終わりの島Z島。この島へと訪れ、ビケが向かう先は当然あの場所だ。
子供の頃、自分が暮らしていた場所。祖父がひっそりと暮らすあの小さな家へと向かう。
「おじい様、こんにちは」
「おおっ、ビケ、よう来たな」
挨拶を交わす二人の間に、和やかな空気が流れる。殺伐としていたあの頃が、遠いように感じるほどだ。
ビケがここに来たのはつい最近の事。今日の訪問も意外なことではない。事前に知っていたように、祖父鬼太郎は孫のビケを迎え入れる。

「どう? おじい様、あのこの様子は」
「ん、ああ、ワシとはほとんど口を聞かんがな」
「あら、やっぱり迷惑をかけているみたいね、ごめんなさい」
「いやいや気にすることはない。ワシも長いこと一人だったしな。相手がいるのといないのとでは天と地ほど違う。それに、お前やテンと比べたらずっとかわいいほうじゃと思うが」
「ふ、おじい様ったら。…喜んでくれているところ悪いけど、そろそろ連れて帰ろうと思ってきたのだけど」
「ああかまわんよ。それもあの子にとっていいだろうよ」
挨拶もそこそこにビケは祖父のもとを発つ。目的の相手のところへと向かう。

山道を登り、ちょっとした広場に出る。そこに目的の相手はいた。
「ショウちゃん」
「ビケ兄!」
声をかけると同時に向こうもこちらに気づいて名を呼ぶ。
「どうだった? おじい様に迷惑かけてなかった?」
「迷惑って…、むしろ向こうのほうが迷惑かけてたんだけど。やたらとまとわりついてさ、オナニーもできないしさ」
「ふふふそれはしょうがないわね。おじい様、心配性だもの」
「心配性の域超えてるよ。あれはストーカーの目だね」
「しょうがないわ、おじい様生粋のストーカーですもの、タカネのストーカーだったから」
「へー…」
「なに? お前が言うなって?」
「えっ、そんなこと言ってなっ」
「ふふふ、まあいいわ」
笑って、ビケは木々の合間から見える海へと体を向ける。
「それより、私に伝えたい事があるのでしょう?」
「えっ…」
ビケの言葉に、ショウの体がピクリと固まる。
「教えてくれる? 今の私なら、お前の話もちゃんと冷静に受け止められるわ」
ショウへと振り返るビケの表情は、穏やかだった。萎縮気味だったショウも、ツバを飲み込んで、状態を整える。
「ビケ兄は、もう温羅じゃないんだよね?」
「そうね、記憶はなくなってはいないけど」
「…ボクは、ビケ兄を裏切ってなんか、いない。最初から、ずっと…」

沈黙が流れる。ゆっくりとビケの手が伸びる。ショウの視界を覆うように影が流れて…
ぽすん、とショウの頭をビケの手が押さえるように撫でる。
「ずっと気にしていたのね。私はお前のことを怒っても恨んでもいないわよ」
「ビケ兄…」


「この島に来て、どうだった?」
ビケがショウに訊ねる。この島Z島は、ビケにとって幼き日を過ごした場所になる。ショウは一度もここに来ていないが、前世のゼンビにとってはこの島は生まれ故郷になる。だがいい思い出はほとんどないだろう。
「別に、娯楽もない退屈な島だよ」
「ふふ、そういいなさんな。なにもないところでもいくらでも娯楽は見つけられるものよ?」
どう? 一緒にやらない?と誘うビケに、ショウは複雑な眼差しで首を横に振った。
「ごめん、もうビケ兄とは、そういうことできない」
「お前なにを考えてるの? まあいいから、来なさい」

ビケがなにをしたいのか、ショウにはさっぱり見当がつかない。ビケに誘われるままについていく。山道を下り、向った先は海岸だった。
夕暮れ時で、日差しはずいぶんと和らいできた。
波が打ち寄せる砂浜で、足を開いてビケが構える。その構えとは…
「ビケ兄? いったいなにを…」
ここまで来ても、ショウにはさっぱりわからない。
「わからない? 男兄弟でやることの定番といえば、これだって聞いたのだけど」
俗世間の兄弟で言えば、そうかもしれないが、ショウたち兄弟にとってはソレは意外なものになる。
そういえば、やったことはない気がする。ビケと出会う前の、キョウやキンたちとも、そういった遊びはやった記憶がなかった。まあようするに、男兄弟とはいえ、大の大人がやるようなことではないわけだが。
乗り気でない弟を挑発するように、ビケが微笑みながら誘いをかける。
「あらどうしたの? かかってこれない? それならこっちから攻めようかしら? キンならともかく、ショウちゃん相手なら、負ける気がしないのよね」
「…いいの? なら、遠慮なくいくけど?」
互いに砂を蹴って、ぶつかり、取っ組み合う。

