かっ?!」
二人きりの部屋へと移動した狼座と桃太郎。扉の鍵をかけてから、はじまりの合図を告げようとした狼座にためらいなく桃太郎は飛び掛ってきた。
狼座は一瞬目を見開いたが、すぐににやりと笑むように目を細めて、桃太郎の第一撃を素早く抜き去った刃で受けきった。
「たく、とんだせっかち野郎だな」
「合図がないとやれねーのか?」
キンと甲高い金属音の後、お互い後ろとびで距離をとる。
桃太郎の言葉に「ははは」と歯を見せて笑う狼座は
「いいやそんなことはねーな。ああ同じだお前とよ。
だからいいんだ、お前と本気でやりあいてーと思ったのよ」
くるっと刃の向きを変え、今度は狼座が斬りかかる。
狭い室内の中、桃太郎は飛ぶように狼座の牙をかわしながら、攻撃をしかける。
太陽の届かないその場所で、ふたりの目はなにかに照らされたようにギラリと輝き、それが線を描くように動いていく。
お互い本気だった、気の抜けない一秒一秒。
呼吸をするだけの僅かな時間さえ、とても長く感じる空間の中、桃太郎と狼座、ふたつの獣は激しくぶつかりあった。
金属のぶつかり合う音、時に肉体でぶつかり合う音、衣服が肉が裂かれる音……そして呻く声。
その音をただ扉の外から聞くしかできない仲間達。
ビキはぎゅっと両手を握り締めながらひたすらに、祈るしかなかった。
最愛の人の勝利を、生還を、ただ祈るだけ。
扉の鍵が解かれる音がした。皆が息をツバを飲み込んで、その一点を凝視する。
「ごくり」誰かと誰かと誰かのその音が幾重にも重なり合う。
微動だにせず、そこから現れる勝者を、この黒狼というチームの真のリーダーの登場を、帰還を待つ。
ゆっくりと戸は開かれた。
そこから現れたのは……
「桃…太郎」
ざわりと空気が動き出す。
現れたのは、桃太郎だった。だがその体からは血を流し、かなり疲労を見せていた。
かろうじて立っている、そんな状態だった。
だが、瞳には強い光を保っていた。
勝者である、強者である強気者の証であるかのように、強く瞬く。
「桃…様、なの?」
信じていた、でも不安もあった。もしかしたらという恐怖とただ戦っていたビキはたしかめるようにつぶやく。
腰が砕けるように、へなへなとその場に座り込んでしまった。
他の者も、まだ信じられないといった顔のものがほとんどであった。特に狼座のもと黒狼にいた者たちはみな狼座が勝つと思い信じていたからだ。
「おい、ウソだろ?あの狼座さんが、あの人が負けるなんて……」
「ああ、こんなこと信じられない」
ざわざわとさらに慌しくなる空気の中、力強くその声は響き渡った。
「勝者はこの俺様だ!狼座は俺様の手によって倒れた。
リーダーは俺様になった!てめぇらはだまって俺様についてこい!
嫌な奴はかかってきやがれ、いつでもぶったおしてやるからよ」
全身血まみれになりながらも雄雄しく立っている桃太郎の声に、ざわざわしい空気はぴたりと止んだ。
不安な顔の者がほとんどであったが、今そこに立つのが真実であるとわかっている。
認めざるをえない、そして勝者に従う、それが狼座の言葉であり、黒狼の掟なのである。
「今ここに真のリーダーが誕生した」
桃太郎の勝利を信じていた一人太蔵の声にビキが「はい」と賛同する。
「おお、ようやったぞ桃太郎!お前となら天下がとれる!」
チュウビも賛同の声をあげる。
彼らに続いて、幾人か桃太郎の勝利を称える声が上がった。
それは波のように、感染するように広がっていく。会場全体がそんな空気になりそうな中、待ったと声が響いた。
「オイラは認めない。お前がリーダーなんて……絶対に認めないからな!」
小さな影は桃太郎の前までやってきた。桃太郎を鋭く睨みつけそう主張するのは、ゼンビだった。
「おいおいあいつ、なにやっとんじゃ」
つれのチュウビでさえゼンビの行動は理解できなかった。
だが桃太郎はチュウビのようにわからないというような表情ではなく、むしろその気持ちを理解しているかのような少し不気味な笑みを浮かべて、ゼンビを睨み返していた。
「ゼンビさん?」
「ゼンビ?」
ビキとサカミマもゼンビの行動に思考が追いつけず、不安ながらに見守っていた。
「お前言ったよな?いつでもかかってこいって。オイラが今ここで、お前を倒すからな!」
懐から凶器を取り出し、桃太郎へと襲い掛かるゼンビを周囲の者が止めに走る。
だがそれを制止したのは桃太郎だった。
邪魔するなと皆に合図して、桃太郎は再び刀を構えゼンビへと向けた。
つい先ほどまで、この黒狼のリーダーである強者狼座との死闘を終え傷だらけでやっと立っている状態の桃太郎に颯爽と斬りかかるゼンビ。
普段の状態ではない弱った今の桃太郎は相手がゼンビであれ不利だ。皆がそう思った。ゼンビ自身もそう思ったからこそ仕掛けた。
しかし
血を吐いたのは桃太郎ではなく、有利に思えたゼンビのほうだった。
「ぐぅっ」
思い切り地へと叩きつけられ這う様な恰好にさせられたゼンビは悔しそうに桃太郎を見上げる。
一瞬でゼンビを戦闘不能にした桃太郎の強さは圧倒的だった。その強さに不満を感じていた者も一気に桃太郎の強さを、そして黒狼のリーダーとして認めた。
敗者であるゼンビには次々に非難の声が浴びせられた。
地に伏したゼンビを足で踏みながら桃太郎は命令する。
「てめぇは俺様の下僕だ。俺様に従い、俺様の為に戦え」
「く…くそぅ…くそう…」
悔しそうに桃太郎を睨むゼンビは今の自分の状態を呪った。
「ゼンビ、潔う諦めぇ。お前は負けたんじゃ」
チュウビの言葉を聞き入れたくないように、ゼンビはぐいと顔を背けた。
「わかるまで体で教えといてやるぜ。おい、こいつは縛って閉じ込めておけ」
桃太郎は非情にゼンビを見下ろしながら、命を下した。
「バカな奴じゃ。おい、しばらく大人しくしとけよゼンビ」
ゼンビを連れて行くチュウビにゼンビは俯いたまま「くそぅ、認めない、オイラは絶対にあんな奴」とくやしそうにつぶやいた。
「桃太郎が、勝った。あの狼座に勝つなんて」
まだ現実的でなくそうつぶやくサカミマの横で
「俺は最初からあいつが勝つと思っていたさ」
サカミマは横のその男へと振り向く。
「まさか、あなたは最初からそのつもりで黒狼に」
にやりとイタズラっぽい笑みを浮かべる太蔵。
「まあな、賭けではあったんだけどな。夢ってのは自分が信じないことには実現できないもんだろうよ」
はー、とサカミマは息をはいた。この男は自分の夢を桃太郎に託している。
その危険を多いに孕んだ夢を桃太郎に叶えさせようとしているのか。
「本当に天下がとれますか?」
「そう思うから今こうして進んでいるんじゃないか」
目を細めて、その夢を太蔵は見ていた。今は血だらけで立っているのがやっとであるその少年を。
この地を一つの国として統一する最初の王が誕生するかもしれないという、遠いようでだがわずかに現実へと近づきつつあるその夢を。
死闘を終えて、桃太郎は黒狼のリーダーの特部屋(今まで狼座が使っていたその部屋)にと移動し、敷布団も敷かずにそのまま大の字になって寝ていた。