「おいおい、なにをやっとるんだ?」
海とは反対方向から、こちらへとむかってくる声。その声に反応してしまったのはビケ。
「あらおじい様、見てわからない? 男兄弟はこれをするのが定番らしいのよ」
一瞬ぽけっとして、すぐに祖父鬼太郎は豪快に笑った。
プロレスごっこだとか相撲だとか、そういった類の遊びだ。ビケを知る鬼太郎にとって、そういったビケの姿は今までにない姿だった。笑いながら細めた目で、二人の光景を見守る。
「ショウはまだ子供だから、相手してあげないとね」
ふふふと頭上で笑うビケのずっと下のほう、地面の下を狙うように、ぐっと踏み込む。
視界が180度回転する。砂の上に倒れこんだビケの足を、ショウが押さえつけた。
ぽかんとなった鬼太郎は、一変はははと笑った。
「簡単に負かされとるじゃないか、ビケ」
手を叩いて笑い出した祖父を、恨めしげにビケが睨む。
「酷いわおじい様、人の失敗を笑うなんて」
「あはは、いや、そういうわけでは、…そう睨むな」
つい集中して、現状についていけなかったショウがハッとして、体を起こす。
「ごめん、ビケ兄、こんなつもりじゃ」
神妙な面持ちのショウに反して、ビケは明るくくすりと笑う。
「なにを謝るのよ。私が余計惨めになるでしょ? というかそれ狙ってわざと?」
「え、そういうわけじゃ」
「勝者は誇っていいものよ。…もう私の機嫌伺いは、卒業しなさい」
さて、と砂を払ってビケは立ち上がり、祖父のほうへと向う。
「そろそろ晩ご飯の時間ね、おじい様戻りましょう」
「ああ、そうだな。今日は…そうめんでもゆでるか」
夕日に照らされるビケの後姿を見つめながら、ショウはつぶやく。
「本気じゃなかったし、納得いかないんだけど…」
勝者なんかじゃないと、心の中でぼやいた。


すっかりと日が落ち、空には無数の星がまたたく。田舎の夜空は、暗い分、星や月の明るさが際立つ。
波の音、波が砂を削る音。繰り返し聞こえるその音が、不思議と懐かしい気持ちにさせてくる。
海の向こうに、あるはずの大地は、ここからは姿すら見えない。
ゼンビはどんな想いで海を眺めたのだろうか? それは島を離れる前と、戻ってきた後では、心境は全然違っていただろう。
前世の記憶など、なければよかったのにと、思わないこともなかった。辛い想いに、胸を締め付けられることのほうが多かった。
リンネは、桃太郎という元凶の生まれ変わりでありながら、その記憶を一切持たなかった。正直幸せだと思う。
「ショウちゃん、ここにいたのね」
街灯もない浜辺は薄暗いが、月明かりで十分見渡せた。呼ばれてショウはビケへと振り向く。
「なんであのじいさん人にやたらとそうめん食わせようとすんの? そうめんフェチなの?」
「そう言いなさんな。おじいさまなりに気を使ってんのよ。まあ私が好きだから…
おじい様のそうめん」
不思議よね、とビケがつぶやく。
「お前の前世はこの島が故郷で、だけどお前はここには来ることがなかった。温羅は大陸の生まれでこの島には来たことがなかったけど、私はこの島で育った」
ふいっと東の山へとビケは視線をやる。
「ゼンビはあの山に桃太郎の剣を隠した。それを幼い私が見つけ、テンへと渡した」
巡り巡ること。因縁深い桃太郎の刀。
「その剣に、殺されそうになったんだけどね」
火に包まれたBエリアの街で、テンとの死闘を思い出す。思えば前世で因縁のない、テンには散々振り回された。いまだに、あのオッサンと思うといらっとくる。
「私もリンネに殺されそうになったけど、なんとか生きているし…」
服の上から、傷跡を撫でる。お互い死亡フラグたてまくった末の、今である。それに、死闘を越えて得たことや、初めて知った想いもある。ビケ自身がそうであるように、ショウもそうなのではと思う。
「誰にも言ってないけど、…私どうやらリンネに惚れてるみたいなのよね」
「…え?」
「タカネには見抜かれてしまったけど、きっとそういうことなんだわ。あの時のことを思い出すと、悔しくてね」
「それって、単にむかついているだけなんじゃ」
「タカネのことは今でも愛しているし、この先も愛は変わらない。だけど、リンネに対しては違うのよね。感情が進化していくような、可能性を感じるのよ。
たぶん、負けたくないのよね。ひょっとしたら、リンネと同じ感情なのかもしれない」
見くびっていた相手に叩き落されて、気づいた感情。けしてドMに目覚めたとかそういうものではないが。
そういった相手に出会えるのは、人生で一度あるかないかだろう。その感情から目を背けて進めば、きっと逃してしまう。
強く欲するこの気持ちにようやく向き合えそうだ。温羅から解放されて、ビケは自身の人生をどう生きるか考えている。やらなければいけないことは山ほどあるが、まずは家族との絆を、少しずつ深めて行きたい。鬼太郎とも、そして利用してきたこの弟とも。
「そんなこと言ったらリンネの奴、絶対調子にのるよ」
「そうかしら? 案外もう心変わりしているかもしれないわ。最近キンの奴と親密みたいだし…。アイツをBエリアの領主にしたせいかしら。と思うとなんかいらついてきたわね。
まあいいわ、これから思い知らせてやればいい。
渡す気はないからね、キンにも、お前にも」
「…はぁ?」
「(気づいていないのね、かわいい子)」
きょとんとするショウに、いじわる気に微笑んで、ビケは祖父の家へと戻る。
波乱はきっと、この先も続くのかもしれない。


2011/12/31UP
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