まだ血の滲む体のまま、本能のままに眠りにつこうとしていた。
その脇で、ビキが傷の手当てを行おうと道具を取り出していた。
視力があてにならないビキは手や指の触覚を敏感にして軟膏をヘラの上にのせ、それを桃太郎の傷口へと当てようとした。
桃太郎の体には無数の切り傷があった。獣並みに強い桃太郎も苦戦を強いられた相手狼座は桃太郎にとって今までに会ったことがないくらいに強い者であったか。いや、あの男より強い者はいる。桃太郎が越えられなかった老女、そしてあの男……温羅と名乗った赤い瞳のあの男。
桃太郎の中の野生の感情がざわりとざわめく。
手当ての途中のビキの手元が大きく狂った。それは目を覚ました桃太郎がビキの腕をぐっと掴んだからだ。
「あっ、桃様気がついて」
薬の入った容器は他の道具とともにカラカラと床を転げていった。
ビキはその手に強く引かれた影響で桃太郎の上へと覆いかぶさるように倒れこんでしまった。
傷口へと顎をぶつけ、それに痛みを感じたのか桃太郎が顔をしかめた。
「桃様!だいじょう」
慌てて顔を起こし、桃太郎の身を心配するビキに、桃太郎は半目開いて「うるせぇ、痛くなんかねぇ」と強がった。まだ傷口は開き痛々しく赤い身が桃太郎の呼吸のたび開いたり閉じたりしていた。
皮膚から滲み出る血液も見ているだけで痛々しい。致命傷ではないとはいえ軽症といえるほど甘い傷にも見えなかった。よくついさきほどまで立っていたと感心するほどだった。ゼンビ相手に圧勝したのも気力のおかげだろうか。疲労も肉体の限界に達しているようだった。
呼吸音さえいつも以上に荒く聞こえてくる。桃太郎が無理をしているということはビキにも感じとれた。
その桃太郎の発言(命令?)にビキは驚かされた。
「舐めろ……」
「へ、え?」
一瞬なにを言ったのかビキはわからず眉を山形にして聞き返す。
「傷…こんなの舐めておけば…一晩で治るん、だよ」
片目を力籠めて瞑った桃太郎は、ぐいっとビキの後頭部を押し自分の体へと近付けた。
「え、はい!え、あの…」
戸惑いながらも傷口に口づけ唇を赤く染めたビキは体中まで赤く染まっていった。
「桃様、こ、こんなかんじでだいじょうぶ?」
遠慮がちに唇を押し当てることでいっぱいいっぱいなビキに返事もせず、桃太郎は深い眠りへと落ちていった。体は回復のため強い眠りへと向かっていった。
温羅たち一行は賊被害から守る為集落を渡り歩いていた。
ここ最近は黒狼の動きはなく、被害を受ける者はなかったが、それでも黒狼ではない山賊や盗賊による被害はなくなるわけではなかったので、温羅たちの活動にもまだ終わりはなかった。
今温羅たちが活動の拠点においていたのは、山地にある集落だった。
その集落へと続く山道からは下界が見渡せ、まるで鳥のような視界だ。
賊退治を終えた温羅たちはその道を通って帰路へとつく。
集落を渡り歩き活動を続けるうち、人々は温羅たちに感謝し称えた。
戦う力を持たず、ただ震え耐えるしかなかった人々にとって温羅たちの存在は救いであった。
温羅の強さと、そして赤い髪と赤い瞳は神秘的に映り、人々はより特別な目で温羅を見た。
この混沌とした世を救う為にこの地に舞い降りた神の化身かもしれないと言う者もいた。
温羅はいたって普通だと思っていた。いや並の男より腕っ節の強さには自信があったのだが。
神の化身だと冗談でも思うことはなかった。
だが……
帰り道の途中、妙な感覚が温羅を襲った。
それは気味の悪い感覚だった。なんともいえない気持ち悪さに一瞬身震いした。
それは温羅自身の体の異変というよりも、外からのなにかを感じたような。
身に起こる危険を察知したような、そんな気がした。
ざわざわとざわめく細胞の異常。
生ぬるい気持ち悪い風が温羅の体をなぞった。
「どうしたんだ?」
仲間の一人が温羅の異常を感じとり、彼に声をかける。
顔を上げた温羅の瞳孔がカッと開いた。
ザワザワと木々が揺れる。そこから鳥たちが異常な鳴き声をあげて飛び去っていく。
「なんだ?」
仲間達がその鳥たちを仰ぎ見た時、温羅は山の集落へと走った。
「みな、早く戻るぞ」
「え、おい、いったいなにが」
顔を見合わせた仲間達は、走る温羅の後をすぐに追いかけた。
よくはわからないが、急がねばならないなにかがあるらしい。自分たちにはわからないが、温羅にはわかるのだろう。
それはけしていいことではないのだと、直感だがそう感じた。
集落についた温羅はすぐに大声を上げた。
温羅を見かけた住民達が彼におかえりの言葉をかけたときだ。
「すぐにここから離れるんだ!」
「え?」
温羅の真剣な顔に皆何事かと顔を見合わせた。
「いいから、早く」
ただ事ではなさそうな彼の態度に、皆異常な事態であると察した。
「どうしたのですか、温羅殿。まさか賊たちが襲ってくるのですか?」
集落の長老が温羅へと問いかけた。温羅は長老の言葉を肯定はしなかったが、詳しいわけは話さなかった。
なにかはよくわからない、だが感じるのだ。大きな危険を突如感じとったのだ。
はっきりとしたものは見えない、野生の勘のようなもの。
勘だが、確信があった。
巨大な悪魔が今まさにここに迫っている事を。
温羅に絶対的な信頼をよせる長老はすぐに皆に避難の指示を与えた。
温羅のあとをかけてきた仲間たちも、なんの危険が迫っているのかわからなかったが、温羅の感じていることに間違いはないと信じ、避難の為に的確に動いた。
住民達が避難を終え、温羅たちが山道を抜ける頃、激しく体が揺さぶられる衝撃を受けた。
地震だった。
突然の地震が襲ってきた。地に立っていられるかどうかという地震だった。
「うわぁ」
揺れは数十秒続いた。
それからしばらくして、集落のほうから轟音がした。
「今のは…」
「皆無事か?怪我はないか?」
温羅が確認する。仲間達は「ああ」とそれぞれ頷いた。
すう、となにか抜けていくような感覚が温羅にあった。危険はさったのだと感じた。
「温羅殿!」
避難していた住民達が温羅の元へと駆け寄ってきた。
集落に戻ると、見るも無惨な形になっていた。土砂崩れを起こし、大半の家屋が押しつぶされていた。
あのままここにいれば、たくさんの死傷者がでたかもしれないだろう。
その現状に皆がぞっとした。
「温羅殿のおかげじゃ。温羅殿がいなければ死んでいたかもしれん」
危険を察知した温羅を皆が仰ぎ見た。
みなの無事を喜ぶ中、温羅自身も不思議なものを感じていた。
危険を察知した能力。予知能力とはいえないが、感覚が特別に鋭くなっているのは感じていた。
一度海の中で、死に直面した時だろうか?今までするりと通り抜けていたものが敏感に飛び込んでくるようになってきた気がする。
動物的な勘がすさまじく鋭くなっているのか。
温羅はそう実感した。
温羅の予知はその一件だけでは終わらなかった。
また別の集落や地にて、川の氾濫や土砂災害を未然に防ぎ、多くの命を救った。
偶然ではなく、確信で温羅は動くようになった。
仲間たちも温羅の力を強く信じ彼に付き従った。
救われた人々は、温羅を救世主と仰いだ。
人々を守り生きていく道。王子としての身分を捨てた温羅だが、民を救う道こそ自分の進むべき道だと強く実感する事件でもあった。
そしてその道こそ、この世でもっとも大事な守りたい存在のための道でもあると。
「ビキ……」
忙しい日々を送る中、一度として温羅がビキを忘れたことなどなかった。
突然の別れから、一度も彼女に会えることはなかった。
どこにいったのか、どうなったのかなにもわからない。だが生きている、それだけは強く信じられた。
それは野生の勘ではなく、己の願望だった。
滞在している村に続く道を温羅は歩いていた。今日も村を守る為見回りをしていたのだ。
特に異常もなく、賊たちの動きもない、帰路へとつく途中、温羅を呼び止める者達が現れた。
「あなたが温羅殿ですね」
目の前に現れたその集団に温羅は何者だと聞き返した。
彼らは三人の男。全身白い衣装を纏った特殊な風貌の連中だった。この周辺の者ではない空気を感じた。
「我らは紺龍が精霊女さまの使い。主の命を受けあなた様を御迎えにきました」
白装束の男達は温羅へと辞儀をする。
「紺龍のものが、私を?」
紺龍の存在については軽く耳にしたことがあったが、なぜ彼らが自分をむかえに来たのか温羅には心当たりがない。
だが彼らは迷いなく頷き、笑みかける。
「さあ共に参りましょう。救世主様」
再び彼らは温羅へと頭を垂れた。
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